11-8-8.遼の朝
街立魔法学院教員校舎訓練室。魔法によって広大な平原に設定された訓練室の中では溶解液があちこちに飛び散っていた。それらの発生源はガリガリに痩せ、眼の下には大きな隈を携え、血の気が引いたような真っ白な肌をした男だ。白衣を纏い、眼鏡を掛け、白髪の混ざった肩くらいまであるボサボサの髪。ひと目で普通ではない科学者、或いはそれに準ずるものと分かる出で立ちである。
彼の名はキタル=ディゾル。街立魔法学院の一教師であり、様々な事象に関して実験を続ける事を生き甲斐と感じる男だ。キタルは楽しそうに笑いながら溶解液を球状にし、彼から20M離れた位置に立つ藤崎遼に向けて飛ばしていた。
溶解液の的となっている遼は、先日の対抗試合準決勝で習得するに至った重力場を駆使して溶解液のコースをそらしたり、弾いたりしている。
「ひゃひゃひゃひゃひゃっ!いいねぇ!藤崎遼、強くなったじゃないかぁ。ヒヒヒヒヒ。」
「あ、ありがとうございます!でも、いつまで溶解液を飛ばしてくるんですか!?」
「ヒヒヒヒヒ。まだ君の使う重力場のデータが正確に取れてないんだよ。データが取れるまで止めるつもりはないよ?…そうだ。もう少し正確なデータが欲しいから、溶解液の量を増やそうかな。」
「えっ。ちょ…!」
溶解液を増やすという提案に遼は抗議しようとするが時既に遅し。キタルは増やすと言いながら溶解液の量を増やしていた。抗議しようとした時には今までの倍量の溶解液が飛来していたのだ。
「ちょっと待って下さいよーー!!」
訓練室の中に遼の叫び声と、キタルの怪しい笑い声が木霊するのだった。
それから約小1時間たった訓練室では、遼が完全にへばって座り込んでいた。キタルが重力場の隙ばかり狙って溶解液を飛ばしてきたので、その対処にかなり魔力を使ってしまったのだ。今回は一切攻撃をしないでキタルの溶解液を重力場のみで防ぐという条件だったのも消耗してしまった原因の1つに挙げられるだろう。
キタルは遼が地面に座り込んで休んでいる間に何かをノートに書き続けていた。時おり「なるほど」とか、「ヒヒヒヒヒこれは面白いねぇ」とか言っているので、恐らくは遼の属性【重】の新しい手法について分析を行っているのだろう。
少しすると、キタルは遼の近くに来て隣に座る。フラフラと近寄ってくる様子はまるで生ける屍のようでもある。
「藤崎遼。君が使えるようになった重力場を重力発生の起点とする魔法は、重力属性の本質を掴んだ使い方なんだよね。ヒヒヒヒヒ。多分教えればすぐに使えるようになったと思うんだけど、それじゃぁ君自身が将来的に自分自身の発想を元に強くなる可能性を潰してしまうと思って伝えていなかったんだ。だけど…この使い方を自分で発見したのなら、更に強くなる可能性がある君の属性の使い方を発見する為のヒントをあげるよ。」
キタルはそう言うと遼の瞳の奥を見透かす様にして覗き込んでくる。遼はキタルの真意を量りかねて反応をする事が出来ない。少しすると、キタルは独特の相手を睨め回す様な笑みを浮かべた。
「キシシ。分かってないみたいだから一応言っておくよ。これから僕が言う事は基本的な事だ。きっと君はその言葉を聞いた事があると思う。だけどね、それは基本的で、当たり前で、誰もが知っているはずで、でも、だからこそ見落としてしまったり忘れてしまうんだ。僕は君がその壁を越えつつあると感じたからそれを伝える事を選択したんだよ。ヒヒ。だから、君は、もっと強くならなきゃいけないんだ。…言っていることが分かるかな?」
キタルが自分の事を少しではあるが認めてくれたのは遼にも理解する事が出来た。だが…キタルが言う強くならなきゃいけないんだ。この言葉の意味を正確に理解することは今の遼には難しかった。
(えっと…なんで僕は強くならなきゃ《いけない》んだろう?別にもっと強くなるつもりだけど…。なんか義務みたいだね。強くならないと後悔する…みたいな。ん~確かに龍人が大変な環境にいて、その身近にいる僕とかが巻き込まれた時に強くなってなかったら大切な人達が不幸になる…とかかな?)
