4.悪魔との対峙
葵は誠達と別れた後、研究所の内部を隈無く調べて回っていた。研究所は数多くの部屋があり、そのほとんどは何かの物置のような部屋であった。各フロアを調べ回ってもう三回目である。
今いるフロアの最後の部屋に入ろうとしたその時、突然後ろから何者かに羽交い締めにされた。驚いて眼だけで後ろを向くと、先ほど実験室のような場所で倒した男だった。
「へへへ、捕まえたぜー」
男は、しっかりと捕らえながらも彼女の体の感触を楽しむように、締め上げている腕の位置を徐々に胸の位置に来るようにずらしている。
腕をずらすために力を緩めた隙を見逃さずに、男の脇腹に肘をめり込ませて間合いを取ろうとする。しかし、離れようとしたその時、葵の後ろ髪を男は力一杯握りしめた。
「逃がさねえよ。大人しくしな!」
必死に抵抗するが、その度に男は後ろ髪を強く引っ張り、その都度髪の毛がすべてむしり取られるような激しい痛みが彼女を襲う。
葵は、右手で持っている木刀を一旦手前に引き、後方へ素早くステップを踏み一気に男との距離を詰める。
ステップの勢いを乗せたまま柄尻で男の鳩尾を突いて、同体になって男の身体を壁に叩きつけた。
男は意識を失い、葵の背中から腰へと伝うようにしてゆっくりと崩れ落ちた。
倒れている男の鼻のあたりに手をかざし呼吸をしているのを確認すると、男の上着をはぎ取って両腕を縛る。
昏倒している男をそのままに、次のフロアへ進むために、階段を駆け上がる。登り切ったところで上へ続く階段は途絶えていた。どうやらこの施設の最上階に到達したようだった。慎重にフロアへと繋がる扉を開く。
わずかに開いた扉の隙間からフロアの様子を探る。通路には三、四人の男の姿が見えた。全員、先の男と同じ作業着を身につけていた。まだ、葵の存在に気がついていないようだ。
「しかしよー、あの神父、こんなしけた奴らに取り憑かせやがって」
「まったくだ。おまけに変な小細工を施してやがる。魂を喰われないように」
「犠牲に使う魂を喰われないようにしたとはいえ、面白いものではないな。俺たちが欲する最高の魂、それは性根の腐った外道の持つ、汚らしい魂ではない。善への希望を打ち消され、絶望した魂、汚れを嘆く魂だ。それをお預けにされているからには、相応の見返りというものが欲しい」
「まあな。それに俺たちを実体にしてやるって言ってたしな。それが本当ならこれからやりたい放題できるってもんだ。人間に取り憑いてわざわざけしかけるまでもない。直接、人間を喰らい、魂をむさぼることが出来る。美味い魂が」
「そうなりゃ、あの男も俺たちでぶっ殺しちまおうぜ、なあ? 祓われる悪魔の気持ちというものを教えてやるために、な」
「ああ、こっちは六人、向こうは三人。姿さえ与えられれば、チョロいぜ」
作業着の男達は大声で笑い出した。
葵は確信した。
あれは、人間の声ではない。姿は人間、人間の肉体を借りているが、中身は違うものが入り込んでいる。そして、この男達は夏希が言っていた刑務所から姿を消した連中に違いないと。そう考えれば、彼らも今回の騒動の犠牲者ということになる。
だが、今は状況が状況である。自然と木刀を握る手に力がこもってしまう。
隙間から、彼らの様子を観察し、突入の機会をうかがう。彼らの得物を確認すると、日本刀とドスを持った男が一番手前に二人、その奥に木刀を持った男が一人、丸腰が一人であった。 まだこちらには気づいていないようだった。
突入するなら今しかないと判断した葵は、ドアを開くと同時に生じたわずかな空間に滑り込むようにして扉の向こうへと進む。
扉の開く音に気づき、手前の刀を持った二人が振り向く頃には、すでに葵の間合いに入っていた。
瞬く間に手前の二人を打ち倒し、木刀を持った男との距離を一気に詰める。相手の襟を掴むと引き寄せて鳩尾に膝を突き刺した。男は息が詰まり、右手に持っていた木刀を落とし、意識をもうろうとさせた。
葵が捕えた男を解放し、残った丸腰の男の詰め寄ろうと向いたその時、左の二の腕に強い衝撃が走った。身につけていた上着の袖が刃物で切られたように裂けて、上腕部に大きな裂傷ができ、血が流れ出た。
自分の左腕に起こった事態を認識して、相手と向き直る。丸腰と思われた男の右手にはリボルバー式の拳銃が握られていた。
直ぐさま激鉄が起こされて、銃口が今度は葵の頭に向けられた。動けば撃つと。
引き金にかけられている指に緊張が走ったのを読み取り、顔を横にそらしたまさにその時、二発目が放たれ、弾丸が左のこめかみをかすめた。
それだけで鈍器で殴られたような衝撃が走り、体勢が崩れ転倒する。
かろうじて、背中を丸くして受け身を取ったものの、体勢を立て直す頃には銃口は葵の方に向けられていた。
