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6.対決

 歩を進めたその先には、先ほどと何も変わらぬ黒崎がたっている。

「やはり私の見込んだ通りですね。トドメを刺さないところは詰めが甘いと思いますが」

「……そんなこと、私にはできません」

 斬りつけられた左肩からドクドクと血が流れ出て、左腕を伝い地面に滴り落ちる。それにも構わず、自由のきく右手で刀を強く握りしめる。

 真っ直ぐ射抜くように、黒崎を見すえ歩み寄る。

「いい眼をしていますね。牙を抜かれた人間にはできない眼です。やはりあなたは原始的な人間、激情という、罪と創造の源泉をその内に抱えるカインのような人間だ」

 近づいてくる葵に賞賛の言葉を述べた。

 黒崎が右腕をかざす。すると、空間が歪みだし、元に戻った頃には彼の右腕には一本の樫で出来た杖が握られていた。

「ですが、まだ迷いがある。その迷いを断ち切ることができない、その本質を認めることの出来ないのがあなたの弱さです。それは罪に支配されたカインのように、自らの中から起こる罪を正しく支配していない。拒む者は、認めぬ者はやがて彼らによって飲まれる」

 黒崎の目に、再び紅い光が宿る。

 金縛りにあったように葵の身体が動かなくなった。

「私を見なさい」

 黒崎が耳の奥深くにものが差し込まれるような、粘っこい声質で囁くと、それだけで葵は彼から目をそらすことが出来なくなってしまった。

 黒崎の右手に持たれた杖がゆっくりと外側に開く。

 それにつられるように、葵の身体が凄い力で同じ方向に引っ張られていく。

 手のひらが天を向くと、今度は身体が宙に浮いて宙づり状態になる。

「どうでしょうか? これはかつてモーセがイスラエルを導いたとき、様々な奇跡と災いを生み出した杖です。彼の死後は悪魔結社の手に渡ってしまいましたが、これ以上悪用されないよう、私が彼らから奪ったのです。今の貴女が味わっているように、使い方によっては人の肉体も精神も支配できます。もっとも、扱いが難しいのでそう何度も使おうとは思いませんが」

 言い終えると、黒崎は杖で地面を突いた。乾いた音が空洞の中で鳴り響くと同時に葵の身体が地面に叩きつけられた。

 黒崎が再び手をかざすと、闇に吸い込まれるように杖は姿を消していった。

「さあ、どうします? 私と一緒に来るか、それとも私を拒むか」

 うつぶせに倒れている葵に、黒崎は語りかける。

「……答えは変わりません」

 全身を襲う痛みに耐え、身体を起こす。

「確かに黒崎さんの言うとおり、世の中狂ってるとしか言いようがないことも多いです。弱い人は食い物にされて、わずかに持っているものまで奪われる。人を救うどころか、人の弱さを公然と非難して、自分の正しさを見せつける人もいます。多分、悪魔と呼ばれてるもの達もそういう人達を利用してるのかもしれません」

 自らに語りかけるように、葵は地を見つめながら答える。

「……そうです。貴女の言うようにこの世界は何かが狂っている。弱き者は虐げられ、日々こらしめを受け、悪しき者達に様々な富や繁栄がもたらされる。偽善者は正しきを叫びながら、その様に生きることの出来ない者をさげすみ、切り捨て、それを以て自分を正義であると見せつけることしか知らない。もはや悪しき樹は、罪の実は実りました。収穫の時が来ているのです。それら罪の実を実らせる樹を断ち、悪魔と共に火に投げ込まなければなりません! 我々は善き実を携えて主の御下へと向かうのです。あなたには、その協力者たる素質が十分にある。自らの罪深さを知るものでなければ、罪に悩まされる他者を憐れむことも、本質も見ることはできないのですから」

 刀を支えにしながらゆっくりと立ち上がると、黒崎を見た。

「けれど黒崎さんは私に言ってくれたじゃないですか。人は力によって悪に勝つのではない。愛によって克服するんだって。どんな苦しい時も愛は消えない、そう言ってくれたじゃないですか! 何が黒崎さんをそうさせてしまったのか、それは分かりません。けど、黒崎さんが堕ちていくのは、罪に染まるのは見たくありません。そうしたくありません」