遼の顔がイマイチ晴れないのを見てキタルは《あの事》を言おうかとも思ってしまう。…だが、すぐに思い直す。
(いや、まだだよね。もし今《あの事》を伝えたら…恐らく藤崎遼は今後の全てがそれに支配されてしまう可能性がある。そうなったら真実に辿り着いた時に、それを乗り越えるだけの実力を身に付けていない可能性が高い。だとしたら…藤崎遼が将来真実に辿り着いた時に後悔しないように強くしてあげるしかない…ってとこだね。フフフ。僕って実は生徒想いのイイ教師だよね。)
キタルは遼の晴れない顔を無視して話をすることを決めると、人差し指をピンと伸ばし、教師の様に話し始めた。…いや、実際教師なのだが。
「いいかい。物事には一般的に基本とされている事柄がある。だけどね、それはあくまでも一般的に認識されているに過ぎないって事があるんだ。魔法を操るものはその一般的な認識に囚われている限り強くなることは出来ない。物事の本質…今の話で分かり易く言うと、操る属性の本質を理解し、それをギリギリ可能な範囲まで操れる様にする事が大事なんだよ。キシシ。そんなの知っているけど…って顔をしているね。じゃぁもう少し分かり易く言うよ?」
そう言うとキタルは紙を取り出すと大きめの丸を書き、その中心に黒点を書き入れた。
「いいかい?藤崎遼、君の使う属性【重】って言うのは正確には重力を操る魔法では無いんだ。属性所有者が少ないからそれを誤認する人が多いんだけどね。属性【重】の本質は対象空間、対象物質に対して加重をする事だ。この紙に書いてある丸を星、その中心にある黒点が星の持つ引力の発生源としよう。この星の引力から、星自体が自転する事で発生する遠心力を差し引いたものが、星上にある物に掛かる重力なんだよ。つまり重力を操るという事は遠心力か引力を操る、もしくはその力関係に別の力で干渉をするって事になるんだよね。君がたまに使う重力球…あれは対象空間に強力な加重を掛ける事で、その空間に引力を発生させているんだ。だから周りから物を引き込む重力球が機能する。もちろん分かっていると思うけど、接触物に加重をする為の重力球の事を言っているんじゃないよ?周りのものを吸い込んでいく言ってしまえば小規模なブラックホールの事だ。」
キタルの話になんとかついていっている遼は難しい顔をしながらも頷く。
「つまり、俺が今まで使ってた属性【重】は俺が気付いていなかっただけで、加重を行っていたって事ですよね?」
「ヒヒヒヒヒ。そうだよそうだよ。良く分かっているじゃぁないか。そこでここからが本題だよ。君がさっき使って見せた重力場に向けて重力を発生させる…いや、正確に言おうか。君が使った物を引き寄せる《引力場》は、重力に対する認識が何処かで変わった事によって使える様になったんだよ。いいかい?僕達は重力というのは《下》に向かっていると認識しているよね?だけどその重力って言うのは星が発生させている引力と遠心力の力の差によって、星上に在る物に対して作用している力に過ぎない。つまり、重力を操るってことはだ、別に下に向けて作用するのが全てではないんだ。一定のポイントに引力を発生させて、星の発生する引力と遠心力と、発生させた引力の差引きで一番引き寄せる力が強い所に向けて重力が発生するんだよ。君が使った《引力場》はこういったメカニズムで成り立っているんだ。」
ここで遼はキタルが本当に言いたい事を理解する。
「そっか。重力は星の引力よりも強い引力を発生させれば、好きな方向に向ける事が出来るって事ですね。」
「君の物分かりの良さは説明しててスッキリするよ。フフフ。重力が下に向けて作用するものという固定概念を抜け出した事で、君は自然と引力を発生させる事が出来る様になったんだ。全ては固定概念の枠をどれだけ取り払えるって事さ。そうやって小さな枠組みを越えることが出来た人が属性変化で上位属性を手に入れられるんだ。シシシ…。面白いよね。属性に対する固定概念という枠組みをぶち壊す事で、その属性の中で更に突き詰めた属性の中の1つのポイントを極めていけるんだからね。一応言っておくと、属性【重】の上位属性として確認されているのは属性【引力】と属性【斥力】だよ。基本的に2種類の属性変化をするのは難しいとされているんだよね。何故なら属性変化をした事でその変化した属性の枠組みにまた囚われてしまうからなんだ。引き寄せる魔法の属性【引力】を使える様になると、その反対の属性【斥力】を使える様になるには様々な固定概念を根本から取り払わなきゃいけないからね。属性変化って言うのは、その属性の更に突き詰めた部分をピンポイントで操れるようになる事だから属性毎に特徴も属性変化をする条件も変わって来るんだけど、全てに共通して言える事は変わらない。」
「その属性の本質を理解して操れるかどうか…ですね。」
