16-2-9.ブリティ〜煮干しな日々〜その1
白金の都の路地をブリティが駆け抜ける。スカイグレーの耳をピクピクと動かし、同色の髪を靡かせながら。
最近路地を中心に悪さをしているという『悪餓鬼大将グループの捕獲』という任務を遂行中のブリティは、いつになく真剣な表情だった。
何故なら、この任務は悪餓鬼大将グループを中々捕まえられない事に業を煮やした警察からの依頼。
信用問題が大切な何でも屋『ミューチュエル』にとって手を抜ける案件では無い。いつもはノリで依頼を実行するブリティだが、今回は真面目モードである。
「……こっちにゃ!」
ヒクヒクっと鼻を動かしたブリティは迷いなく右の路地へ飛び込んでいく。
路地の先には…目標の悪餓鬼大将が走る背中があった。
「ビンゴにゃ!このまま捕まえるにゃ〜。」
姿勢を低くしたブリティは疾走する。猫の亜人であるブリティの身体能力は、人間のそれを遥かに上回っている。故に、無詠唱魔法を使わずとも人が出すことの出来ない速度で走ることが出来た。
逃げる悪餓鬼大将は恐るべき速度で迫るブリティの姿を確認すると、忌々しそうに舌打ちをした。
「くそっ。よりによって亜人かよ!しかも…ミューチュエルのブリティじゃねぇか!」
ポゥッと悪餓鬼大将の体が淡く光り、駆ける速度が上がる。
「むむっ!魔法を使えるにゃ!?」
明らかに無詠唱魔法で速度強化を行なっている悪餓鬼大将を見て、ブリディは目にやる気の炎を滾らせる。
「こうなったらアタイも魔法を使うにゃ!」
ポワッとブリティの体を淡い光が包んだ瞬間…ブリティの姿が消えた。否、正確には余りにも速すぎる速度に視認できなくなったのだ。
「く…くそ…!」
もうどうにもならないと悟った悪餓鬼大将は最後の悪あがきで横の壁を殴りつけて破壊した。壁の破片が当たってブリティの動きが止まれば…という微かな希望に縋った故の行動である。
そのはずだったのだが…この行動は思わぬ結果を導く事となる。
「うにゃ!?に、に、に、煮干しにゃ〜〜〜!!!」
急ブレーキをかけて悪餓鬼大将の目の前で止まったブリティは、穴の空いた壁の向こう側に陳列された煮干しを食い入るように見つめ…飛び込んでいった。
「……は…はは。マジか。」
急展開についていけない雰囲気を出す悪餓鬼大将だったが、今が逃げるチャンスと見るや否や高速でその場から走り去ったのだった。
後に残されたのは…壁に穴の空いた魚屋と、煮干しと戯れるブリティであった。
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ブリティが煮干しと戯れてから約1時間後。
壁に穴を空けられ、ブリティに煮干しを食べられるというダブル被害を被った魚屋の店主へ謝罪をするクルルの姿があった。
「この度はうちのブリティがご迷惑をお掛けしまして誠に申し訳ございません。食べてしまった煮干しの代金は全て支払わせて頂きます。」
隣には正座をして座るブリティの姿があった。煮干しの方に手を伸ばそうとする度にクルルの鉄槌を頭に受けて悶絶している。
「まぁまぁ。ブリティちゃんはあの悪餓鬼大将を捕まえようとしてくれていたんだろ?この壁を壊したのもその悪餓鬼大将って話だし。ちゃんと捕まえてくれて、壁の補修代を支払わせてくれれば大丈夫だよ。」
「店主さんは優しいにゃ!あの優しい…そして鼻腔を擽る至高の煮干しを作るだけあるにゃ!」
「あなたは黙っていなさい。」
ゴチン!!
