13-4-16.喪失
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アパラタスの各地区で同時に起きた暴動はスラム地区にも魔の手を伸ばしていた。暴徒と化したヤクザ風の男達がスラム地区に乗り込み、頑丈とは言えない家を手当たり次第に壊し始めたのだ。
その様子を孤児院の窓から観察していたリーリーは、後ろで怯えながら集まっている子供達に視線を送る。
部屋の中はカーテンを引き、光が外に漏れないようにしてある。しかし、ヤクザ風の男達は建物に人がいるいないを関係無しに破壊しているようで、この孤児院が襲われるのも時間の問題と言えた。
「怖いよ…。」
「なんで外の人達は暴れてるの?」
「やだよぅ…。」
子供達が漏らす声は恐怖によって震え、孤児院の中にいる子供達は互いの漏らす声を聞いて…更に恐怖に怯えていた。感情の伝播。このまま孤児院の中に留まっていても、暴漢に教わるのはほぼ必然。
(地下道を使って逃げるのが一番じゃのう。)
その地下道に暴漢が居ない保証はない。だが、留まっても逃げても暴漢に会ってしまうのなら、可能性が低い方に賭けるべきである。
「みんな…ここから逃げるんじゃのう。重たい物を持っていくのは駄目よ。」
「え、お人形さんは?」
「駄目よ。お人形さんを持っていくことよりも、全員が無事に逃げることの方が大事なんじゃのう。辛いかも知れないけど…我慢して欲しいんじゃのう。」
「そっか…。ビスト兄ちゃん…助けに来てくれないのかな。」
「僕…ビスト兄ちゃんが助けに来てくれると思う。」
そう言ったのは、小さな本を脇に抱えた少年だった。普段、その少年とビストが一緒に遊んでいる姿をあまり見た事は無いが、それでもこの場面でビストを信じている事を考えると、ビストが子供達の心の支えのひとつになっているのだろう。それを感じたリーリーは自然と口元が綻ぶが、直ぐに気を引き締めて子供達に指示を出し始めた。
「ビストもきっと来てくれるんじゃのう。だから、皆…すぐに逃げる準備をするんじゃのう。」
「うん!」
子供達がリーリーの言う通りに孤児院を出る支度を始めた時である。パリィン!というガラスが割れる音と共に「きゃぁぁ!」という女の子の悲鳴が孤児院の奥から聞こえてきた。
「まさか…!皆はここで動かずに待ってるんじゃのう!」
最悪の事態が脳裏に浮かんだリーリーは音が聞こえた方に向かって走り出す。このリーリー孤児院に居る子供達は、機械街という一切の無駄を排除した、効率を重視した星が生み出した被害者の子供達なのだ。この孤児院にいる子供達には、何の罪も無い。そして、子供達を手放した親にすら…いや、手放さざるを得なかった親にすら罪が無いのだ。全てはこの星が発展する為の犠牲。だからこそリーリーはこの孤児院でそういった環境の子供達を引き取って育てているのだ。
様々な思いが胸の奥から込み上げてきながら、孤児院の奥の部屋に到着したリーリーが見たのは…女の子の首根っこを掴んで卑しい笑みを浮かべている男の姿だった。
「はぁ…はぁ…。その子を放すんじゃのう!」
「あぁん?なんだてめぇ…あぁ、この孤児院の院長さんってとこか?てめぇみたいな婆さんに何を言われてもよぉ~…俺を止められるわけ無いだろ?命が惜しかったらさっさとどっかいきな。」
「それは…それは…出来ないんじゃのう。私はこの孤児院の子供達を全員無事に逃がすんじゃよ。」
「ほぉぉ。頼もしいじゃんか。なら…こうしたらどうするよ?」
その男は左手で掴んでいた女の子の首元に右手のナイフを突き付ける。
「あ…。」
リーリーはこの瞬間に理解する。全員の子供を助けるのなら、自分が命を散らす覚悟が必要である事を。人の命をなんとも思っていないこの男を相手に、自分にできる事は限られていた。
