16-2-3.ドッグテイマーズ現る!
恍惚な表情の女を睨みつけてミリアは叫ぶ。
今先程の風刃はこの女か、絡みつかれていた男が飛ばしてきたと考えて間違いないだろう。
「あなた達…何が目的!?」
女はニマァっと笑みを更に深める。口が裂けたかのような深い笑みは、何かしらの狂気をその内に秘めていそう…と感じさせるものだった。
「ふふ…アタシは、そうさねぇ。あんたが狙ってるもんを狙ってんのさ。だから、あんたにあの犬を渡す訳にはいかないねぇ。」
「犬を…あなたもあの犬を捕まえてサリーちゃんに会うのが目的なの?」
ピクリ…と女の眉が持ち上がる。
「ん…?ははぁん。面白いねぇ。まぁ目的は変わらないわけだし。これ以上話してても時間が無駄だわ。アタシの仲間が犬を捕まえるまでの時間を稼がせてもらうよ。」
シャキン…!という音と共に女の両拳の外側に爪が現れる。
一般的にクローと呼ばれる武器だ。通常の挌闘技に爪が加わったようなもので、リーチが長くなることや、拳での打ち合いが出来なくなることから格闘家からは忌み嫌われている武器でもある。
熟練したクローの使い手は、爪の間に相手の剣を巻き込んで折ることすらやってのけるというのをミリアは聞いた事があった。
「ったくよぉ、なんでこんな娘っ子相手に戦わなきゃなんねぇんだ?」
女が臨戦態勢を取ったのを確認した男(ベンチに座っていたもう1人)が立ち上がる。
そして、女と同じく拳の外側に爪を出現させた。クロー使い2人との戦闘…間合い取りを間違えれば致命的な攻撃を受けてしまう可能性が高い。
(これは…油断できないかも知れないよ。)
思わぬ所での戦闘の気配…しかもクロー使いという初見相手にミリアは警戒を強める。
ミリアの目付きが鋭くなったのを確認した女は、爪を舌で舐め上げた。
「さぁて、せめて戦うんだから名乗りくらいしようかねぇ。アタシはザキシャ=ヨムリムニ。ドッグテイマーズの頭をさせてもらってる。」
「…私はミリア=フェニー。何でも屋ミューチュエルの店員です!」
「ははっ!店員とは面白いねぇ!…その佩剣は使わないのかい?」
「これは…うん。使わないよ。」
「舐められたもんだねぇ。おい、やるよ。」
「任せとけ。」
ザキシャと男が腰を少し屈める。
(…来る!)
動いた。ザキシャは右から、男は左からの挟撃だ。
相手の拳に装着された爪は3本ずつ。計12本の爪がミリアに襲いかかる。
ザキシャは斜め下から、男は真横からの切り裂きだ。
拳と同等の速さで動く爪に対して、通常の迎撃を行うだけではジリ貧になる事が目に見えている。
故に、ミリアは前へ走った。6本の爪がミリアを追いかけるが、腕の範囲外に抜けたミリアを捉えることは叶わない。そして、ミリアは軽く跳躍するとザキシャと男の肩に足を乗せ、内側に引き寄せた。
「うわっ!」
「くそっ…!」
強制的に体を寄せられた男女が絡まって転がっていく。
ベンチで絡み合っていた時よりもやや卑猥な感じがするのは…それぞれの顔の位置が原因だろう。これ以上は表現自粛。
「よしっ!」
着地したミリアはニカッと笑うとピースサインを向ける。
「いたたた…。思ったよりもやるじゃないか。」
男の大切な所に顔を埋めていたザキシャは、起き上がりながら楽しそうに笑う。
「もう諦めた方が良いと思うよっ?私、そんな簡単に負けないもん。」
「はっはっはっっは!それはアタシ達も同じさ。負けないし、負けられない。それだけのものを懸けてるからねぇ!」
相変わらずニマァっとした笑みを浮かべたままのザキシャだが、両拳の爪に変化が現れた。
ボワっと淡く光り始めたのだ。
(魔力だね…。さっきの風魔法かな?)
