16-3-8.クルル〜縁の下の力持ち〜
ガチャリ。
重厚なドアがゆっくりと開かれる。
いかにもお金持ちが住んで入ろうな大豪邸のドアから出てきたのは…クルルだ。
パールホワイトの髪を綺麗に纏めて、スーツをビシッと着こなした彼女はドアの奥に座り込む男性を一瞥する。
「それでは…約束は守ってくださいね?」
「は…はい。」
「ふふ。期待しています。」
ニコッと微笑んだクルルはカツカツと大きな門へ向けて歩き出した。
家主の尋常じゃない様子に門番がクルルを止めようとするが、家主の男性が首を横にフルフルと振ったのを見て不満そうな表情を浮かべながらも動きを止める。
クルルが家主にとって良くない存在なのは確かだ。しかし、家主の様子から考察するに…クルルに手を出すということは、それ以上に良くない事態を引き起こす気がしたのだ。
「それではお邪魔しました。」
警戒する門番に向けて丁寧なお辞儀をするクルル。ワイシャツの胸元から豊満な谷間が覗き見えたのは偶然か、それともわざとなのか。
門番がその深い谷間に視線を吸い込まれ、思わずゴクリと唾を飲み込んだ隙にクルルは門の外に出て歩き去っていった。
「あの女性…何者なんだ…?」
そんな呟きをする門番の向こうに見えるクルルを見ながら、座り込む家主の男性はガックシと頭を下げるのだった。
「…終わった。」
豪華な屋敷に住み、豪勢な生活を送っていた男性は…博愛党の党員である。その彼はクルルに告げられた言葉を反芻する。
「この証拠をマスコミが手に入れたらどうなると思いますか?」
それは…彼が密かに収集していた趣味だった。決して人にばれてはいけない趣味。
かつて、その趣味が神聖視されていた事もあったらしいが…今では邪道と言われる趣味。
「くそっ…くそ!俺の…俺の…クソォ!!!!」
叫ぶ男。その足元には…裸の少女を写した写真が散らばっていた。
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白金の街を歩くクルルは顔に掛かった前髪を直すと、小さく溜息をついた。
(本当にこの街の政治家はくだらない趣味を持っている男が多いわね。まぁ、だからこそ弱みを握れているんだけど…。)
ミューチュエル経営の根幹部分を任されているクルルは、様々なパイプを持ち、コネクションも多数有している。
街の人を助けるという目的を持つミューチュエルだが、その活動は時に政治的な問題に絡むこともあるのだ。
そういった時には何を選択するのかが非常に重要になるため、クルルは様々な方面とのコネクションを作り続けていた。
時には借りを作ったり、時には先ほどのように弱みを握って協力を得たりする。
しかし、目に余る行動を続けていれば恨みを買い、思わぬところで背中を刺されてしまう。
だからこそ、誰がどう見ても悪だと評する点以外は弱みとして使わないように気をつけていた。とは言っても、それも完璧に出来ているわけでは無いが。
街をゆっくり歩くクルルは周囲の様子を観察することを忘れない。
些細な情報が大きなきっかけになる事もしばしばなのだ。
「さて…今日も寄ろうかしら。」
クルルが見上げた看板にはコーヒーの文字が書かれている。ミューチュエルの近くにあるコーヒーショップだ。老人が1人で営む小さな店だ。
だが、その味は抜群。口に入れた瞬間に鼻に抜ける芳香な香りと、舌を刺激するコクのある苦味、喉を通り抜けるまろやかな喉越し。クルルにとってこのコーヒーを飲むのは幸せな時間の1つだった。
「こんにちは。」
「おや、今日も来たのかい。たまには男でも連れて来なさい。」
「いきなりそんな事いいますか?」
クスクスと笑うクルルを見て気難しそうに見える顔をした老人も頬を緩める。
「私はクルルちゃんが素敵な男性を連れてくるのを楽しみにしているんだよ。」
「そうですねぇ…。そういう男性が現れれば良いんですけど。」
「おや。まだそんな事を言っているのかい。」
「出会いっていうのはままならないものですよね。」
「まったく…。その年でそんな老けたセリフを言っちゃダメだぞ。」
「ふふっ。」
楽しそうに笑うクルルを見て満足したのか、老人はコーヒーを淹れる器具を用意し始める。
「まぁ良いか。こうやってここに息抜きにこれるだけ余裕があるんだからな。今日は何を飲むかな?」
「いつものでお願いします。」
「はいよ。」
老人がコーヒーを淹れ始めたのを確認したクルルは静かに窓際の席へ移動する。いつもこの店のこの席でコーヒーを飲むのが決まりなのだ。
そして、コーヒーを淹れ始めた老人に声を掛けないのも決まり。以前、話しかけてこっぴどく怒られたのが懐かしいものである。
10分後。テーブルに置かれたコーヒーを飲みながら、クルルは至福の時を過ごしていた。
