15-8-4.黒き龍
突如響き渡った咆哮。
それに込められた膨大な魔力に全員の動きが止まる。
「なんだよこれ。新手の半獣人か何かか!?」
次元の刃を周囲に浮かべながら叫ぶラルフの表情は、忌々しそうに眉間へ皺が寄っている。
かく言う遼もラルフと同じ気持ちだった。セフという強大な敵を倒そうという時に、新たな半獣人が現れれば戦力の分断を余儀なくされてしまう。
それは単純に勝てる確率が下がるという事だ。
(しかもこの咆哮…相当ヤバイよね。)
ビシビシと肌に伝わる魔力は相当に暴力的で、とんでもない存在である事は疑いようがなかった。
そして、その咆哮はまるでそれまでが嘘であったかのように途端に途切れる。
嫌な静寂が一瞬横たわる。
そして…一番最初に反応したのはセフだった。彼の視線を追って上を見ると、猛然とした速度で何かが落下してきていた。
黒い色をしたその大きさは人サイズだ。人…では無いはずだ。
その黒い物体が近付くにつれて、落下に伴って荒れ狂う空気が辺りを乱し始める。
(ちょ、…ちょっとヤバくない?)
遼の予測が間違っていなければ、あの黒い物体は…相当量の魔力を内包している。もしあれが地面に激突すれば…魔力の解放によって着弾地点一帯が消し飛ぶ可能性があった。
しかし…だ、着弾まで目測で5秒程度。その短時間で迫り来る黒い物体を止めれるだけの魔弾を放てる自信がなかった。木の葉でそれが出来るのはラルフとセフ、そしてギリギリルフトとミラージュだろう。
(こんな時に龍人がいれば…!構築型魔法陣なら即座に対応出来るのに。)
しかしそれは龍人がセフに倒された今となっては叶わぬ夢。今は出来る限りの攻撃をぶつけるしかない。遼がその覚悟を決めた時である。予想外の動きが展開される。
「…ふん。」
…と、セフが鼻を鳴らすと正宗を落下してくる物体に対して振ったのだ。刀の軌跡をなぞるように魔力の刃が形成されて飛翔する。それは龍人の魔剣術【一閃】に酷似した技だった。少なくとも固有技名を言っていないので、そうではない剣技と魔法の応用なのだろうが。
魔力の刃と黒い物体が激突。これがもたらした結果は、周囲を砕く衝撃波の発生だ。
円心状に発生した衝撃波は地を砕き、そこにいる人々を吹き飛ばしていく。
(…なんて力だ!)
セフの見せた何気ない一撃に込められた魔力に戦慄しながらも、それを受けてもなお落下を止めない物体の正体を考察する遼。
しかし…全く予想が付かないのが現実だった。
そうこうしている内にセフの放った魔力の刃に押し勝った黒い物体が遂に地面へ着弾する。それも、セフが立っていた場所に。
着弾の衝撃は勿論…大規模な破壊をもたらした。着弾地点を中心に亀裂が全方位へ広がり、続け様に地面がめくれ上がって吹き飛んでいく。砂埃が舞って視界が遮られるのと同時に地に立っていた人々へ襲いかかるのは、横殴りの衝撃波だ。
衝撃波自体は魔法壁系統で防げるが、立つ地面まで守る事は出来ずにその場にいた人々の殆どが風に舞う木の葉のように吹き飛んでいった。
だが、勿論この暴力的な衝撃波が荒れ狂う中で立ち続ける者もいる。とは言え、それは2人だけ。
1人はセフ。少し宙に浮いた状態で全方位を魔法障壁で囲み、腕を組んで着弾地点を睨みつけている。
もう1人はラルフ。周囲1メートルを次元の位相をズラした球体で囲み、一切の衝撃に対して無影響の状態である。
この2人に共通する事。それは、互いを意識せずに黒い物体へ意識を注いでるという事だ。それ程までに脅威といえる感覚が肌を焦がす。
着弾の衝撃が収まると、形成されたクレーターの中に立つのはラルフとセフのみだった。その中心で黒い物体がゆっくりと動き出す。
「グルルルル…。」
獣のような唸り声を漏らすその存在は…龍だった。
黒…そして濃紫を基調とした体表は一見すると滑らかともいえる鱗に包まれている。開かれる双眸は血のように赤く、口から覗く牙は鋭い。頭に生える紫の角は太く力強さを感じさせる。なによりも目立つのは胸についた金色の装飾と、その中央にハマる深い青の結晶。それともう一つ…背中に浮く金縁の丸い鏡だ。鏡の部分は宇宙を映すかのように深く黒に近い青を映し出している。
特徴はそれだけではない。黒い靄がゆらゆらと浮かんでいた。まるでかつての…。
「グル…ルァア!」
黒き龍が咆哮する。直後、姿が消えていた。…と同時に横殴りの衝撃にラルフは吹き飛ばされた。
「がはっ…くそっ!」
地面を転がるラルフは口から血を吐く。今の衝撃で確実に肋骨がイッていた。下手をすれば折れた肋骨が肺に突き刺さる可能性も否めない。一撃が重すぎた。
(にして今の攻撃…魔力の感じがどこかで戦った事あるぞ。…過去に何度か龍とは戦ってるが、あんな姿をした龍は居なかったはず。ってなると、進化した姿で現れたってことか?)
