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4.逃避行〈Ⅲ〉

 誠、慎二、遥香の三人は、チンピラ風の男を倒した後、再び坑道に降り立った。

「あん時は右に折れたんだから、とするとまっすぐ行きゃあ別の出口に繋がってるのかもな?」

 薄暗い坑道を慎重に進んでいく。

 しかし、しばらく進んでいくと三人は思いがけない人物と遭遇した。

「げ、何でお前がそこにいるんだよ?」

 少女達が囚われていた場所にいた、見張り役であった。強く頭部を打っているはずだからそう簡単に起きられるはずはないだろう。誠はそう考えていたのである。

 しかし、男は平然としたすまし顔でじっと三人を見つめている。その様子からそれほどのダメージは負っていない様に思える。

 しかし、誠達をそれ以上に驚かせているのは、この薄暗い空間でもはっきりと分かる金色に輝く瞳である。まるで夜の暗闇で光を放つ獣のような眼である。

 その瞳に見つめられただけで誠達はたじろいでしまった。

「お、おい、に、人間の眼って光るんだったっけ?」

 誠は得体の知れない恐怖に顔を引きつらせて誰にともなく語りかけた。

「ま、まさか、夜行性動物じゃあないんだから、ひ、光るわけないだろう? そ、それにあれだって撮影用のライトの光に反射してるんじゃなかったっけ?」

「だ、だよな? じゃあ、目の前のあれは何なんだろうな? キョンシーか? それともドラキュラ伯爵か?」

 足を前に出そうとしても身体が言うことをきかない。金縛りにあったようにその場に釘付けになった三人にゆっくりと男は歩み寄っていく。

「クソ! やるしかねえか」

 恐怖もあったが、覚悟を決めた。

 男に向かって殴りかかる。しかし、拳を振り上げるその刹那、誠は呼吸を奪われた。男の手が彼の首筋をしっかりと掴み、頸動脈と気管を締め上げる。

 振りほどこうと必死にもがくが、いたずらに体力を消耗するのみであった。だんだんと顔から血の気が失せていく。

 誠の危機に、慎二は咄嗟にいつもポケットに入れてある、カメラのフラッシュをたいた。薄暗い坑道の中に強い光が瞬く。

 男は突然の光に怯み、誠を手放した。両手で目を覆いもだえている。

 頸部の圧迫から解放された誠は片膝をつき、何度も咳き込む。

「ちくしょう、今度こそ死ぬかと思ったぜ」

 立ち上がった誠は目がくらみもだえている男を見据える。

「お返しだ!」

 男の首に腕を巻き付けて大外刈りで豪快に後方へ刈り払った。

「このまま、ずらかるぜ」

 脱兎のごとく三人は駆けだしていった。

 そのまま薄暗い坑道を誠達は駆けていく。そんな彼らの耳に何かが崩れる大きな音が地響きと共に聞こえてきた。

「やばいな、さっさとここも出口を見つけないと」

 鉱山のなかを軌道を頼りにどんどんと突き進むと眼前に一台のトロッコが見えた。

 どうやら、ここがかつての採掘場のようだ。

「乗ってく?」

「何言ってんだよこんな時に。大体、この線路が出口まで続いてるか疑わしいもんだ。走った方が良いね」

「でも走っていったら運動部の誠は良いけど、僕や八重樫さんはバテちゃうよ。それに」

 慎二は、軌道の続く道を真っ直ぐ指さした。辺りは暗く、それまでともっていた明かりもなく、ただその先が全く分からない、まさに闇の世界が広がっていた。

「こんなところ、人間の足で行ったら返って危ないんじゃないの? さっきの地響きのこともあるし」

「ちっ、しょうがねえな」

「よし、そうと決まったら誠、頼むよ!」

 言うが早いか、慎二はトロッコに乗り込む。彼にエスコートされ、遥香も乗り込んだ。

 ただ一人、取り残された誠は静かに、しかしいらだちを含んだ声で聞いた。

「おちょくってんのか? おめえ」

「やっぱ、こういうのは誠の領分だろ」

「てめえも手伝え!」

「誠、後ろ後ろ!」

 慎二に指さされ、後ろを見ると先ほど倒した男が、音もなく、なおかつ凄い速さでこちらに駆けてくる。

「やばっ!」

 慌ててトロッコを押す。トロッコは軌道に沿ってゆっくりと動き出す。

 さらにもう一押しを加えると、傾斜にさしかかり一気に加速する。

 駆け足で加速を始めたトロッコに飛び乗ると、進行方向に思い切り体を預ける。

 誠達三人分の体重で、さらにトロッコは加速し坑道を走り抜けていく。

「ふう、これで何とかなりそうだな」

 このスピードには、さすがのあの男も追いつけまい。

 そう言う安心感を抱いたその時だった。

 突然、車体がグラッと大きく揺れた。

 何かが、トロッコにしがみついてきたのだ。

 驚いて三人が後ろを振り返ると、人と同じぐらいの大きさの黒い犬が車体にしがみついていた。獣の身体には、何か人間が身につけていたと思われる衣服の細かい切れ端が身体のあちこちに付着していた。

