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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

ミノリは、俺様ド真面目悪魔グレッグに恋をする

作者: 糸網ざらめ
掲載日:2026/07/23

 連続殺人事件が3回起きた一戸建て住宅を中古で買うなんて正気じゃないと言われた。私でもそう思う。

 

 でも私はお家が欲しくて、お金が無くて、しかもこの家は水道管も破裂してないし、ちゃんと電気もガスも水道も通ってるし、ちょっと森を抜けて歩けば街の駅から20分だし。

 

 それにガーリーな壁紙や、前の住人の高級志向な家具が一通り残っているのだ! 4年分のバイト代を突っ込んで、買うっきゃ無いでしょ!(親の名義で)



「君って衝動的だよなあ。本当に学者先生ふたりの娘かい?」

 パトリック・シャーマンが言う。パトリックは私のかつての初恋の相手だ。もちろんパトリックには振られた(ゲイだった)けど、パトリックは私にとても優しい。友達として、だ。

 

 淡い色の髪の毛とか、笑うとえくぼができる所とか、私の適当なジョークに大爆笑してくれるところが好きだったんだけど、まあ、それはいいのだ。



「なにを~! 大学生なのに高校一年の時から土日と平日の夜を犠牲にして長期休暇もどこにもいかず全部働いて4年かけて貯めたバイト代全額突っ込んだらお家が買えるんだよ!? 3万ギニスであの豪邸みたいなお家が買えるんだよ?! 法外に破格! 名義は親だけどさ。買うしか無いでしょ。しかもグレードのかなり高い新車を一台買う金額で買えるんだよ?! お庭付き。駅近。水道電気ガスが工事しなくても、会社と契約してお金を払うだけでついてくる! まあ、『おばけが出ても訴えない』って条件で不動産屋さんは売ってくれたんだけどね」



「俺だったら自殺と殺人が起きた家なんて豪邸でも買わないけど、まあ、君って変わってるもんね。オカルト好きなんだっけ?」

「うん。ホラー映画愛好家で、悪魔とか幽霊とかUFOとか宇宙人とかの映画に推しがいっぱいいる。フィクションなら殺人鬼も推しがいるよ。ナタとか振り回すタイプの殺人鬼」

「終わってんな……」

「えへへ……照れますなあ」

「褒めてない」



「…………」

「でも、大学二年生で自分のバイト代で親名義で家を購入することの是非は置いておいて、……首吊りと、一家心中と、シリアルキラーの強盗殺人なんでしょ? ……ぜったい警備会社と契約しておいたりとか、監視カメラ設置したり、あとは清めの塩とか庭に撒いて家を守ったほうが良いって」


「警備会社はともかく、おばけとか信じてないからなあ。オカルトは好きだけど、私科学以外信じてないし」

「ふう……じゃあそろそろ行くわ。次の講義に間に合わなくなるから」


「あーい」

「……ミノリちゃんは今日は帰るんだっけ?」

「そう。午前の講義終わったから」


「……あの家に行くの?」

「荷物はこないだの土日にパパに手伝ってもらって運んだよ」

「そう。……ほんと、凄いよ、君は。心臓に毛が生えてる」

「ひどいなあ~、科学的で合理的と呼んでおくれよう」



 肩をすくめられた。こう見るとクールでドライに見えるけど、結構気配り上手というか、風邪を引いたらハーブと薬草エキスを配合したのどに優しいキャンディを袋でくれたり、優しくて細かい人なのだ。



(おおざっぱな私とは対照的ですなあ……)



 そして私は家についた!

 豪邸だ……豪邸すぎて涙が出てくる。

 

 

 不動産屋さんは「申し訳ありませんがこれ以上お値段は落とせなくて……」とおどおどした目で言っていたし、「本当に良いんですか? ここ、3回殺人事件が起きていて、1回家族の無理心中、1回、自殺があるんですが……」と誠実すぎる発言をしてくれた。

 

 

 けど私からすれば地球上で生き物が死んでない場所なんてどこにもないし、ベーコンやソーセージやお寿司もいわば死体である。お野菜のサラダも植物の死骸と言うこともできるだろう。それに人はいずれ死ぬ。だから怖くなかろうなのだ~!!(ハイテンション)



