16-5-23.仕える者の資格
男の影が連射する銃弾は的確にザンを狙い、掠り傷を増やしていく。
先程までなら余裕で躱していたであろう攻撃だが、動きを鈍らせているザンは全てを躱しきる事が出来ないでいた。
その原因は、男の影が言ったひと言。
「だから…主人の不正に気が付かないんだよ。」
それだけである。たったひと言。だが、それだけなのに、ザンの思考回路を乱すのにはそれだけで十分だったのだ。
信じていた主。その主が…不正を行なっている等…到底信じられる訳がなかった。もし本当なのであれば、人生を捧げてきたザンへの裏切りであり、冒瀆である。
「そんな筈が…、ある訳が…!」
男の言葉など笑い飛ばせば良いのだ。しかし、ザンにはそれが出来ないでいた。
もしかしたら…心の奥底で、主である重光の不正を理解していたのかもしれない。無意識に目を瞑っていたのかも知れない。だが、本当に不正をしていたとなるのならば、いつ、どこで、どのように行ったのか。
重光の全ての活動に随伴し、全ての業務サポートを行ってきたザンが不正を見逃すはずがなかった。
「いい?博愛党と革新党。この2つの政党が政権を争っているんだよね? そしてザンの主がいるのは革新党。そして…対する博愛党は裏で様々な悪行を秘密裏に進めているんだ。これは憶測じゃない。だって、ドッグテイマーズが今この場にいる事がその証明になるからね。」
的確に、事実のみを突きつけられていく。
「博愛党が裏で手を回し続けているのに、革新党が何もしてないって本当に思ってた?…本当は気付いていたんじゃないのかな。」
男の影が話せば話す程にザンは己が主を信じきれない葛藤に苛まされていく。
「私は、私は誇りを持って重光様を支えて…!」
「その誇りが現実を見極められない霞になっていたんじゃない?」
「そんな…筈はありません!」
銃弾の嵐を掻い潜り、ザンは反撃を試みる。
両手に装着した爪による鋭い斬撃が縦横斜めから男の影に向かい…見事に空を切った。
「なっ!?」
「さっきよりも攻撃の精彩さが無いね。信じようとするから弱くなるんだよ。信じるのをやめれば良いんじゃない?別にさ、不正をしていたから仕えるのをやめるって事はないでしょ?」
「それは…それはそうかもしれません。けれども、それではいけないのです…!」
「でもさ、事実から目を背ける事…それって、本当に忠誠を誓ってるの?」
「……っ!?」
男の影はザンから逃げ道を奪っていく。
自身の在り方を根底から否定されたザンは、思考の大半を疑心暗鬼の思考で占領されてしまい…男の影が放った銃弾の直撃を受けてしまう。
「ぐっ…!」
貫かれた左肩を押さえ、それでも気丈に膝を折らない。
「私は…。」
圧倒的に優勢でありながら、男の影は攻める手を緩めようとはしなかった。
「いい?ザンの主が裏で不正に手を染めていたからって、それは裏切った事にはならないよね?裏切られたって思うのは、ザンが勝手にそう思ってるからだよ。不正を行う事は政界では当たり前。だからザンの主が不正に手を染めるのは当たり前。そう考えれば…割り切れると思わない?」
湾曲した軌道を描く弾丸がザンの回避先を襲い…着地したタイミングで左膝を撃ち抜く。
迸る鮮血。
「…つぅ…!……貴方の言う通りかも知れません。しかし、私は…私は信じるしか無いのです。それしか、私が生きる道は無いのですから…!」
「……頑固だね。でもさ、そんな状態で俺に勝てると思わない方がいいよ。」
頑なに重光を信じようとするザンに呆れたのか、男の影は首を傾げながら手元の銃をクルクルと回す。
「まぁ…いっか。ザンがこの試練をクリア出来なければ、それはそれまでって事だし。じゃあ…いくよ?」
右手を伸ばし、銃口をザンに向けた男の影は…小さな笑みを浮かべる。
そして、様々な軌道を描く銃弾が無数に発射される。それは踊り狂う光の軌跡のようであり、残虐な凶弾の群れである。前から、横から後ろから、上から、斜めから…全ての方角から襲いくる銃弾を前にしてザンは諦念を抱いていた。
(私は…重光様に仕える資格が無かったのかもしれません。相手の言う事で惑わされる…こんな中途半端な忠誠心で支える事など到底…。)
