15-8-9.天地…そして中華料理店
許容できない現実。今、マーガレットは何と言ったのか。
「…今の話、本当なの?」
衝撃に揺れる火乃花の目を見たマーガレットは悲しそうに瞳を伏せる。
「ジェイドがこういう事で嘘を言う筈が無いですの。」
その言葉が無くても十分だった。火乃花はマーガレットが龍人の事を好いているのを知っていたし、そうそう簡単に悲しい表情を見せない強気な性格である事も把握をしていた。
そんな彼女が今の表情をしているのだ。それだけで信憑性は抜群だった。
「因みに…誰にやられたのかしら。」
「天地のセフらしいですわ。他にもテングって男もいるらしいですが、ほぼセフが1人でやり切ったみたいですの。あとは…ユウコが何回か姿を現したらしいですわね。」
「…だから姿が見えなくなった時があったのね。」
実際にカイゼがユウコと戦いを繰り広げていたが、何度か姿が見えなくなる時間があった。つまりそういう事なのだろう。
それにしても…情報が入ってくるタイミングが悪すぎた。今ここで聞いて士気を下げている場合ではない。相手はあの天地なのだ。
しかし…聞いてしまったものは聞いてしまったのだ。何とか心の中で折り合いをつける必要があった。
「因みに…龍人君とレイラが命を奪われたっていうのは、確実に確認をしたのかしら?」
「いえ、龍人は吹き飛ばされて爆発に巻き込まれて魔力反応が無くなって、レイラは突き刺されたらしいですの。でも、誰かが死んでいる事をちゃんと確認した訳ではないらしいですわね。」
「ってなると、まだ可能性はあるわよね?」
「限りなくゼロに近いとは思いますの。楽観は出来ませんわ。」
「でも、それでも、可能性が少しでも残ってるなら…私は前を向くわ。こんな所で立ち止まるわけにはいかないもの。」
「…そうですわね。…えぇ。そうですわ。私は……龍人を信じますの。」
その想いが、願いが届くかは分からない。僅かな望みに縋っているのかも知れない。
それでも、それを支えに進むしかなかった。
「マーガレット。先ずは天地を倒しましょ。」
困難だが、火乃花はお使いを済ませるかのように言ってのける。
「そうですわね。まだまだやる事は多いですわ。こんな所で躓く訳にはいきませんもの。」
その言葉を受けるマーガレットも、気丈な言葉を発した。
一度は挫けかけた気持ちを鼓舞する2人は、ミータとアクリスを相手に余裕の立ち回りを続けるキールを見ると、互いに視線を合わせて頷きあった。
そして、倒すべく攻撃魔法を…。
「ちっくしょ!こいつ…偽物だ!ってか只の影じゃねぇか!」
キールへ攻撃を仕掛けるつもりだったのだが、カイゼの悔しそうな声が其れを遮る。
何が起きたのかと見れば、ユウコが腹を掻っ捌かれていた。…のだが、何かがおかしい。傷口から黒いものがユラユラと見えていて、それなのに出血をしていないという異常な状態。
火乃花は瞬時に状況を理解する。カイゼが戦っていたのはユウコが操る影という事。それが最初からなのか、途中から入れ替わったのかは分からない。しかし、ここでユウコの姿を見失っているという状況は危機感を募らせるものだった。
(もしかして…!)
今更ながらに思い出す。天地の目的が東区陣営の中央付近にある中華料理店であることを。
最初にキールがそれを言った時は、なぜそんな事をわざわざ言うのかと思って取り合わなかった。それこそこちらを困惑させる為の虚言だと判断していたのだ。
だが、しかし…それが本当の目的で、あの時点で火乃花達に天地の目的を話し、火乃花達が妨害すべく動いても問題がないと判断しての言葉だったとしたら。その時点でユウコが影と入れ替わっていたと仮定したら…。
「最悪の事態ってこともあり得るわね…。」
そして、どうやら横にいるマーガレットも同じ判断をしたようで、身を翻すと火乃花に声を掛けて走り始めていた。
「火乃花!中華料理店へ行きますわ!そこにユウコが居るはずですの!」
「えぇ!」
2人の巨乳魔法使いが走り出すのを見たキールは薄っすらと笑みを浮かべる。両サイドから放たれるミータの音魔法とアクリスの爆発を伴う格闘攻撃を受け流しながら笑う。
