15-8-5.黒き龍
セフの握る正宗が鋭く連続で空間を走る。その動きに合わせて刃から放たれる冷気が黒き龍を凍らせんと猛威を振るう。次々と放たれる冷気は黒き龍の行動範囲を少しずつ狭めていき、遂にはその身を捉える。…が、
「グルぁ!」
という気合とも取れない声と共に闘気が発せられて冷気を吹き飛ばしてしまう。鱗の表面がやや凍ったようにも見えるが、この程度で動きに大きな障害が出るとは思えなかった。
実際、黒き龍は鱗の凍結を一切気にすることなくセフへ襲いかかる。魔獣に相応しい荒々しい行動だ。その腕には黒い魔力が集中していて、ゆらゆらと揺れている事からも強大な破壊力を秘めているという想像が容易に出来る。
黒き龍の踏み込みの鋭さは息を飲むものがあったが、相対するセフは至って落ち着いた対応に終始する。
「ふん。獣の知能では分からないか。」
セフは黒き龍を獣扱いという(いや、実際にも間違ってはいないのだが)馬鹿にした言い回しをすると、再び正宗を振るう。
すると…なんの前触れもなく其処彼処で爆発が発生した。それらは連鎖的に発生し、爆煙が立ち込めていった。そして…黒き龍の体も突如爆発に飲み込まれるのだった。
政宗を振るった以外に爆発の起因となる行動がない上に、その行動から爆発を発生させる結果に結び付く過程が想像出来ない。セフと黒き龍の戦いを遠巻きに見る南区の魔法使い達は驚きを隠すことが出来なかった。
可能性があるとしたら、オレンジと氷の刀身となった正宗に隠された能力…という事だろう。
濛々と煙が立ち込める中、セフは正宗の刀身を元の銀色に戻していた。これで倒したという確信を得たのだろうか。少なくとも…多少なりともダメージを負っている筈である、
しかし、ブワッと煙が内側から押し広げられると々黒いレーザーがセフの喉元を目掛けて伸びる。
「ほう…。」
正宗が下から斜め上に振り上げられ、レーザーの軌道をズラす形で直撃を防ぐ。目標を見失ったそれは近くの大岩に直撃し、小規模且つ高密度の爆発を伴って完全に消し去った。
奇襲ともとれる攻撃を難無く逸らしたセフは、その結果を見届けると、煙の中から姿を現した黒き龍へ改めて向き直った。
「面白い。」
セフが再び正宗を構える。刀身は再びオレンジと氷のそれに変わっていた。
対する黒き龍にも変化が現れていた。それまで体の周りに漂っていた黒い靄が消え去り、代わりに小さくキラキラとした何かが舞っている。綺麗…と表すればそれだけだが、そのキラキラとしたもの1つ1つに魔力が込められているのは、魔法使いであれば簡単に看破できる事実でもあった。
両者に言葉は無い。ただ、互いに『戦う』という共通認識があるだけ。
それだけで全てだった。
両者は視線を交錯させ、一呼吸の間を空けて攻撃を始める。
セフは正宗を連続で走らせ、冷気を黒き龍に向けて乱発する。
対する黒き龍が見せた行動は、南区の魔法使い達に衝撃を与える物だった。それは…周りに舞っていたキラキラしたものが集合したかと思うと、魔法陣を形成したのだ。
それは…龍人が使用していた構築型魔法陣と非常に酷似していた。だが、酷似しているというだけで…どこかが本質的に違っている。言うなれば、構築型魔法陣の一歩先へ昇華した姿にも見えた。
そして、この一瞬で魔法陣を形成出来ると言う事は、黒き龍が取り得る戦術パターンが多岐に渡るという事を意味する。
…冷気と爆発が破壊を繰り返し、黒き龍の操る様々な属性魔法が場を支配していく。
セフと同等の実力を有する黒き龍が、セフよりも多い属性を操るという事。ここから導き出される結論は1つ。
余程のことが無い限り黒き龍が勝つという結論である。
それまで優勢を保っていたはずのセフは、黒き龍の操る暴力的でありながら洗練された攻撃魔法に追い詰められていく。
「…くっ。」
そして、セフの斬撃を受け流した黒き龍による横殴りの闇魔法を受けてセフは苦悶の声を漏らす。
くの字に折れ曲がった体が地面に叩きつけられ、その地点を中心に蜘蛛の巣状に亀裂が広がった。常人であれば全身の骨が粉砕されているであろう衝撃。
