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くこのみベーカリー  作者: 水瀬透
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4 バースデーケーキ

4 バースデーケーキ


 ケーキはスポンジだろうと思う反面、タルトやチーズケーキ、ガトーショコラやいっそのことプリンも捨てがたいとクコは悩んでいた。

 部室の後ろの壁を埋め尽くす本の中からレシピ集を探して積み上げて、かたわらのノートにあれこれ書き込んでは唸る。

「なーにしてんの?」

 そんなクコのほうを向いて、前の椅子に座るのはマツだ。今日はなんかある? フレンチトーストでよければありますよ。くれんの? どうぞ? さーんきゅー、クコちゃん!

 パンを作って以来、クコは家にある余りものでパンをこさえてはマツに食べさせていた。

 相変わらずアザもクマも消えないけれど、嬉しそうに頬張るマツを見ていると作りがいがあった。

「で、なにしてんの?」

「あー、誕生日ケーキを何にしようかなと」

 クコの家では、クコと祖父の誕生日にはケーキを買うのだが、母親は自分の誕生日にケーキを買いたがらないのだ。クコの誕生日にはやたら豪華なケーキと、やたらお金のかかったプレゼントを用意するのに、だ。

 正直クコはプレゼントに何万もかけるより、ゆっくり話をしたいと思う。それが叶わないことをクコはわかっている。大事にされているのも、わかっている。

「クコちゃんてさ、ほーんと真面目だべな」

 いつものにやっとした笑みを浮かべて、呆れたようにマツが言う。

 言わないから聞かないのはマツも同じで、それでも察していないわけではない。マツだってクコのあれこれを案じたりしているのだ。

「真面目?」

「そ。真面目」

「そうですか?」

「そー。ほっときゃいいのに」

 にやっとわらってマツが言う。クコとマツは両極端で同じ場所に立っている。

 過干渉なクコと、放棄されたマツ。

 愛情に飢えた二人の子供。

「……マツ先輩は、ケーキなら何が好きですか?」

 にこりと話をそらすクコに、マツはそのまま乗っかって、反対側からレシピの本を覗き込む。ケーキかあ、パンのが腹膨れてよくね? じゃあパンでもいいですよ。こっちがパンの本なんで。多っ! え、なにまた作ってくれんの? いいですよ、マツ先輩誕生日いつですか? じゅーがつー、十月四日。透視の日。……なんの日ですか。クコちゃんは? 私は四月三日です。

「え、もう終わってんべ」

「春休みですしね」

「何の話ー?」

 えー、とぶつくさ言っているマツの後ろからひょっこり顔を出したのはユズだ。

「誕生日ケーキの話。ユズなら何がいい?」

「あたしはイチゴのショートケーキ! ケーキの中でもいっちばん好き」

 やっぱりスポンジ系かなあ。誰の誕生日なの? 私のお母さん。へー、ケーキ作るんだ。すごいね。すごくないよ、ただ何がいいかなって迷ってた。

「なんでもいいんじゃない?」

「へ?」

「料理は愛情って、あたしの師匠が言ってた!」 

 ぐっと親指を立てて、じゃあねーとユズは彼女の師匠――もといピアノの先生のもとへ駆けていった。

「そういやあいつも料理するっけね」

 マツがどうでもよさそうに呟く。でもまあ、そんなもんだべ? そんなもんですか。そ。いちおうハハオヤなんだしさ。あ、おれこれ食いたい。

「かぼちゃ食パン……?」

 ページに載っていたのはかぼちゃの食パンだった。マツは違う違うと首を振る。

「前のやつ、かぼちゃとレーズンのまるいのがいい」

 前に作ったやつですか? そ。あれがいい。

「いいなら、いいですけど」

 よっぽど気に入ったんだなと思いながらクコがページをめくっていくと、ふと手が止まった。

「どした?」

「これ、いいかも……」


 エプロンをつけたクコは、前日の夜に作っておいたリンゴの甘煮を取り出す。

 皮ごと一口サイズに切って、少しの砂糖とレモン汁で気長に煮詰めたものだ。

 ホームベーカリーがこねて上手に発酵してくれた生地をのばして、先に六等分に切って、シナモンと砂糖とリンゴを散らす。くるくると巻いて、しっかりつなぎ目を閉じたらケーキの丸型に詰めていく。