「すいませんねぇ。もう、手遅れなのですよ。」
キールがそんな言葉を漏らした事など知らない火乃花とマーガレットは全力で東区陣営を駆けていた。事情を知らない人が見たら、敗走して逃げている…とも見えなくはないが、2人の必死な表情をみた他の魔法使い達は退っ引きならない事情があるのだと判断して2人に追従する選択を取っていた。
そんな魔法使い達にマーガレットは的確に指示を飛ばしていく
「メンバーを4部隊に分けるのですわ!目標は陣営中央付近にある中華料理店ですの!そこを四方から攻めますわよ。各部隊から2名前後で突撃チームを編成して、準備が整い次第、突撃を敢行しますわ。その他の人員は後方で状況に合わせて動きなさい!」
「分かりました!皆、すぐに編成を行う!走りながら分かれるんだ!」
「あと、戦力が偏らないように調整も行うのですわ!どこかが崩されると敵を逃す可能性がありますわ。私と火乃花は各部隊の攻撃の状況に合わせてフリーで動きますの。いいですの?敵は…天地のユウコ=シャッテンである可能性が高いですわ!使う属性は【影】。形も硬度も自由に変えられる厄介な能力なので、そこも全員に通達しなさい!」
「はい!」
なんとも統率の取れた動きである。いつの間にか、火乃花とマーガレットの周りには20名程の魔法使いが集まっていた。各部隊が5名ずつに分かれていく。
そこに戸惑いなどは一切感じられない。
(こうやって見ると、南区の魔法使いは少し平和ボケしている感が拭えないわね。)
そんな感想を抱きながら走っていると、目的の中華料理店が見えてくる。
店の外観は至って普通。中華っぽさも特に感じられない普通の店構えだ。
だが、見た目は普通だが様子はおかしかった。なんと言うか、建物から禍々しい魔力が発せられているのだ。
中華料理店の前に到着すると、4つの部隊すぐに建物の四方へ分散、待機する。
そして、全員の配置が済んだのを確認したマーガレットの合図をキッカケに、合計8名の魔法使いが中華料理店に飛び込んでいく。正面入り口から、窓から…と、出入り可能な場所から分かれての侵入。
これほどの人員が同時に攻め込めば、普通は対処に手間取るはずである。…のだが。
結果は…すぐには表れなかった。というよりも、静か。飛び込んだ8名の内、1人でも魔法を使えば何かしらの音などが聞こえるはずだが…まるで店の中に飛び込んだ全員が寝返ったかのような静けさである。
「マーガレット…嫌な予感がするわ。」
「ですわね。突撃部隊の全員が無力化された可能性が高いですわ。」
「物音が一切聞こえなかったのが気になるわ。」
「えぇ…。こうなったら私と火乃花で乗り込みますわよ。」
「…それしか無いわね。」
火乃花の返事を聞いたマーガレットは引き締まった表情で中華料理店を取り囲む魔法使い達に待機の指示を出す。
「行きますわよ。」
「分かったわ。」
そして、2人は警戒をしながら中華料理店へ近寄っていく。
店までの距離は役10m程。歩けばすぐの距離だがこの時ばかりはやけに長く感じる距離だった。
足を踏み出す時、体が前に出る時、後ろ足を離す時。すべてのタイミングで敵からの攻撃に対処できるように神経を使いながら近寄っていくのだ。1秒が、コンマ1秒がある意味で非常に濃厚な時間だった。
そして…実際には1分にも満たない時間で中華料理店の正面玄関に到着する。
入り口の両脇には龍と虎を象った彫像が設置されていて、やけにリアルに彫られたその彫像は今にも動き出しそうなほど精巧な作りだった。通常であればその完成度の高さに思わず見惚れてしまいそうだが、今は逆にその存在が恐怖心を駆り立てる。
もしこの彫像が動いたら…そんな邪推が頭を過る。勿論ただの邪推であり、それが実現することがないのは十分に分かっているのだが。
「中に突入するわよ?」
「えぇ。どんな罠が仕掛けられているか分かりませんわ。最大限の注意を払って行くのですわ。」
「えぇ。」
火乃花はやや古ぼけた中華料理店のドアをゆっくり押し開け、隙間から中を覗く。
(誰も居ないわね。でも…電気がついてる?)
