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くこのみベーカリー  作者: 水瀬透
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1 中辛のカレー

1 中辛のカレー


 カレーに入れるニンジン、ジャガイモ、タマネギを刻みながら、クコはひとりごちた。トントントン、なんてお母さんみたいにリズムよくはまだできないけれど、乱切りにされたニンジンも、溶けないように気持ち大きめに切られたタマネギとジャガイモも、大きさは揃っている。

「いつまでたっても、カレーしか作らせてくれないんだよなあ」

 まあいいけど、と鍋に分量の水とニンジン、ジャガイモを放り込んで火をつける。

 クコの家ではカレーの具材は炒めず、始めから煮てしまう。一度炒めてみたこともあったが、大して変わらなかったので母親の作り方と同じにした。お湯がぐらぐら沸騰して、おおかた火が通ったら、鶏肉とタマネギを追加してしばしそのまま。火を止めて、カレーのルウを溶かして出来上がりだ。あとは夜に温めなおすから問題ない。強いて問題というなら、カレーがいつも中辛なことだろうか。クコは辛い物が苦手なのだが、甘口を好むのがクコしかいないので、かれこれ小学生の頃からスライスチーズ一枚でなんとかしのいでいる。

 さて、と時計を見れば時刻は八時。朝日のきらきら輝く晴れた朝だ。

 トマトサラダはカレーを温める間に作ればいいや、と水に浸したレタスを見る。あとはトマトを切って、乾燥わかめを戻して添えればいいだけ。チーズとらっきょうも冷蔵庫にあったし問題ないとクコはエプロンを外す。

「さて、そろそろ行くかなあ」

 多めの独り言はひとりっこの癖だとクコは思うのだが、実際は謎だ。


 クコの母親は朝早くから夜まで忙しく働く、キャリアウーマンというやつだ。

 いつもは前日の夜か、その日の朝に晩ご飯を作って家を出るのだが、あまりに仕事が忙しいと、クコに晩ご飯の支度を頼んでいくのだった。

 献立は、カレーかシチューか、鍋の三択のみ。

 小学生の頃から変わらない、クコのレパートリーだ。

 幼稚園の頃から、朝起きれば母親がいない生活を送っていたクコもいまや高校生。同居している母方の祖父母は寂しくないようにと小さなクコを可愛がってくれたけれど、祖母は小学校の頃に他界して、いまは庭付きの一軒家で、祖父と母親との三人暮らしだ。

 父親は生きているのかいないのか、クコは知らない。クコの母はシングルマザーというやつでもあった。

 とくに、会いたいとも思わないしなあ。クコは制服に着替えて鞄を掴む。

「行ってきます」

 庭の畑でなにやら植え替えをしているおじいちゃんに声をかける。

「部活か?」

「そうだよ、夕方には帰ってくるね」

 愛想よく言って、自転車で家を出た。

 クコのレパートリーはカレーかシチューか鍋の三択のみ、他の料理はなぜか作らせてくれない。

 その理由を、クコはとっくに知っている。

「あらぁ、クコちゃんおはよう」

「おはようございます」

「部活? 気をつけてねえ、いってらっしゃい」

 行ってきます、とご近所さんにもにっこりと挨拶をして、自転車をこぎながら思う。

 ひとりだちしてほしくないんだな、と気づいたのはクコが小学生の頃だ。

 その頃のクコの母親は頻繁にヒステリックに怒鳴り散らしたり、祖父と二階にまで響く口論を繰り広げたり、かと思えば機嫌よくレストランにおやつを食べに連れて行ってくれたりと、乙女心と秋の空も驚く程の変わりやすさだった。綱渡りのような日々だったなと、クコは当時を思い出す。

 表情を読み取り、声音に耳を澄まして、機嫌を損ねないように必死だった。どうしたら機嫌が良くなるだろうと、勉強に励んでみたり、にこにこと知らん顔で愛想をふりまいてもみた。もともと「優等生」に向いていたのだろう。クコの通知表には二重丸が並び、近所でも評判のいい、出来のいい子供が出来上がった。喜んでくれることが嬉しくて、クコはずっとそのまま、顔はにこにこわらったままで、誰にも見えない水面下でアヒルのように必死にもがき続けた。そのうちクコの必死は「当たり前」になり、通知表は祖父に見せに行くだけの代物になった。

 ひとりで生きていけるようになりたい、中学に上がった頃のクコが進路希望のプリントを書きながら呟いたときのことだ。

 そのときの母親を、クコは忘れないだろう。

 それ以来、クコは三択からレパートリーを増やそうとするのをやめた。 


 交差点の信号待ちで、ふう、と肩の力を抜く。学校はもうすぐだ。

 クコは確かに部活に入っている。その歴史は創立後間もなくまで遡る。表向きは文芸部、家庭科部、美術部などなど、文系に属するすべてをひとつに絞ることなく、浅く広くたしなもうという名目のもとに設立された「文化交流部」。それがクコの所属する、通称「文化部」だ。