「そう。だからこそ、僕は敢えて今この話をしているんだよ。ほとんどの属性は属性変化で上位属性を手に入れる事が出来る。そして、上位属性は複数に分岐する事が多いんだよね。さっきも言った通り、属性【重】なら属性【引力】【斥力】。他にも属性【火】なら属性【爆】【炎】、属性【地】なら属性【土】【岩】、属性【電】なら属性【雷】【磁】。といった具合だね。でも不思議に思わないかい?全ての分岐する上位属性は同じ下位属性を基本としているんだ。でも、1つの上位属性に分岐するともう1つの上位属性を使えない人が殆どなのさ。それだけ人の潜在意識に刷り込まれた固定概念というものは強いんだね。もし、君がそれを成し遂げられたなら、誰にも負けない大魔法使いになれるかも知れないねぇ。ヒヒヒヒヒ。」
「う…が、頑張ります。」
「ま、そうなるかどうかは君次第だよ。ここから先は僕には何も出来ない。さて…ではコレを使ってみるんだ。」
キタルが放って寄越したのはクリスタルだった。
「え?魔力を回復すればいいんですか?」
「違う違う!魔力を込めて属性診断をするんだよ。…ってもしかしてさっきの話で気付いてないのかい?」
「どういう事ですか?今更属性診断しても…。」
「はぁ。全く…物分かりが良いのは長所だけど、君は自分に対する評価が常に低いのが短所だね。とにかく、属性診断をしてみるんだよ。」
「…?分かりました。」
遼が魔力を込めるとクリスタルは光り輝き、霧になって文字を形成した。その文字を見た遼は口をポカンと開けてしまった。
「ヒヒヒ。やっぱりね。」
「…え?これってマジですか?」
「モチロンだよ。クリスタルが属性診断で嘘をつくはずがないからね。ともかくコレで君は属性【引力】の使い手って事になるね。」
そう。キタルの言葉通りにクリスタルは属性【引力】の文字を形成していた。未だに信じられない気持ちだが、キタルの言う通りにクリスタルが属性診断を間違うわけもなく、その事実を受け入れる以外に無かった。普通なら喜ぶのだが、驚きで戸惑ってしまう所が遼らしいとも言える。
「そっか…。俺、強くなれてるんですね。」
文字という形で強くなったことを示されたのは、常に自分の実力に対して自身が無い遼にとってはかなりのプラスに働く。今まで「強くなりたいけど強くなれない」と思っていた遼なのだなら尚更だ。
胸の奥に込み上げてくる嬉しさを噛みしめる遼にキタルは更にもう1枚の紙を見せる。
「さて、コレは君の魔法を見ていて思い付いたやつだ。今から練習出来る時間は少ないけど、操れるようになったらそこそこの切り札になるはずだよ。」
その紙を見た遼は驚きと不安が混ざった何とも言えない顔をする。
「キタル先生…これ、難しすぎません?出来たら確かに強いですけど…。俺に出来るかな。」
「ヒヒ。分かってないねぇ。こういう時はやるかやらないかの2択だよ。出来るとか出来ないとかそんなものは知らないね。で、どうするんだい?」
「う…。やります。」
「よし、じゃあ頑張ろうじゃないか。」
そう言うとキタルは眼鏡の奥で楽しそうに笑ったのだった。
それから約2時間。
中央区に到着した遼はクリスタルで魔力を補充しながら混雑した道を歩いていた。キタルが思い付いた魔法は消費魔力量が激い上に操作も難しかった為、練習が出来たのは20分程度だった。時間的余裕はあったのだが、それ迄キタルの溶解液を防ぎ続けてきた為に遼の魔力がほぼ尽きてしまったのだ。試合に影響が無いようにと、遼がへばった時点で特訓を早めに終わらせたキタルは、遼にクリスタルを渡すと肩を揺らす。
「ククク。君がこの魔法を決勝戦ででつかうのを楽しみにしているよ。むしろ、使わなかったら…いつ何処から溶解液という刺客が襲いかかってくるか分からないと思いたまえ。」
キタルはこんな脅迫をすると楽しそうに笑いながら部屋を出て行ったのだった。
(あの魔法を試合で使うって…本当に勝つか負けるかの大勝負とかじゃないと使えない気がするなぁ。使うまでに時間がかかる上に成功する確率は…20%が良いところだろうし。)
クリスマスの中央区を歩く人々カップルがとても多く、とても楽しそうで…不安を抱えながら歩く遼の表情は自然と目立ってしまっていた。だからこそ…と言えるのか、その遼を偶然見つけた人物がいた。
その人物は後ろから遼の肩をトントンと叩いた。
「ん?…………!!」
振り向いた遼はそこに居た人物を見て…自身の目を疑い、しかしそこにいる人物か間違いなくあの人であると認識するが、衝撃の余り息をする事さえ忘れて立ちすくんでしまった。
その人物は余裕のある妖艶な笑みを浮かべながら片手を上げる。
「ふふ。まさかこんな所で会うとは思わなかったわ。今日の試合楽しみしてるわね。」
思考がついていかない遼はとにかく頭を縦に振るしか出来なかった。クリスマスの中央区。カップルが多いこの場所で出会ったの彼らは、見るものが見れば首を傾げる不思議な雰囲気を醸し出しながらお互いを見つめ合っていた。




