13-3-10.孤児院にて
ビストに連れられて来たのは、スラム地区の中にある1つの建物だった。
ここに来る道中…スラム地区の境目は、それこそ不自然と評するのが正確である位にくっきりと一直線に伸びていた。そして、スラム地区に入った瞬間に一変した周囲の雰囲気に警戒しつつ、ここまで歩いてきた訳だが…。
その建物は周りを柵で囲まれた一軒家で、門の部分には看板が立てられていた。看板に書かれた文字はリーリー孤児院となっている。
ビストは特に躊躇する事なく門を開けて中に進んでいった。
(なんか…スラム地区に入ってからずっと敵意みたいなのを向けられてた気がしてて、危ないところだって思ってたけど…ただの思い過ごしだったんかね?)
龍人がそう思うのも無理は無い。何故なら、リーリー孤児院の門を開けると…沢山の子供達がビストに群がってきたのだから。
「ビスト兄ちゃん!今日は何か持ってきてくれたのー!?」
「ビストお兄ちゃんおままごとして欲しいの。」
「ビスト!サッカーしようぜ!今日は負けねぇ!」
相当子供達に親しまれているのだろう。あっちへこっちへと引っ張りだこ状態である。子供達に群がられながらも、幸せそうに笑うビスト。
「へへ。今日は食べ物は持ってきて無いんですな。でも、友達を連れてきたんですな!」
ビストの言葉に、子供達は門の入り口に立つ龍人とトバルの方を一斉に向いた。そして、一瞬の沈黙の後…。
「「「「遊ぼ~!!!」」」」
2人目掛けて猛ダッシュを開始したのだった。
約2時間後。子供達とこれでもかと言う程に遊んだ龍人とトバルは、一軒家の玄関前に座ってビストと子供達が遊ぶ様子を眺めていた。
「ビストってかなりタフだよな。これだけ遊んどきながら、まだまだ元気だもんな。」
「少年の心を持つ奴は体も少年並みにタフって事だな。俺はもう子供と遊ぶのは勘弁だぜ。」
「あら?結構楽しそうにしてたように見えたけど、そうでもなかったのか?」
「ん?いや、楽しいは楽しいんだけどよ、子供と遊んで疲れるくらいなら…俺は強い奴と戦いたいだよ。」
「…へぇ。そんなもんなんかねぇ。」
「因みに…龍人、お前とも戦ってみてぇんだな。」
ふっとトバルが闘気を発する。ビリビリと肌を刺激するそれは、トバルがかなりの強者である事を示していた。
「…そんなんで挑発しても無駄だぞ?俺は無闇矢鱈に誰かと戦うつもりは無いからな。」
「…へっ。今ので怖気付く事もしないんだな。益々戦ってみたくなったぜ。」
「おやおや、こんな所で喧嘩でもおっ始めるつもりかい?物騒じゃのう。」
龍人を挑発するトバルを諌めるように声を掛けてきたのは、1人の老婆だった。背中が曲がり、細い体はひ弱なお婆さんで、丸い鼻とおちょぼ口は可愛らしい雰囲気を備えてもいる。彼女の名はリーリー。龍人達が今いるリーリー孤児院を切り盛りしているお婆さんだ。
どこの誰とも知れぬ龍人とトバルを温かく迎え入れてくれたリーリーは、子供達と遊び疲れて座り込んだ2人に珈琲を淹れに行ってくれていたのだ。そして、その通りにリーリーの手にはお盆が握れていて、その上には湯気を立てる珈琲が入ったカップが2つ乗せられていた。
「待たせたのう。口に合うかは分からんが、お飲み。」
「ありがとな!この珈琲が上手いってビストが言ってたから楽しみだぜ!」
リーリーに声を掛けられた瞬間に闘気を収めたトバルは、珈琲を受け取ると香りを嗅ぎ、口に含む。
(なんか…トバルってかなりの自由人だな。自由奔放ってか何ていうか…。ラルフっぽい。)
トバルが瞬時に切り替えたのを感心半分呆れ半分で見る龍人の視線の先で、珈琲を嚥下したトバルは目を見開いていた。
「お…こ、こりゃあ美味いな。龍人…飲んでみろって!やべぇぞこれ。」
「ん?そんなに美味いのか?」
「あぁ。俺が今まで飲んだ珈琲で1番だぜ!」
確かに漂ってくる珈琲の芳香な香りは期待感を高めるものではあるが、トバル程感動するものなのだろうか。…と疑問に思いつつも、リーリーから珈琲を受け取って口に含む。
「…!」
その珈琲は今まで龍人が飲んだ事がある珈琲の中でダントツで美味しかった。舌の上に広がる苦味と酸味は程よいバランスで苦味がやや強め。鼻に抜ける芳香な香りと喉を通り抜けた後に広がる珈琲の余韻は心を優しく包むように落ち着けていく。
