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2.赤色の秘薬

「……たたぁ」

 慎二は頬に断続的に走る痛みに目を覚ました。それに伴って鈍器で殴りつけられたこめかみの痛みもズキズキと甦ってきて、視界をボンヤリとさせる。

「おい、慎二。目ぇ覚めたか?」

 誠は慎二の頬を何度も叩いていたのだ。普段の脳天気な顔は無く、ひどく心配そうな表情で慎二を見つめていた。

「何とかね。ところで、ここはどこ?」

「何! おい慎二、俺のことは覚えているか? 俺が誰だか分かるか?」

「突然何を言い出すんだよ」

 目が覚めて、まだ自分のおかれている状況が理解できていない慎二にとって、誠のどこかピントのずれている質問は、思考回路をより混乱させるものであった。

「いいから、答えてくれよ」

 誠のいつになく真剣な表情に観念して自分の知りうる彼についての情報を話した。

「君の名前は近藤誠、昭和五十六年十月十日生まれ。東中出身、家族構成は父母と妹二人。身長は百六十五センチ。年上が好きで中学の時から近所の神社の巫女さんに惚れていたりするけど、ちっとも相手にされていない」

「馬鹿、余計なことは言わなくていいんだって」

 慎二の頭を軽く小突いた。思い切り殴られているというのに、打撲傷を刺激するようなマネをした友人を少しだけ恨んだ。

「あのー、結局、僕らは何されたの?」

「有無を言わさず連れていかれた。オレらも何発か殴られてるしな。お前の場合は、金棒で頭を思い切り殴られたんだよ。ほら、ここ触ってみな」

 水原は、自分のこめかみを指で指した。

「痛っ! 血まで滲んでるじゃないか」

「あの、すいません。私のために、皆さんを巻き込んでしまって。あの、大丈夫ですか?」

 山道で出会った少女は、慎二を気遣うように傷口に軽く手を添えた。

 白魚のような細い指が優しく傷口をなでる。

「それにしても痛いなあ。今より頭が悪くなったら、絶対に犯人と誠のせいだ」

「おい、何で俺も入ってるんだよ?」

「誠が怪我してる人の頭を殴るからだろ」

 しかし、そんな慎二の怒りと焦りをかき消すように一人の男が入ってきた。

「よお、お目覚めかな? ガキども。これが何かはわかるな」

 遊歩道で見かけた男達が数人、誠達が押し込められている部屋に入ってきた。遊歩道の時とは違い、今は比較的冷静に相手の顔を伺うことが出来た。その目つきは何処か現実感に乏しい。一言で言うと正気の人間がするような目つきではなく、何かに取り憑かれた人のような印象を誠達に与えた。

 その中の一人の手には、荒縄があった。もう一人の男は、わざと見せびらかすように、右手に握られている鈍い光を放つもの――拳銃をちらつかせた。

「てめえ、その銃で何するつもりだよ?」

 危機感を憶えた誠が先手を打つつもりで男に詰め寄った。

「おいおい、早まるなよガキ。別にまだ殺しやしねえよ。ちょっとばかし大人しくして貰うってだけだ。それとも今死ぬか? ちょっとでも長生きしたいか? 答えは簡単だよな?」

