表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/37

2.背中の温もり

「さあ、着いたぜ」

 水原に連れられた葵達四人は砂の橋を渡りきり、島へと到着した。

 道一帯に雑草がおおい茂り、あるものは芽生えたばかりの青々とした色を見せ、あるものは潮風に当てられて、枯れ果てた茶色を見せている。その光景が、この場所で営まれている生死の果てしない繰り返しを思わせた。

「さあ、じゃあ手分けして探してみようか?」

 慎二は、ポケットからティッシュを取り出すと、紙縒を五本作り、二本だけ、先端に赤い色をつけた。

「とりあえず、グループ分けしよう。二人と三人に分かれて島を探険して、一時間後にもう一度この場所に集合して報告すること。これでいいかな?」

「それでいいんじゃねえかな? ところでそれ、もう引いていいか?」

 誠は言うが早いか、無造作にくじを一本引いた。誠が引いたくじには何も印がなかった。

 誠の次に、葵がくじを引いた。葵のくじには赤い色がついていた。葵の次は和彦が引いた。和彦の引いたくじにも赤色がついていた。

「これで決まりだね」

「うん、それじゃあ、そろそろ行こうか? 朝比奈さん」

 和彦は程なくして葵と一緒に出発した。その二人の後ろ姿を慎二は見つめていた。

「一時間後に集合だぞー!」

 誠が大きな声で言うと、葵も和彦も振り返って大きく手を振った。

「それじゃあ、俺たちも行こうぜ。おい、どうした慎二? 置いてくぞ」

 慎二はいつまでも二人の後ろ姿を見つめていた。二人の姿が見えなくなっても。その表情は少し悔しそうだった。

 誠が見かねて、慎二に話し掛けた。

「おまえ、もしかして朝比奈とペアになりたかったのか?」

 慎二は、黙ったまま首を縦に振った。

「馬鹿なこと言ってないでさっさと行くぞ。ホラ」

 誠は呆れながらも、慎二の後襟を掴むと引っ張っていった。


     ※


「実際に入ってみれば判ることも多いね。まさか、この島にこんな建物が建っていたとは思わなかったよ」

 和彦は荒れ果てたコンクリートで出来た研究所が立ち並ぶ光景を見て言った。少年の視線の先に目をやると、地がむき出しになったコンクリート造りの建築物が並び立っていた。長崎の軍艦島のような露骨なものではなかったが、それにしても岬から見えないような小さい物ではない。しかし、村の岬から観たこの島にはそんな建物は見えなかった。

「本当ね、岬からは見えなかったのに。一体何の目的で建てたのかしら?」

「分からない。けど、おそらくは真っ当なものじゃあないだろうね」

 しばらく歩き続けていくと、小高い山がそびえ立つ風景に出くわした。ちょうど、かつての集落から、神社へと続く道に出たのである。

 森に囲まれた遊歩道も、あちこちに雑草が多い茂っていて、人が立ち寄っていない様が改めて実感させられた。

「ねえ、相原君。あの神社に行ってみない? 何か分かるかも知れないよ」

 葵は神社を指さしながら和彦を促した。


「うわー、すごく良い景色。水平線が見えるよ」

 山の頂上付近にある神社に辿り着いた葵はそこに広がる風景を見て、感嘆の声を漏らした。はしゃいでいる葵と対照的に、和彦はやっとの思いで登り切ったのか、階段に腰を下ろして肩で息をしている。

 葵は、休んでいる和彦の代わりに境内のあちらこちらを調べていた。神社の縁起について書かれた札を発見した葵は近づいて立て札を食い入るように読んでいる。

「霊刀が祀られている……か」

 葵は興味本位に本殿の中を覗こうとした。しかし、そこで本殿の扉がわずかに開いているのに気づく。まさか、鍵をかけ忘れたとも思えない。不審に思い、そっと本殿の扉を開けてみると、かつて祭壇に祀られていたであろう刀が消えていた。

