第8話 Season of the love -Francis-
“春は恋の季節”とはよく言ったもので、今、我が家はまさにそんな状態だった。
「運命の人を見つけましたの!」と興奮気味に叫んだのは、馬車の事故から生還してきた姉のエイプリル。
部屋にこもって恋文をしたためているのは、メリル・ホーキンスに熱烈アタックを継続中の兄、ステファン。
極めつけは、一年じゅう春の陽気(そりゃあもう鬱陶しいほどの)が纏わりついている両親。
え? 僕?
あいにく、僕には恋よりも夢中なものがあるんだ。
◇
暇さえあれば馬に跨り、川の流れる“ナヴァラの森”に赴くのが僕の日課だ。屋敷からも近く、比較的多くのチョウが見られる場所だ。
馬を従者に預け、僕は持参したスケッチブックを片手にさっそく散策を始める。
地面や植物の葉を注視しながら歩いて行くと、すぐにスミレの葉を食べるヒョウモンチョウの幼虫を見つけた。背中には赤い線、体中から延びる棘。夏に羽化すれば、黄色に黒の斑点の見事な翅を披露してくれるだろう。
僕は腰を下ろしてスケッチを始めた。
そういえば、ヒョウモンチョウの幼虫はスミレの葉にばかり居るような気がする。スミレしか食べないのだろうか?
スケッチを始めると、すぐにそんな疑問が次から次へと浮かんでくる。それをスケッチの端にメモしては自分で仮説を立てたり、実際に観察してみたり、そんな研究者の真似事をするのが今一番僕にとって楽しい時間だった。
その後も森の奥へと進んで行き、見晴らしの良い草原にたどり着いた。
それまで穏やかだった風が温かな突風に変わり、思わず目を細める。すると向こうの方から白いボンネットが転がってくるのが微かに見えた。
向かってくるそれに手を伸ばすと、今度は小走りで駆けて来るひとりの少女が目に入った。
見るからにぎこちない走りで、危なっかしい。
そう思っていると、案の定、ドレスの裾を踏んだのか前のめりになって派手に倒れこんでしまった。
咄嗟に僕はその子の元へと駆け寄った。
「大丈夫?」
ボンネットを小脇に手を差し出すと、その子はくりっとした大きな瞳を伏せて「ありがとうございます」と言いながら僕の手を借りて立ち上がった。
ボンネットを渡すと、尚も彼女は恥ずかしそうに
「私そそっかしくて……すみません」と顔を赤らめた。確かに、ドレスは土で汚れ、頭には小さな草が。
とても貴族の娘とは思えないその姿がおかしくて、僕は小さく吹き出してしまった。
「ごめんね笑って。でもほら、ここに草が」
僕は笑いを堪えながら彼女の髪の毛に絡まっていた草の葉をそっと払い除けた。僕といっしょの金髪は、絹のように細く美しかった。
「お嬢様ー! どこですかー!」
草原の奥から聞こえてきた叫び声に彼女は振り返った。
「あの、どうもありがとうございました。もう行かなくては」
「ああ、気を付けてね」
一礼してから、彼女はまたそそくさと来た道を戻って行った。
名前を聞けばよかったと少し後悔したのは、彼女の背中がすでに遠く小さくなったときだ。
突然、帽子と共に転がってきた女の子。
おそらくあの子は、僕と同い年ぐらいだろうか。
異性はおろか、同年代の男友達すらいない僕にとって、この出会いはかなり新鮮なものだった。
この森に来れば、また会えるだろうか。そんな期待を抱かずにはいられなかった。