【綺麗な女の人】
駅前の居酒屋でにぎわう道を抜けて、車の行きかう大通りを真っ直ぐ行けば、
あたしたちの通う大学。そのちょっと手前をひょいっと入った住宅街の中に
あたしのバイト先『喫茶Rabbit-Hole《うさぎの穴 》』は、あった。
朝は、近所で工場をしている社長さんがのんびりと珈琲を飲み、
昼間近になれば住宅街に住む奥様方がランチを食べに来て、
昼を過ぎれば営業に疲れたようなサラリーマンが足を休めにやってくる。
あたしの大学はすぐ近くだけど、生徒はあまりやって来ない。
構内には安価の学食があるし、外に出れば皆、ドリンクバーのあるファミレスに行くもん。
高いお金払って、お代わり自由なんて制度もない
昔ながらの喫茶店に足を運ぶ学生は稀だ。
タカちゃんは、そんな稀な内の1人だった。
まぁ、料亭の息子なんて、お金に不自由するようにない家に産まれたタカちゃんは、
料亭に通うようなハイソサエティな常連さんに良いバイト先を紹介してもらえてるらしく、
中々に小金持ちな生活を送っている。
ちょっとお高い喫茶店の常連になろうとも、懐は決して痛まないのだろう。
そこで困るのは、あたしだ。
タカちゃんと一緒に居たいあたしは、それはもちろん同じように喫茶店の常連になっちゃう。
でも悲しいことにあたしの家はエンゲル係数に日々悩むような大家族の貧乏一家。
大学に行かせてもらえたのもパパとママだけじゃなく
お兄ちゃんお姉ちゃんがあたしの為に必死に働いてくれたからで、
そこから更に珈琲代なんてせびれない。
タカちゃんは奢るって言ってくれるけど、毎度毎度奢ってもらって
あたしを負担に感じるようになってしまったら本末転倒すぎる。
ただでさえ強引に彼氏彼女になったのだもの、
あたしと付き合うことによって発生するデメリットなんて作ってられない!
そうして毎日うさぎの穴に通いながら、どうしたものかと頭を悩ませていたあたしに
「じゃあ、うちで働きませんか」と救いの手を差し伸べてくれたのがマスターだった。
「マスターって本当に天使!や、神ね。サンタ的な。もしくは仙人。」
「鶴見くん。それが褒め言葉だろうとも、モカジャバは淹れませんよ。自分で作りなさい。」
永い年月をかけて刻み込んだのであろう目尻の笑い皺を更にシワシワにさせて、
本当に柔和な笑顔でピシャリとマスターは私の願いをはねのけた。
人に優しく自分に厳しい人は、身内にも厳しいらしい。
「けちんぼ爺。」
「…お金を払って珈琲を飲みたくなったのなら、素直にそうおっしゃっい。」
暗にクビをにおわされて、慌てて自分で珈琲を淹れる準備をする。
「ほっほっほっほっ」なんて、うさんくさい笑いをする腹黒爺さんなのに
淹れる珈琲は天下一品な美味さなのだから、まったく世の中ってヤツは やるせない。
お客のいない店内を完全に任せて店の休憩ブースへ引っ込んでしまったマスターに
再度モカジャバを頼める度胸もなく、豆を挽き始める。
あーあ、今日はマスターのモカジャバが飲みたい気分だったのに。
ぶつくさと文句をつぶやきながら珈琲を淹れていると、
恐る恐るといった感じでカララン…とドアベルを鳴らして川島ちゃんが入ってきた。
彼女は最近、常連になった30歳のOLさん。
でもそのキョドキョドした表情で店に入ってくる様は、とても10才年上には見えない。
「川島ちゃーん!いらっしゃい!!まだアキラは来てないよー。」
声をかければ、ホッとした様子でカウンター席に座る。
もう何度となく交わしたやりとりだ。
今更、川島ちゃんを知らない客扱いなんてするわけないし、
あたし的には川島ちゃんは、もう友人にカウントされてるのに、
未だに新参者のお客さんとした風情で入ってくる。
まったく歯痒いぐらい控えめな人だ。
「いまモカジャバ作ってんの。川島ちゃんも飲む?」
「え、あ、あの…」
この店でモカジャバと言えば、まかないに分類される。
つまりはタダで珈琲を飲むかと聞いてるわけで、
川島ちゃんはそんなこと出来ないとばかりに首を振って珈琲を注文しようとする。
しまった。今の聞き方は失敗だった。
「てゆーか、これから別の珈琲つくるのめんどいからモカジャバね!けってー!!」
強制的にモカジャバを作り始めれば、彼女は珍しく吹き出すように笑って、
そのまま異を唱えず椅子に座りなおした。