 六つとも巻いて、丸型にバランスよく詰めたら、牛乳を表面に塗って、もう一度シナモンと、砂糖は余っていたザラメにかえて散らす。

 余熱しておいたオーブンに入れてこんがりきつね色になるまで焼いたら出来上がりだ。

「おいしくなーれー、おいしくなーるー」

 オーブンに張り付いて呪文を唱えるクコは楽しくてわらってしまった。

 三択のレパートリーのうちのカレーがくつくつ煮えている。今日は豚バラのカレーとごぼうサラダだ。

 母親が仕事なので祖父と先に食べるけれど、それもいつものことだった。クコの誕生日だって同じなのだから。

「いただきます」

 手を合わせるのはクコだけ。祖父はいただきますもごちそうさまも言わないし、ありがとうもごめんなさいもほとんど聞いたことがない。茶碗にご飯粒がついていようと平気で席を立つ。歳がどうとかじゃなくて、人それぞれなんだよな、とクコは思う。

 クコは必ず「いただきます」と「ごちそうさまでした」を言う。「ありがとう」も「ごめんなさい」も思ったら言うようにしているが、食事の挨拶は欠かさなかった。誰に言われたわけでもない。ある日、クコは食卓に並んだご飯を見て、唐突に気がついた。そして、畑でシソやモロヘイヤの葉をちぎっているときや、カレーを作ろうと鶏肉のパックを手に取ったときに思ったのだ。

 食べることは、誰かを殺すこと。

 生きるには、何か食べなければいけない。

 食べるには、誰かを殺さないといけない。

 いただきますは、命をいただきます。

 ごちそうさまでしたは、命をごちそうさまでした。


 生きることは、食べること。

 食べることは、殺すこと。


 だからクコは、食事の挨拶を欠かさない。

 食べたものでクコができていくなら、食卓に並ぶのはクコになるものたちだ。これまでどれだけ食事をしてきたか考えてみると、殺人鬼も真っ青だよなとクコは思う。そして、遠くで起きている戦争で死んでいく人を思い、ご飯を食べる。食べられることは当たり前じゃないと、思い出すためにも手を合わせる。

 食べたものが私を作るなら、とクコは思う。

 食べ物って、思い出と同じなのかなと。悲しいも、嬉しいも、寂しいも、あたたかいものも、辛いことも。ひとつでも欠けていたら「クコ」ではないのなら。

 どんなことにも、意味はあるのかもしれないなと思った。


「ただいまー」

 クコの母親が帰ってきたのは九時を少し回った頃だった。

「おかえりなさい、ご飯温めてあるよ」

 クコは寝間着姿で母親を出迎えると、着替えている間にいそいそと支度をした。

 ご飯をよそって、カレーをかけて、花形に抜いたニンジンを散らす。ごぼうサラダを添えて、テーブルの中央には大きなシナモンロールがでんと鎮座している。

「すっごーい、やだーなにこれ」

「おかあさん、シナモンロール好きって言ってたでしょ?」

 型に入れて焼くと大きいのができるんだって。お好きなだけどうぞ。明日の朝にしようかなー、いまちょっと食べちゃお。

「うんまーい! さすがクーちゃん、天才!」

「どーぞどーぞ、お誕生日おめでとう」

「いただきまーす」

 カレーとサラダをパクパク食べていく母親の向かい側で、クコはにこにこしながら座っていた。

 にこにこ、にこにこ。

 嘘なのかも、もうわからない笑顔は、それでも嬉しいのは本当だった。


 洗い物をしながらクコは思う。

 相変わらず母親と祖父は家庭内別居と冷戦を続けていて、クコがいなければろくに会話もしない。数十年そうして生きてきてしまった人たちだから、もう死ぬまで治らないだろうとクコは思う。

 マツは生き抜けるとクコは信じている。傷だらけの細い身体で、にやっとわらってみせるのだろう。でも、クコは傷ついたことがない人間より、傷を抱えて生きる人間の方が好きだ。どこかの心ないデータとは違って、誰かを傷つけることはないと思うから。

 ユズはきっとこれから先も、兄を止められなかった自分を責めて、自分を傷つけるだろう。傷つけることを、クコは肯定するわけじゃない。残った傷に苦しむときが来るかもしれない。それでも、ユズが生きるのに必要なら、何も言わないでそばにいたいと思う。

「ままならないなあ」

 小さく呟いて、わらう。

 いつ家を出られるかわからない。ずっと縛られるのかもしれないと思って、クコは違うと否定する。一人で生きていけるようになること、大人に近づくことを、母親はよしとしないかもしれない。きっと、よしとなんてずっとしないだろう。

 思い出すのは、文化部のとっちらかった部室。

 あの窓際の机。

 お気に入りのマグカップ。

 いろんな音が、色が、匂いが重なるあの空気が、クコは大好きだ。

 大好きな文化部の、やわらかい空気が背中を押す。

「……うん」

 クコは、なりたいものを見つけた。


 次の日は休日で、クコは自転車に乗って部活に出かけた。

 今日の晩御飯は温めるだけになっている。

 部室のドアを開けると、ぱん! と大きな音がしてクコは身体をびくつかせた。

「あーもー、クコ驚いちゃったじゃないですか」

「まあそういうもんだべ、知らんけど」

 ぽかんとしているクコの手を取ってユズが黒板の前に連れて行く。


 HAPPY BIRTHDAY TO KUKO!!


