15-8-2.喪失
風の檻に囚われた状態でセフの下へ引き寄せられていくレイラを取り戻すには、2つのパターンが推測される。
1つはセフの手元に到着する前に横から掻っ攫うパターン。当然セフからの妨害もあるだろうが、龍人かルフトのどちらかがセフの動きを止め、どちらかがレイラを助けるという方法であれば…まだ可能性は見える。
これが1対1だったとしたら絶望的だろう。セフ個人の強さは常人の域をはるかに超えていて、そうそう簡単に倒す事も出し抜く事も出来るとは思えない。
2対1だからこその可能性。まずはこのパターンを達成すべく龍人は夢幻の柄を強く握り締める。
(ちょっとの油断でレイラを助けようとする俺が殺される可能性もある。緻密に大胆にやるしかない…!)
なんとも難しい行動である。大胆に…というのは普段から行なっているような気もするが、緻密に…というのは縁がない気もする。しかし、それを確実に実行していかないとセフには全く敵わないという確信もあった。
ふと、龍人の脳裏にとある記憶が蘇る。それは、その当時の全力…に近い攻撃を簡単に躱され、一瞬で刺された記憶は今でも忘れる事が出来ない。まるで赤子の手を捻るかのように…そんな言葉がぴったりだった。
しかし、今はそれよりも成長している。強くなっている。やるしか無いのだ。
龍人とルフトの接近に対してセフの動きは緩やかなものだった。長い刀をゆらりと構え、静かに2人の動きを追う。0コンマ何秒の戦闘が繰り広げらるはずなのに、その時間がとても長く引き伸ばされたかのような流麗さ。それは熟練した技術があるからこそ成しえる動きなのだろう。
夢幻を構えた龍人は袈裟斬り予備動作をとった瞬間に指を鳴らす。
なぜこの場面で指を鳴らすのか。そんな疑問が過ぎったのだろう。セフの眉がピクリと反応するが…そんなの関係ない
「うっし!」
横を走るルフトは気合の声を上げると風刃を乱れ撃つ。視界が歪むほどの風刃群はセフの姿を霞ませる密度で襲いかかった。
それらをセフは長い刀身を最小限の動きで軌道を逸らししていく。まるで手品を使っているかのように、風刃が自身の意志で避けたかのように通り過ぎていく。
「へへっ…!本当に規格外だねっ!」
額から一筋の汗を垂らしつつも、ルフトは楽しそうに笑う。強敵と戦う事が楽しいのだろう。敵う敵わないという観点ではない。強敵と戦う事で自信が成長出来る、強くなれる。ルフトはそういう考えをする人物だ。
セフを前に一切の萎縮がないルフトは次から次へと攻撃を放っていく。そして、セフはその悉くをいなしていく。
「これなら…どうだ!」
そう叫んでルフトが放ったのは波動【風】だ。無詠唱魔法に属する魔法で上位に位置するこの魔法。無属性の衝撃波に属性【風】を付加して融合させたこの魔法は、衝撃波としての純粋な破壊力に風の斬撃力が付加された攻撃だ。
無属性衝撃波でも無く、属性衝撃波でもない。この2つが融合し、2つの効果を強制的に同時発現させるこの魔法は…純粋に攻撃力が非常に高い。しかも、ルフトが放ったのは波動の中でも中級に位置する、思考性を与えた波動だ。ルフトの右手から前方広範囲に放たれた波動【風】を避ける事は叶わない。
防御か回避か。セフが取りうるのはこの2つのどちらか。そして、それによってセフの動きが止まった瞬間にレイラを奪還する。…と言うのが龍人とルフトの作戦だった。…その筈だった。
「ぬるい。」
南区の擁する魔導士2人の連携を受けながら、その評価は低い。
「だが、その力は認めよう。我が愛刀正宗の力…その身に受けよ。」
セフの持つ刀身の長い日本刀が光る。そして、その色が黒に変わった。
(…なんだ?俺が龍人化を使った時に夢幻と龍劔の色が変わるのと同じ原理か?)
