13-2-9.ケルベロス
禁区東側地区。廃工場が立ち並ぶこの地区を歩く2人の人物が居た。
1人は真っ黒な鎧に、真っ黒な大剣を背負い、黒髪短髪という全身黒尽くめの巨漢。魔法協会ギルドに所属するチーム【ブレイブインパクト】のリーダーを務めるルーベン=ハーデスだ。
もう1人は、ふわっと背中で1本に纏めた長い赤髪が特徴的な男である。黒を基調とし、赤と銀のラインが入った服は街立魔法学院の制服。身長が165cmと低身長の彼の名はカイゼ=ルムフテ。街立魔法学院3年生上位クラスに所属し、第7魔導師団のメンバーでもある。
魔法街の魔法使いの中で、間違い無く上位の実力を持つこの2人ではあるが、並んで歩いている姿は身長差のせいか父と子に見えなくもない。
さて、転送塔でカイゼはルーベンと共に【ブレイブインパクト】のメンバーと禁区におけるケルベロス希少種の討伐に挑んでいたのだが、とある諸事情によってルーベンとの2人行動をする事となっていた。
その理由が転送塔のBARで談笑をしていたカイゼ達のギルドカードに送られてきた…魔獣出現に関する更新情報だ。
通常北側地区の死化粧山付近に棲息するケルベロスが、東側地区と西側地区で確認されたという情報に…BARで談笑していたギルドメンバー達はどよめいた。
ケルベロスが棲息地域を離れているという事は…ケルベロスがその場所にいる事が難しくなったという事である。つまり、周辺の自然環境が劇的な変化をした…もしくは、ケルベロスよりも強い魔獣が出現をしたか。
この情報を見たルーベンは、ケルベロス希少種の出現によるものだと即座に断定する。ケルベロス希少種が居る可能性が一番高いのは禁区北側地区の死化粧山付近。次点として西側地区、東側地区の2箇所である。となると、どちらか片側の地区だけを通って北側地区に向かった場合…最悪、希少種とすれ違ってしまう可能性があった。
ここでルーベンが出した案は単純なものだった。「2手に分かれて、東側地区、西側地区の両側から北側地区へ向かう」である。そして、そのメンバー分けがルーベンとカイゼの2人と、その他のメンバーチームになったのだ。理由は単純…ルーベンが魔導師団のメンバーであるカイゼと2人で戦ってみたかった…という事らしい。
理由はともあれ、カイゼとしても【ブレイブハート】という有名チームのリーダーと共に戦えるのは願っても無い事だった為、特に反対意見が出る事もなくメンバー分けは決定となったのだった。
そして、禁区東側地区を歩くカイゼはルーベンに禁区についてのプチ授業を受けていた。実はカイゼが初めて禁区に来たという事を知ったルーベンが、快く授業を申し出たのだ。
「まぁ、簡単に言うと禁区の管理塔を中心にして東西南北の地区に分かれてんだ。各地区によって特色があって、南側地区は廃ビル。西側地区は廃屋、廃マンション。東側地区は廃工場。北側地区は教育関連施設、農業跡、そして死化粧山だ。」
「って事は、こんな廃墟になる前は、商業地区、住宅地区、工業地区、教育自然地区…って感じだったんだね。」
「建物を見る限りはな。今の魔法街では考えられない位に技術が進んでいた事は間違いない。それが廃墟と化してしまった理由が俺には全然分からねぇんだよな。」
「んー。例えば…魔獣が現れて街を破壊していって、この街を捨てる事になったとかはどう?」