電気…というのかは謎だが店の中はほんのりと淡い光に照らされていた。
人の気配がない事が気になるが、特段入り口時点での危険は無いようにも感じられる。
火乃花はそのまま静かに体が入る程度までドアを開けると、店の中に体を滑り込ませた。店の中は静かで、エントランスには大きな龍の彫刻が鎮座している。瞳に嵌められた赤い宝石だろうか。それが輝いているのが不気味である。
マーガレットと目を合わせた火乃花は、姿勢を低くしながら店の奥へ進んで行く。途中…暗がりの奥でなにかが蠢くのを見た気がして動きを止めたが、見間違いだったのだろうか。特に何かを見つけるという事は出来なかった。
「…マーガレット。あれ。」
「魔法陣…ですわね。」
2人が見つけたのは魔法陣だった。比較的大きめに描かれた魔法陣は淡い光を放っている。店内を照らしていたのはこの光だったのだろう。
「この魔法陣が何を目的に描かれたのか分かるかしら?」
「分かりませんわ。魔法陣は専門分野なので、私にはさっぱりですの。龍人が居れば…分かったかも知れないですわね。」
「…そうね。」
ふと出てしまった龍人の単語が原因で2人の間に重い沈黙が漂う。
中華料理店の中は…静かだった。それに、テーブルも綺麗に並んでいる。戦争が始まる前まで営んでいた店主は几帳面な性格だったのだろう。整然と並んだ椅子やテーブルは見ていて心地が良いくらいである。
(…でも、整いすぎてるわよね。)
火乃花はそこに違和感を感じていた。そもそも東区の魔法使い8人が突入したのだ。戦闘行為が行われたのであれば、テーブルや椅子は散乱しているべき。
それに…8人はどこへ消えたのか。戦闘行為も行わないで姿を消すなどという事があり得るのだろうか。
マーガレットも同じ事を考えていたらしく、周囲に視線を巡らせながら口を開く。…因みに、重い沈黙に関しては2人も言及せずになかった事にしようと努めていた。
「突入した8人の行方が気になりますわ。侵入して何も出来ずに捕まったのか…元々天地の工作員だったか…ですわね。」
「もし後者だとすると…私達が誘き寄せられた事になるわね。」
「えぇ。そうなるとマズイですわ。」
最初に飛び込んだ8人の魔法使いは、感じる魔力圧から其々が中々の実力者だったと火乃花は記憶している。
もし、その8人に襲い掛かられたら…命を奪うつもりで戦う必要があるだろう。決して負けるつもりはないが、手加減できる保証はなかった。甘いと言われればそれまでだが、やはり人の命を奪うという行為にどうしても抵抗感を感じてしまうのも事実。
これからどうやって動くのかを決めあぐねている2人は、耳に異音が飛び込んで来るのに気づく。
それは布を擦る小さな音。普通ならば気づかない程の小ささだが、今は静寂が支配する空間。その音ですら大きく存在を主張していた。
「…来るわね。」
「えぇ、しかも…姿を隠す気がない雰囲気がありますわ。」
なんと表現すれば良いのか。決して自分の存在を気付かせたいという訳でもなさそうだが、あえて隠す必要もないと感じている様な雰囲気。
今聞こえている布が擦れる音ですら、本気を出せば完全なる無音にできるのではないかと思ってしまう。
そして、音を発する存在が姿を表す。
魔法陣が薄く照らす店内の奥から最初に視覚を刺激したのは金色。
突入した魔法使いに金色を纏うものはいなかったはず。…となると、誰か。
金色はゆっくりと2人のもとへ近づいてくる。
(…金髪?…女?)
キラキラと輝く金色は髪だった。そして、体を包み込んでいるのは全てが黒の衣装だ。わかりやすい表現をするのなら忍者装束。
体にぴったりフィットの忍者装束は女体の起伏を強調し、彼女が細身でありながら巨乳であることをひと目で分からせる。
この服装からするに正体は…。
「良くこの場所に突入してきたわね。」
低めだが良く通る凛とした声が発せられる。
「私はユウコ=シャッテン。まぁ知っていると思うけれど。」
やけに律儀な態度が逆に怪しい。何かを謀っているのではないかと疑ってしまう。
「あなた…何が目的よ。」
「そうですわ。先に突入した8人の行方も教えるのですわ。」
喧嘩腰の火乃花とマーガレットを見てユウコはクスクスと笑いを漏らす。
セフと共にいる時の凛とした態度とは違う、女性らしさを感じさせる仕草。これが本当の彼女なのだろうか。
「そんな一気に言われても困るわね。じゃあ、先ずはマーガレットの質問に答えようかしら。」
パチン…とユウコが指を鳴らすと、床から蠢く影が現れる。その数…8つ。
影は柱のような形になると、グニュリと蠢いて中央部分が窪んでいき…そこに顔が現れた。…突入した8人だった。全員生きているのかは分からないが、安らかな顔で目を閉じている。
「皆を放すのですわ!」
怒りを隠せないマーガレットが怒鳴るが、ユウコは微笑むような態度を変えない。
「そして、火乃花の質問にも答えるわ。私の目的はこの中華料理店内に魔法陣を完成させる事。もうその目的も済んだ。」
「だったら…皆を捕まえておく必要はないですわよ?」
「ふふ…。あなた達、私の事を甘く見てないかしら?全ての物事にはリスクヘッジが必要。だから、この8人はあなた達2人に対して有効なのよ。」
「…どういう意味ですの?」
怒りを隠しきれないマーガレット。
「隣のあなたは私の言葉…わかるわよね?」
ユウコは火乃花へ話を振る。まるでマーガレットをなだめろと言わんばかりに。
(………。)
火乃花は思う。今の状況が相当悪い事……普段のマーガレットだったらすぐに気がつくだろう。それに気付けていないという事は、彼女がそれだけ仲間想いであるという事。
その彼女に今の状況から推測し得る事を伝えた場合…より激怒する可能性もあるのが何とも言えないポイントではある。
しかし、言わないわけにはいかない。故に火乃花は重たい口を開いた。
「あの8人は…私達が魔法陣に手出しができないようにする為の人質よ。」