だが、流石のセフはそうはならない。叩きつけられた瞬間には体の軸をブラして回転するように立ち上がり、ほぼ同時のタイミングでお返しとばかりに闇の斬撃を黒き龍の脇腹に叩き込んでいた。
「グルルルル…。」
無傷。ギリギリのタイミングで魔法障壁が展開され、セフの斬撃はそれに阻まれて届かない。
黒き龍の強さにセフは目を細める。
「…ここまでとは。」
感心、驚き、呆れの感情が入り混じったひと言を呟き、噴き上がる爆発を両者の間に発生させて距離を取る。
そして、再び睨み合いへと移行する。
この2者が繰り広げる戦いの応酬は、周りで見るだけの者達に大きな衝撃を与えていた。
まず、レベルの高さ。セフの扱う魔法はこれまで見たことがない類の魔法であり、融合魔法をベースにしていることは分かる。通常、融合魔法は扱いが難しく、融合させた上で更に応用していくのにはそれ相応の技術が必要だ。これを当たり前に使用するセフは規格外という表現がぴったりである。
そして、その規格外のセフと戦い優勢を勝ち取りつつある黒き龍…これもまた規格外である。通常、魔獣に属する生物は魔法を操るが、人間以上に巧みに操る存在は稀有である。上位魔獣ともなれば人間と同等レベルで魔法を操るが、それ以上というのは上位魔獣の中でも一握りである事は間違いがない。
その一握りの力を持つ黒き龍は、更に稀有な魔法…キラキラと光るものを集合させて魔法陣を生成する。これは南区で龍人だけが使う事が出来る魔法陣構築魔法に似て非なるものであり、それを魔獣が操るのだから脅威的だ。
『もし自分がこの戦いに加わったら。』…そんな想像を両者の戦いを見ながら…恐らく全員が考えた事だろう。そして、その想像の中で対等に戦えると考える事が出来たものが果たして何人いるか。
第7魔道師団のルフトとミラージュでさえも呆気に取られて動くことが出来ない。遼も、ジェイドも。
「ぐる………グルルルルルァァアア!!」
セフと黒き龍の睨み合いを破ったのは黒き龍の咆哮だった。空に向けて感情をぶつけるように開いた口から怒りにも似た声を上げる。
同時に…無数の魔法陣が生成される。その数…100は下らない。
爛々と輝く魔法陣は発動間近であり、これが引き起こす事態…を想像するよりも前に現実となって襲い掛かる。
無数の魔法陣が顕現するのは数多の属性による爆撃だ。魔法陣からそれぞれの属性効果を有した光の線が空へ昇り、折り返し、地面を次々と穿ち始める。
この攻撃…無差別に思えるが、その実は違った。勿論誰もがその事実に気づいているわけではなく、爆心地で気づいていたのはラルフくらいだろう。
(この攻撃…関係ないような爆撃も全てセフを狙った攻撃になってやがる。回避地点を先に潰しながらのセフへの集中攻撃…。魔獣がここまで緻密な魔法を使えるとは。)
つまり、この多属性による爆撃魔法は自動爆撃ではなく、1つ1つの着弾地点を黒き龍が指定している可能性があるのだ。
もし…もしである、これを人が同じように行うとするのなら、それは通常の魔法使いであれば10人程度が集まって合同魔法で行わなければ厳しいだろう。100は下らない攻撃魔法を同時に演算処理をして着弾地点を決定し、操作するなど普通の魔法使いでは不可能な芸当だ。ランダムに周辺一帯を爆撃するだけならば、それに足りる魔力を有していれば可能ではあるのだが。
無数の属性攻撃の着弾によって巻き上がる砂埃で視界が段々と悪くなり、セフと黒き龍の姿が見えなくなっていく。
このまま攻撃が収束するかと思われたのだが、黒き龍は容赦が無かった。最後にもう一咆哮すると、魔法陣の輝きが一層強くなってそれまでの倍に近い属性の光が放出されたのだ。
それらが空に上がり、降り注ぐ風景は…満点の星空に咲き誇る花火のようで…。
「そうか…これで良い。はぁぁぁああ!」
空を彩る圧倒的な光景に誰しもが目を奪われる中、1人だけそれに抗う者がいた。
セフだ。銀色の挑発を靡かせ、腰をやや低めに落として魔力を高めていく。そして、愛刀正宗の刀身が光り輝く。その光は今までセフが見せた闇属性とは正反対の属性のようで…爛々と輝いていた。
温かい…とでも言おうか、禍々しさを感じさせない光は薄っすらと虹色のようでもあって。
「我が愛刀正宗よ、空に燦然と輝く数多の光を…斬り裂け!」