「まぁ…確かに現状として魔獣も現れてるから、辻褄が合う気もすんな。ただ…これだけの文明ってのか?それを有していて、魔獣が現れたからって街を捨てんのかって疑問は残るよな。魔法街なんだから、対抗手段は幾らでもあった筈だしよ。ま、全員で掛かってもどうにもならない位に強い魔獣ってんなら分からなくも無いけどな。そもそもそんな魔獣にあった事無いんだけどよ。」
「なるほどね…。こりゃあアレだっ。考えても分かんないってやつだね。」
「ははっ!その通りだぜっ。……おい、止まれ。」
巨大な球体のガスタンク横を通り過ぎようとした時であった、ルーベンがカイゼの前に手を出して動きを止める。その理由にはカイゼも気付いていた。既に談笑をしていた笑顔から、緊迫感のあるそれに変わっている。
「……この気配。魔獣だよね?」
「あぁ。しかもこのピリピリした感じ…上位種だな。この人数で先手を取られるとキツい。気配を消して行動するぞ。」
「分かった。」
ルーベンとカイゼは前方から感じる強力な魔獣の気配へと近づいて行く。魔獣…特に上位種が操る魔法はどれを取っても高威力。つまり、先手を打たれてしまうと防戦に回らざるを得ない可能性がかなり高いのだ。
よって、気配を殺して上位種に近づき…隙を狙って先手で少しでもダメージを与える事が重要となってくる。
2人は近くの廃工場の屋上に移動し、そこから下の通りを覗き込んだ。
「…いたな。」
「うん。あれは…ケルベロスだよね?」
「あぁ。残念な事に原種だな。まぁ…ここで希少種と出会ってたら、流石に人数的にどうにもなんないから逃げるしかないけどな。そう考えたら出会ったのがケルベロス原種なのは…好都合か。」
「…なるほどっ。希少種と戦う練習になるもんね。」
「あぁ。だが…覚えておけ。例え原種と言えども、その強さは一級品だ。普通なら8人位で挑むんだからな。」
「げっ…それって…大丈夫?」
カイゼの不安気な問いに答えず、ルーベンはケルベロスをじっと観察する。動きから察するに、自分達の存在は恐らくバレていない。となれば…予定通りに行動するのみである。
「…大丈夫だ。過去にケルベロスと戦った事があるからな。奴は3つの頭から炎、蛇の鬣から毒の唾液を吐く。基本的にはその2つの攻撃に気を付けろ。」
「…分かった。」
ルーベンの言葉を受けてケルベロスを観察するカイゼ。
体の色は赤褐色。鬣からは複数の蛇がニョロニョロと蠢き周囲を警戒している。そして、逞しい尾は先端が刃の様になっていて、その鋭利さは触れるモノをいとも簡単に切り裂く事が予想される。
「はは…思ったよりも強そうだね。」
「なんだ…怖じ気づいたのか?」
「…まさか!」
「ははっ。いいぞ。…よし、これから俺が先行して一気に攻撃を仕掛ける。カイゼは可能な限り追撃をしてくれ。くれぐれも近寄りすぎるなよ。」
「おっけー!」
「うし。行くぞ!」
ルーベンは屋上からケルベロスに向けて真っ直ぐ壁を走る様に駆け下りていく。
その後ろ姿を見ながらカイゼは両手に短刀を構える。右手に順手で持つのは炎焼の短刀、左手に逆手で持つのは零衝の短刀だ。そして、両腕に嵌められた腕輪が淡い光を放つ。
一方、壁を駆け降りたルーベンは、自身の存在に気づいて鋭い眼光を向けたケルベロス
から発せられる圧力に…緊張感と高揚感を高めていた。
(ははっ!イイじゃねぇか!この圧力、この緊張感!この死線を越えてこそ俺は強くなれる!)