 すごい豪邸……子供の頃から夢だった。



 こういう、おしゃれででかい魔法使いの住んでそうなお家に住んでみたかったし、まるで魔法使いの映画みたいなアンティークな内装も気に入った。でもマナーハウスほどは古めかしくなくて、ほどよく1920年~1940年代って感じがする。



 早々にまさかこんな事が起きるなんて……。


「しまった……虫さんが居るとは……くそう……ガッデム……まだネズミさんじゃないだけ駆除が可哀想じゃないから良いけど……」


 茶色い悪魔よりも怖い生き物が出た。

 ちくしょう。魔法世界を牛耳る闇の魔法使いの名前を呼んではいけないあのお方よりも怖いあの虫が出るとは……。



●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●



「まあ、こんなこともあろうかと捕獲罠を買っていたのだよ」

 スマホ越しに喋る。ワイヤレスヘッドホンの通話機能を使うなんてことはできない。アナログ人間だからだ。


「そうなんだあ。よーいしゅうとおで、おねえちゃんすごいねえ」

「そうなんだよ~お姉ちゃんは用意周到なんだぞ。という訳でまたね~」

「またねえ、おねえちゃんっ」

 小さい幼稚園児の妹相手に電話でドヤっている図をパパとママが見たら白目を剥きそうだなと思いつつ、何食わぬ顔で箱型捕獲罠を作っていく。紙でできていて、箱型で中に毒エサがあるのだ。



 って、あれ……? 全部で、10箱作るはずなのに、手元にあるのは9箱だけだ。どこいった……? しかも1箱、なんか作りたての箱型捕獲罠が微妙に動いている気がする。あれ。無自覚に触ってしまっていたんだろうか。

 

 あっ、床に落ちてる。箱型の捕獲罠……。

 風で飛ばされたのかな? でも今は真冬で、12月末だ。扇風機もつけてないし、エアコンの暖房もこの部屋はつけていない。電気代もったいないし。あったか素材の肌着とフリースを着てるからほかほかだし。

…………。



 なにかがおかしい気がしたけど、気にしないことにした。

 

 

●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●



「ふんふふ~ん」

 窓拭き作業を続ける。ほこっていたので、掃除しているのだ。なんだかめんどうくさい単純作業だけどやり始めると楽しい。のどが痛くならないようにとお母さんが土日に言ったようにマスクをつけている。



「掃除完了~!」

 思わず両手でガッツポーズをする。



「ココアでも飲むかな~♪」

 ちょっとした甘い物を飲みながら、音楽を聴いたり映画を観るのは贅沢気分で楽しい。

 せっかくだからココアを……。



「う、うわああああああああ?!」


 コップが浮いていた。

 ふよふよ、ふよふよ、とコップが上下している。


「ポルターガイスト現象、じゃないですかあ!! すごいすごい!」

 思わず私はひとしきり拍手したあと――スマホ片手に撮影していた。頭の中には友達にこれを送ったら話のネタになるな、ぐらいの感想しか無かった。

 

 でもその前に、……ってあれっ?! スマホの充電が2%になってる! いつの間に……!



●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●


 翌日。


「ということがあったんだ」

「いやいやいやいやいや、そういう事があったんだ、じゃないだろ。何その冷静な感じ」

「いやあ、だってコップが浮いただけだし。割れなかったし」

「……お前、ほんとどうなってんだよ……」

「という訳で、万が一私が死んだら、他殺の線を疑って神父様を家に派遣して下さい」

「死ぬ前に引っ越せ」

「やだよう! 高かったんだよ?! 市場価格と比べると出血大サービスの激安とはいえ、トンデモなく高かったんだよ?! 私の4年という人生をかけて買った3万ギニスの大出費だよ?! てこでも引っ越さない! むしろネットとか書籍で幽霊とのバトルの仕方を探して、除霊してみせるから」

「……わーお、君ってやつは」

「というわけで今日はバーベキューは行けない。帰宅後に幽霊の仕業で家が全焼とかしても嫌だし。冬休みシーズンが終わったらまた大学で会おうぜ!」

「そうだね。気をつけろよ、ほんとに」

「パトリック君……ほんとうにイケメン……いや、保護者……」

「バーベキュー楽しんでくる」

「は~い。りょ」



 今は昼の11時だ。とりあえず、ブランチでも食べよう。ソーセージとスクランブルエッグと生のプチトマト大量と食パンをかじろう。食生活のバランスが悪いのは野菜ジュースでおぎなっちゃえ。いや、ほんとうにおぎなえてるのかは知らんけども。