 燃え上がるような眼で真っ直ぐに黒崎を見据えた。

「そうですか、残念です。しかし、これは私が選んだ道。誰にも邪魔はさせない」

 黒崎は、目を見開いた。あたりに地響きがおき、葵の足下から杭のように先のとがった岩石が迫り出し、彼女の体を貫こうとした。

 すんでの所で横に跳んで難を逃れた葵は、せり出してきた岩の杭を見て、息を飲む。

「驚くことはありません。私も蛇に見いだされた者なのですから。貴女が激情を力の源とする能力を与えられたように、私も事物の根源――アルケーを自在に操る能力を蛇から与えられたのですよ。つまり空気も、水も、火も、大地も自然界の元素も、私の支配下にあるということです。ちょうど、このようにね」

 黒崎は左手で指を鳴らす。

 音と共に周りの空気が一点に集められていくのを、葵は鋭敏化された五官で察知する。

 異変を感じて顔を少し左にずらした瞬間、空気を裂くような甲高い音と共に、彼女の右頬に薄く切り傷が生じる。

 見えない空気の刃、そういう表現が最も適しているだろう。高められた聴覚と触角がなければ、頭は吹き飛んでいたかもしれない。

 同じような現象が再び起こり、彼女に向かって放たれる。空気の振動を感じ取り、軌道を推測しながら避ける。何度も襲ってくる刃は彼女の顔や腕に多くの切り傷を生む。攻撃をかいくぐりながら接近しようとすれば、今度は岩石の杭や蛇のようにうねりながら襲いかかる焔に阻まれ、その度に葵は後退せざるを得なくなる。後退すればまた空気の刃が襲ってくる。

 刀剣を持っている相手は、接近しなければ勝機を掴むことは出来ない、ということを理解している戦い方である。近づかせなければ、彼女が失血と疲労でやがて気を失うことになる。それを黒崎は狙っている。

 事実、先ほどの大男との戦いで負傷している葵には、もうほとんど体力は残っていない。接近しては後退する、といった状況の繰り返しで、血をかなり失い視界は暗く、呼吸が乱れて肩で息をしはじめている。

 この状況を打開するために、彼女は賭けに出ることにした。

 同じように放たれてくる刃を避けながら黒崎に近づいていく。案の定、一定の間合いまで距離を詰めると地面から岩がせり出してくる。

 その瞬間を逃すことなく前方宙返りで岩の杭を飛び越え、伸びていく杭の幹に立つ。彼女の動きを追うかのように次々に杭が襲いかかってくるが、それを右手で持った刀で斬り捨てていく。彼女が予測していたとおり、黒崎が使ってくる攻撃は岩の杭だけであり、一つの事象を操っている最中は、他の事象を操ることは出来ないようだ。

「ほう、私の能力の弱点を見つけるとは。素晴らしい! やはりあなたは自分が思っているよりもずっと大きな力を秘めている! やはりあなたは教導者たる器の持ち主だ」

 突破口を見いだし、自らを見下ろすようにして立つ葵に、黒崎は賞賛の言葉を贈る。

「……黒崎さん、最後に一つだけ聞いて良いですか。三年前のあの日、私を助けてくださったのは、今回の目的のためだったんですか? 最初からそのつもりで」

「…………そうです。貴女にも言ったはずです。貴女がその素質を持っているからですよ。悪魔どもの手に堕ちてしまえば、もっと不幸な運命が貴女を待ち受けていたでしょう。終末に現れる悪魔の軍勢の、最悪の尖兵として。そうならぬため、そして来たるときに私の協力者にするため、それだけです」

「……そうですか。でも、私は感謝しています」

 葵の応答に、黒崎の顔が一瞬だけ固まる。

「その話が本当なら、黒崎さんは自分の目的のために私を助けてたんですよね。でも、あの時の私にかけてくれた言葉は、嘘には思えません。今でも、力を使って無理矢理にでも私を引き入れることだって出来たはずです。それをしないのは何故ですか?」