ケルベロスの3つの頭が物凄い勢いでルーベンの方を向き、口を開く。そして…燃え盛る火炎が同時に3つ放たれた。
高熱の火炎。包み込まれればその熱に焼かれ、大ダメージを受ける事は間違いない。だが、ルーベンは避けない。真正面から立ち向かう。火炎が放たれるのと同時に背中に回した手が、漆黒の大剣の柄を掴む。そして…迫り来る灼熱に向けて上段から振り下ろした。
大剣から漆黒の闇が噴き出し、3つの炎を一気に切り裂く。炎は大剣の軌道を中心に左右に分かれ、ルーベンのすぐ横を焦がしていく。
「はっ!この慚龍の黒剣にその程度の炎じゃ役不足だぜ!」
ルーベンは振り下ろした大剣をそのまま体の左後ろに回し、大きく一歩を踏み出して下段から右斜め上に斬り上げていく。大剣から噴き出す闇が更に巨大な漆黒の刃を形成し、ケルベロスを捉えんと伸びる。
必殺の距離…だったのだが、ルーベンは上をチラッとみると舌打ちをして大きく横に飛び退った。ルーベンが居た場所に着弾したのは液体…その場所がジュウジュウと嫌な音を立てて煙を上げる。
「ちっ…。毒液か…。」
毒液を吐き出した蛇達はその身をくねらせながらルーベンを睨み付ける。
着地したルーベンはすぐに真横から感じる風を感知し、大剣の面を体の横に立てた。そこに容赦無く叩きつけられたケルベロスの尾による強力な衝撃に吹き飛ばされ、廃工場の壁に激突。脆く風化した壁はガラガラと音を立てて崩れ落ちた。
「グルルルル!」
ケルベロスは唸り声を上げると、先端が鋭く尖った尾を振り上げてルーベン目掛けて突き出した。
「ぐっ…!」
ルーベンは軋む体を動かそうとするが、時既に遅し。ケルベロスの尾は眼前に迫っていた。
ガキィン!
金属音が響き尾が弾かれる。ルーベンの目の前に揺らめく炎と凍てつく冷気の残滓が尾を引いて伸びる。
「大丈夫か!?へへっ!いっくぜ!」
カイゼの両腕の腕輪が光り、体を薄く電気が走る。次の瞬間…カイゼは目にも留まらぬ速度でケルベロスに斬り掛かっていた。
炎と冷気の刃が踊るようにしてケルベロスの皮膚を切り裂いていく。
「グルォウ!」
ケルベロスは怒りに任せて炎をカイゼに向けて吐き出す。踊り狂う炎がその手を広げて迫るが、カイゼは零衝の短刀から出る冷気の威力を増大させ…炎を包み込むように放つ。
すると、炎の勢いがどんどん衰えていき…消え去ってしまった。
「へへっ!ここだぜ!」
カイゼの左手を雷が覆う。そして、雷を纏う冷気の刃が放たれる。ケルベロスはその密度が高い魔法攻撃を察知し、戦闘が始まってから初めてステップをして攻撃を回避する。
軽やかに回避をして距離を取ったケルベロスは獰猛な牙が覗く口から涎を垂らしながら口を開いた。
「汝等…何故我に攻撃をする?」
「…へ?喋った…?」
「ん…?カイゼ…上位種の魔獣は人の言葉を話すんだぞ?」
ケルベロスが言葉を発した事に驚いて動きを止めたカイゼに声を掛けながら、ルーベンは瓦礫に埋まった体を持ち上げる。
相当な衝撃を喰らった筈だが、その動きに鈍った様子はなく、黒き鎧にもヘコみ等は一切見られなかった。
カイゼはルーベンの方を振り向くと、質問を投げかけた。
「マジか?俺…そんなん聞いた事無かったぞ?」
「それは…偶然そういった環境だったんだろ。ギルドの上位ランカーの間では当たり前の事実だぞ?」
「へぇー。俺、魔導師団に選ばれてBランクになって以来全然ギルドで仕事してなかったからなぁ。今回も下位の魔獣討伐ついでに、他の強い魔獣討伐しようとしてて偶然ケルベロス希少種って話を聞いただけだし…知識不足って怖いな!はははっ!」
どうやら上位種が人の言葉を操る事を本当に知らなかったらしいカイゼだが、あまりその事を深刻に捉えていないのか、気楽に笑っていた。何となく経験を積む為に下位種魔獣討伐の依頼を受け、ついでに上位種に挑むなど…無謀過ぎて笑えてくる話だが…。
それでもついさっきのカイゼの動きを見たルーベンは、他人から見たら無謀とも思えるカイゼの行動が何の根拠もないものでは無い事を理解していた。