 大きく書かれた文字の周りを、色とりどりの絵が飾る。

「クーコ、お誕生日おめでと」

「え? え?」

 見ると、来ていた部員がみんなクラッカーを持っていた。絵かきのグループも、ユズの師匠も、マツも。机にはお菓子が並んでいて、小さなお誕生日パーティーのようだった。

「マツ先輩がね、どんなふうにすればいいのって考えて飾りつけとかしたんだよ」

 ユズがこそっとクコの耳に囁いて「はいっ」と小さな包みを渡す。

「シュシュだよ、可愛いの選んでみた!」

「……ありがとう、ユズ」

 ハッピーバースデーの歌を唄って、お菓子を食べて。めいめいいつもの部活に戻ると、クコは机に山と積まれたプレゼントを見た。ユズからもらった白いリボンのついたシュシュ、絵かきのグループからは飛び出すカード、ユズの師匠からはカップケーキ。

「クコちゃん、あげる」

 いつも通り、クコの前の席に座ったマツは小さな袋をクコの頭に乗せた。落ちないように慌てて手に取るクコをマツがわらう。

「見ていいですか?」

「いーよー」

 頬杖をついて、にやっとわらう。袋からころんと出てきたのは――

「……くま?」

「そ。ここのじゃそれ作るのが精一杯だった」

「え、これマツ先輩が作ったんですか?」

「そ。……それくらいしかできなかったべな」

 クコの手にすっぽり収まる、小さな桜色のテディベアは既製品といわれてもわからないくらい綺麗に仕上がっていた。キーホルダーにしてあるから、つけてもいいんじゃね。あ、じゃあ……

「……ちゃちくて、ごめんな」

 金なくてと小さく呟くから、クコはスマートフォンを「じゃーん」とマツの顔の前につき出す。

「つけてみました。これで少しは携帯が好きになれそうです。ありがとうございます」

 きょとんとして、ふはっと吹き出すマツに、クコは鞄から袋を取り出した。これどうぞ。なに、おれがもらっていいの? マツ先輩に持ってきたんですよ、そもそも私の誕生日今日じゃありませんし。それもそーだべな。

「あ、かぼちゃのやつ?」

「はい、作ってみました」

 さんきゅーとさっそく頬張るマツに、クコはこっそりと深呼吸して言った。

「マツ先輩、私パンを作る人になろうと思います」

「なに唐突に。いんじゃね、クコちゃんのパン屋さん?」

「お店を出せるような腕になれればいいですね、なれなかったら」

「なれるって!」

「へ?」

「あ、まあまあ。で、なに?」

「なれなかったら、パン屋さんで働くお母さんになろうと思います」

「おかあさん? あー、いんじゃね」

「奥さんでもいいんですけど」

「今日は唐突だねー、いんじゃね」

「それでですね、私、マツ先輩が好きです」

「まあ、いんじゃね……え?」

 ぽかんと目を丸くするマツが可愛くて、ふふっと吹き出して、クコはわらった。

 ほら、だからきっと、すきも素敵も幸せも、自分で見つけて決めればいい。

 決めていいんだ、クコは気付いた。

 自分を幸せにできるのは自分だと、クコは思う。練習なのだ。大切な人を大切にして、幸せにする練習。

 だからほら、悲しいも、嬉しいも、寂しいも、辛いも痛いも無駄じゃない。知っていれば、大切なひとの涙に、心に、少しでも近づけるから。全部はわからなくても、そばにはいられる。だから傷は無駄じゃない、無駄にはしないとクコは思う。

 しっかり目と目を合わせて、クコはわらった。


「私は、マツ先輩が好きですよ」

 



 fin.


 2014.04.07.



 自分が子供の頃に、こんなお話に出会いたかったと思って生まれた物語です。

 痛いのも辛いのも、なかったことにしたり、悪いものにしないで、痛かったら泣けばいいし、辛いならわめいたっていいと自分は思います。子供だからって元気で明るい必要がどこにあるんだろうって思ってましたから。どん底まで行けば足は着く訳ですし。その気持ちを知っているから、クコはマツやユズに手を差し伸べることが出来たのでしょうし。

 読んで下さった方に何か届けられたのなら、そんな幸せはありません。

 ありがとうございました!


 水瀬


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