第17話 You never know that taste -Edward-
横転した馬車から救い出したのは、あまりにもぶっ飛んだ女性だった。
その日のうちに彼女からプロポーズされるという、奇妙な経験をしたのがほんの数日前。
実は、すっかり傷の癒えたらしいその女性から、ぜひ改めてお礼がしたいとの手紙を受け、今日この侯爵家の屋敷に彼女が来ることになってしまった。
あの衝撃的なプロポーズは、もちろん私を思考停止にさせた。事故のせいで頭がおかしくなったと思うのが普通だろう。
とにかく、身の危険(色んな意味で)を察知した私は、すぐさま彼女の看病を宿屋の女主人に任せて何事もなくその場から立ち去ったのだが……まさかこんなに早く再会が訪れようとは……。
一体どんな顔をして再会すれば良いんだ?
◇
「本当に、その節は大変にお世話になりました。エドワード様があの時いらっしゃらなかったら、わたくし今ごろここに居たかどうか……本当に感謝しておりますっ」
「……いえ、当然のことをしたまでです……」
今にもガバリと抱きつかれそうな勢いに軽い恐怖を覚えながら、私はさり気なく目を逸らした。
といっても、応接室には私たちだけだったので、否応なしに彼女からの恋に焦がれる視線を受け続けなければならないのだ。
やっぱりあのプロポーズは本気なのか?
「それで、これはほんのお礼なのですが……」
おもむろに手渡された小さな箱。中を空けるとこんがりと焼けた不格好な物体が……。
「これは……ショートブレッド?」
「はい! わたくしが作ったんです」
「君が? よく作らせてくれたね」
「ええ、料理人たちには絶対にダメだと言われたんですけど、死活問題に関わることだと説明したら折れてくれましたわ」
「……へえ」彼女の言葉にいちいち背中がゾッとする。
それにしても、お世辞にも美味そうには見えない。ショートブレッドのレシピなんて簡単だろうに。
「男性には手作りが一番喜ばれると思いまして。わたくし刺繍が苦手なので、でしたらお料理はいかがかとひらめいたのです」
「男が手作りに弱いなんて聞いたことないな」
「ジュリアン・ハワードの小説を参考にしたのです!」
……まさかここにもジュリアン・ハワード信者がいたとは。
私は辟易しそうになるのを堪えた。
「ジュリアン・ハワードのファン?」
「大好きです! 彼女の本は全て読破いたしましたの。あんな小説を書けるぐらいですから、きっと彼女は恋愛のエキスパートなんですわ」瞳をキラキラとさせながら力説する。
エキスパート? そうかな。手作りに弱いのだって、本人の趣味のせいじゃ……?
そんな疑問符を浮かべつつ、彼女の作ったショートブレッドをありがたく受け取って脇に置いた。だってここで食べて吹き出してしまったら、彼女を悲しませるだろうし。
「それであの、今日はご家族は?」
「両親は王都の方に出向いていて、兄は執務で忙しいんだ。すまないね」
「いいえっ、お気になさらないでください。結婚のことはまた後日にでも……」
「……は?」
なんでこうも彼女は突拍子もないことを口にするんだ?
分からない。エイプリル・ダーリングのことが分からない!
「……あの、もしかして、あの時のプロポーズは本気だったのかい……?」
「もちろんです! エドワード様こそ、わたくしの運命の相手なのです!」
ああ……またこの娘はニッコリ笑顔で恐ろしいことを口にして暴走してるよ……。
いま耳にしたことが、どうか夢であってほしい! 私の目の前が眩暈で真っ暗になる前に覚めてくれ。
「あの、ミス・ダーリング、」
「わたくしのことは“エイプリル”と呼んでくださいな」
「……エイプリル、冷静になってほしいんだが、私たちはお互いのことをよく知らないだろう?」
「ええ、エドワード様がここまで美男子でいらっしゃったなんて知りませんでしたわ。あの日は部屋が薄暗かったですから」
「いや、そういう事じゃなくて……例えば人柄とか、趣味とか、将来の夢とか、そういうものだよ」
「はあ、そうですわね……」だから何ですの? と言わんばかりの顔だ。
駄目だ……エイプリルに常識は通じないのかもしれない。
「まずは、お互いをよく知ってからじゃないと結婚はできないよ。一生を共にするということを君はよく分かってないんじゃないかい?」
「まあっ、そんなひどい事を仰らないでください。わたくしは貴方とお会いしたとき、確かに感じたのです。ビビビッと! わたくしの直観を信じてください!」
そんな手を握られて熱弁されても……。
つい最近出会ったばかりの人に自分の人生を託すなんてできやしないさ。
「残念ながら、私は君にビビビッとは感じなかった。だから今すぐ結婚を約束するのは無理だ」
「……そんな」
途端、エイプリルが捨て犬のような佇まいで緑色の瞳を潤ませていく。
そんな顔は反則だ!
「で、結局お友達からってことにしたのか?」
「ええまあ……まんまと嵌められたような気分ですよ」
仕事がひと段落した兄、チャールズとのティータイム。彼女のつくったショートブレッドもテーブルに用意されていた。
「ダーリング家の娘か……前に舞踏会で見かけたが、美人だったな。それに愛嬌もある」
「それは私も認めますけど、なにせ思い込みが激しいというか、とにかく強烈なんです。極めつけにジュリアン・ハワードのファンときた」
「へえ~、それはそれは」
可笑しそうな顔でエイプリルのショートブレッドに手を伸ばす兄。
私は眉間の皺を指先で触りながら下を俯いた。すごい疲労感だ……。
「お、これ、なかなか美味いぞ」
不格好なショートブレッドを口にした兄の感想に、私は思わず疑いの目を向けた。
「本当に?」
半信半疑のまま、私もつまんでみる。
すると、見た目とは裏腹にサクサクとした触感と香ばしく程よい甘さが口の中に広がっていった。
確かに美味い。
ありふれた菓子であるはずなのに、それはなぜか格別な味に思えた。
彼女のことだろう、きっと粉まみれになりながら不器用にこれを手作りしたのだろうから。
この味は、驚くほど無邪気に、隠そうともせずに好意を示してくるエイプリルの姿と重なる。
でもね、だから君はきっと知らないんだ。
恋が甘いだけでなく、時に残酷な味になることを―――。