 祭壇をじっと見つめている葵に、ようやく回復した和彦が近づき声をかけた。

「この辺りに手がかりはなさそうだね。神社に行く途中に遊歩道があったから、今度はそこを探してみよう」

「うん、そうしようか」

 本殿の扉を閉め直し、二人は神社を後にした。

 参道を降りて、二人は遊歩道に足を踏み入れた。

 もはやそこは道と呼べるようなものではなかった。

 遊歩道をしばらく歩いていると、島の反対側に出た。葵たちが到着した場所と違い、岩肌が露出していたる所が海水や、潮風にさらされて赤緑に変色していた。

「ねえ、あれってボートだよね?」

 葵が崖下にある洞窟を指さした。

「間違いないね。僕らの他にもこの島に来ている人がいるのかな? でも、今の僕らにはあまり関係のないことだよ」

 和彦は打ち寄せる波で揺れ動く船を一瞥して、探索に向かった。

 しばらく、海岸線を歩き回っていたが、どうも先ほど通った遊歩道以外に道はないようであった。

「ここにも他の場所に行く道は無いみたいだね。来た道を戻ろうか」

 和彦がそう言いかけたときに、ポツリ、ポツリと雨の滴が降り注いできた。雨は次第に大粒になり周囲をぬらした。

 遊歩道まで駆けていくことを断念した二人は、近くにある洞穴に入って雨がやむのを待つことにした。

「突然の雨で参ったな。びしょ濡れだよ。朝比奈さん、大丈夫?」

 葵を気遣って和彦は声をかけながら葵の方を向いたが、「ごめん」と小声で言うとわざと他の方向を向いてしまった。

 それもそのはず、先ほどの大雨で濡れた衣服が葵の身体に張り付いてしまっていたのだ。

 薄手の生地が葵の身体にぴったりと張り付き、身体のラインが、肌着の形までがはっきりと分かる程だ。同年代の少女にしては比較的大きい胸、適度に引き締まった腰、肉付きの良い尻、制服を着ている時には決して見ることのできない少女の姿に和彦は動揺してしまっていた。

 葵がクシャミをした。和彦もそれにつられるようにクシャミをした。

「このままだと、風邪を引いちゃうね」

「そ、そうだね。な、何とかしないとね」

 和彦はそう言うと、洞穴に散らばっている木の葉や、木の枝をかき集めた。そして持ってきたリュックからマッチ箱を取り出した。幸いマッチは湿気っていないようで簡単に火をつけることができた。

 小さな焚き火ではあるがそれなりに暖かい。周囲を見れば、まだ木の枝がたくさん転がっている。かき集めればしばらく火を焚くことも可能だろう。

「後ろを向いていてね」

 和彦は葵に言われるままに、彼女に背を向けた。葵は和彦が後ろを向いたことを確認すると自分のシャツに手をかける。

 燃えた木が爆ぜる音とともに、衣擦れが聞こえる。雨に濡れて大量の水を含んだそれは重量感があった。和彦は自分の背後で今まさに行われている行為に思わず唾を飲み込んだ。自然に心臓の鼓動は高まる。ふと背後で、大量の水が滴り落ちる音が聞こえた。

「ねえ、相原君も脱いで。風邪引いちゃうよ」

 葵に促されて、和彦も上着を脱ぎ、雑巾絞りの要領で染みこんだ雨水を出す。

「さすがに、ズボンは脱ぐわけにはいかないよね?」

 和彦は苦笑して、葵の方をつい見てしまった。

 葵は恥ずかしそうに自らの乳房を両の手で隠している。しかし、彼女の視線は目の前にある少年の裸の上半身に向けられていた。

 和彦も目の前に迫る女の体に目を奪われていた。手で覆い隠された乳房は、程良い大きさで美しい形をしていた。それが彼女の手に覆われて柔らかく形を変えている。先ほどまで着ていた衣服はすべて脱ぎ捨てられ、下着一枚となっている。