 そう思った。

 今日は、部屋の壁に血の落書きが浮かび上がって、大慌てでティッシュとかタオルとか水入りバケツを持って近寄った頃には消えてたり、庭でアリが行列を作ってなぜか「GO AWAY(※でていけ)」と書いていたり、窓に外から手型(けっこう大きい男性の手)がついていたり(なぜか指紋は無かった)、部屋の壁にかかっていた絵が微妙に角度がずれたり回転したり、電気がチカチカ点滅したり(これはただ単に電気屋に行ってLED電球を取り替えたら普通に解決した)、物が浮いたり、冷蔵庫の物がかじられていたりした。

 

…………。


 そして、また一日が経過した!

 

 

●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●



 シャワー室。


『ねえ、わたしのこえ、ぎこえるうう?』

 女の声で語りかけられた。

 幽霊って返事しちゃいけなかったような気がするけど、私は「あ、はい。聞こえます」と返事をした。

 

『このおうちがらあ、ででいっで』

「あ、今家の所有者私なので無理ですね。3万ギニスとこの家を越える最高な物件をあなたが用意してくれるなら考えてもいいですけど、なにをしても絶対引っ越しませんから!」


『…………』


「ていうかあなたのせいで私友達から『ついにミノリちゃんもハイになる葉っぱ入りのクッキー食べたんだね……(うるうる目の絵文字)、大人しく自首しなよ……(笑う絵文字)』とか『ミノリ、ちょっと勉強しすぎなのよ、資格試験するために勉強するペースを落としたら?』とか言われたんですよ。どうしてくれるんですか! 虚言癖もちの痛い女だと思われちゃったじゃないですか!」



『…………』


「このままだったら電化製品用意して、録音機器であなたの声と行動をすべて監視カメラを全部屋設置して撮影して、ネットに垂れ流して晒して小銭を稼いでやりましょうか?! おお!? あなたのおかげで墜落ついらくしきった私の評判もろともお前の存在を世間に知らしめて神父さんかお坊さんを呼んでお前の幽霊人生も破壊してやる――! でもコップふわふわは見ててすっごく魔法みたいでドキドキしたのであとでもう一回やってください――あと手品とかできるのならもうちょっとだけ個人的に見せて欲し――」



『お前は俺を大道芸人かなにかだと思っているのか?』

 男性の、怒りを感じる低いセクシーな声が頭上からした。


「うわっ!? えっえっ男?! ……おばけって一人じゃなかったんですか!? ここシャワールームですよ?! 変態!! わきまえてください! おばけなら通報されないとか、おばけなら覗きたい放題とか思ってるんですか?! 卑猥ひわいです! 最低ですよっ」


『…………。…………』


「あ、逃げた……?」


『……ハア……』



 大きすぎるため息を声の主がついた。でもそこそこ広いけど豪邸の割には狭いお風呂場には、私以外の誰も居ない。



 でも、気配が消えた。あと足音が離れていった。

 私はほっとしたのも、つかの間。

 

 

 リビングのほうから、バリバリバリバリ! みたいな音がした。あとお湯を出すポットのピッピッという音がした。……なにをする気だ?!

 

 

 大慌てで髪の泡を流して、体の泡も流して、洗顔をとんでもないスピードで済ませると、タオルをひっつかんでリビングに向かった。

 

 コーヒーの匂い。

 ココアの匂い。

……黒髪焦げ茶目のイケメン男性。

 顔に、大きな細い傷跡がある。左ほっぺたの所から右ほっぺたのところまで、鼻の上を通る形で古傷がある。

 

 そこに居たのは、引くほど美形な顔をした、30代くらいの、超絶イケメン男性だった。頭には小さくて鋭いツノが生えていた。……エッ。……エッ……?