 そういうと、拳銃を持った男は余裕に満ちた表情で、詰め寄ってきた誠の下あごを突き上げるように銃口を押しつけた。

 もともと直情径行型の誠は、おもわず拳を男に振るおうとしてしまった。

「言っとくが、おめえが俺を殴るよりも、引き金引く方が早いぞ」

 その言葉に、誠は振り上げた拳を下ろすしかなかった。

 再び誠達は両手をロープで縛られる形になった。

 しばらくして、部屋に二人の男が入ってきた。一人は修道僧のような服を着た痩せた男性で、もう一人は見上げるような長身の大男だ。

「ご苦労様です。私は彼らに話があるので、席を外してくれませんか?」

 痩せた男が言うと、大男は先に入ってきた男達を伴って退出した。

「さて、まずは自己紹介からしなければなりませんね。私は黒崎慶吾という者です。とはいえ今更自己紹介をするまでもありませんね。私のことを憶えておいででしょうか?」

「いいや、全然知らない」

「見たことも聞いたことも、会ったこともございません」

「……」

 めいめいの表現で、彼の謎かけのような質問を突っぱねる。

「まあ、憶えていなくて当然でしょうね。ですが、憶えていないままでいることは何かと辛いものがあるでしょうから。

 ……三人とも、私の眼を見てください」

 男は深海を思わせるほど深く黒い瞳で、誠、慎二、亮輔の三人を見る。黒崎と名乗った男の両眼が妖しい光を放った。それを見た三人の意識はだんだん薄らいでいく。

「あなた方は私のことを憶えています。今は少しだけ忘れてしまっているだけです。ですが、私の眼を三秒間、ジッと見ていてください。あなたは、はっきりと思い出すでしょう」

 黒崎の眼の光がおさまると、彼らはまるで眠りから醒めたようにハッとなった。

「あっ! おっちゃんはいつぞや夜中に会った不審者じゃねえか」

「全身黒ずくめの人だよね。僕も思い出したよ」

「あんたはそういえば、いつぞやの街での騒動の後、俺に声を掛けてきた奴だな」

 黒崎は、驚愕する三人の顔を涼しげに見つめ、「はい」と静かに肯定の意を示した。

「でも、何で今更思い出したんだ。何か思い出そうとするとめちゃくちゃ頭が痛くなったりしたのに」

 誠は首を傾げる。

「仕方ありませんね。簡単にお教えしましょう。一種の暗示をあなた方に掛けておいたのですよ。それぞれ必要かつ特殊な条件が揃ったときに、こちらがあらかじめ告げておいた指示通りに動くようにね」

「ちょっと待て。じゃあ何でおっさんを憶えてないんだよ?」

 黒崎は誠の質問を無視して語り出した。

「人は脳から様々な指令を出して肉体を動かしています。そして、情報は五感を伝って脳に直接送られていきます。私のことを憶えていない、会った時を思い出せない、ということを聴覚や視覚を通して脳に刻みつけてしまえば、思考はいとも簡単に柔軟性を失います。考える能力を持っているから、却って思考や記憶は操作されやすいとも言えますね」

「で、催眠を解いてくれたわけだけど、何で縛られたまんまなの?」

「安心してください、あなた方三人はすべてが終わった後、ちゃんと家に帰してあげますよ」

「えっ、三人? 何であの娘は駄目なんだよ?」

「それ以上は知る必要がありませんので。世の中は知らぬ方がよいこともありますよ。帰りたいのなら、聞かぬ事です」

 感情のこもらぬ事務的な言い回しをして、誠を見据える。

 見られた誠の背中に、不意打ちで氷の固まりを入れられた時のような悪寒が走る。黒崎の言葉は、先程までの何処か穏やかな話し方とは違い、どこか機械のような冷徹さが滲み出ていた。 黒崎は程なくして部屋を去っていった。


「おい、慎二」

 誠は足を伸ばして床に落ちていたガラス片をたぐり寄せて慎二のすぐそばに置いた。

 誠の考えを察知した慎二はガラス片を縛られている手で何とか掴むと誠のすぐそばまで近寄った。誠は首を後ろに向け突き立てられたガラス片を確認しながら、そこに荒縄を引っかけて少しずつ削っていく。

「何やってんだ? 妙にべったりと寄り添いやがって。ホモか、お前らは」

 黒崎と入れ替わりで男が一人、部屋に入ってきた。右手にはやはりというべきか、木刀が握られている。

 誠と慎二は何事もなかったように、お互いに離れて平静を装う。少しだけ自由になった誠の手にはガラス片が握り込まれていた。

「冗談やめてくれよ」

「まっ、良いけどよ。その様子だと、暗示も解けてるんだろうな」

 サディスティックな笑みとともに、亮輔の頭部を木刀で殴りつける。隣で縛られている慎二の肩にもたれるように、亮輔の身体が崩れていった。それを横目で見た誠は、男を睨む。