正宗が下から斬り上げられる。無造作…のように見えてそうではない、計算し尽くされた1撃。
光が世界を斬り裂いた。
見ている者達の感覚から音が消え、視界は光に埋め尽くされ、全ての感覚も吹き飛ぶ。
非現実感を与える光景は、だがしかしそう長くは続かなかった。視界に色が戻り、自分が地面に立っている事を思い出し…音は聞こえない。
静かだった。つい数秒前までの爆撃による混然とした状態が嘘だったかのような静寂。その理由は、色を取り戻した視界が映し出したものによって答えが与えられる。
静かに佇む黒き龍。その身に外傷は無く、極大の魔法を使ったセフを静かに睨みつけていた。
そして、その視線を受けるセフもまた無傷。正宗から発せられていた光は消えていて、セフ自体からも闘気が消えていた。緊迫…の場を遠慮がちに通り過ぎる風が彼の銀髪を靡かせ、その髪が奏でるサラサラという音すらも耳に届きそうな静寂の中で最初に声を出したのは…セフだった。
「フフ…。面白い。これがアイツの言う真の力がの1つだとしたら、価値がある。この上があるなら尚更。黒き龍よ…また会おう。」
「グル………。グルアァ!」
戦いは終わりとばかりに正宗を仕舞うセフへ黒き龍が襲い掛かる。狂爪がまさしく届かんとする直前にセフの足元から影が伸びてセフの姿を包み込み…地面に吸い込んんでいった。
空振りをした黒き龍は顔を周囲へ巡らせるが…すでにセフの姿も気配も無くなっていた。
この消え方…ラルフからしても不可解だった。
(セフの奴…何を考えてる?逃げたって言うには余裕感があり過ぎた。…今までの戦いはあの龍の力を試してたのか?立ち去ったって事は、奴の眼鏡に叶う実力では無かった?いや、それならあんな風に笑みを浮かべねぇ。ってなると、最低でも満足に足る力を持ってたってことになるな。その上で殺したり、捕まえたりせずに立ち去った理由……何を企んでやがる。)
かなりギリギリの戦いだったが、セフが立ち去ったという事は、この南区陣営に於ける攻防が一旦閉幕という事である。
まずは負傷者の確認を行い、中衛〜後衛に襲いかかっている半獣人の対処もしなければならない。
龍人とレイラが命を絶たれた…この事実はかなり大きく、重い。しかし、止まるわけにはいかないのだ。まだまだすべき事は終わっておらず、他区への天地襲撃が行われているという情報もある。
ラルフとしては、区という垣根を飛び越えて互いに助け合うという方針を取りたいところだが、まずはヘヴィーにその辺りの相談と決断を求めなければならない。
セフの襲撃によって一時はどうなるかと思ったが…黒き龍のお陰で難を逃れたと言えよう。
(…ん?)
何かが引っかかる。見逃してはならない問題があったような…。
(あぁ…そうだよな。やっべぇじゃん。)
そう。それまでは自分達に敵意を向けられていなかったから、あまり実感が無かったのだが…良く良く考えれば黒き龍が仲間の筈がない。
セフを狙ったのはその時その場に居た者の中で1番実力があると黒き龍が判断したから…という可能性が高い。そして、そのセフがいなくなった後、黒き龍が何をするのか…。
「そりゃぁ魔獣だもんな。」
「…ラルフちゃん何か言った?」
ちゃっかりとラルフの真隣をキープし続けるミラージュが魔女帽子を被った頭を傾げる。どうやら彼女は今の状況の深刻さに気づいていないようである。
…まぁ、最大の脅威が立ち去って安心する気持ちは分かる。なんと言ってもその脅威がセフだったのだ。現にラルフも一瞬安心していたという事実もあるのだから責める事は出来ない。
だが、そろそろ気づかなければならないだろう。脅威に。
「あのよ、あの龍いるだろ?」
「…うん?セフちゃんを追っ払ってくれた龍ちゃんだよね?」
「あぁ。あいつってさ、俺たちの仲間だと思うか?」
「……あ。えっと…そんな事ない…かな?と思う気もするんだよ。」
「だよな。…くるぞ。」
ラルフとミラージュがそんな会話を終えたのを見計らったかのように、黒き龍はグルンと首を回すとラルフの方へ双眸を向け、細め…咆哮する。
…ターゲッティング完了。
逃れられない戦いが再び始まる。