老人は静かにカウンターで新聞を読んでいる。
いつも思う事だが、これだけ美味しいコーヒーを淹れるのだからもっと繁盛しても良いものなのだが…。
老人曰く「忙しいのは面倒くさい」という事。ぱっと見取り付きにくい老人のため、お客が定着しないなんていう裏事情もあるのかも知れない。
「そういえば…あのお化け屋敷はちゃんと子供達が遊べるようになってるかしら。」
1週間程前にお化け屋敷騒動後の後片付けを終えた屋敷がどうなっているのかが気になったクルルは、コーヒーを飲み終わった後に屋敷へ向かうことにしたのだった。
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幽霊屋敷だった場所に到着したクルルは目を丸くする。
時間は午後3時。学校が終わった小学生達が友達と遊ぶ時間。
その時間に…屋敷は子供達の笑い声が溢れていた。
「思った以上に子供達が戻ってきているわね。幽霊が出ていたり、老夫婦が行方不明になったのが原因で暫くは誰も寄り付かないと思っていたけれど…。」
そんな風に独り言を言いながらクルルは柵の隙間から屋敷の庭を覗いてみる。
「…ふふ。そういう事ね。」
クルルがそう言って笑ったのは、庭で騒ぐとある人物を見つけたからだ。
「うにゃ〜ガキンチョまつにゃぁぁ!!」
「わぁい!ブリティが怒ったぁ!」
「アタイは…我慢の限界にゃぁ!くすぐり地獄で閻魔様直行便に乗せてやるにゃぁ!」
「逃げろぉ!!!!!」
…と、子供達にいいように弄ばれて怒るブリティ。
「よ〜しっ!じゃぁ皆で手つなぎ鬼しよっか!」
「はぁ〜い!」
「じゃぁ鬼は…。」
「はいはいはいは〜い!僕がやるよ!」
「えぇ!?私もやりたいよ!」
「いやいや!俺がやってミリアちゃんにいい所を見せるんだよ!」
「はいはい!喧嘩しちゃだめだよっ?皆で仲良く!ん〜と、じゃんけんで勝った人が鬼をしよっか!」
「「「はぁい〜!」」」
と、子供達に慕われつつ、仲良く遊ぶミリア。
「昼以降に依頼をしないで良いように調整してほしいっていうのはこういう事だったのね。てっきり人形探しとか、煮干し探しでもしてるのかと思ってたけれど…良い子達ね。」
嬉しそうに頬を緩めるクルルである。
この屋敷の幽霊騒ぎが終わった後に地主の所へ訪問し、子供達が遊べるように開放してほしいという交渉をしたのはクルルなのである。
さっきも呟いた通り、すぐに子供達の遊び場に戻るとは考えていなかった。いつかは楽しい笑い声が聞こえる昔の屋敷のように戻ってくれればと思っての行動だった。
そして、そのクルルの想いはミューチュエルの仲間によって叶えられていた。
「人を助けたい。笑顔になって欲しい…やっぱりそういう想いがないとダメよね。」
そんな風に呟くとクルルは嬉しそうに笑うのだった。
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ミューチュエルに戻ってきたクルルは、ダージリンティーを淹れるとソファーに座ってテレビ鑑賞を行う。
バラエティーやドラマといった類の番組ではなく、見るのはニュース番組だ。
常に白金の街でどんな事がニュースになっているのかをチェックするのは、ミューチュエルを運営するにあたって重要な仕事のひとつなのだ。
もちろん、ニュースというのはある一定の権力を持つ者の情報拡散ツールに成り下がっている場合もあるので、鵜呑みにすることはない。
しかしだ。それぞれのニュースが何故報道されているのか。それを考察することで真の姿を見つけることも可能なのである。
「…今日は目ぼしいニュースはないわね。」
特段、握っている裏情報に関わるニュースがない事を確認すると、クルルは紅茶セットを片付けて自分の部屋に向かった。
彼女の部屋は至ってシンプルである。
ドアを開けた両サイドの壁には本棚が並び、中には数多の書籍がぎっしりと詰まっている。
そして、ドアの向かい側にある窓の前に木造りの机と椅子が置かれている。部屋の隅には折り畳まれた布団が一式。
これだけ。
自分の部屋は勉学と書籍を読む為だけに使っているのだ。
「さて…今日も調べようかしら。」
机に座ったクルルは上に置かれた一冊の本を読み始める。…が、ふと動きを止めた。
「あの家がコレに関わっていたとしたら、私達も危険かも知れないわね。」
そう呟いて書籍を閉じたクルルは窓の外を眺める。
外は夕焼けによって朱色に染まっていた。景色の向こう側にはビルの合間から紅葉林を見る事が出来る。
鮮やかな紅葉と、広く朱に染まった空。
見る者達の心を掴む絶景は、しかしクルルの心をほんの少しだけ不安にさせるのだった。
彼女がギュッと握りしめる本には『古代文献』の文字が書かれていた。