「そうだ、冥土の土産って訳じゃあねえけど面白い話しをしてやるよ」

「いらねえよ。こっちは殺される理由なんざねえし。そのイッちゃってる眼を見てっと、気分が悪いし」

 必死にガラス片に縄を引っかけて削りながら誠は冷たく言い放った。

「は! そんな強がりを言える立場なのか? いいから聞けよ。ここはな……」

 男は得意げな顔をして、格好をつけるように、誠達に背を向けて話し始めた。無論、男の話に耳を傾ける気などさらさら無かった。

 男が一人語りに夢中になっている間に、誠はようやく自分を縛っていた縄を断ち切ることに成功した。縛られた手首に縄が食い込んでいたせいか、ちくちくと痛む。

 憂さ晴らしをせんとばかりに、後ろから殴りに行こうと立ち上がったその時、男が得意げな仕草で振り向く。

 誠は、慌てて荒縄の残骸をかき集め、縛られている振りをする。

「…………続けて」

 男は不敵に笑いった。

「お前ら、不思議だとは思わなかったか? この無人の島にこんな建物があるなんてよ」

「ああ、そういえばそうだな」

「ここは元々は、とある結社の研究所だったのさ。もっとも、あの神父崩れのやつは無関係だがな。その連中がここの地下に眠る秘宝を採掘しようとしてたわけ。で、邪魔が入らんように島全体に結界を張って誰も近づけねえようにしておいたのさ。人間は案外錯覚を起こしやすいからなあ」

 男は口を横に引き、歯をむき出しにするように笑みを造ると

「ふーん、あの秘宝の話しは本当だったという訳か。んでもって、だからみんな見えなかったし、気づかなかったわけか。つーか、何であんたがそんなこと知ってんの?」

「さあてね。お話はこれで終いだ」

 男は残酷な笑みを浮かべて、ポケットから銃を取り出し銃口を誠に向けた。

 火薬の爆発音と共に、それを向けられていた誠の左の太股に、周りの肉をえぐるような形で穴が空く。室内には硝煙の匂いが漂ってきて、その場にいる者の嗅覚を刺激する。

 誠は激痛と失血に、呻き声すら上げることが出来ずその場に倒れ込んだ。

「ははは、ビックリしたか? その出血だと動脈もちょっといっちゃってるか? そう長くは保たねえな」

 男はしゃがみ込み、眉間に皺を寄せ、歯がきつく噛み合い、苦悶の表情を見せている誠の顔を覗き、心底楽しそうな声で言った。その表情を外側から見ていた慎二、亮輔、遥香は、その男を同じ人間だとは信じたくないという気持ちに駆られた。

「おい、助かりたいか? え、お前らもコイツを助けたいか?」

 歪に顔をゆがめ、この部屋に囚われた少年少女を見渡す。それは、彼らの生殺与奪の一切を自分が握っている事に対する自信と、優越感に充ち満ちていた。男にとって、彼らは人間ではない、自分の一存でどうにでもすることができる。その思いがより残虐な考え方を生み出していく。

 男は懐から、赤い液体の入った、小型のガラス瓶を見せつけた。それを見た途端、少女の身体が硬直する。

「お嬢ちゃん、これに見覚えあるだろ? あんたの腹に空いたでっかい穴も塞いだ」

「……あんた、あの娘を撃ったのか?」

「ああ、この女、人の頭を瓦礫でぶん殴りやがったのさ。ついカッとなってズドン! てな。あやうく殺しちまうところだったぜ。けどそれがどうよ、あの神父崩れから貰ったこの薬を使ったらよお、あっという間に肉が出来て、傷がふさがっちまった」