「おい、女」

 イケメン男性が、俺様な口調で私に声をかけた。


「な、なななんあなな、なんなんでございましょうか……家宅侵入罪の……悪魔……さん……?」


「誰が家宅侵入罪だ。ふざけるな。それよりもお前と話がしたい」

「嫌と言ったら?」

「こうしてやる」

 コップが彼の指の動きでふわふわと浮いた。そして静かにテーブルの上に着地させられた。



「浮かすんですか?」

「浮かしてふりまわして、手首をねじって骨折させ、最終的にはこうしてやる」


 悪魔さんが、ボウルを用意すると、人様の冷蔵庫から勝手においしい林檎(パパが引越し祝いにくれた林檎)を掴むと……パンッ!! と激しい音がして、一瞬でりんごをおにいさんは握り潰した。

 

 ぐしゃぐしゃになった林檎。

 

 開いた口が塞がらない。

 でもおにいさんは、手を人の家の水道水で洗っていた。ご丁寧にタオルまで使って濡れた手を彼は拭いている。ヒヨコ柄のタオルを悪魔が使っている。



…………。



「ちょっと待って情報量が多すぎてついていけないんですが!! あとリンゴジュースおいしいです」

 ボウルに紙ストローをつっこんで飲む。リンゴジュースになっている。うまい。



「そうか。お前のためにココアを淹れた。貴様のちいさな脳味噌でも理解できるように丁寧に説明してやる。この家の所有者は俺だ」

「いやいやいやいや! 虚言! 虚言癖がありますよね?!」

「300年前にこの土地を俺は買ったが、放っておいたら勝手に人間が家を立てた。だが90年前にこの家を俺は買い直した!! なのにちょっと90年間放置していたら、いつの間にやら他の人間が住んでいた。お前だ。人間の娘」

「娘なのか女なのか統一しましょうよう!」


「女。ここは俺の家だ。せっかく隠れ家を手に入れたと思ったのに。外国と地獄を行き来して仕事をしてまたこの愛しい家に帰ってきたら、貴様が居た。出ていけ。出ていってくれ。ふざけるな」

「嫌ですよ!! 横暴です! 私、もう3万ギニスも払ったんですよう!? 文句があるなら警察か仲介業者か不動産売買してる不動産屋さんに言って下さい! 私、契約書類も持ってますし、悪魔って契約を大事にするなら分かると思うんですがっ……」



「とりあえず、ココアを飲め。どうしても出ていかないんだな?」

「あ、はい。ココアは毒入りかあなたの血入りですよね? 飲んだら死ぬか支配されるんですよね? 飲みませんよ」

「入っていない。ただのココアだ。地獄の王に誓ってただの水とココアパウダーと牛乳と砂糖だ」

「…………」


「アレルギーは無いだろう?」

「無いっすけど……」



「では、この家のルールを決めよう。…………。……良いな?」

「破ったらどうなるんですか」

「貴様の四肢を爆散させてやる」


 ニヤァ、と笑みを浮かべられた。

 う、うぎゃあああああ!


 ハンサムだ。お顔に後光が指してもおかしくないレベルのイケメンだ。

 顔面がまぶしすぎる! 声がセクシーすぎる! とっても低い大人の男性の声だ! 声優になれるぞ! 歯が白い! イケメンだあ!

 

 

「なぜ頬を染めているんだ。四肢を爆散させると言っているんだぞ? 愛している結婚してくれとでも言っているように聞こえるのか? 大丈夫かお前」


 うぎゃあああぁああああ! わざとだ! わざとやってるだろお前ぇ!!!!



「おい」

 男性がこっちに来た。

 近寄るな!!!! そのカッコいい顔面と筋肉がついてることが服の上からでも分かる190センチはある体で、10年以上前の人が着てそうな男性用のシンプルな黒い服を着て、その美声でなにか喋りながら近寄らないでください!!

 

(ドコドコドコドコ、と心臓がドラムを叩くように音を立てながら跳ねた)



「バスタオル一枚で、この12月に家のなかをウロウロするな。暖房は効いているが……目障めざわりだ」


「す、すすす、すみません……」

 真っ赤になったまま、自分がバスタオルを巻いただけの露出魔スタイルでこの男性(※悪魔)の前に立っていたことを思い出した。


「風邪を引くと鬱陶うっとうしいから服を着ろ」


(紳士……?)