(いや…まだできる事はあるんじゃのう。じゃが、私がそれをしたら…この機械街のバランスが変わってしまうんじゃのう。だからこそ、私はこの孤児院で生きる事に…。)
思考が纏まらないリーリーの反応にイラついたのか、男が声を張り上げる。
「さっさと返事しろってんだよぉ!この子供…俺は死のうが何しようが知ったこっちゃねぇんだ。いいか、金目の物を全て集めるんだ。俺は…そうだなぁ、他の餓鬼がいそうな場所に移動でもすっか。」
「リーリー…怖いよぉ…あぁぁん。」
「うっせえ餓鬼だな!黙れってんだ畜生!」
男とはナイフをひっくり返すと、柄の部分で女の子の頭を殴りつける。鈍い音と共に、意識を手放した女の子はダランと四肢の力を抜いて人形のように動かなくなってしまう。
「おら。さっさと餓鬼どもがいる場所に案内しろ。その後に金目の物を集めてきてもらう。」
「…分かったんじゃのう。」
リーリーは男の言う通りに他の子供達がいる部屋に向けて歩き出す。…今、この状況で男に逆らったら、男の手の中に居る女の子の命が奪われる事は避けられない。どうにか隙を見て女の子を助け出すしか無かったのだ。
(今は大人しく言う事を聞いて動くしかないんじゃのう。)
だが、現実というものは…予想通りに事が運ぶわけではない。様々なアクターが其々の意思に基づいて動き、それらが折り重なる事で様々な事象が引き起こされ行くのだ。
子供達を待たせている部屋に到着したリーリーが見たのは、想像していた最悪の状況であった。部屋に居るのは怯えた表情で部屋の隅に集まって身を寄せている子供達。そして、その前に立つのは銃や鈍器などの武器を手にした…ヤクザ風の男達だった。
「あ…。」
部屋に入ったリーリーを見つけた子供達は、縋るような目を向ける。今この場で子供達を救える可能性があるのは…リーリーだけであった。
子供達の前に立つ、銃を持ったヤクザ風の男がリーリーを見て、その後ろに女の子を掴んだ男が居るのを見てニヤっと笑う。
「イイじゃねぇか。俺はよぉ、本来こんな場所に用はねぇんだ。だが…あの糞ガキが俺達に恥をかかせやがったから、わざわざここまで来てやったんだよ!あんな恥…俺は一生忘れねぇ。あいつに復讐するまで、ずっと付きまとってやる。あいつの全てを奪うまで俺は諦めねぇぜ?くくく…。その手初めてにこの孤児院ってわけなんだぜ。てっきり誰も中に居ないと思ってたらよぉ。孤児院の中から本を抱えた餓鬼が飛び出して、中にまだ人がいるって教えてくれたんだよなぁ。ほんっと餓鬼ってのは無知で浅はかだよなぁ?鉛玉を腹にぶち込んでやったんだけどよぉ、それでもあの餓鬼…走って逃げやがった。今頃どこかで倒れてんだろうぜ。」
「…。」
本を抱えた子供…。その言葉を聞いた瞬間に、リーリーはその子供がどの子であるのか理解していた。そして、男の言葉が本当なのかを確かめるために、部屋の隅に追いやられている子供達の顔を確認していく。
(居ないんじゃのう。となると…あの子はきっとビストを呼びにいったんじゃのう。 だけど…この男のさっきの言葉…きっと復讐する相手はビストなんじゃのう。全てを奪う……。……ビスト、ここに来ては駄目なんじゃのう。)
「お主…あいつに復讐と言っておるが、その者は本当にこの孤児院に関係あるのかい?タダの憶測で物を言うのは良くないんじゃのう。」
せめてもの抵抗…だったのだが、ヤクザ風の男は額に手を当てると上を向いて笑い出す。
「くくくくく!すっ惚けても無駄ぜ?あの糞餓鬼…ビストがこの孤児院に出入りしてるのは知ってんだよ。あいつの全てを奪う為に、今日まで時間を掛けてきたんだからなぁ!…さぁてと、この餓鬼達が人質だ。スラム地区が襲われてるのが分かりやすいように、外では大袈裟に暴れさせてもらってる。少しの間…待たせてもらおうか。おい、お前ら…こいつらを1人残らず縛り上げろ。」
