戸田君の言い分
「戸田君の真実」、「村上君のリアル」、「江戸川君の靴」、「菅原君の重力」、「立花君の忠誠」、「和泉君の夢」、「春川君の忘れ物」の続編です。
あの子が髪を切った。
「春っぽくショートにしてくださいって言ったら、すごい短くされちゃった」
照れくさそうに髪をいじる仕草が、いちいち可愛いから困る。
無防備に晒された耳たぶは、厚くてたっぷりしている。
指先で触れたら、耳たぶも頬も朱に染まった。
ほっそりとした目が非難するようにこちらを見ると、背筋がゾクゾクした。
ポケットにいれて持ち運べたら、どんなにいいだろう。
肩にちょこんと乗せるのもいい。
小さな手が俺の手を払いのけて、耳を隠す。
「福耳なんだよ。恥ずかしいから、じろじろ見ないで」
「初めて会った時から知っているけど」
高校入試の日、受験票を一緒に探してくれた子の耳は、寒さのせいで真っ赤だった。
手を伸ばして、短くなった髪に何度も触れた。
珍しく抵抗しないで、細い目がこちらをじっと見つめる。
「戸田君、面白くなさそうな顔しているね」
俺に興味がないくせに、そういう感情にだけ敏感だから困る。
「実家に顔出さないといけないんだ」
「ふーん」
言葉の反応は薄いけど、ドーナツを半分わけてくれたから、心配しているのだろう。
甘い物好きな俺を慰めようとしている。
5年間も見ているから、分かってしまう。
誰かを気にかけている時のあんたは、いつもそうだ。
ずるい俺は、ここぞとばかりにつけあがる。
「帰ってきたら、ネズミーシーに行ってくれる?」
「アフター7パスポートなら、行ってもいいよ。安いから」
そう言ってくれるなら、俺は何だって出来る。
大嫌いな実家だって、へっちゃらだよ。
「あんたの趣味、変わってんのね」
実家の部屋であの子の写真を眺めていたら、姉貴が勝手に入ってきた。
「ノックしてよ」
姉貴は、鼻を鳴らすと、自慢の金髪(自毛はブラウンのくせに)を払いのけた。
「可愛げない弟ね。しかも、女の趣味まで悪い。カラーコンタクトなんか入れるから、目がおかしくなっちゃったんだわ」
同情をこめた声色が耳障りで、首を絞めてやりたくなった。
俺は、この女が嫌いだ。
姉貴は、他人に何かしてあげることなど、一度たりとも考えたことがない。
与えてばかりで何も望まないあの子とは正反対だ。
母親が死んだ時、泣いていた俺に向かって姉貴は言った。
「私、甘えている奴って嫌いなのよ。あんたを可愛がってくれたママはもういないんだから、泣くなんて無駄なことをするのは、よしなさい」
その言葉を聞いた時、心底姉貴が嫌いになった。
姉貴は、母親を亡くした強がりとかではなくて、本当にそう思っているようだった。
冷静で合理的な考え方をすることができる自分を世界で一番正しい人間だと信じている。
父親のせいだと考えれば、同情の余地がないわけでもないけど、とにかく気に食わない。
最悪なのは、姉貴だけじゃない。
兄貴達も父親そっくりの冷血漢だ。
皮肉屋で他人を疑ってばかりで、家族にすら壁を作る。
まあ、俺も同じだけど。
元カリスマ社長だといわれている祖父は、自分の息子をそういう人間に育て、その息子は自分の子供を同じように育てた。
俺が家族の中で唯一好きなのは、腹違いの弟だけだ。
生まれたばかりでふにゃふにゃだから、かわいい。
父親の再婚相手は、金に目がない女だけど、自分の息子も同じくらい好きなようだから、親父や兄貴達よりはましに人間だろう。
夕食は、家族で食べることになった。
祖父さんが上座で、右が親父で左が一番上の兄貴。
俺は、有難いことに末席だ。
「大学はどうだ?」
親父に聞かれた。
「まあまあだね。あ、祖父さん。車、サンキュー」
ふざけた礼を言っても、祖父さんは反応しない。
出来の悪い末の孫には興味がないのだ。
「また、お祖父さんを煩わせたのか。いつまでもふらふらしていられると思うなよ」
一番上の兄貴が不機嫌な声で言った。
ハーバードだかケンブリッジだかを卒業しているらしい。
俺が国内の大学に進学したことを馬鹿にしていて、いつも嫌味を言ってくる。
必死に勉強して今の大学に入ったのだから、俺としては全然不満はないのに、何がそんなに気に入らないんだ。
「やめときな、兄さん。忠告するだけ、時間の無駄」
そう言ったのは、二番目の兄貴だ。
性格と学歴は、上も下も大差ないかな。
どうせ、へたな茶番だ。
俺は、へらっと笑ってから、スープに視線を戻した。
ぬるいし、味気ない。
こんなのばっかり飲んできたから、猫舌になったんだ。
あの子が作った熱々の味噌汁が飲みたい。
塩辛くても気にしない。
ヤケドしてもいいから。
部屋に戻って、ケータイを見ると、宮沢からメールが届いていた。
飲みに行こうという内容だった。
明日の帰りに会おう。
面倒な用事は早く済ませた方がいい。