ラルフの脳裏に今までの魔獣討伐が蘇る。
特に西区で脅威度の高い魔獣が出現した際は、第1魔導師団として何度も討伐に出ていた。そして、討伐に出た全ての魔獣を倒していた事を考えると…倒したつもりだったのか、その龍の家族的存在が復讐に現れたのか。
もしラルフを狙って現れたということになると…非常にまずかった。黒き龍から受けた負傷で…正直戦闘の継続は絶望的。次に攻撃を放たれれば…致命傷となりかねない。
「グルルルル…。」
黒き龍は静かにラルフを睨み付ける。視線を向けられただけなのに、全身を締め付けるようなプレッシャー。…最早規格外の存在と言わざるを得ない。
「…そうか。遂に現れたか。後は力量。」
そう呟いたのはセフだ。ラルフが一瞬で吹き飛ばされたのを見たセフは、無表情のまま目を細める。まるで商品を見定めるかのような目付きである。
「さぁ来いケダモノ。お前の力を試そう。」
「グル……。ガァァァァアア!!」
セフの姿を認めた黒き龍が吼える。そして、ブォッと身体中から魔力を放出した。最初の咆哮とは違う…怒りの感情を感じさせる咆哮だ。
対するセフは至って冷静。正宗を顔の横に構え、持ち手を後ろに引く独特な構えを見せる。ユラユラと刀身から魔力が立ち上り…。
両者は戦闘を開始した。セフが距離を詰め、突きを起点とした斬撃を放つ。しかも刀身はいつの間にか黒に染まっており、斬撃の軌跡に黒の線が残っていく。
目にも留まらぬ高速の斬撃はしかし、黒き龍が振るう腕によって尽くが防がれていく。
一方的にセフが斬撃を放ち、黒き龍が防御に徹しているように見えるが…そう見えるだけだ。黒き龍の防御はその一撃一撃全てがカウンターの攻撃を伴うもので、中途半端な斬撃を放てば手痛い反撃で負傷する事は間違いが無かった。
「グルアァ!」
幾度となくセフの斬撃を防いでみせた黒き龍は、鬱陶しいとばかりに声を上げた。その咆哮自体に含まれていた魔力が斬撃によって生まれた黒の線を消し飛ばし、セフを後退させる。
そして、黒き龍の周りに浮かんでいた靄が両手に収束し…球体を成した。
「ガッ!」
両手を振り上げ、野球ボールのように無造作な投球を行う。…が、そうであっても侮れない。黒の球体は螺旋のような軌道を描きながらセフへ迫り、宙へ飛んだセフが立っていた場所に着弾…黒の爆発が発生し、続けざまにブラックホール化して破壊したものを呑み込み…消し去った。
1発の球体で引き起こされる攻撃としては格が違いすぎた。一体野球ボール程度の球体にどれだけの魔力が凝縮されているのだろうか。
そして、黒き龍はセフ目掛けて黒い球体を次々と投げ始めた。
セフはその球体を次々と難なく避けていくが、球体が発生させるブラックホールが其処彼処に現れ、重力が歪み始める。故に、体勢の維持が少しずつ困難になっていく。
「厄介な。ならば。」
これに対してセフが取った行動は単純。故に効果覿面だった。
漆黒と貸した正宗を水平に凪いだのだ。勿論それだけでは無い。漆黒の刀身が突如伸び、周囲で荒れ狂うブラックホールを次々と上下に分断する。
重力場を乱されたブラックホールは自ずと瓦解していき、さらに水平に凪いだ黒の斬撃が黒き龍にも襲いかかる。しかし、何気ない腕の一振りでセフの斬撃は弾かれ、なんの痕跡も残すことが出来ない。
「…ふん。」
「セフ様。このままではこちらが不利に陥る可能性があります。ここは一旦引いた方が…。」
地面から湧き上がった影の中から姿を現したユウコがセフへ撤退を進言するが、セフはユウコの言葉に耳を貸そうとはしなかった。
「甘い。奴を相手に逃げるのは難しいだろう。俺たちの目的は達した。ならば、もう1つの目的も滞りなく達するべきだ。覚醒が条件であるのなら、もう少し。」
「しかし…セフ様の攻撃が効いている気配が…。」
「分かっている。故に…少し本気を出そう。」
「…!?……………分かりました。」
「お前は元の作戦に戻れ。ここは俺の…狩場だ。」
「…はい。」
ユウコは何かに耐えるように下唇を噛み締めながらも、セフの言葉に従って再び影に身を包んで姿を消した。
そのやり取りを静かに見守っていた黒き龍を見て、セフは口の端をほんの少しだけ持ち上げる。冷徹に見えるセフが珍しく表に出した感情表現だった。
「貴様…俺とここまでやり合う奴は珍しい。少しばかし本気を見せてやろう。」
「グルルル…。」
セフの握る正宗に変化が現れる。漆黒だったそれは…オレンジと氷が混じり合ったものに変わる。
「さぁ…お前がどこまで耐えられるか…見せてもらおうか。」