「…こりゃあ確かに美味いわ。リーリーって珈琲店とかで働いてたのか?」
「ほほ。そんな事は無いんじゃのう。ただ、趣味で淹れてるだけじゃよ。最も…このスラム地区では良い豆が手に入らないから、あまり良い珈琲を淹れる事が出来ないのは心苦しいんじゃがのう。」
サラッとリーリーが言ったセリフに龍人は衝撃を受ける。
(マジか…。粗悪な豆でこの珈琲の味か。って事は、本当に良い豆があったら…神業レベルの珈琲が飲めるって事じゃん。)
更に言えば、スラム地区では良い豆が手に入らないから…という言葉から、以前はスラム地区ではない所に住んでいたという事も推測する事が出来る。確実では無いにしろ、珈琲を淹れる腕だけで判断するのならば、リーリーはこのスラム地区に住む前から只者ではなかった事が伺える。
龍人とトバルが珈琲に感激しながら飲んでいると、子供達を引き連れたビストが近くに寄ってくる。遊び疲れている筈なのにキラキラとした笑顔を見ていると、子供達がビストに懐いている理由が良く分かる。それ程までに純粋で素敵な笑顔であった。
「ねぇねぇ、龍人とトバルは夕飯食べていくんですかかな?」
質問…というよりは、「食べていってよ」的なニュアンスが大分含まれた問いかけではある。普段なら首を縦に振るところなのだが、龍人は首を横に振った。
「悪いな。流石に夕飯は家に帰るよ。」
「そっか…。トバルは?」
「ん~俺も帰るわ。リーリーが作った夕飯もかなり気にはなるんだけど、俺…まだやんなきゃいけない事を全然やってないんだわ。」
「そうなんですな…。残念だけど、今度夕飯を食べにきて欲しんですな!」
「おう。勿論だぜ。な、龍人。」
「あぁ。またリーリーが淹れた珈琲も飲みたいしな。」
「ほっほっほ。嬉しいのぉ。私が淹れた珈琲をこんなに喜んでくれたのは久しぶりじゃのう。」
ほくほくと笑うリーリーにつられて龍人達も笑顔になる。すると、トバルが反動をつけてピョンっと立ち上がった。
「じゃ、俺は行くわ。また3人で色々話そうな。あと龍人とビスト、いつか俺と本気で戦ってくれよ?」
ニカっと笑い、親指をグッと立てると…トバルは手を振りながら孤児院の門を出て行った。
(じゃ、俺も行くかな。)
龍人も帰る為に立ち上がる。
「じゃぁ俺も行くわ。ビスト…また遊ぼうな。」
「もちろんなのです!」
「ビストや、子供達と夕飯の準備をしてておくれ。私は龍人が道を間違えないように門の先まで見送るよ。」
「分かったんですな!よーし、皆夕飯の準備をするんですな!龍人、また遊びにきてね!」
ビストは少年の様に手をブンブンと振ると、子供達を引き連れて家の中に入っていった。
後に残されたリーリーは龍人の方を向くと微笑み、歩き出した。
「ほれ。門まで送るんじゃのう。」
「あ、サンキュー。」
トバルの時は見送らずに、なぜ龍人の時だけ送るのか…という疑問が過るが…リーリーから発せられる言葉によって、その疑問はすぐに解決する事となる。
「龍人…お主は何かを隠している気がするんじゃのう。というよりも、そもそも機械街の人間なのかえ?」
「…機械街の人間なのかってどういう事だ?」
「うん?そのままの通りなんじゃがのう。お主の秘めた力は…機械街の中でも稀有なレベルの力だと感じての。」
「いや….そんな事言われても…」
「惚けたって無駄じゃよ。機械街の人々は魔力を操れる者が少ない。じゃが、私は使えるんじゃのう。つまり…そういう事じゃ。同じ魔力を操れる者としてお主の秘めたる力に気付かない訳が無いんじゃのう。」
「…。」
魔法街出身である事を固く口止めされている龍人としては、非常に答えにくい質問であった。迂闊な回答が出来ない事で沈黙という結果に繋がってしまう。そして、その沈黙を肯定と受け取ったのか…リーリーの雰囲気が変化する。
「となると…お主、力を求める者という事じゃのう。事と次第によっては容赦はしないんじゃのう。」
まるで猛獣に睨まれているかの様な感覚に、龍人は思わず身構えてしまう。その威圧感は、ラルフと相対している時と遜色が無い程のものだった。
(…なんだこの婆さん。ただの孤児院を切り盛りしてる婆さんだと思ってたけど、なんか訳ありっぽいか?)