「は、恥ずかしいからあまり見ないでよ」

 和彦の眼差しに気づいた葵は、顔を赤らめた。

「ご、ごめん! まさかそこまで脱いでいたとは思ってなくて、け、結構大胆だね」

 あわてて顔を背け謝罪をする。

「……まだ恥ずかしい?」

「ちょっとね」

「じゃあ、僕も脱いだら恥ずかしくなくなるかな?」

 突然の少年の言葉を受け、葵はハッとした。少し前に父の書斎で借りて読んだことのある「とある小説」のワンシーンを思い出したのである。

「!! ……そ、そんな必要ないわよ。まったく、相原君がそんな冗談を言う人だとは思わなかった」

「言ったことが行動に移せるくらいの度胸は欲しいけどね。……もしかして怒った?」

「ううん、怒ってないわよ。ちょっと意外だっただけ。それより体を温めないと。服も乾かさないといけないし」

 和彦はまだ顔を赤らめて、首だけを縦に動かした。


「そう言えば、最初は行かないなんて言って、どうして朝比奈さんはついてきたんだい? そろそろ本当の理由が聞きたいけど」

 葵と背中合わせの和彦が言った。

「笑わない? 変な奴って思わない?」

 背中に和彦の温かい体温を感じながら、葵は尋ねる。少年が小さく頷くのを聞き取ると、木の枝を拾い焚き火の中に放り込む。

「あたしさ、最近何か変な声が聞こえてくるのよ、時々。他の人には聞こえないけど、私の耳には、はっきりと聞こえてくるの」

「それって、慎二がここに行こうと言い出した頃かな?」

 身体が強張る。

「……あの時は、朝比奈さんの様子がおかしかったからね」

 彼はあの足洗い場での葵の奇妙な言動のことを言っているのだ。

「でも、それと朝比奈さんがここに来ることと、何か関係があるのかい?」

 和彦はまだ納得しかねている様子で、彼女に、事の真意を問いただそうとした。

「それ自体は直接には関係ないわ。……けどその声が言っていた言葉に一つだけ、引っかかることがあってね」

 葵は干しているジャケットのポケットからロザリオを探り当てて、背中越しに手渡した。

「ロザリオ? 何で朝比奈さんが持っているの?」

 ロザリオを受け取った少年は、くすんだ銀色に輝く十字架とキリスト像、そして十字架の中央と、連結部に本来は据えられるはずのマリアのメダイに代わって嵌めこまれている紅い宝石を不思議そうに見つめる。

「これは三年前にある人から貰ったものなの。……ちょっとだけ、昔話をしても良いかな?」

「どうぞ」と和彦が穏やかに促すのを聞くと、葵はまるで他人事のように、語り部のように話しを始めた。


 ――三年前、ある一人の中学生になったばかりの女の子がいました。そして彼女の隣の席には、ある一人の男の子がいました。彼はとても大人しそうな男の子でした。そして、何処か寂しげな眼をしていました。しかし、まだ幼い女の子には、彼がどうしてそのような眼をしていたのかを理解することは出来ませんでした。学校に通い始めて二ヶ月くらい経った後、女の子はある出来事を目の当たりにしました。

 自分の隣の席の男の子が、暴力を振るわれていたのです。相手は隣のクラスの、乱暴なことで先生からも恐れられている問題児です。他のクラスの皆も、この出来事はおおよそ知っていたのでしょう。けれども誰も止めようとはしませんでした。女の子は、後で男の子に、このことを先生に言うよう忠告しました。しかし、男の子が先生に言うことはありませんでした。

 毎日のように、男の子には暴力が降り注ぎました。

 見かねた女の子は、担任の先生、問題児のクラスの担任の先生にこのことを告げました。ようやく先生も事の重大さを見て、生徒を呼び出して注意すると約束しました。その時、女の子はこれが最も良い方法だと信じていました。事実、隣のクラスの少年は先生達に呼ばれ、きつく注意されたからです。

