16-2-1.愛しのサリーを探せ
巨体が歩く。ノシノシと形容するしか無い巨体は、脂肪がたっぷり付いた体を揺らして階段を降りていた。
そして、鼻歌を歌いながらキッチンに入り、用意されていたそれを手に取る。
その手に持つのは、お昼ご飯が乗せられたプレート。目玉焼きに鶏そぼろ、そしてご飯にマヨネーズをかけた特製プレートだ。
足取りは軽い。なんと言ったって愛娘と食べるお昼ご飯なのだ。不貞の息子は全く家に帰ってこないからこそ、愛娘との時間を大切にするのが日課なのである。
そして、軽やかにリビングのドアを開けた巨体の女性は、部屋の中を見て硬直した。
「そ、そ、そ、そそそそそそそそそそそ………そんな……………。さ、さ、さ、ささささささ…サリーちゃぁぁぁぁん!!!!!!!!!」
絶叫が響き渡る。
リビングの窓が半分程開いていて、白いレースのいかにも高級そうな刺繍があしらわれたカーテンが風に揺られていた。
サリーちゃん…失踪の瞬間だった。
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「むあぁぁぁ。よく寝た…。」
カーテンの隙間から差し込む陽の光が絶妙に顔に当たった事で目が覚めたミリアは、眠い目を擦りながら部屋を出て階段を下に降りていく。
階段の下からは香ばしい香りが漂ってくる。
その香りを嗅ぎながら、ミリアは昨晩の夕飯へ想いを馳せていた。
依頼を終えたミリアが食べたのは…すき焼き。特別に好きだというわけでは無いのだが、今年のミューチュエルの業績が比較的良いことから、クルルが用意してくれたのだ。
そのお肉の美味しかった事…思い出すだけでまた涎が口の中に溢れてくるというものだ。
「また食べたいなぁ。」
寝起きという事もあり、いまいちスイッチの入らない状態で1階に到着したミリアは、バー兼キッチンでトントンと小気味良い音を立てるクルルに声を掛けた。
「あ、クルルおはおょうぅ。」
「あらミリアおはよう。今日は思ったよりも早く起きたわね。」
「うんー。目が覚めちゃって。」
「今日も依頼が3件くらいあるわよ。もうすぐご飯が出来るからソファーにでも座って待ってて。」
「はぁーい。」
ホワホワ〜っとした気分のままソファーに座ったミリアはニュースを報道しているテレビをなんとなしに眺める。
「国会で大きな問題となっている博愛党の贈収賄事件に動きがありました。幹事長の秘書官が独断で金銭の授受を行なったと証言をしたとの情報が入っております!これについて博愛党の党員に突撃取材を敢行しましたが、皆カメラに対して無言を貫いて降り…。」
ピョコ。
「…ふぇ?」
突然股の間から出てきた尻尾に間抜けな声を出してしまう。
「へへへーぃ!朝の気が抜けたミリアの果実は私が手に入れるにゃー!!」
ズバン!とソファーの下からブリティが飛び出してミリアへ襲いかかる!
昨晩に続いて桃色シーンが繰り広げられることに…ならなかった。
ズガァン!
という激しい音を立てて店のドアが開け放たれ、1人の女性が入ってきたのだ。
「こ…こ……はぁはぁはぁ…はぁ……こ、ここザマス!?」
突然の…しかもかなりインパクトの強い訪問者に、ミリアは襲われる体勢で、プリティはミリアの服に手をかけた体勢で硬直する。
そして、フライ返しを片手に持ったエプロン姿のクルルが女性に近付いて営業スマイルを浮かべた。
「いらっしゃいませ。ミューチュエルへようこそ。」
「あ、あぁぁ…。合ってたザマス。私の娘が拐われたザマス!見つけて欲しいザマス!あぁ…可哀想な私のサリーちゃん…お金に糸目はつけないザマス!」
一方的且つ依頼受諾前提の話、そして語尾が「ザマス」というイライラを増長させる話し方に、常日頃から冷静さを心懸けるクルルの口元がヒクつく。
「と、取り敢えずこちらのソファーへ。ミリア、ブリティ、お客様よ。」
「はぁ…はぁ…。遠慮なく座らせてもらうザマス。なりふり構わず走ってきたから喉が渇いたザマス。ロイヤルミルクティーを…いや、ここには無いザマスね。何でもいいからお茶を持ってくるザマス。」
怯えるミリアとブリティがどいたソファーにドシンと座った女性は、店の中を見渡しながらそう言った。
「あら。ロイヤルミルクティーくらいありますよ?お待ちくださいね。」
女性に軽くお辞儀をしたクルルは鼻歌を歌いながらキッチンへ歩いて行った。…が、ミリアとブリティは見てしまう。クルルのおでこに大きな怒りマークが浮かんでいるのを。
触らぬ神に祟りなし。…ミリアとブリティは見なかった事にした。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ミルクと紅茶の融合した落ち着く香りが部屋の中に漂う中、ティーカップをソーサへ静かに置いたクルルは「ふむ。」と頷いた。
ソファーに依頼客の女性が座り、その対面にクルル達3人が座っている。
因みに、テレビがついているが見ているものはおらず、BGM状態だ。
「つまり、毎日リビングで朝ごはんを待っている筈のサリーちゃんが居なくて、リビングのカーテンが開いていたって事ですね。」
「そうザマス。」
「因みにサリーちゃんが自分から逃げ出した可能性は皆無ですか?」
「…失礼ザマス!サリーちゃんは私の愛を知っているザマス!」
唾が飛び散る。後でテーブルを念入りに拭かなくては…とクルルの思考が逸れている時に、ブリティの頭に閃きマークが現れた。効果音は「ピコン」。
「はいはいはーい!でもでも、時には過保…」
スコパァン!
