第2話 Empty bed -Stephen-
情事の後の甘ったるい倦怠感など、そこにはもう皆無だった。
「どうして!? ひどいっ……一緒になってくれるって信じていたのに!」
ああ、私としたことが……。やはり男爵夫人に手を出したのは間違いだった。
失態を演じた自分を払拭するように、私はベッドの上で裸体を晒しながら泣き喚く女に背を向けて黙々と衣服を身に着けていく。
たとえ刹那的な関係を結ぼうとも、後腐れのない娼婦やメイドなどを選んできたはずだ。それが成り行きでこんな事に……。どうかしてたな。
「とても素晴らしい夜でした。しかし貴女は分かっていない。男爵と別れて私と一緒になるなんて馬鹿げてる」
「そんなっ」
「スキャンダルは貴女と私を破滅させるだけだ。今日の夢のようなひと時は、お互い美しい思い出として胸にしまっておきましょう」
口を半開きにしたまま虚ろな瞳でこちらを見上げる女を一瞥してから、私はベッドから立ち上がった。
「ステファン様……やっぱり大好き」
去り際に、女のうっとりとした声が耳に届いた。
◇
「お兄様ほど、わたくしの理想と正反対な男性はいないですわ」
妹のエイプリルと過ごしていた午後のティータイム。
彼女は熱い尊敬の眼差しを湛えてそう言った。なんだろう、全然嬉しくないんだが。
ていうか、君の理想の方が実は世間一般から外れているんだよと真実を教えてあげるのが優しさというものだが、ここは兄として大人の対応をする。
「それはそれは、お褒めに預かり光栄だな」顔を引き攣らせながらどうにか皮肉を口にした。
「こんなに女性をとっかえひっかえなさって……お兄様は可哀想ですね」今度は同情に満ちた声音の妹。
「女性は大好きなんだが、恋だの愛だの、そういった堅苦しいものが苦手でね」
ベッドの中でいくら情熱的に体を重ねようとも、それは愛を交わすという行為とは程遠いものだった。相手のことを「可愛い」と思っても「愛おしい」とは思わない。
私の体と心はいつも完全に分離しているのだ。
まあ、それで自分も相手も満足しているのだから万事オーケーなのだけど。
「少しはお父様やクリスのことを見習ったらよろしいのでは?」
「……」
咀嚼していた大好物のスコーンが一瞬にして不味くなった。
父上……それは伯爵としてなら尊敬できるが、男としては不愉快極まりない存在。
なぜって? もう話すまでもなかろう。
母上への病的なほどの愛情とスキンシップには幼き頃から辟易していたし、母上と珍しく喧嘩した父が、捨てられた子犬の如き瞳で縋り付いていた光景には未だに嫌悪感を覚える。
4歳年上の従兄、クリス・マクスウェルも昨年ついに結婚し、今ではすっかり奥方のセシリアに骨抜きになっている。
よく悪戯をしては家族や使用人たちを困らせたあの悪ガキの面影もなければ、「結婚なんて人生の墓場だ」と堂々と宣言していた男の中の男・クリス・マクスウェルはもはや跡形もなく消え去った。
私が憧れていた男は、今頃鼻の下を伸ばして妻の傍にべったり貼り付いているに違いないのだ。
「この前送られて来たクリスからの手紙に何て書いてあったと思う?
“君も早く家庭を持つべきだ。至上の幸福をステファンにも分けてやりたいぐらいだ”」
「まあ、それは幸せそうで何よりですわ」
「私に言わせれば、散々結婚を馬鹿にして否定していた男が口にするセリフじゃない。心底幻滅したよ」
眉をひそめる私にエイプリルは目を瞬いた。
「でも、お兄様も本当に愛する方に出会ったらきっとクリスの気持ちが分かりますわ」
「下僕のように妻に跪くなど、考えられないな」
そう、私には自信があったのだ。この時までは。
自分はそんなみっともない男ではないという自信がね。