まぁ、いつも知り合い限定で珈琲を淹れさせてもらえるのを
嬉々として語っているあたしが、めんどくさいなんて説得力無いもんね。
気を使ったのなんてバレバレなんだろう。
ちぇ。
いつも、事実ナナメ上の思い込みをする彼女は、
肝心な所だけしっかりと見てるから、ほんとタチが悪い。
「アキラは何時に来るって?」
「あ、タバコ買いに行っただけだから、すぐに来ると思う。」
言った矢先にカランコロンと威勢良くドアベルが鳴って川島ちゃんが振り返る。
「あっれー、翔子ちゃん1人??めっずらしー。アキラは?」
「え、…え……えと…」
途端、川島ちゃんの顔は強張って、助けを求めるようにあたしにチラリと視線を寄越した。
あぁ、コイツ川島ちゃんに覚えられてないんだ。
入ってきた男は頭のてっぺんをドレッドで纏め、サイドを剃り上げてて口にはピアス、
ゼブラカラーのゴツいウェリントン型メガネも付けてて
大学生にしては中々に個性的な見た目だ。
挨拶程度とは言え、何度か話しかけていたと思うんだけど、
それでも一途で彼氏しか目に入っていない川島ちゃんには
認識されていなかったらしい。
これをスルー出来るとは、さすが川島ちゃん。
「和田鉄夫!アンタ川島ちゃんを馴れ馴れしく下の名前で呼ぶなっつーの!!あたしだって未だに名字で呼んでるのに!!!」
「なんでフルネーム…。あ、ツルコーおまえモカジャバ淹れてんの!?おれもおれも。」
「ざんねーん。これはあたしと川島ちゃんの分しか無いんですー。普通に金払って飲め。」
「あ、あああの、私がお金払って珈琲飲みますから、お二人で…」
「いやいやいやいや、川島ちゃんが払ってどうすんの。」
「そうそう、翔子ちゃんとおれはお客様だ!店員のツルコーが遠慮しろ!!」
「だから川島ちゃんを名前で呼ぶなっつの!」
あたしだって名前で呼びたいところを、もうちょっと親しくなってからと我慢してるのに…!
「えー、おれ女の子は基本的に下の名前で呼ぶもん。いまさら名字で呼ぶの恥ィよ。」
「テツオ…あんた、あたしのこと何て呼んでる…?」
「ツルコー」
「名前で呼んでないじゃない…っ」
「や、ツルコーは無理だって。カラスマがいるじゃん。」
「川島ちゃんにだってアキラがいるっての。」
「や、アキラくんは恐くないもん。」
「タカちゃんだって恐くないでしょ!」
「えー…?や、えぇー…??」
テツオは、しきりに納得の行かない表情でブーブー言う。
この男はタカちゃんと同じ学科で、いつもつるんでるメンバーの1人だ。試験前になるとタカちゃんノートの世話にだってなっている。だというのに、未だタカちゃんの体躯にビビってるなんて…!
「テツオ!あんたはしばらくモカジャバ禁止!!」
「えぇー!なんでだよ!!普通に金払ってたら金欠になんじゃん!」
川島ちゃんの前にだけモカジャバを置いて、
あたしのモカジャバに手を出してくるテツオと攻防を繰り広げる。
夕方に程近い店内は、他にお客さんもなく、
川島ちゃんとマスターは苦笑を浮かべながらも
微笑ましいといった目をして眺めるばかり。
こういう友人とのじゃれあいは いつものことで、
つまりは平和な日々で平凡な風景の一コマだった。
このときまでは。
カランコロンとドアベルが鳴る。
川島ちゃんが期待に満ちた目をして振り返り、
ちょっと肩を落としてまた顔をカウンターに戻す。
あらら、またアキラじゃなかったのか。なにしてんだか。
そんなことを思いながら、あたしも入口に目をやって、ドクリと心臓が脈打った。
そこに居たのはタカちゃん
と
タカちゃんに寄り添うように立っている
綺麗な女の人。
「おおー!びっじんさーん!!」
テツオが何も考えてない顔まるだしで入口に駆け寄る。
そのまま女性の手を取って、名前を聞いたところで
大きな大きな手によって、頭をわしづかまれた。
ほんとバカ。
友達なら気付けって。
タカちゃんは、どこを見ているのか焦点の合わない うつろな目。
怒りの瞳だ。
「いで、いでででで!おい、カラスマ!!いで!ちょ、なに、ごめんて!カラスマくぅん!!」
「………痛いか?」
わぁ、確認入りました。これはMAXで機嫌悪いわ。
これは、どういうこと?
テツオが彼女の手を握って、そんなに怒るなんて、どういうこと??
彼女を守るように立ちはだかってるのは、どういうことなの???