相手が魔法を使ってくると予想したミリアは佩剣に手を伸ばすが、触れる直前でピクッと動きを止めた。
(どうしよう…クルルには街中で『力』を使わない方が良いって言われてるし…。)
一瞬の躊躇い。だが、戦闘において一瞬の空白は致命的な結果へ繋がることも往々にしてあり得る。
当然の如くミリアの躊躇が生み出した隙をザキシャは見逃さなかった。男の肩をポンっと叩くと瞬く間にミリアとの距離を詰める。
先程よりも圧倒的な速度での接近にミリアは反応が一瞬遅れてしまう。
予想外の速さという動き、そして躊躇という空白…この2つが重なり合わさる事でミリアはザキシャの攻撃に全く対処する事が出来なかった。
「もらったぁ!」
容赦なき一撃。風の力を纏った爪がミリアの体を切り裂いた。爪の切り裂きに加え、風魔法による強化と吹き飛ばしが確かな手応えをザキシャに伝える。
仰け反るように宙を舞うミリアの体。それだけでも十分に思えるが、ドッグテイマーズを名乗る男女に容赦という言葉は存在しなかった。もう1人の男の爪が宙を舞い無防備なミリアの体に上から叩きつけられたのだ。
この攻撃は切り裂きよりも打撃力に魔力が割り振られていて、爪の直撃と共に円心状に空気が弾け、ミリアは砲弾の如く下へ吹き飛ばされる。
そして、地面に激突したミリアは四肢を投げ出して横たわった。
見事なコンビネーション。深い切り傷に、全身骨折。ミリアの戦闘不能は確実だった。
遠巻きにこの戦いの様子を見ていたカップル達から悲鳴の声が上がる。女性が切り裂かれ、無惨に叩きつけられたたのだ。無理もないだろう。
携帯電話で警察に電話を掛ける男も出る始末。
「…ふん。もう少し骨があるかと思ったけど…大した事なかったねぇ。」
「まぁ俺たちにかかればこんなもんって事だな。さっさと犬を追いかけようぜ。流石に目があり過ぎる。
「そうだねぇ。あの犬からは大きな金の匂いがするからねぇ。」
野次馬が多過ぎるのは彼らにとっても得策ではない。
さっさと歩き出すザキシャと男。白黒のシマシマのTシャツを着た2人の姿は、ペアルックのカップルにしか見えなかった。
つい今しがた…1人の女性をぶちのめしたとは思えない。
「ちょっと…待って。」
後ろから聞こえた声にピクリ…とザキシャの動きが止まる。そして、首をゆっくり後ろに向け…目を細めた。同時に口が笑みを形作る。
「どういう事だい?」
「それは…秘密。」
目を閉じたミリアが立っていた。2回も爪で切り裂かれた筈なのに無傷で。常識で考えればあり得ない現象。本人の体が無傷なのはおろか、服にすら何の痕跡も無い。
まるで先程の連携攻撃が嘘だったかのように。
「これはこれは…想像以上の獲物みたいだねぇ。」
「私…怒ったんだよ。」
ユラリ…とミリアの瞳が開かれる。
「……ん?」
ザキシャはミリアに違和感を感じる。ミリアの赤い瞳は燃えるように…。
しかし、それを追求する前に局面が動いた。
「よっし!」
突然、ミリアが元気よく叫んだのだ。なんというかシリアスさの欠片も無い言動にザキシャは呆れ顔を浮かべざるを得ない。
呆れ…というよりも理解が出来ないのかもしれない。何も出来ずに攻撃を受けた相手に対して、普通はここまで元気にはなれない。例え…それが無傷だったとしてもだ。
ザキシャの腕には確かにミリアの体を深く抉った感触があったのだ。
だが、ミリアはそんな事、意に介して無かった。いつも通りの元気なミリアちゃんが炸裂する。
「ザキシャ…!私、もう怒ったんだからねー!そこの植木に仲良く並べたげるんだから!」
プリプリプンプンミリアの姿がブレる。
次の瞬間、ザキシャの視界が上下反転していた。…ミリアの足払いを受けて体が回転したのだ。
「えいっ!やーっ!とーっ!!!」
足払いからの蹴り上げ、追従して回し蹴りからの蹴り落とし。何の反応もできないままに連撃を喰らったザキシャは植木スペースの土に頭から突き刺さった。
その前に着地したミリアはVサインを残りの男に向ける。
「いっちょー上がりっ!」
ザキシャがあっという間に倒された事実に男は及び腰だ。先程の強気はどこにいった。
「ま、マジかよ。」
「君には目的を話してもらうからね!」
Vサインをビシッと指差しに変えたミリア。ポーズ的には「犯人はお前だ!」と瓜二つ。
「く、くそ…!覚えてろ!」
良くある逃げ台詞を吐いた男、はズボンから丸い何かを取り出すと地面に投げつけた。
ボンっ!という音と共に広がる煙幕。
「……。あーっ!」
煙幕の目的に気付くのが一瞬遅れたミリアが植木とお友達になったザキシャの所に駆け寄るが、既に彼女の姿はなくなっていた。
「…逃しちゃった。」
まだ辺りには煙幕が立ち込めている為、視界はかなり悪い状態だ。
(このまま私もここから移動しちゃおうかな。ちょっとだけ『力』も使っちゃったし。警察呼んでる人もいるみたいだし…。)
遠くには警察のサイレンも聞こえ始めている。あまり長居をすると警察の厄介になってしまいそうだ。それ自体に問題は無いが、犬を追いかけている今…その時間ロスは大きな痛手だった。
ミリアは「てへっ」と小さく舌を出すと、サリーちゃん発見のキーとなるかも知れない犬がいた方向へ走り出した。
そして10分後。
周辺を探し回ったミリアは住宅地区外周でオシッコをしている犬…黒のフレンチブルドッグを発見した。
ここから先は紅葉が咲き誇るエリア。そこに迷い込まれると見つけるのが大変だったので、この場所で見つける事ができたのは僥倖と言えるだろう。
「いたー!」
意中の人に出会えたかのように満面の笑みを浮かべたミリアは黒のフレンチブルドッグに駆け寄っていく。
逃げられたらどうしようと言う思いもあったが、何となく逃げられない気がしていた。直感だ。
その勘は見事的中し、ミリアはその犬の頭を撫でることに…もとい確保に成功したのだった。
「よしよしっ!じゃあ…1度ミューチュエルに行こっかね?」
「ヘッヘッヘッ……ワン!」
嬉しそうにミリアへ返答をする犬。あくまでもミリア視点でそう感じているだけだが、少なくとも嫌われてはいなさそうだ。
「おー可愛いねぇっ!」
顔をクシャクシャと撫で回すと、犬は嬉しそうに短い尻尾を振った。
そして…立ち上がろうとしたミリアは犬の顔を見ながら、赤い瞳をスッと細めた。
背後に何かの気配を感じたのだ。ミリアに向けられる隠そうともしない監視の視線。
ドッグテイマーズが再び現れたと思ったミリアは、いつでも戦えるように態勢を整える。
「ちょっとしつこいと思うよ!」
そして、バッと振り向いたミリアが視界に捉えたのは…スーツを着こなしたオールバックの男だった。
「…執事?」




