ぷろろーぐ
まったり書いていきます
その日は大粒の雨が降っていた。
夏の暑さを和らげるにはぴったりである。
社内のカフェテリアに小粋なジャズとかすかな雨音が響く。普段ならばテラスから巨大なビル群が所狭しと見せつけられるが、今回に限ってはそれを雨が消し去ってくれていた。
実に喜ばしい。
あれほど下品な景観はそうそうない。
いつどこを見回してもビルと窓から漏れる光のパレード。逃げ場もなく取り囲まれたような圧迫感が否応なく襲ってくる。
この暮らしをはじめて3年はたった。その間、一度として心が休まったことはない。巨大な怪物の腹の中で仕事をしていればそうなる。
しかも、その怪物は強欲そのもの。暴飲暴食当たり前、邪魔なものは踏み潰し、要らないものはすぐに排出されてさようなら。
山ほどいた同期など数える程度しかいない。むしろ3年も在籍していれば上々であろう。
「おー珍しくごきげんだ」
随分と野暮なタイミングで声をかけてくる。
ここは察して声をかけずにしておくのがマナーというものだろう。
空気を読め空気を。
飲み会の席でひとりポツンとして飲んでる奴に声をかけたがるのと同じくらい空気が読めてない。
あれは別に会話に参加したくて来ているのではなく、参加しないと後日、自分の立ち位置が悪くなるからである。
ようは参加したという事実だけを欲しているのだ。
ノミニュケーションなど心底ごめんだ。
「ちょっと無視しないでよー」
「……ちっ」
「ちょっとー、なんで舌打ちするのよー」
うざったらしい語尾のばしには本当にイラッとする。
ちらりと目に入るのはブラウンの髪を毛先の近くで束ね、いつも通り化粧っけのないお顔。にもかかわらずはっきりとした目元。いかにも男ウケしそうな女がこれでもかと愛想のいい微笑みを向けている。
実に気に食わない。一瞬だが自分の眉間にしわがいく。
特に化粧っけのないというのがポイントだ。世の中、化粧っけのない女というものをどうにも神格化しているふしがある。
やれ口を開けば「やっぱりメイクの薄い子の方がいいですよ」とかぬかす輩が蔓延っているわけだが、あれは本音を言えば「メイクが薄くても可愛い子がいいですよ」ということだ。
しかも質が悪いのは当人がそれを無自覚で言い放っている場合が多いところ。
そんな発言を耳にするたびに馬鹿じゃないのかとプライドをずたずたにしてやるほど罵りたくなるが、そこをぐっとこらえて愛想笑いしておくのである。
ところがこの美琴という女はそのへんの男心を理解してさり気なく媚びている。
それはもう同姓から見たら虫酸が走るレベルである。
つまるところ、私はこの女が嫌いなのだ。
決して僻みなどではなく。
「あんたが来るまではこんな辛気臭い所でも天国だったわ」冷めかけのコーヒーを口にいれ、深く息をつく。
「そういうこと思ってても、普通は口にしないよ」
笑いながら、さも当たり前のように隣を陣取り、見るからに甘ったるそうなキャラメル色の液体を飲み始める。
あんな砂糖水を美味しそうに飲む当たり、こいつはどこか遠くから私を殺すためやってきた虫型生命体か何かなのだろう。
そのうち化けの皮が剥がれて、それはもう恐ろしいゴキブリ野郎が出てくるに違いない。
そう思うとコイツを嫌いなのも合点がいく。
私は虫が嫌いだ。
「そんな機嫌悪そうな顔してると不幸になっちゃうよ、ほらこれあげるから」そう言って飲みかけの謎の液体を差し出してくる。
「ほどこしを受けるほど落ちぶれちゃいないし、そんな見るからに頭がパーな奴しか飲まなそうな代物を私に近づけないでくれる?」
「えー、美味しいのに……キャラメルマキアート」
残念そうに取り下げる美琴。
だが私には分かる。あれは名前からして地雷だ。
それこそあの液体に何カロリーあるか知れたものじゃない。
翌日、頬にニキビができて鏡を見ながらため息をついて、しぶしぶコンシーラーで隠す姿が目に浮かぶ。