自分から誘っておいて、宮沢は遅刻してきた。
こういう奴だよ。
ぜえぜえと荒い息をする宮沢を横目に俺はビールを流し込んだ。
多少飲んでおかないと、今日は上手くいかない気がする。
「さくらのことも2時間待たせるの」
「前は時々な。でも、最近はねーよ」
宮沢は、正直に白状した。
さくらは、よっぽど、宮沢のことが好きなんだな。
俺が2時間遅刻したら、二度と会ってもらえないんじゃないか。
さくらじゃなくて、あの子に。
家族に会ったせいか、ネガティヴ思考になっている。
宮沢は、居酒屋なのに大盛りのご飯とトンカツを注文して、すごい勢いで食べ始めた。
こういうところは、嫌いじゃない。
むしろ、羨ましいくらいだ。
焼酎をちびちび飲んでいると、食べ終わった宮沢がこちらを向いた。
「アイツ、どうしてる?」
「アイツ」とは言うまでもなく、俺の好きな人だ。
宮沢は、「アイツ」のことがずっと好きだった。
「元気そうだよ。髪を切ったみたい」
俺は、当たり障りの返事をした。
宮沢は俺の気持ちを知らない。
俺がさくらを好きだったと思っている。
さくらなんか、最初からどうでもいいよ。
それより、もう「アイツ」のことは忘れてくれないか。
でも、そんなことは言えないから友達面をして黙っている。
そうとも知らない宮沢は、俺に相談を持ちかける。
「お前に頼むのは変かもしれないけど、大学の間だけでもアイツのこと見ててくれないか」
「いいけど」
涼しい顔して頷くけど、「なんで、そんなこと言うんだ」と聞きたくてたまらない。
俺の心を知らないくせ、宮沢は、理由を話してくれた。
「アイツ、頭に子供の頃にできた傷がある。それ、俺のせいなんだ。俺の親父は酒が入ると、暴力ふるうような男でさ。殴られそうになった時、ちょうどアイツが来てしまって、俺をかばおうとした。そしたら、親父のげんこつをまともに食らって、倒れた拍子に机の角で頭を切った」
なんだよ、それ。
俺は怒りで吐きそうになった。
あの子が死んでしまったら、と考えるだけで足がすくんだ。
「ずっとアイツのことは俺が守ってやらないといけないと思ってたんだ。それが恋にならなくても全然構わないと思ってた。でも、俺にはさくらがいるし、さくらをこれ以上傷つけたくない。俺はできない。だから、友達として、少しだけアイツのこと気にかけてくれないか」
宮沢は、信頼できる友人として俺を見る。
ドロドロの感情が湧き上がる。
「俺は構わないけど、今は普通に元気じゃん。心配しすぎじゃない」
我ながら、意地の悪い言い方だ。
もっと心の内を話せと誘いかける。
宮沢は、少し躊躇った後、話し始めた。
「どっかおかしいんだ、アイツ。多分、病気の母親がいたせいだと思う。父親が忙しい人で、小さい頃からずっと病気の母親につきっきりだった。小学校の帰りに毎日病院に寄っていた。だから、かもしれない。誰かが苦しんでいると、無意識のうちになんとかしようとする。ささいなことに首を突っ込むなら、いいんだ。でも、いつか、危ないことに関わるんじゃないかと思うことがある。俺の時みたいに」
宮沢は、泣いている。
軽薄なようで、情に厚い奴だ。
俺は返す言葉がなかった。
やりきれないから、宮沢と吐くほど飲んだ。
天と地が逆さまだ。
「戸田君」
あの子の顔が見える。
俺の神様は、天から下りてきたみたい。
「戸田君ってば」
もっと名前を呼んで。
「戸田君、起きてよ」
・・・様子がおかしくないか。
寒いし、頭がめちゃくちゃ痛い。
なんとか起き上がると、俺はあの子の部屋の玄関で倒れていた。
「戸田君、どうしたの。大丈夫?」
丸い顔に心配そうな表情が浮かんでいる。
「俺、どうしてここにいんの」
「明け方近くにドアをドンドン叩くから、開けてあげたら、玄関で倒れたんだよ。実家で嫌なことでもあったの」
唇から息遣いが漏れて、睫毛が揺れる。
全部、俺のだ。
他の誰のものにもならないでくれ。
誰にも傷つけさせないから。
「ネズミーシーに行ってくれる?」
俺の唐突な質問に戸惑った顔をする。
「いいけど。まだ、朝の6時だよ。ベッドで寝ていいから、夕方になったら行こうよ」
俺をベッドに寝かせたあの子は、鼻歌を歌いながら、洗濯物を干している。
かなり音痴だ。
まあ、気持ちが良いから、別にいいや。
ネズミーシーでは、カップルイベントをやっていた。
あの子は参加したがらなかった。
だけど、帰り道で興味深いことを言った。
「カナちゃんが、ネズミの国に行ったカップルは別れるって言ったんだ。だから、イベントに参加したくなかったの」
来週の日曜日は、一緒に花見をする約束をした。
俺が幸せなように、あの子も幸せだったらいい。
教訓:
同性の友人はいるに越したことはない。
グッジョブ、カナちゃん。
「戸田君の恋人」シリーズ、次回で終わりです。