(ったく、お気楽な奴だ。…だが、ケルベロスに斬り掛かった時の動きは、ギルドランクSの俺と比べても遜色が無いレベルだったか。はんっ。本当に面白い奴だぜこいつは。)
すると、ケルベロスが再び声を出す。問い掛けに対する返事が全くこないのでしびれを切らしたのか。
「…何故、我を狙う。人間風情が2人だけで何が出来ると言うのだ?」
完全に格下を相手にした口調。ルーベンの額に血管が浮き出る。
「はっ!棲家を追われて東側地区に来た割には大口叩くなぁ?俺逹をそこらの雑魚と同じだと思うなよ?」
「…ほぅ。我がここに居る理由をそのように解するか。」
「あぁ?それ以外の理由があるってか?まぁ
…詳しくは勝ってから聞いてやるさ。」
「主らには関係の無い事だ。」
ケルベロスは低く唸ると、その身に魔力を溜め始める。ジュルルル…と鬣から生える蛇が威嚇音を出し、カッと口を開いた。次の瞬間…ケルベロスの3つ頭から炎が、蛇の頭から毒液が一斉に発射される。
炎は先程とは違って凝縮され渦巻き回転をしている。そして、毒液も炎と同じく渦巻き回転をしながら放たれていた。
「ちっ…!密度を上げてきやがった。」
ルーベンは大剣を水平に薙いで闇の刃を飛ばすが、打ち消せたのは炎1発のみ。その他の攻撃は容赦なく2人に襲い掛かった。
カイゼも炎と冷気の刃を連射するが…数発の毒液と相殺するのみで、攻撃自体を止める事は出来ない。
防御壁を使ってその場に留まるのが危険だと判断した2人は左右に分かれて飛び退く。炎が地面を貫き、毒液も地面に突き刺さり…その地点を中心に溶かしていく。
「全然さっきと威力違うじゃん!」
ケルベロスの攻撃が地面に着弾したのを確認したカイゼは思わず叫んでしまう。
だが、そんなカイゼの叫びでケルベロスの攻撃が止まる事はない。立て続けに炎と毒液が放たれ、カイゼとルーベンを追い詰めていく。
建物の陰に飛び込んだカイゼは上がった息を整える。そして、ルーベンの姿を探すが何処にも見当たらなかった。ケルベロスは2人の姿を見失ったのか、口から涎を垂らしながら周囲を徘徊し始める。
犬、蛇、龍の尾と3つの箇所が其々独立して攻撃をしてくるケルベロスは、今までカイゼが戦った事がある魔獣と比べてもかなり厄介な部類に分類される。
いかに攻撃を掻い潜るか…これが肝となるのは分かるのだが、その方法がすぐに思い付かない。
(これ…どうすればいいんだろ?)
だが…時は待ってはくれない。ケルベロスはピクリと何かに反応すると、カイゼの方に向けてゆっくりと歩き始めていた。
(こうなったら…アレを使って一気に突破するしかないかな。)
カイゼは短刀を持つ両手に力を籠める。無闇矢鱈に他人が見ている場所で使いたい技で無いのだが…命には代えられない。攻撃に移るタイミングを身計らう。
すぐ隣の壊れた建物の中を確認するケルベロス。壁を乗り越える様に首を向けたその瞬間、カイゼは建物の陰から飛び出て攻撃を仕掛ける。
「いくぜっ!舞刀術【迅雷凍炎】」
カイゼの身体中を雷が駆け巡り身体能力を超絶強化。そして、正しく雷の如く速度でケルベロスに接近し、両手の短刀から乱舞を繰り出す。炎が焦がし、冷気が凍らせる。2つの属性による乱舞はケルベロスの全身を切り刻んでいく。
(まだ…まだ倒れないんか!?)
舞刀術【迅雷凍炎】には30秒という制限時間がある。連続して発動する事も可能だが、間に僅かなクールタイムが出てしまうのは確実。そこを狙われない為にも、この制限時間内に倒すのが望ましいのだが…やはり相手は上位種。ほぼ無防備にカイゼの乱舞を受けたのにも関わらず、ケルベロスは舞刀術の効果が切れたカイゼに向けて巨大な顎で襲い掛かった。
一瞬のクールタイムを正確に狙った攻撃。カイゼにはその攻撃を避ける術は無かった。出来るのは…巨大な顎に向けて両手の短刀を向けるのみ。
そして…カイゼを噛み砕かんとケルベロスの顎が容赦なく閉じられる。