武器の色が変わるなど通常ではあり得ない。だからこそ、そう考えれば納得もいくのだが…何かが違う。
一瞬…黒の刀身がブレる。まるでホログラフィックのようにそこに存在していないかのような…。
「…まさか!?」
龍人の頭の中に最悪な想像が駆け巡る。もしそれが現実だとすると…このままではレイラを救うどころか龍人とルフトが倒されてしまう。
即座に行動に移す。狙うのはセフが刀を握る部分だ。
セフが正宗を体の左側に引き、横に凪斬りを放った。…予想通りだった。斬撃の刃が走った部分の空間が斬り裂かれ、そこを中心に黒い空間が広がる。それは…予想通りであれば属性【闇】による虚無の空間。全てを呑み込んで無に帰す絶対領域だ。
ルフトが放った直撃必至の波動【風】が吸い込まれる。まるでその空間に入るのが当然だといわんばかりに、一切の抵抗なく消えていく。
(セフが使う属性【闇】は…通常の闇のレベルを超えてやがる。闇が真っ暗でなにもかも消し去る…みたいな解釈による能力強化をしてるのか?)
魔法は使用者のイメージによってその威力は大きく変わる。例えば、レイラの治癒魔法。それは傷を治すという解釈を、元の状態に戻すという解釈に置き換える事で、たどり着く結果が同じだが…時間を巻き戻すという力を発揮する事が出来る。
このように解釈次第でその属性魔法が本来持ち得ない効果を生み出す事も往々にして有り得るのだ。
ひとつだけ言及すれば…今セフが使っている属性【闇】を基本とした解釈による無への効果は…異常だった。それが想像できたとしても、対象物を無に帰す…つまり消し去るという解釈を自分の中で消化して使用するなど…通常の精神では難しい。
(何がセフにそこまでの覚悟をさせてんのかは分からないけど…流石は天地の構成員って事か。)
レイラを助けられる筈の連携攻撃を簡単に破られるという現実。それはつまり、有利だった筈の状況が一瞬で不利な状況へと逆転された事を意味する。
しかし、これで負けるわけにはいかない。
だから…龍人は闇に向かって飛び込んでいた。
「…ほぅ。」
自殺行為にも等しい龍人の行動にセフが感心したような声を漏らす。そのまま闇に飛び込めば、龍人も波動同じく呑み込まれて消え去ってしまう。消え去らないとしても、ここではないどこかの空間に飛ばされてしまう事は確実だ。
だが、至近距離でこの攻撃を放たれた以上は中途半端な防御では簡単に破られる可能性が高い。だからこそ、龍人は失敗する可能性が高いが成功すれば逆転出来る可能性に賭けたのだ。
夢幻の切っ先が広がる闇の下を掻い潜り、セフの手元へと伸びる。正宗を振り抜いた直後のセフにはそれを回避する事は敵わない…はず。これで正宗を落とし、横っ跳びに回避を行い、側面から攻撃魔法を叩き込む。…これが龍人が一瞬で判断して選択した攻撃行動だった。
肝となるのは正宗を落とせるかどうかだ。夢幻の切っ先が迫り…柄に触れ…正宗を跳ね上げた。同時に横っ跳びに闇を回避した龍人は、魔法陣を連続展開して攻撃魔法を放つ。…が、正宗を落とした筈のセフの姿を見て目を見開いた。
あれ程の強突を受けたのにも関わらず、セフの手には正宗があった。なんの事はない。握力などが関係ない状態で手元と柄が固定されていたのだ。…凍りつかせる事で。
「くそ…!」
正宗を手放していないとなると、同じ攻撃を放たれる可能性が非常に高い。そうなれば龍人が今放っている攻撃は全て飲み込まれるだろう。
…事実、その予想は現実となってしまう。
セフは正宗を踊るように閃かせ…闇がセフの姿を覆い尽くす。龍人の放った攻撃魔法と、反対側からルフトが放った魔法は…全てが闇に飲み込まれて一切のダメージを与える事が出来ない。
「…しまっ……!レイラ!」