 薄暗い闇に包まれた空間に、金色の瞳だけが爛々と輝いている。まさに神話や物語小説に出てくるような地獄の番犬といった出で立ちだ。

 三人は感じた。自分の目の前にいるのは化け物だと、そして目の前のことが現実だと。

 もはや逃げ場はない。起死回生を狙って乗ったトロッコはもはや地獄への直通列車とかしていた。

 黒犬は鋭く、巨大な牙をむき出しにして、獰猛にうなり声を上げる。その眼はジッと誠達を見据えてその鋭い牙の最初の獲物を探している。

 やがて、遥香を哀れな最初の犠牲者に選ぶと口を大きく開けて彼女の細い首筋めがけて飛びかかった。

「何してんだ! このワン公が!」

 遥香に覆い被さらんとしていた黒犬の横腹を誠が蹴りつける。

 狩りを邪魔されて、地獄の使者は怒りをこめた眼で誠を睨み付けた。

 標的を誠に変更し腹にしみるような一吠えで威嚇した後、喉を食い破ろうと彼めがけて飛びかかる。

「喰われてたまるかよ!」

 喉を狙おうとしていることを察知した誠は、間一髪両手で獣の口を掴み顎を固定することに成功した。

 黒い獣は、誠の手をどけようと鋭い爪を隠し持った前足で彼の身体を引っ掻く。

 少年の、腕、頬、額、胸板、様々なところに獣の爪痕が刻み込まれる。

 それでも、誠は獣の口から手を離そうとしなかった。

「へへ、このワン公! 人間様を舐めるなよ! てめえの引っ掻きなんか部活の先輩のシゴキや、母ちゃんのゲンコツに比べりゃ屁でもないぜ!」

 そうは言っても、痛いものは痛かった。何度も爪を立てられて、手に力が入りにくくなってきた。

 徐々に巨大な口が彼の喉笛を食いちぎらんと近づいてくる。

 もはやこれまで。誠がそう思いかけた時、獣の身体が悲鳴と共に大きくのけぞった。

 慎二が獣の尻尾を思い切り引っ張ったのだ。

 突然の予期せぬ痛みに、黒い獣は顔を天にむけ吠える。

 わずかに生じた隙を誠は見逃さなかった。

「あばよ!」

 残された体力を使って思い切り蹴飛ばす。

 獣は大の字になって倒れるように、トロッコの車外に投げ出された。

 獣をその場に取り残し、トロッコはさらに加速し、後方に落ちた獣の姿は薄闇の中に消えていった。

 トロッコは三人を乗せて、坑道の中を走り抜けていく。

「なんなんだあの犬」

 誠は疲労困憊で、肩で息しながら言った。

「大丈夫かな? 朝比奈さんは」

「さあな! そんなことよりも俺たち自身が危ねえじゃねえか。早くこの薄暗いところから抜け出さねえと」

 もたれかかるように、車体に身体を預けて誠は言った。

 一番負傷した彼の身体は見るからに痛々しい。いくつもの切り傷が前腕部から二の腕、肩口や頬に刻まれている。それらの傷から流れ出た血が、彼の身につけていたシャツに朱の模様を作り上げている。

 誰が見ても限界だった。いつになったらこの暗闇から出ることができるのか。そういう焦りと不安が三人の心を支配していた。

 その間にも、トロッコはひたすら狭い坑道を走り抜けていく。

 坑内を照らすわずかな灯りだけがあたりを優しく照らしていた。

 ふと、誠は何か異変を感じた。

 トロッコの車輪が回る音以外に、微かにではあるが何かがこちらに向かってくる気配を感じたのだった。やがてそれは地面を蹴る足音としてはっきりと聞こえてくるようになった。その音には、土を蹴る音に混じって爪が地面を引っ掻く音も含まれていた。