ましてそれが、独り身の女の部屋で行われるわけだから哀愁感が漂って仕方ない。
「甘いものっていいよね。口に入れた瞬間、ハッピーみたいな」
「私はあんたといるだけでアンハッピーよ」
「京ちゃん酷い」
しくしくと謎の効果音をつけながら鳴きマネをする。実にあざとい仕草で気に食わない。
お互い20代前半であるが、そろそろ出来る女みたいなキャラにシフトしていかないと三十路になってから後悔することになる。
例のあの人のように。
一応、数少ない同期であるし忠告くらいしてやる。
「その痛々しいキャラそろそろ卒業しなさいよ、あの人みたいになりたいの?」
「あー……それはちょっとね。でも別にわざとじゃないんだけどなあ」そう言って苦笑いを浮かべる。
少なくとも身近にそういう引っ込みのつかなくなった痛々しい女、もとい上司、しかも三十路がいるわけで流石に効いている様子だった。
何にせよ多少はダメージを与えられたみたいなので良しとしよう。
「でもさ、京ちゃんもそろそろ卒業した方がいいと思うよ?」
「何を?」
「その、私あんたらとは違うからーみたいな? 現実見据えて生きてますからー的な思春期にありがち意識高い系やさぐれキャラ。結構痛いよ?」
「……喧嘩売ってるでしょ」
「そんなことないよー」白い歯を見せるも、目が笑っていない。
やっぱりこの女は嫌いだ。
デスクにつくと山積みの書類がそこら中に築城していた。辟易してしまうが、目をそらしたところで仕事が消えるなんてことはあり得ない。
なんてことはない。席につき、書類確認を始め、頭の痛くなるような案件を整理し、上司に報告、その間ひっきりなしに鳴り響く電話対応である。
あとはそれを数時間繰り返す。ほら、簡単。
『我々としては一刻の猶予もないのだ! 今すぐにでもインフラ復旧の目処をたてなければ』
『すでに多数の難民が国境付近に押し寄せてる。このままでは国そのものが瓦解していしまう!』
『どこもかしこも解放軍が暴れまわってる。このままでは我々は丸裸にされてさらし首にされる』
『おたくの電子レンジでうちのエリザベートちゃん乾かそうとしたら破裂してしまいましたの……』
実に頭が痛くなる。何度も何度も電話がかかってきたのでは途中から理解するのも面倒になる。
いまひっきりなしに連絡をよこしてきてる某国は、それこそ昔は世界の覇権を握るほどの国力を有していたものの、貧富の格差から国が荒れ放題。
結局、極貧労働者を西側に押し付け、国が分断。その後、西側は土地バブルで吹っ飛び、そこからは世界中巻き込んでの地獄絵図。
東と西のどちらに工場をつくっていたかで簡単に命運が別れてしまったわけで、西側に工場作ってたライバル企業が軒並み倒産した時、風見社長が今まで見たことないような笑みを浮かべていたのは社員全員が鮮明に覚えている。
そのまま人民解放軍とかいう実質テロリストがクーデターで政府ぶっ壊してからは内戦に続く内戦。それはもう戦国時代まっしぐら。どこぞの世紀末伝説の幕開けだ。
そこからはインフラから兵器まで何でもござれ。
風見重工様万歳と言わんばかりに媚売りのラブコールの山である。
東に苦しむ難民がいればインフラ事業の仕事を与え、西に暴れるテロリストがいれば、もっとヤれと煽るように兵器を流す。
つまるとこ私たちは悪の秘密結社のようなものだ。
秘密結社というにはいささか露出しすぎなのがいただけないが、それでも世界中からヒールと扱われつつも頼らざるを得ない存在。
それはまさしく理想的な悪のあり方であろう。
はたから見ていたらこれほど滑稽な演目もない。
これで悪の女幹部とか肩書があれば多少は面目が立つというものだが。
「私がやってるのは下っ端もいいとこなのよね」
独り言は誰に届くわけでもなくかき消されていく。
というわけで悪の下っ端である私は今日も甲斐甲斐しく会社に尽くすのである。