「すみません着てきます! 家汚したり壊したりしないでくださいね?!」

「ふん……」



「……服を着てきたようだな、人間」

「あ、はい」

「この家のルールを決めるぞ」


 悪魔さんが「紙をよこせ。ペンもだ」と言ったのでしぶしぶ渡した。



1. 神父を呼ばない

2. 悪魔召喚をしない

3. 聖典を声に出して読まない

4. 彼の前で声に出してお祈りをしない(寝室で一人の時は可)

5. 彼の本当の名前など、悪魔としての正体を詮索しない



「破ったら拷問してやる。俺の手で、じっくりと、丁寧にな」

「ひゃん」

 えっちにしか聞こえない。なんだコイツわざとセクシーな声で言ってるのか? 妄想が広がる。くそっ……悔しいけど顔面の美しさと情報量過多のせいで「いやいや家の所有者は私だし出ていけよ!」とか言えないッ……悪魔だし、フライパンを手にとって戦っても負けてしまうかもしれないし、よく考えたらこの美形男性とルームシェアして暮らせるってことか……うーん……。



「決めたルールを破れば、この俺の牙と爪でお前をめちゃくちゃにしてやる。ズタズタにしてやる。再起不能にするぞ。じっくりとな」

「……ひゃん……」


(ロマンスの予感……が……ほんのりと……)

(いやいやいやしっかりしろ! 別に恋愛に発展しそうなことは一言も言ってないはずだ! 最高レベルの見た目と良い声に騙されるな!!)


(それにさっき私の四肢を爆散させるぞとか言ってたし、危ない悪魔なはずだし、ていうか悪魔ってこの世に存在するんだなあ……やっべ、じゃあ魔法使いも存在するってことか――?!)


「…………。……大丈夫か? なぜ瞳がうるうるしていて顔が赤いんだ」

「自覚は無いんですか?!」

「なんの自覚だ」

「……ッ……言ったらこちらの負けが確定するので言いません」

「ほう。そうか。よく分からないが、貴様はこの家のルールを守るな?」

「というかそもそも無信仰なので祈る対象が居ないんですが」

「そうなのか?」

 首をかしげられた。美形30代男性のガワを着た化け物が首をかしげている。可愛すぎる。かっこいい。えぐいくらいかっこいい。



「ふむ。最近の若者はよく分からないな。貴様ら人間は神や信仰や、絶対的なモノにすがらなければ生きていけないのではないのか?」

「そうでもないっすよ」


「ああ、資本主義のカネが神様なのか。なるほど。カネや国家のナショナリズムやSNSでのいいね数があらたな貴様らの宗教、という訳か。ふむ、実に興味深いな」


 物議をかもしそうな発言だなあ……。パパが聞いたら大喜びで議論ディベートを始めそうだ。



「なんにせよココア、冷めてしまうぞ。飲まないのか?」

「悪魔から貰った飲み物を飲む訳には……」

「なんだ、差別するのか」

「いやいやいや、ご自分の存在としての危険性をもうすこし自覚してくださいよ」

「俺は無害だぞ。仲間からは大御所おおごしょのポンコツや、『お人好し』や『良い人』と呼ばれている」

 ちょっとコーヒーが苦かったのか、話の内容が苦かったのか、顔をしかめて悪魔さんが言った。


(良い人?! 大嘘つきめ!)

(良い人は四肢を爆散とか言いませんからッッ!)



 でも白寄りの小麦色の肌の悪魔さん……。セクシィーである。


「便宜上名前をつけたいと思います」

「おお、そうだな。俺の名前はグレッグ・F・K・ジョーダンだ」

「なに民間人みたいなご立派な人間の名前を語ってるんですか?! 悪魔ってルジフェウとかヴァランケルとか、エウェ=エウェンとかカライモンみたいな名前のイメージですけど」

「全員知人だ」


 嘘をつけ! 光と炎と正義心のルジフェウも蛇と氷と蓄財のヴァランケルも、恋と憎悪と色欲をつかさどるエウェ=エウェンも腐敗と堕落をつかさどるカライモンも大御所悪魔やぞ!