 誠は直感した。

「来る! またあのワン公だ!」

 そう誠が叫んだと同時に、黒犬がその獰猛な牙で慎二の肩口い食らいついていた。

 血流が遮られ、痛みと共に徐々に慎二の意識が遠のいていく。

 誠は犬を引き離そうと、獣の体を何度も殴ったり蹴ったりしたが一向に牙から慎二を解放しようとしなかった。

「ふざけんなよ! てめえら犬の弱点ぐらいわかってんだよ!」

 誠はヘッドロックをかけるように黒い獣の頭部を固定すると、左手を使い黒犬の鼻の穴を覆って空気の通り道を完全に遮断した。

 それでも、強情に慎二に食らいついていた獣であったが、すぐに酸素が欠乏して口を慎二から離した。

 その隙を逃さず、誠は顎を両手で固定し、獣の牙の脅威を封じる。

 その手をどけさせようと、獣は鋭い爪で、何度も誠の腕を、顔を引っ掻くが、それに負けじと誠は獣の口を必死で固定する。

「へへへ、もう離さねえぞ」

 しばらくの間、誠と黒い獣との間ににらみ合いの様な状態が続いた。

 しかし、時間の経過とともに獣が徐々に誠を押すような形勢ができあがってきた。

 さすがに劣勢を悟ったのか、誠の表情もよりいっそう険しいものになった。

「誠さん! 光が見えてきました!」

 黒い獣を押さえている誠に、遥香は出口が見えたことを告げた。

 それを聞いた誠は、力を振り絞って獣の口を押さえつけた。

 あたりがどんどん光に包まれていくのを感じた。

「出ます!」

 遥香の合図のほんのわずか後、薄闇から、光の世界へと躍り出た。

 太陽の光に、漆黒の獣は目をくらませこれまでにないほどの絶叫を発した。

「お別れだ! じゃあな、楽しかったぜ!」

 トンネルを抜けた先に広がる断崖にむけて、黒の獣を巴投げでトロッコからたたき出す。誠達を苦しめた地獄の黒い獣は咆吼と共に崖の下に広がる大洋目がけて真っ逆さまに落ちていった。

「やったぜ! おい、大丈夫か?」

 慎二に近寄って、傷口を確認する。大分深くまで牙が食い込んでいたようで、肩の肉がフォークのような物でえぐられたように持って行かれている。

 額には脂汗が滲んでいる。意識はあるみたいだが、失血のせいか視線が定まっていない。

「……誠は無事かい? 随分ひどいやられよう、だ、ね」

「俺の身体よりおめえのほうが心配だよ。大丈夫、何ともないぜ。あのワン公だってもう追ってこないだろうし」

「誠さん、前、前!」

 慎二を気遣っている誠に、遥香は前を見るように促す。

「何だよ? もうあの犬は崖の下に真っ逆さまのはずで……、ゲッ!」

 遥香の言葉に従って前方を向いたが、その目の前に立ちはだかる現実に、驚きと恐怖の声を発した。

 誠の眼前に広がる光景、それはレールが断崖絶壁に向かって伸びている光景だった。無論、レールは崖に吸い込まれるような形で途絶えている。

 レールを走るトロッコの行く先はもちろん一本道、このまま断崖絶壁に向かって黒い獣と同じように真っ逆さまである。

 その光景が、先ほどまでの得体の知れない獣との死闘以上に、彼に死の恐怖を与えた。

「あー! ブレーキブレーキブレーキ!」

 必死で、ブレーキを掛けようとレバーを倒すが、速度は一向におさまる気配がない。

 そして、最後の望みの綱であったブレーキレバーも、劣化していたのか根本からポッキリと折れてしまった。

 断崖に到達するまでの時間は刻一刻と迫っている。

 誠は、意を決したように負傷した慎二を抱き起こし左肩に担ぐ。

 もう眼と鼻先に、崖が迫ってきている。

「おーし、飛び降りるぜ!」

 言うが早いか、空いている右腕を遥香の腰に回し、慎二と同じ要領で、米俵を担ぐように右肩に乗せた。

 それとほぼ同時に、トロッコは奈落へのダイブを始めた。

 渾身の力でトロッコの底を蹴り、飛翔する。

 まさに崖っぷちと呼んでも良い、断崖と地面の境界線あたりに着地し、そのまま前のめりになるように倒れ込んだ。

「はあ、はあ、寿命が縮んだぞ」

 地面に口づけをするように倒れたまま、誠は立つことができなかった。

「それにしても、この前もそうだけど、火事場のクソ力って出るもんなんだな……。でももう動けねえ。八重樫さん、俺に使ってた薬あるだろ、早くそれの残りで慎二を手当てしてやってくれねえか。おれは、もう駄目だ。さすがに、二人は重たかった……ぜ……」

 言い終えると、誠はそのまま気を失った。

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