「い、痛いにゃ!なんでにゃ!?」
「そもそもあなたが煮干に目を取られないで悪餓鬼大将を捕まえていれば、既にこの問題は解決していたんです。いくら大好物とはいえ、相手を目の前にして煮干を優先するなんて…何でも屋として失格ですよ?」
「う…何も言い返せないにゃ。」
「というわけで店主さん。責任を持って悪餓鬼大将を捕まえてきますので、暫しお待ちください。」
「分かったよ。期待してるよ。」
苦笑いをする店主へ再び丁寧なお辞儀で挨拶をしたクルルは、ブリティを連れて魚屋を離れたのだった。
そのまま大通りを進んだクルルは、魚屋が見えなくなったのを確認してから近くにあるベンチに座った。隣にブリティがちょこんと飛び乗る。
「で、ブリティ。あの魚屋は何か悪餓鬼大将に関係あるのかしら?」
「ん〜微妙な所にゃ。ただ…壁の壊れ方がちょっと不自然だったのは間違いないにゃ。」
「そうですか…。そうなると悪餓鬼大将とあの魚屋店主の関係を調べる必要がありますね。」
「お願いにゃ。悪餓鬼大将が中々捕まらないのには、ちょこっと裏がある気がするにゃ。」
「分かったわ。私はこれから情報を集めて動くから、あなたは悪餓鬼大将をもう1度追い詰められるかしら?時間は…そうね。今が13時だから…少し余裕を見て17時にしましょうか。悪餓鬼大将がいつも悪さをする時間が夕方以降だし、丁度良いと思うわ。」
「ラジャーにゃ!」
ビシッと敬礼ポーズをとったブリティは、ベンチから飛び降りると走り出した。
「まずはお昼ご飯にゃ〜!秋刀魚の塩焼きを食べるにゃ〜!」
…と、食欲優先の台詞を残しながら。
「…本当にブリティは相変わらずね。」
そういうクルルの口元は、小さな笑みを形作っていた。ここで咎めないのは、ブリティがやる時はやると知っているからこそである。
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時刻は16時45分。
白金の都にある裏路地では、20人程の少年達が裏路地のすぐ先にある銀行入り口の様子を伺っていた。
「よし…。やっぱりこの時間は警備が薄いな。」
「本当にやるの…?」
やる気満々の悪餓鬼大将に少年の1人が心配そうな顔で問いかけた。
「なぁに今更ビビってんだ。俺達が今までやってきたのは、この襲撃を成功させるためだろ?ここで逃げるわけにはいかないだろ。」
「だよね…。本当に大丈夫かな…。そこだけが心配だよ。」
「大丈夫だ。そこはサポートしてくれる筈だ。」
「…うん。わかった。やる。やるよ…!」
「よし…!………いくか。」
「うん!」
不安に瞳を揺らめかせながらも、こうして決意を固めた少年達が動こうとした時であった。
表通りの様子を伺う彼らの後ろ…裏路地の奥から間の抜けた声が聞こえてきた。
「うにゃ〜。見つからないにゃ。アタイの鼻でも見つからないとか…中々の消臭力だにゃ…。」
そんな事を呟きながらふらふら〜と歩いてきたのは…ブリティだった。
少年達はブリティが探しているのが自分達だと即座に気付き、行動を開始する。
「またブリティか…。なんで今日に限ってついてないんだよ…!こんな所で邪魔されるもんか。皆、縄で縛って動けないようにするぞ!」
「うん!!」
20人の少年達は素早くブリティを囲うように陣取った。そして…ちょっと無理がある台詞を吐き始めたのだった。
「おい!ここで大人しくすればお縄頂戴だぞ!」
「バカ!悪い事をしたやつがお縄だ!こういう場合は尻尾巻いて逃げろだろ!」
「それも違うだろ!リンチするから逃げろだ!」
「はぁ…。バカばっかりで悪かったね。僕の疼く右眼が解放される前に…ここから立ち去った方が良いよ?」
「いいからさっさと縄で縛れ!」
途中で中二病が居たのは気にしないでおくにしても、完全に荒事に慣れていない事がバレバレの言動である。
しかし、悪餓鬼大将の指示が飛んだ瞬間に全員が統一された動きでブリティを縛りにかかった。しかも、全員が身体能力強化の無詠唱魔法を使用していた。
魔法使いがメジャーとも言い切れない白金の都で、魔法を扱う少年20人が集まっているというのは…中々の選抜具合である。
この少年達であれば、普通の大人は太刀打ち出来ないだろう。