 活動内容は、それぞれが得意分野で学生対象のコンクールに応募すること。部員同士がチームやコンビを組んで賞に応募することもあり、楽器奏者もいれば、イラストレーター志望もいるという、ひとつの分野にとらわれない文化部ならではの組み合わせで賞を狙って日々創作に励んでいる。

 表向きはその通りで、努力している部員がいるのも本当のことだ。

 でも、それだけではない。 

 部活に入ることを強制していないクコの高校には帰宅部も存在している。実際帰宅部で、禁止されているけれどアルバイトに精を出している生徒だっている。警察のお世話になるようなやんちゃをしなければ、だいたいのことは見過ごしてもらえる。そんなすこしゆるい高校なのだ。もちろん、部活動に真剣に打ち込む生徒だっている。大会で賞状やトロフィーを持って帰ってくることもある。

 とどのつまりはやる気の有無だ。実際学校のレベルは中の上、その上寄りなのだから。

 そんな学校で、名目上でさえ体験入部を三年続けるような、どう考えてもやる気とは縁のない文化部が、どうしてそんなに長く存在しているのか。部員が足りずに廃部とならずに、ずっと存在できているのか。


 その実態と答えは「シェルター」だ。


 夢はあるけれど家族にはいえない、または知られてはいけない。

 部活に入ろうにも道具やらを揃えるお金が足りない、または言い出せない。

 教室に居場所がない、または居たくない。

 家に帰りたくない、または居づらい。

 とりあえずどこかの部活に籍を置いておきたい、または置かなければいけない。――などなど。

 理由は尽きることもなく、言葉で説明のつくことのほうが少ない。言葉なんて、いくらでも嘘をつく。

 とにもかくにも、癖も訳もある子供の集まるシェルターが文化部なのだ。


 shelter

 避難所、隠れ場所、雨宿りの場所。

 保護、避難。

 ――を、――から保護する。守る。

 ――を、匿う。宿泊させる。

 ――が、――から避難する。隠れる。


「……ホームレスの収容施設、動物の収容所」 

「何言ってんの、クコちゃん?」

 思わず呟いたクコに絡んできたのはひとつ上のマツ先輩だ。部室の本棚に何故かあった分厚い英和辞典に落としていた目を上げて、クコはこたえた。

「シェルター、って調べてたんです」

 とりあえず、にこりとわらっているクコに、マツはにやっとわらった。少し鋭い、目が笑っていない笑い方をするのだ。

「ここにいるやつは、みーんなワケありだもんな」

 アルバイトの募集雑誌を広げて、マツは伸びをする。あれ、マツ先輩またバイト探してるんですか? そ。この前のとこまただめになっちった。

「……またですか?」

「そ。また。いつもとおなじだべな」

 しょーがねえさと軽く言ってのけるマツに、クコは持っていた飴玉を渡した。おおう! さんきゅー! いいえ、それくらいしか出来ませんから。

「んなことねえって。いるだけでいいって案外ほんとだからさ」 

 ありがとね、クコちゃん。小さく付け足された言葉はとても静かだった。

「……マツ先輩、何か食べたいものありますか?」

 できればお菓子で。というクコにマツはきょとんと目を丸くして、吹き出した。

「任せた! クコちゃんのお菓子うめーもん」

「せめて味くらいは決めてくれるとありがたいんですけどね……」

「あー……おれけっこう和風なのすきかも」

 じゃあ、きなことか抹茶がいいですかね。簡単なのでいいよ? あ、量多めで! ……了解です。

 けらけらわらう、色素の薄い、女の子みたいに細い身体。長めの前髪から覗く濃いクマは、眠れていないことを訴えている。整った顔の、唇には切った痕。ほっぺたにはアザの名残り。

 夏服に羽織ったパーカーの下にはきっとまた傷があるのだろう。

 マツが何も言わないから、クコも何も言わない。

 マツが何も聞かないから、クコも何も言わない。

 他の部員にしたって同じだ。

 気づかないふりで、それでも存在を認めてくれるこの空間が、彼らの避難所だった。


 カレーの鍋に火をつけて、エプロンをつける。トマトを洗い、水を切ったレタスと戻したわかめ、切ったトマトを皿に盛りつける。カレーの鍋が温まったのを確かめて、クコは祖父を呼んだ。

 食卓に三人揃うのは月に一度あるかないかで、それが仕事にかこつけた母親のわがままだとクコは知っている。だって、ずっと見てきて、ずっと察してきたのだ。母親と祖父が、自分を間に挟まなければろくに会話もしないとクコはわかっている。

 マツはまた部屋に閉じ込められてバイトをクビになっていないだろうか。

 クコはそんなことを思いながら、カレーをよそった。





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