咄嗟に、左のポケットにしまいこんだナイフを取り出し、銃が握られている男めがけて投げつける。男は怯み、体の中心線を護ろうと腕をたたむ。
投げたナイフはたたまれた右腕の前腕部に突き刺さった。ナイフから発せられた痛みに、男は拳銃を手放す。
すぐさま距離を詰め、右足で蹴倒し、動きを封じるために鳩尾のあたりに膝を下ろした。
「喋って貰うわよ! 黒崎さんはどこ?」
作業着の襟を掴み、喉元に拳を当てて圧力を掛ける。
「た、多分、地下の祭壇だよ! 昔にこの施設で、遺跡を発掘するために掘り起こした坑道がある。その奥にあるんだよ」
そこまで聞き終わると、葵は男を引き起こし、首筋に手刀を当てて昏倒させた。
葵は男の手から手放されて廊下に落ちていた日本刀を見た。
刀剣の知識はそれほどあるわけではないが、それでもかなりの業物であることが分かる。
悠長にしている時間はない、銃弾がかすった左腕は痛み始め、こめかみは裂傷ができて血が流れてきている。床に転がっている日本刀を拾い上げて、この場を後にしようと踵を返す。
と、そこには地下の神殿で出会った、今まで自分の中に潜み、囁きかけてきた男――アモンが立っていた。
「良い眼をしている。さっきまでとは別人だ。怒り、闘争本能、力への渇望という人間の根源的な欲望に溢れた眼だ。やはり、お前は俺と同じ、決して安住の地に行き着くことはない。この地上という迷宮の中を彷徨い、猶も神に向かおうとする罪人だ」
挑発的な言動を見せるアモンを睨む。
「どいて、私は行かないといけないの」
「お好きに、俺の仕事はもう終わりだ。契約を全うしたら悪魔は、地の国に帰らなければならぬからな。そこの下等な悪霊どもと違い、俺たちは地上にいるには負担が大きすぎる」
「やっぱり、悪魔だったのね」
「ああ、正真正銘の悪魔だ。アモンとは俺につけられた呼び名だ。本物の悪魔は皆、真の名を持っている。呼び名によって契約を、真の名によって服従を、これが悪魔の掟だ。俺は呼び名によって契約を結び、こうして求められたことを果たしたのさ。だから、お前をここで邪魔する理由がそもそもない」
アモンはふてぶてしい面構えで両手を広げ、邪魔する意思がないことをアピールする。
「だが、そんなに慌てることもないだろう。面白い話を聞かせてやろう」
「そんな暇は……!」
「いいのか? お前にとっては重要な話だぞ」
「お前は、とある素質を持った人間だ。それもかなり危うい類のものだ。洞窟で黒崎に教えられた《激情》がそれだ。まだ十分に目覚めていないが、完全になれば俺たち悪魔も恐怖で震え上がるほどの存在になるだろうな」
「どうしてそんなものが私に……」
「さあな。神様も気まぐれなら、蛇も気まぐれさ。たまたまお前に白羽の矢が立ったということだろう?」
涼しい表情で血まみれの葵を見ながら、アモンは肩をすくめる。
「どっちにしろ悪魔側としてはお前は脅威でもあり、強力な手駒にもなりうるということだ。実際に黒崎が邪魔立てしなければ、お前は悪魔達の手に渡っていただろうな。そのロザリオはちょうど魔除けみたいなものだったということだ」
「……もう三つだけ教えて。黒崎さんは何故あんなことを? なんで私を三年前に助けてくれたの? あなたは敵なの?」
「黒崎の目的は知らんよ。悪魔結社の目的を阻止しようとしているのは確かだがな。だから手短に二つだけ答えてやろう。二つ目の質問だが、お前は三年前に、一度その素質を垣間見せてしまったからだ。三つ目の質問については、今のところ俺は味方でも敵でもない。お前をつけ狙う連中は同族だが、俺は俺で目的があるんでね」
答え終わると、人を食ったような憎たらしい表情で葵に語りかける。
「他に質問は無いか? 俺はこう見えても頭は良いぞ。お前の過去も、黒崎の過去も正確に読み取ることが出来るからな」
葵はそんなアモンを無言で一瞥すると、悠然と立つ彼の横を駆けだしていった。その耳に、アモンは囁いた。
「黒崎にはまだ二体の調伏された悪魔が従っている。充分に気をつけるんだな」
足を止め、鋭い眼光でアモンを睨むと、直ぐその場を立ち去った。
そんな葵の後ろ姿を見送りながら、アモンは一人ほくそ笑むのだった。
「さて、これでお膳立ては終わりだ。後はあのお嬢ちゃんが目覚めるか否か、だな」
今、葵は黒崎と相見えた洞窟へと繋がる坑道に立っている。
奥に進むと、以前に見た分かれ道に出た。
裂けたこめかみからは血が大分多く流れてしまい、視界は少しボンヤリとかすんでいる。そのうえ、撃たれた左腕は感覚が麻痺して十分に動かすことができない。
満身創痍の体を押して、葵は坑道から洞窟の奥へと駆けだしていった。