 

「…………。…………。……もしかしておにいさん、民間人にまぎれて普通に暮らしてたりします?」

「黙秘する。だが俺には100以上のあだ名があってな、まあ、ペンネームみたいなものだ」

「なんとまあ……」

「その中でもあのガキがくれた名前は気に入っている」

 あの子供? 誰のことだ。



「ちなみにFKって、ファックの略ではないですよね?」

「…………。……お前のことが俺はすでに嫌いになった」


「奇遇ですねえおにいさん!!」

「あ?」

「私もアップルパイにするはずだった林檎を粉砕されて怒ってますからねっ! メッ! 駄目でしょ! コラッ! って言いそうになりましたよ!」

「…………」


「人の家の冷蔵庫を許可なく開けたり、勝手にココア淹れたり、あげくの果てには四肢を爆散するぞと脅迫~?! ジョーダンさん、いくらイケメンでもやって良いことと悪いことがあるんですよ! メッですよ!!」


 指を突きつけて言っていたら、指を掴まれた。そしてそっと指から手を離した。


「……人の顔面に指を向けるな!」


 凄い怖い顔をしている。表情が暗殺者みたいだ。心臓止まる!! 怖い!!



 さらに急に近寄ってきた! ひゅん! 心臓がヒュンッとなる! 顔が真っ赤になるけど、おにいさんは怖い表情をして、口を開けた。尖った犬歯が見える。



「最初からうすうす気づいてはいたが、貴様は俺の事を大道芸人扱いしたり、小さい子供のように扱ったり、舐めているな――?」

「ま、ま、まさか」


「俺は俺に供物くもつを捧げ礼を尽くす者どもには寛大かんだいに、なるべく手を尽くして親切にするようにしているが、俺は人間ふぜいから見下されるのが我慢ならないたちでな……」



「誤解です!! 誤解を解く時間をください!! ひゃあ!」

 首元に手がかけられた。えりくびを掴まれている――!



「俺が一言呪いをかければ、貴様は意識が朦朧もうろうとした状態で喜びいさんで大型トラックと大型トラックの間に飛び込むことになるのだぞ。コンクリートの染みになりたいか? あるいは、貴様の作った食べ物がぜんぶ微妙にまずくなる魔法をかけてやることも、貴様の好物がぜんぶトマト味に感じる魔法をかけてやることも、子供の頃に書いたポエムを大きな声でハキハキと読み上げてやる事もできるし、なんなら浮遊魔法で貴様を浮かせて壁に強打して骨折・大怪我をさせてやることも、貴様の見る夢がいつもスーパーのバーゲンセールで買いたかった商品を買えずにしょんぼりする夢を見せてやる事もできるのだぞ!! あるいは庭のナメクジを巨大化させて貴様を襲わせてやろうか?!」


 いや、なんかところどころスケール小せえな?!


「ふふ……」

「なっ、なんだ、小娘。なぜ笑う」

 ふざけんなアジア系だから白人系(?)の人からしたら童顔に見えるかもしれないけど私は成人だ!!

 

「私の除霊用に友達とか親がくれたお塩が火を吹きますよ……戦ってやる……ナメクジが巨大化して暴れたら私は塩水を水鉄砲に詰め込んでバケツを用意してバトルしちゃいますからね!! ナメクジが可哀想だけど、ちょっと威嚇射撃してお家を塩で囲んだらもう私の勝ちですよ!!!!」


「……ナッ……正気か? ナメクジと戦うだと……?」


「というか悪魔相手でもバトルするならバトルしちゃいますよ!!」

「落ち着け。ミノリ・ツマブキ」

「なんで名前を……?」

 真っ青になったらニヤッとされた。

 でもすぐにつまらなさそうな、イタズラを叱られた大型犬みたいな表情にこの30代の見た目の男性はなる(意味が分からない)。



「……表札に書いてあるだろう。不用心だ」


「ジョーダンさん……そこは魔法であって欲しかったっす……」


「俺の名前を呼ぶ時はグレッグと呼べ」

「グレッグさん……分かりました。とりあえずやっぱり平穏な日々を送りたいのでなるべく言う事を聞いてあげますよ……お肉にされても嫌ですし……」


「フン、貴様のような貧弱な体の女を食べるくらいなら、俺はスーパーに行って鶏もも肉を買うぞ」

「……いやいやいやいや、悪魔がなに鶏もも肉買ってるんですか!」

「牛肉より経済的でその上健康にも良いぞ」

「健康! 悪魔がこの世で最も気にしなくて良い概念じゃないですか! おばけは病気にもならないし学校も仕事も無いんじゃなかったんですか?!」


「馬鹿を言え。学校は確かに無いが、キャンプで若輩じゃくはい悪魔は訓練を受けるし地上に上がってこれる悪魔はだいたい中堅クラス以上か中年悪魔だ。そもそもおばけではない。それに俺は無職ではない。俺は仕事をしている。地獄の王に命令された仕事もしているし、それとは別に地上でしている仕事もいくつかある。俺は堅実なビジネスを好む。今はバカンスシーズン中だからここに来たんだ」