「「へい!」」
命令を受けるなり、周りの男達は機敏に動いて子供とリーリーの両手両足を縛っていく。途中、逃げ出そうとする子供や、抵抗する子供も居たが…男達はそういう子供を容赦無く殴りつける為、そう時間は掛からずに全ての子供とリーリーは手足の自由を奪われて床に転がっていた。
ヤクザ風のリーダー男は、近くの椅子に座り、食品棚から取り出した酒瓶を傾けている。
この状況を打破できるのは…ビストしかいないだろう。しかし、リーリーはそのビストが来ない事を切に願っていた。
(ビスト…来ないで欲しいんじゃのう。)
ビストが来たら何が起きるのか…予想が出来るのだ。だからこそ、ビストが来てはいけないのだ。
しかし…そんなリーリーの願いもむなしく、事態が動き始める。
「あいつが来たぞ!」
孤児院の外で待機していた男の1人が、部屋の中に駆け込んでくる。リーダーは部下の報告を受けて悪意に満ちた笑みを浮かべる。
「遂にきたか…。さて、楽しいショーの始まりだ。」
そして、黒髪の青年…ビスト=ブルートが孤児院の庭に駆け込んでくる。
「はぁ…はぁっ…皆はどこですかな!?」
庭先で叫ぶビストを出迎えるのは、ヤクザ風集団のリーダーの男だ。家の中から酒瓶片手に出てきたリーダーは後ろを振り返ると、手をクイっと動かして誰かに出てくるように合図を出す。
すると、数人の男達が縄で両手両足を縛った子供達を抱えて外に出てくる。
「…酷い事を!子供達を解放するんですな!」
ビストがこの様に子供達の解放を求めて叫ぶのは当たり前。部下の男に抱えられて庭に出たリーリーは、当たり前の事を叫ぶビストを見て焦燥感に駆られる。
(良くないんじゃのう…。ビストの全てを奪う…きっと、ここで私達を、ビストの前で…殺すつもりなんじゃのう。そんな事をされたら、ビストの中で負の感情が爆発して…力が暴走しかねかいんじゃのう。)
「なーんだ。来たと思ったらすぐに子供を解放しろかよ。ほんっとありきたりで面白みも何もねぇ。…おい、お前ら。」
リーダーの指示で部下達はナイフを取り出すと…振り上げる。そして…。
「な…止めるんですな!」
前予告もない突然の行動にビストは反応する事が出来ない。
部下の男達は躊躇いなくその凶刃を振り下ろす。
(やはり…来てはいかなかったんじゃのう…。)
迫る刃。リーリーは目を瞑り、訪れるであろう死を受け入れる。元はと言えば、こうなる事も一定の想定内に含んでいたのだ。受け入れざるを得ないのだ。そして、今この状況でどれだけ足掻いたとしても…手足が拘束されている状態で何かが出来るわけではない。
凶刃はリーリーと子供達を容赦なく捉え、斬り裂いた。
(…………え?)
リーリーはおかしな感覚に疑問を抱く。激痛が襲ってくるはずだったのだが、今感じるのは…手足の自由感。しかし、そんな事が起こるわけが無いのだ。
「あぁぁぁん!ビストにいちゃぁぁん!!」
バタバタと足音がリーリーの周りで聞こえ遠ざかっていく。
(どうなっているんじゃのう?)
もしや、別の人物が現れて、ヤクザ風の男達を倒したのか…と思い、瞑っていた目を開けるリーリー。
見えてきたのは…不可解な光景であった。
第3者の存在は無い。ヤクザ風の男達も全員居る。子供達とリーリーの手足を縛っていた縄は全て切られている。部下が裏切ったのか…いや、リーダーの男も部下達も皆ニヤニヤしながらビストと彼の下に群がる子供達を眺めていた。
(何が起きたんじゃのう?…いや、何が起きるんじゃ?)
フラリと立ち上がるリーリー。
それを合図にしたかのように、リーダーの男が口を開いた。