数多の銃弾に貫かれる覚悟を決めたザンは目を瞑り、腕をダランと下げる。
…ふと、思い出される光景があった。
腐って路地裏で倒れていたザンを、腕を組んで見下ろす男を見上げた記憶。
それは…嘗ての主人による裏切りから始まったのだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「ご主人様、外出の準備が整いました。」
今よりもう少し若かった頃。
とある貴族に執事として仕えていたザンは、貴族の要望を先回りして準備まで済ませておく完璧な執事だった。
幾人かいる執事達を纏める筆頭執事として、身の回りの世話から各交渉ごとに於けるまで全てをサポートする。
余りに優秀な為、「最高の執事」という渾名があった程。
主人である貴族からは絶大な信頼を寄せられ、執事仲間やメイド達からは羨望の眼差しを受ける日々。
それは、ザンにとって生きる糧となっていた日々であり、貴族への完璧な奉仕に命を賭けていたのだ。
だが、そんな日々は…突然終わりを迎えてしまう。
「ご主人様…どういう事ですか!?」
貴族の部屋にて、腕を震わせながら、ザンは…主である貴族へ問いただす。
そして、当の貴族はというと…気まずそうにこめかみを人差し指で掻きながら目を逸らして言い訳を始めた。
「あー…それはだね、ザンも知っての通り、私が持つ領地は広大なんだ。つまり、それを維持する費用もそれなりに必要…という事なのかな。」
「しかし…何故、私の知らない取引がこの数ヶ月でこんなに頻繁に行われているのですか…!?今まで私が知らない取引など無かったのに。これでは、何かあった時に私はご主人様を守る事が出来ません!」
我が主人を守る為。その為に主人の全てを知り、不足があれば適宜フォローを行う。そして、全ての手順でザンが心して守り抜いたルール…それは「公正な手段のみを行う」という事。
どんなに素晴らしい利益を上げようと、どんなに人々に賞賛される功績を残そうと…不正な手段が露呈した瞬間に全てが失われる。
執事仲間達の情報交換でその事実を痛感していたザンは、どんな場合であっても主人を守る事を前提とした行動を取っていたのだ。
公正な手段。その為に多少の利益を減らすのは当たり前。不正な手段による多大なる利益は、その一瞬だけで見れば魅力的だが…主人の人生という観点で見れば汚点にしかならないのだ。
この信念を貫いて仕えてきたからこそ、主が知らぬ間に行なっていた取引の全貌を確かめる必要があった。
居住まいを正したザンは、声を荒げてしまった事を反省し、落ち着いた声で再度主人へ問いただす。
「ご主人様。確かにご主人様の治める土地は広大で、その土地に於ける諸々の費用が馬鹿にならない事は私も承知しています。しかし、先程もお伝えした通り、私はご主人様を守る所存です。だからこそ、全ての取引などを把握しておく必要があるのです。お願いします。この取引が何なのか…教えて頂けないでしょうか。」
そう言ってザンは机に置かれた書類の束を指し示す。この数ヶ月で行った取引としてはかなりの量である。それこそ週に1度程度の頻度で行われた可能性が高い。
そして、それにザンが気付かなかったというのもおかしな話なのだ。
この取引には何かがある。それを突き止め、場合によっては主人に降りかかるやもしれない何かを防ぐ為に動かなければならなかった。
「この取引は……。」
主人である貴族は視線を彷徨わせ、躊躇いを見せる。しかし、この部屋にいるのはザンと貴族の2人のみ。誰かが助言をしてくれるわけでもなく…。
ザンは静かに待つ。真っ直ぐ信頼の眼差しを向け、貴族が真実を語ってくれるのを願う。
その貴族はザンの眼差しを受け、逡巡し、目線を斜め下に向けてしまう。
「言えない…。悪いと思う。しかしだ…この取引については……言えないんだ。」
「ご主人様…。」
拒絶である。今まで信頼してどんな些細な事でも相談してくれていた貴族が。
(何があったというのですか…!?…しかし、ご主人様の反応を見る限り私を信じていないというよりも…後ろめたさのような感情を感じます。もし、本当にそうだとするなら尚更聞かなくてはなりません…!)