再びのハリセン炸裂。頭を押さえて蹲るブリティ。
「この子の事は忘れて下さい。」
「は…はぁザマス。」
「なんでにゃん?!私も意見を言いたいにゃん!」
「ブリティ。静かにしなさい。」
「これは…人権の侵害にゃ!思想と発言の自由は万国共通にゃ!」
「ミリア。ブリティがいると話がややこしくなるから、2階に連れていってもらえないかしら。」
「を?分かったよっ。」
ブリティの手を引こうとミリアが手を伸ばすが、スルッと避けたブリティはテーブルの上に飛び乗った。猫並みの身軽さ。…いや、猫か?
「私は言うにゃ!愛は時にその人をしば…」
ゴィーン!
「ふにゃにゃにゃにゃ…。」
ブリティ撃沈。
「騒がしくて申し訳ありません。でもこれで静かにお話が出来るかと思います。」
そう言って微笑むクルルの右手には底が凹んだフライパンがクルクル回っていた。
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ブリティを部屋の脇に投げ捨て、ミリアと2人で並んで座ったクルルはコホンと咳払いをすると、仕切り直しを図る。
「話が逸れてしまい申し訳ありません。サリーちゃんの写真などはありますか?」
ブリティのお騒がせ行動に物申す事も出来たはずだが、女性…名前は愛子というらしい…は、高級そうなバッグから1枚の写真を取り出した。
「こちらザマス。あぁ…サリーちゃん…。」
「拝見します。あら、可愛らしい方ですね。」
受け取った写真には黒のロングヘアが可愛らしい女の子が写っていた。一緒に写っているフレンチブルドックのブサ可愛さが、女の子の可愛らしさをより強調している。
「分かりました。この子を見つければ良いんですね。」
「お願いザマス。」
「では、まず行先に心当たりは…当然ないですよね。」
「そうザマス。行っている場所が分かるなら、お金に物を言わせて乗り込んでいるザマス。」
「では…誘拐の可能性も見ていますか?」
「それは…あると思うザマス。時々不良みたいな連中が家の周りをうろついている事があったザマス。下手に手を出してくるレベルのチンピラじゃぁ無いと思って放っておいたザマスが…、彼らが犯人の可能性もあるザマス。」
「なるほど…。分かりました。まずはそのチンピラを中心に情報収集してみましょう。また、チンピラが関係なかった時が怖いので、目撃情報も同時に集めます。」
「お願いザマス。私に出来る事であればなんでもするザマス。」
「はい。その時はまた連絡をします。それで報酬ですが…。」
「言い値でいいザマス。愛娘の命に金額はつけられないザマス。ま、あまりにも法外な金額を要求されたら訴えるから、そこは上手く見極めるザマス。」
こんな感じで依頼の受諾はスムーズに進んだのだった。
話を中断させる存在がいない事の貴重さを噛み締めるクルルだった。
因みに、ミリアは特に話す事も無いので、静かに横で聞いているだけだった。
そしてザマスおばさんの愛子が「見つけなかったらこの店を潰すザマス!」と言い放って帰って行った後に、ミューチュエルでは3人がミーティングを行おうとしていた。
愛子が依頼者の癖に何故か偉そうな点に関しては、全員が黙認している。
これだけ我儘な依頼人であれば断っても良かったのだが、依頼の本質に関する見極めが得意なクルルとミリアの2人共が「悪意無し」と判断した為に依頼受諾となったのである。
「じゃぁ…今回の依頼について方針を話しますね。」
テーブルに併設された椅子に座ったクルルが指をピンと立てた。
依頼『愛しのサリーちゃんを探せ』
開始である。