 けれども、現実は違っていました。次の日の放課中、女の子がちょっとした用事で席を外していた頃、例の生徒がクラスにやってきました。眼は怒りと残酷さに満ちた恐ろしい色をしていたそうです。彼はあらんばかりの怒りを暴力に変えて男の子にぶつけていきました。男の子は、何も出来ず、無抵抗のまま、誰の助けも得られず、多くの人の前で懲らしめを受けていました。

 教室に戻った女の子は、その光景を見て呆然としてしまいました。何が起こっているのかを理解できませんでした。信じることが出来ませんでした。打たれる男の子と、それを酷薄な笑みで眺め、罵りながら猶も攻める少年、怯えて見ているだけの級友達。女の子は、自分の行動が原因であることを悟りました。先生達からの言葉は、結局、彼の心に何の効果もなかったのです。それどころか、却って悪い方向へと事態を持っていってしまったのです。

 そのことを悟った時、女の子の心にこれまでにない激しい感情が生まれてきました。女の子の記憶はそこから先ははっきりと残っていませんでした。そして、刃物に突き刺されたような痛みで我に返ったとき、彼女は血溜まりの上に立っていました。そこで自分の腕がナイフで刺されたことを悟りました。そして、周囲を見渡すと、女の子の目の前には倒れた少年と、血塗れの女の子を見て怯える男の子がいたのでした。


「……そして、恐くなった女の子はその場から居なくなりました。お終い」

「……その女の子というのが、朝比奈さんだというのかい?」

 目を閉じて、葵は「ええ、そうよ」と声を発した。

「そんな私を導いてくれた男性が、お守りとしてくれたのがそのロザリオなの。『その十字架が、貴女の犯した罪を贖い、貴女を義しい道へと導いてくれるでしょう』って」

 和彦は背中を通して響く彼女の声に耳を傾けながら、十字架をじっと見ていた。

「けれど、そこに不思議な紅い色の石があるでしょ? それが最近、何だか違うものに見えてくるの。以前は、とても温かいような、安心できるような色に見えたの。だけど、今はちょっと怖い。何か、心の奥に潜んでいるものを引きずり出されるような恐怖を感じる」

 彼女の言葉を胸に留め、和彦は言葉を続ける。

「朝比奈さんは、今でも過去の自分を恐れているのかな?」

「それはそうよ。どうあっても、自分が過去に行ったことは消えないもの……」

「確かに。けど、それが朝比奈さんのすべてなのかな? 過去の行為そのものが、君の人間性そのものなのかな? なら、上田さんや、高橋さんは何故、君にこれほどまで関わってきたのかな」

「僕はこう信じたい。人は過つが故に義しきを知り求め、苦悩の故に安らぎを知る、そして欠けているからこそ憐れみ、寄り添い、そして共に在ろうとするんだと。上田さんも、高橋さんも、その男性もまた、朝比奈さんと共に在ろうとしていたからだと思うよ」

「どうしてそんなことが言えるの?」

「僕自身が人を守るための力が欠けていたから、朝比奈さんのように行動する強さがないくらいに無力だったから、だから本当に救いを求めている人の側にいてあげれなかった。とても悲しかったし、そんな自分を憎んだ。だから、僕もそう言う意味で罪の十字架を背負っているんだよ。けど、だからこそ見えることもある。傷つかない、顧みない、そんな鈍感な心の強さなら、僕は欲しくない……」

 和彦は、そっとロザリオを葵に返した。

「だから、僕も朝比奈さんの力になりたい。そう思っている。それが、僕の罪滅ぼしでもあるから」

 葵はロザリオをジッと見つめ、自分の背中を支える少年にそっと身を委ね、その温かさを感じながら、目を閉じた。まるで祈りを捧げるように。

 閉じた目から、一筋の感謝の涙が流れ落ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