 黒崎は黙して語らない。

「黒崎さんは私に道を示してくれました。自分のしたことに囚われて自棄(やけ)になっていた私に、別の道を見せてくれました。いつだって私の意思を大切にしてくれました。今回のことだって私に選ばせようとしてました……」

「もう、終わりにしましょう。いずれにせよ貴女が奴らの手に堕ちてしまえば取り返しが付かなくなります。私が手を引いても、悪魔結社はいつか必ず貴女を狙ってくる。貴女が違う決断をしたのなら、私はそれを力ずくで阻止するまでです」

 再び、地鳴りと共に無数の岩石の杭が岩が葵を襲った。それを何とか避けて、一番高くせり出した岩の杭の上に登り、黒崎を見据えた。

「安心してください、今の私は大丈夫ですよ。絶対にそんな奴らには負けません。ようやく私は自分で決めることが出来たんですから」

 葵は手首を返して、刀を逆手に持ち替えた。

 そして、右の手を左肩に持っていき大きく振りかぶる。刀の切っ先が天に向いたその時、葵の眼がカッと見開かれる。その目は、先ほど葵が対峙した男と同じような金色の光をたたえていた。

 そのまま、体重を乗せて刀を投げつけた。

 刀は緩やかな弧を描いて、しかし高速で黒崎に向かっていく。

 彼女の咄嗟の行動に気づいた頃には、刀が黒崎の右腕を貫いていた。

 ふいに襲った痛みに、黒崎は自らの右腕を見る。

 刀が、彼の右腕にはめ込まれた賢者の石を貫いていた。

 やがて、賢者の石に亀裂が入り、ガラスが割れたときのような音を立てて砕けた。

 今、起こっていることが信じられないのかその場に跪いて、絶叫する。

「動か……ないでください」

 跪いて項垂れている黒崎に、ゆっくりと歩み寄っていく。

 腕から刀を引き抜くと、茫然自失としている黒崎の首に、白刃を当てる。

「相原君を返してもらいますね」

 黒崎は自らの首筋に押し当てられた刀を見て、葵をあざ笑うかのように言葉を発した。

「甘いですね。何故トドメを刺さないのですか? まだ貴女には戦う者の覚悟が足らない。迷いがある。何故、刀の峰を私に当てているのです?」

「さっき言ったとおりですよ。自分で決めました。私が殺したくないんです」

 僅かに笑んで首筋から刀を放すと、自分の体に埋め込まれた紅い石を左腕ごと貫いた。

「この力は私には強すぎます。人は実力以上の力を持つと、おかしくなってしまう。だから、まだ私はこの賢者の石の力には頼れません」

 引き抜いて刃を返すと、すぐそばの、祭壇のような場所に寝かせられている和彦のもとへと力無く向かっていった。

 葵はふらつきながらもやっと和彦に近づき、傍らにひざまずいた。

 程なくして、和彦は目を覚ました。しかし、気を失っていた間の出来事は当然彼に知りようもないことであった。目の前で葵が重傷を負っている

「朝比奈さん……、こんな酷い怪我をして……」

「ううん、良いの。相原君が無事でいてくれて」

「黒崎さん……」

「……やはり貴女は夏希さんに似ていますね。最後は理屈で決めず、信念を取る……」

「ありがとうございました……。黒崎さんは相原君の命を、連れ去られた人たちを、他の悪霊に取り憑かれた人達の命を奪うことはしなかった」

「それは偶然のことです。それに、私の目的のためでもあったのです。良心からのことではありません」

「でも、もしそうだとしたらその前に黒崎さんを止めることが出来て良かった」

「これからどうするつもりですか? 悪魔結社は甘くはありません。いずれ貴女を見つけ出して、取り込むか、あるいは亡き者にしようとするでしょう」

「まだそこまでは考えられません。でも、今はそんなことよりも黒崎さんを止めたかったんです。だけど、わたしを、信じてください……。今まで黒崎さんがわたしにしてくれたように……」

 そう言いながら葵は膝から崩れ落ちて地面に倒れ込んだ。倒れた先からは血が流れ出て、小さな川を幾本も作った。

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