もし、この時、ザンが貴族を信じて引き下がっていれば結果は変わったのかもしれない。だが、ザンは信じた。貴族を。共に積み上げてきた時間を。そして、自分が救えると…ある意味で驕っていたのだ。
ザンは床へ正座をする。
「どうしたのだ…?」
「ご主人様。私は、ご主人様から話して頂けるまで、この姿勢でここから一歩も動きません。私は…私は信じているのです。ご主人様と共に歩んできた時間を。そして、これからも当家繁栄に全力を尽くす所存です。」
「ザン……。」
貴族はザンの行動と言葉に目を丸くし、身を固めてしまう。
「………。」
「………。」
ここからは、意地の張り合いだった。
沈黙が続く。
ザンは背筋を伸ばし、貴族へ視線を送り続ける。
貴族は気まずそうにザンの視線を躱し続け…。
幾分かの時間が過ぎ去った。その時間はとても長く永遠に続くかの様に感じられたが、実際は数分だろう。
だが、その数分で精神力を摩耗させた貴族は…ガックシと床に膝を付き、項垂れる。
「…分かった。話そう。」
「ご主人様…ありがとうございます。」
貴族が最終的に自分を信じてくれた事にザンは胸の内で感激する。
(やはり、これまで仕えてきた時間は私達を裏切らないのですね。後は取引の内容を聞いて、必要に応じて対策を事前に打てば…解決出来ます。)
ザンは自分が筆頭執事としての仕事を行えると…意気込む。
力の篭ったザンの瞳を見て、貴族は目を伏せる。
そして…。
「ザン…本当に申し訳ない。この取引は……………麻薬だ。」
「……今、今……何と仰いました?」
「だから…だからっ、麻薬の取引なのだよ!これが違法である事は重々承知している。しかし、仕方がなかったのだ…!」
完全に想定外の答えだった。少なくともグレーの範疇に収まる取引だと予想していたのだが…。
(まさか…麻薬とは。……いえ、ですが。)
床を拳で叩く貴族の腕を掴み、ザンは力強く話しかける。
「ご主人様。取引の内容は理解しました。しかし、何故麻薬取引に手を染める事になってしまったのですか?財政的に余裕がない事は確かですが…そこまで逼迫していないかと。」
「それは……騙されたのだ。貴族の会合に出席していた商人から新しい取引を持ちかけられてな。通常の納品物に麻薬が混ざっていたのだ。そして、それに気付かずに別の取引先に商品を渡した時に発覚した。そこまでなら何とかなったのだ。だが、ここで不思議な集団が現れ…麻薬取引の現場を押さえたと言ってきて…通報されたくなかったら取引に応じろと…。」
「その取引も麻薬取引だったという事ですね…。」
「あぁ…。もっと早く相談すべきだった。だが、当家の為に尽くしてくれるザンを裏切っている様で……。申し訳ないっ!」
貴族はザンに頭を下げて謝罪の意を表した。
「ご主人様…悩まれていたのですよね。気付く事が出来ず、申し訳ございません。ですが、対処出来る可能性はあるかと。最初の商人。そして集団が繋がっているのなら、囮を使って誘き出す事も可能な筈です。直ぐに対策を練りましょう!」
「ザン…分かった…!」
ザンの頼もしい言葉に勇気付けられたのか、貴族の瞳にも力が戻る。
こうして2人は麻薬取引グループの炙り出しについて話し合いを開始したのだった。
その時である。
ドン!という音を立ててドアが乱暴に開けられ、警察が雪崩れ込んできた。
「な、何用だ!?」
そして、残酷な言葉が告げられた。
「我々は麻薬取締課の者だ。当主は…お前か。麻薬取引により、青少年を麻薬漬けにし、挙げ句の果てに性奴隷の様に扱ったとの情報を得ている。言い訳は聞かない!詳しくは署で聞こう。さぁ連れて行け!」
警察官達がザンと貴族に群がり、拘束を行なっていく。
「なっ!?待て。身に覚えのない話だ!」
「煩い。言い訳は聞かないと言っただろう。」
問答無用で連れて行かれる貴族を、床に組み伏せられたザンは見る事しか出来なかった。ザンの実力であれば、警察官を薙ぎ倒して貴族と共に逃げる事が出来た筈なのに。
何故それをしなかったのか。
(麻薬漬け…性奴隷…。まさか、ご主人様がそんな事を……?いや、真実だとは限らない筈。……ですが……。)
麻薬取引を隠されていたという事実。その後に警察官から告げられた、また知らない事実。
ザンは…何を信じれば良いのかが分からなくなっていた。故に、体が動かなかった。これは後に彼の心に大きな後悔を刻むこととなる。
そして、ザンが貴族を見たのも…これが最後だったのである。