だが、少年達は分かっていなかった。
…ブリティという少女がある意味で破茶滅茶だという事を。
「うにゃ!?いきなり幼気な少女のアタイに襲い掛かるとか…発情期にゃ!?…あ!しかも悪餓鬼大将発見にゃ!」
お笑い芸人並みのリアクションを取りながらも、悪餓鬼大将の姿を認めたブリティはここで素早い切り替えをして見せる。
既に肌に触れ、あとはクルクルと巻き付けるだけというほぼ詰みの状況から、一瞬で抜け出たのだ。しかも、その行動に加えて自身を狙っていた縄を手で持って5人の少年を縛り上げるというおまけ付きだ。
「悪餓鬼大将!昼間は逃したけど…今回はそうはいかないにゃ!」
ビシィ!っと犯人はお前だばりの指差しポーズを決めたブリティ。
しかし、悪餓鬼大将は口元にニヤニヤした笑みを浮かべて余裕感を漂わせていた。実力的には圧倒的な差がある事を理解している筈なのに…だ。
「ブリティ…これを見ろ!」
そういって悪餓鬼大将が取り出したのは…特大煮干だった。
「はっ!?そ、そ、それは…!中々手に入らない特大煮干だにゃ!?口に入れた時の芳香な香りと、主張しすぎない骨のパリパリ感が堪らない逸品だにゃ!それを何処で手に入れたにゃ!?」
「ふん。そんな事言うか。これをやるから…俺達を見逃せ。」
「う…!む、難しい注文だにゃ。依頼をちゃんとやらなきゃいけないから、アタイはあんた達を捕まえなきゃいけないにゃ。でも、でも、でも、特大煮干は…魅力的すぎるにゃ…!」
理性と本能の狭間で揺れ動くブリティ。
後は…煮干しを与えれば悪餓鬼大将達の勝ちになる。…その筈だった。しかし、小さくも決定的な出来事が起きてしまう。
ポキン
と、悪餓鬼大将の持つ煮干しが折れたのだ。
折った犯人は…悪餓鬼大将自身。ブリティとの緊迫した交渉(笑)の緊張から、煮干しを持つ手に力が入ってしまい、折ってしまったのだ。
普通であればこの程度、どうって事のないハプニング。いや、ハプニングにもならないだろう。
しかし…相手が悪かった。
「…煮干しさんが折れた…にゃ…?」
「はん!だからなんだってんだ!この煮干しをやるから、早く立ち去れって言ってんだろ!」
あくまでも自身の勝利を疑わずに強がる悪餓鬼大将だが…ブリティの目を見て身を竦みあがらせた。
スカイグレーの瞳が…猫の瞳へと変わっていた。
「ひぃ…!?」
「許さないにゃ…。煮干しさんは、頭から尻尾まで齧るからおいしいにゃ!それを真ん中で折るのは、身を呈して乾燥した煮干しさんへの冒涜にゃ!」
「え…!?いや、ちょっと…!!」
「成敗にゃ〜〜!!!!」
煮干し愛から怒りを露わにしたブリティ。
怒った猫は怖い。窮鼠猫を噛むという言葉は油断していない猫には中々通用しない言葉。従って、鼠の立場である悪餓鬼大将達が怒りのブリティに敵う訳もなく、1分後には全員がお縄頂戴状態で裏路地の中央に纏め上げられていた。
「ふぅ…悪人の成敗完了にゃ!」
ポンポン!と手を叩いてやり切った表情のブリティである。片足は少年の肩に乗せて、ハードボイルド映画の主人公ばりのポーズを決めていた。
「こ、これは…!」
こんな状態の裏路地に驚きの声を出して歩み寄ってきたのは…魚屋店主だった。
「あ、魚屋店主さんだにゃ!ご覧の通りに悪餓鬼大将を捕まえたにゃ!」
「あ、あぁ。お手柄だな。」
「にゃはは〜!煮干しは正義なのにゃ!」
楽しそうにくるくる回るブリティ。
その姿を笑みを湛えながら見ていた魚屋店主だが、次第に目を細め…ズボンのポケットに手を忍び込ませ…腕の筋肉に力が篭る。
「そこまでよ。」
しかし、後ろから掛けられた声にビクッと反応して動きを止めた。
振り向いた先に立っていたのは、夕日を背にして立つ…やけにカッコいい登場をしたクルルだった。
「あ、クルルさんじゃないですか。……見てください!ブリティさんが悪餓鬼大将達を捕まえて下さったんですよ!」
何か必死な様子で状況を説明する魚屋店主だが…クルルはその様子を見て小さく首を横に振った。
「三文芝居は結構です。今回のこの事件…もう真相は掴んでいますから。」
「…!?」
顔を引攣らせる魚屋店主と、身を強張らせる少年達。
「うにゃ?どういう事にゃ?」
そして、イマイチ状況を掴めずに首を傾げるブリティなのであった。