時既に遅しだった。
セフが自身の放った闇に呑み込まれるのと同時にレイラの姿も闇の中に消えてしまう。
渦を巻くように闇が立ち昇り…消え去ると、闇が形作った十字架に張り付けられたレイラと、その横に立つセフがいた。
「終わりだ。」
感情なく、龍人とルフトにこれ以上の戦いが無い事を告げるセフ。
「いや…終わらせない。」
「無駄だ。」
「何が無駄だ。俺はレイラを助ける。お前の隙になんかさせない。」
「この状況だ。諦めろ。」
そういったセフは正宗の切っ先をレイラの首筋に押し当てた。鋭利な刃先に柔肌が切り裂かれ、赤い筋が垂れる。
しかし、龍人は諦めなかった。
「諦めるかよ。俺は、これ以上大切な人達を失いたくない。」
「…そうか。」
不可解だった。諦めない姿勢を崩さない龍人の言葉を聞いてセフが口元を歪めたのだ。表現するならば思惑通りといった感じの笑い方だ。このまま攻め込んで本当に良いのかという感覚が生まれるが、龍人はそれを無意識に押さえつける。
「くらえ…!龍劔術【龍牙撃砕】!」
夢幻の左右に魔力の刃が生み出され、龍牙の如くセフをその咢でかみ砕く。
…しかし、下からの切り上げが振りぬかれる前に龍人の四肢がガクンと動きを止めた。
「…は?」
見れば両手両足に黒いものが巻き付いていた。
見覚えのあるもの。…そう、ユウコ=シャッテンの操る影魔法だ。現に気付けばセフと闇の十字架を挟んだポジションにユウコが姿を見せていた。
ルフトも、周りにいるラルフ達も…全員の体に影が巻き付き拘束していた。
「ユウコ…てめぇ…。」
「何とでも言いなさい。私はあなたの敵よ。」
全身に力を籠めるが、影は鋼のように固く動くことが出来ない。ならば…と転移魔法を試みるが、魔法陣自体が発動しなかった。
「高嶺龍人…お前は大切なものを失った事があるか?」
「何を言って…。」
「俺は失った。そして、強くなった。絶望は人を強くする。秘めたるものを覚醒させる。」
「そんなの俺に関係あるかよ。」
セフが雄弁に語り始めたのは驚きに値するが、そんな事にいちいち驚いている状況でもなかった。しかし、セフはその龍人の態度になんら反応を示さない。
「関係ないと思っているのはお前だけだ。絶望による覚醒。それは俺が望むものだ。」
「……。」
動けない上に相手の身の上話を聞かされてどうしろと言うのか。焦りだけが募っていく。
セフが、正宗をゆっくりと持ち上げる。刀身はいつの間にかに通常の銀色の刃に戻っていた。
「お前も絶望しろ。」
「まさか……!?」
その言葉が意味するところを…今更ながら理解する。
「やめろ…やめろ!」
龍人の叫びは届かない。
そして、セフは正宗の長い刀身を素早く動かし…。
「うあぁぁぁぁ!!」
テングと戦っていた筈の遼が肩から血を迸らせながら飛び出てくる。テングの斬撃を受ける事を厭わずに、無理矢理振り切って助けにきてくれたのだろう。双銃の銃口が捉えるのは…勿論セフだ。
重力球が引力場を伴った遼の魔弾、重轟弾を放つ。
しかし…。
遅かった。
遼の重轟弾はユウコの繰り出した影の壁に阻まれ…。
細く長い刃が簡単にレイラの胸部を通り抜けた。
「あ…。」
絶望に等しい声が龍人の喉から零れ落ちる。
レイラの胸部を通り抜けた正宗の刀身を赤が伝い…地面へポタポタと垂れる。意識を失ったままのレイラは、二度三度体をビクビクと痙攣させると…ぐったりと動かなくなった。
大切な人が…殺された。
また殺された。レフナンティの時みたいに。
また…セフに殺された。
セフが殺したのだ。セフが。あの男が。
レイラの命を奪ったのだ。
龍人の視界が黒に染まる。
怒りと絶望が暴走する。
そして…龍人はここから先に何が起きたのかを…覚えていなかった。