 見せびらかすようにガラス瓶を振り、うずくまる誠の傍らにしゃがみ、その苦悶の表情を楽しむ。

「だからこの薬なら、てめえの傷を治すなんてわけないぜ。な、どうする? 答えろよ」

 誠が答えられる状態でないことを知りながら、男は捕らえた獲物を弄ぶ捕食者のように、飛びつけるはずのない希望をちらつかせる。

 その間にも、誠の顔から血の気がだんだんと失せてきている。誰の目に見ても危険な状態であることは間違いなかった。

「はやく、何とかしないと、彼が死んじゃいます! お願いです、早くそれを」

「は、早く何でも良いですから使ってください。ほ、本当にやばいですよ」

 慎二と遥香は誠の容態を見て、震える声でそれこそ必死で懇願した。しかし、男はそれを嘲笑うかのように、酷薄な笑みを浮かべて言った。

「使ってやらなくもないけどな。けど、そのためにはちゃんと見返りを貰わないとな」

 男は遥香の身体を、下から上に舐めまわすように見た。遥香は男の考えていることを察し、身を縮ませた。

「今度は縛られてるからな。逃げることも殴ることも出来ねえぞ。へへへへ……、それにあのガキを助けたいなら我慢できるだろ? イエス様も、マリア様もきっと味方してくれるぜ。なんならその奇蹟に頼ってみるか?」

 信仰心、神に、人を侮辱するような言葉を吐き、欲望にまみれた目つきで男は囚われの少女に迫っていく。

「おい! いい加減にしろよ。おっさん」

 亮輔が凄んで男を睨む。

「へ、縛られてるお前が何言ってんだよ。てめえらはそこで見学でもしてな。終わったら助けてやるぜ。……生きていたらの話しだけどな」

 遥香は唯一自由になる両足を使って後ずさる、しかし、そんな行為も殆ど意味をなさず、すぐに壁に突き当たり、部屋の隅に追いつめられてしまった。

「殺さなきゃ、何やっても良いだろうし、せいぜい楽しませて貰うぜ」

 下品な笑みを浮かべ、遥香ににじり寄る男。しかし突如、男は「うっ!」と声にならない叫び声を上げて、凶器を手放し、前のめりに倒れた。

 倒れた男の向こう側から、両手を組み合わせ、それぞれの人差し指と中指をまっすぐ立てている誠の姿が見えた。

「余裕かましてるんじゃねえ。火事場のクソ力が出るときがある……ん……だ……よ」

 すべてを言い終えることが出来ず、その場に横たわる。無理に動いたせいで出血が進み、顔色は先ほど以上に青くなっていた。這いずってきたところには蛇が通った後のような血の道筋がうまれていた。

 遥香は、倒れ込んだ弾みで懐からこぼれ落ちたガラス瓶を拾い上げる。縛られたままの手では落ちそうだったが、必死で掴みながら、誠の側まで歩み寄る。

「誠さん! 少し辛いかもしれませんが耐えてください!」

 後ろ手で縛られた手で、何とか同じくガラスで造られた栓を引き抜くと、太股の裏側まで突き抜けて空いた傷口に赤い液体を少量流し込んだ。

 液体が傷口に流れ込んだその時、体中の血が煮えたぎるような熱さが全身を襲う。一瞬、気を失いそうな身体の異変に呻き声を上げたが、嵐のようにその苦しさは去り、やがては驚くほどの平静が訪れた。

 どうしたのかと、身体を起こし、自分の太股を覗きこむ誠。そこには先程開けられた大穴がものの見事に、傷痕ひとつ残さずに塞がっていたのだ。

「……ふう、よかった」

 遥香は誠の無事を確認すると緊張の糸が解けたのか、腰から崩れていった。その華奢な両肩を誠は慌てて支える。真琴自身にとっても、信じがたい事が起こっているのは判っていたが、今はそれを気にする程の余裕はなかった。

 誠は縛られてる他の三人のロープをほどく。ふと、自分を救ってくれたあの奇妙な赤い液体が入ったガラス瓶を拾い上げて、まじまじと見てしまう。どこか、人間の血のような不気味なほどの深い赤の液体であった。

「しっかし、何だ? 赤チンみたいな見た目だな」

「そんなことより、これからどうするの?」

「んなもの、こんなとこに用はねえ。さっさと出て行こうぜ」

 自由の身になればこのような部屋に長居する理由はない。

 誠は気を失っている男の傍に落ちていた拳銃を忌々しげに拾い上げると、部屋に薄い光を送り込んでいるガラス窓に向けて放り投げる。ガラスが割れる音と共に誠を撃った拳銃は建物の外へと放り出されていった。誠は、彼を撃ったときに男が手放した木刀を取り上げる。

「んじゃ、行こうぜ」

 四人は監禁されていた部屋を出た。

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