「ふふ、タカってば大人気ない。」
「……アヤコ……。」
バツの悪い顔をして、タカちゃんがテツオを離す。
ガツン と
頭を殴られたかのような衝撃だった。
知り合いで
名前で呼び合ってて
彼女のひと言で
意外と気難しいタカちゃんの怒りがとけたことも
すべてが、あるひとつを指し示しているようで
あたしの心はクシャクシャだ。
タカちゃんがこちらをふりかえる。
やばい。
そう思っても、顔の筋肉は凝り固まったかのように動かなくて
あたしの常勝無敗な笑顔は敵前逃亡中。
あぁ、タカちゃんの瞳にあたしの泣きそうな顔が……
「うを!…んだよカラスマ。デケェ図体で入口ふさぐんじゃねぇっての。」
タカちゃんがこちらを振り返る前に、ぶっきらぼうな声が響いた。
川島ちゃんが立ち上がる。
今度こそ待ち人が来たのだ。
「やー、マジまいった。そこの角のたばこ屋いつの間に潰れたんだよ。」
コンビニまで行くはめになったと、
そんなことを言いながらカウンター席に座ったアキラは、
川島ちゃんの前にチョコレートのお菓子を置く。
待たせた詫びのつもりなのだろう。
川島ちゃんが嬉しそうにそれを手に取った。
普段、タカちゃんたちが座るのはカウンター席だ。
あたしがカウンターに居る機会が多いし、注文も楽だから。
でも、川島ちゃんが来てる時は、みんなアキラに気を使って一番奥のテーブル席に座る。
じゃないと、この天邪鬼でプライドばかり高い男は、ちっとも川島ちゃんに素直になれないから。
だから今日もタカちゃんは一番奥のテーブル席へと向かう。あたりまえだ。いつものことだ。
なのに、今日はその行動がちっともいつものことのように思えない。
なんでその女の人と奥の席に行くの?
あたしに聞かれたら嫌な話でもするの?
何なの?誰なの?どんな関係なの??
聞きたいことはイッパイあるけど、それを聞いたらすべてが終わる気がして、
何も気にしていない顔をするだけで精一杯。
「なになにカラスマってば。メッチャ痛いんだけど、ツルコーおれの頭つぶれてない?」
チラチラと奥の席を気にしていたら復活したテツオがカウンター席に座った。
テツオもいつもはアキラと川島ちゃんに遠慮するのに、
さすがにアイアンクローをくらったばかりでタカちゃんに近づく気にはなれないらしい。
こんな時こそ頭使わずに奥の席へ特攻して行って、
二人の話をぶち壊せばいいのに使えないったらありゃしない。
「テツオ。お前、また何かポカしたのか?」
「アキラくんヒドくね?おれそんなにポカばっかりしないよ。ちょっと名前聞きたがっただけで…」
「名前…? 誰の……―」
アキラがタカちゃんたちの方を見ると、なにか納得したようにテツオへ視線を移した。
「なんだテツオ。もしかしてアレ、誰だか分かってないのか?」
「え!?アキラくん知ってるの!??うちの学科に、あんな美人居たっけ!?」
「バカ。あいつカラスマの…」
その言葉の先をテツオより興味津々に聞いていたあたしを見て、
アキラがハッとした顔をすると、あたしに聞こえないようにテツオへ耳打ちする。
テツオは「えぇええぇぇー!?」と驚きの声をあげると、タカちゃんたちとアキラの顔を信じられないといった形相で交互に見る。
―――あいつ、カラスマの…―――
その先は つまり…
ぬっ と、大きな影が伸びる。
見慣れたその影に、少し身が竦んだ。
「…珈琲…二つ……。」
そう言って、瞬きを繰り返しながらあたしを見つめるタカちゃんを
静かに見つめ返す。
瞬きを繰り返すその瞳は、言いたいことがあるけど言い出せない合図。
「…オッケー!カリン様がとびきり美味しい珈琲淹れたげる!!」
何も気にしていない顔でニッコリ微笑めば、タカちゃんはもう何も言えない。
ごめんねタカちゃん。
…でも、その先は聞きたくないんだ。
タカちゃんは、どことなくほっとした瞳で席へと戻っていく。
言いだしにくいと思うぐらいには、あたしのことを好きでいてくれてるんだろうか。
奥の席に戻ったタカちゃんは、綺麗な女の人と
ひと言ふた言、言葉を交わして席につく。
女性にしては高い身長が、190cmのタカちゃんと並ぶとピッタリお似合いで
あたしは、こみ上げる何かを
熱しすぎた苦味と酸味が広がる未熟なモカジャバで
勢いよく流し込んだのだった。
なんだかもう先の展開がバレバレな感じがヒシヒシとしますが、まぁ、大方の予想通り特にドロドロ要素はありませんので、そこら辺を期待している方がいらっしゃったらすみません…
タカちゃんが言い出しにくい感じなのもアキラがカリンにバレないように耳打ちするのも次あたりで判明するんじゃないかと…したらいいなと……
あぁ、早く書き上げたい…っっ