冷静に分析をする龍人に対し、尚も鋭い目付きで見極めようと睨みつけるリーリー。このままでは戦闘が始まってしまうのでは…という雰囲気もあったが、厄介ごとに巻き込まれない様に念を押された龍人は無駄な戦いを避ける事を選択した。
「…他の奴らには秘密だぞ?」
「ほぅ…此の期に及んでまだ何か言うんじゃのう。よいぞ。聞いてあげよう。」
「俺は…魔法街所属の魔導師団だ。街主エレクの要請で機械街に来てる。」
「なんと…!だからお主から強力な魔力を感じるんじゃのう。となると、任務は機械塔の護衛と言った所じゃのう。」
「あんた…何者だ?」
「ほっほっほしがない孤児院を切り盛りする婆さんじゃよ。とにかく、私の早とちりだったみたいじゃのう。申し訳なかったね。」
「…さっきの力を求める者ってのは何なんだ?」
「…それは言う事は出来ないんじゃのう。ただ…そうじゃな。魔導師団という事もあるし、1つだけ頼み事をさせてもらおうかね。龍人よ、もし…もしじゃ、ビストが窮地に陥る様な事があったら助けてやってくれ。本当は私が側に居てやれれば其れが1番なんじゃが、あの子はもう自立しておる。四六時中一緒にいる訳ではないんじゃのう。一方的な頼み事だとは承知しているんじゃが…頼めるかい?」
「ん~…。分かった。だけど、もしその場面に遭遇したら。だな。更に言えば、その場面に遭遇した時にビストを助ける事に何の問題が無ければ…とも言っておいた方がいいかもな。」
素直に「YES」と言わない龍人の答えに、リーリーは小さく笑いを漏らす。
「ふふふふ。流石は魔導師団に選ばれるだけの事はあるんじゃのう。だが龍人よ、1つだけ覚えておいたほうがいいんじゃのう。物事の選択は組織の意志と個人の意志の2通りじゃ。時と場合により、どちらも正解となり得る。じゃが、お主にとっての正解を間違ってはならん。人として、お主が1人の個人としてこの世の中で生きていく上で、間違った選択をしてはならんぞ。…私は、その選択を失敗したからこそここにおる。償いなんて、償い切れるもんではないんじゃのう。」
ゆっくりと、静かに語るリーリーの目は遠くを見る様に哀しい色合いをその内に秘めていた。過去にあった何かを思い出しているのだろう。龍人にはそんなリーリーに掛ける言葉が見つからず、ただ返事を返す事しか出来なかった。
「分かった。ビストの事は約束するよ。リーリーが今言ってた事も肝に命じておく。」
「ほほ。お主は優しいんじゃのう。まぁ…失敗なんて失敗にならないと気づかないから厄介なんじゃがのう。」
門の外に出るとリーリーは道を真っ直ぐ指差す。
「この道を真っ直ぐ進めば東地区に出るんじゃのう。誰かに襲われる事は無いと思うが、その時は戦わずに逃げて欲しいんじゃのう。下手に返り討ちにすると、お主を連れて来たビストに非難が集まってしまうからのう。」
「分かった。今日はありがとな。また珈琲でも飲みに来るよ。…良い珈琲豆でも手土産にな。」
「ほっほっほ。楽しみにしてるんじゃのう。」
そう言って小さく手を振るリーリーは、子供の前で笑ういつものリーリーであった。ついさっき迄の猛獣の様な威圧感は綺麗さっぱり消え去っていた。
龍人も軽く手を振るとスラム地区と東地区の境目に向けてのんびりと歩き出した。
歩き去る龍人の背中を見送りながらリーリーは小さく呟いた。
「遂に…遂に動き始めてしまったんじゃのう。私は…ビストを守れるかのう、ペルー、エリス…。」
龍人はこの時…まだ気付いていなかった。この出会いが大きな意味を持つ事に。大きな意味を持つ可能性があった事に。