「……ほう。ちなみにバカンスってあと何年なんですか?」


「あと25年」

「ふざけんな!!!! ずっと一緒に暮らすのが確定じゃないですか!!!!」


「ふん、ざまあみろ。5世紀の間貯めに貯めていた有給を使えば、あと80年はこの家でバカンスを楽しめるぞ。素敵な休暇になりそうだな。なあ?」


「どこがだ!!!! 顔が良ければ何をしても良いんですか?! そうですか!? 舐めやがって!!!!」


「騒がしい同居人が居るのは……懐かしいな」

「前にも被害者が?! その時はどんな食材を握り潰したんですか!! 純粋無垢な罪のない美味しいりんごちゃんを何個潰したんですか!! あれ、せっかくパパが買ってくれた高いやつで、アップルパイにするはずだったのに!」


「貴様は料理ができるのか」

「え、あ、はい」

「では料理は役割分担ということで、週に貴様が3日、俺が4日で良いな?」

「あ。はい。良いんですか。助かります」

 急に冷静なトーンに戻される。

…………。

 えっ。普通に良い人じゃん。家事を率先してこの同居人男性(※悪魔)、しようとしてくれている……。



「お前の部屋の掃除はお前がやれ。俺も他の部屋と廊下であれば気がついたらやっておこう」

「あ……なんかすみません」

「気にするな。…………。……ふん。これから半世紀以上の付き合いになるのだ、お互い様だ」

「あ……なんか……すみません……ほんと……」


 悪魔って、なんだっけ?

 あ、あれか。夜中の間に作りかけの靴を作って置いといてくれたり、恋が恋愛成就するように弓矢で撃ってくれ……ってそれは小人と妖精か天使だろ!!



「ええと、あの……」

「なんだ」

 真顔で言われた。片眉をあげられている。怖い。



「ちなみに悪魔さんって魂を食べるとか言いますけど、私のも狙ってたりします?」

「……さあな。お前はなんていうか、残飯レベルの魂だからな……そんなに興味は惹かれないが。食われたいのか? 酔狂すいきょうなヤツだな」


「…………」

 にぎりこぶしに爪が食い込む。ぷるぷると手が震える。



「お? 何だ、貴様、俺を睨みつけて。……怒っているのか?」

 ニヤニヤしている。

 私を怒らせた事が嬉しいようだ。趣味が小物すぎる!

 


「やっぱ出ていけ-!!!! 不法侵入罪と器物損壊罪ですよ!!!! 罪を償えっていうかアップルパイの材料を返せ~!!!!」


 私は大声でフライパンを片手に襲いかかった。

 彼が意外と話が分かりそうなヤツだったので、つい、うっかりしていた。

 


……その時は、彼は悪魔で、しかもかなり凶悪で強大な大悪魔なのだと私は思い知ることになるなんて、思わなかった……。



 ウワァッ! ソファの上へ投げ飛ばされた! と思うひまもなく、全身を妙な感覚が襲ってきた。

 

 コショコショとくすぐられるような感覚!

 くすぐったい……!

 や、やめっやめろ! ソファに座ってるのに背中とか足の裏とか太ももとか、ふくらはぎとか肩甲骨のあたりとか、首筋とか全身をくすぐられている……ッ!

 

「あひゃっアヒャアヒャヒャヒャヒャヒャ! くすぐったい! やめっやめてください! あひひひひひ!」


 誰も触っていないはずなのに、謎の触感が全身を這い回る。とくに執拗に脇の下と、お腹と、足の裏をくすぐられるような感覚がある。


「なにしてっあひゃっあひひひひひ! アヒャヒャヒャ~ッ!!」

「ふん。くすぐられるような感覚があるだろう? 魔法の力は偉大だな、こんな事もできるぞ」


「う、うわあああああ!?」

 ソファの上に宙吊りにされるみたいに浮いてしまう。そして、くるんくるん……とゆっくり横に回転させられる。なんか回ってる……!

 と思ったら今度は縦方向に回転させられた。

 

 恐怖よりも凄い……! 魔法だ……ッ! 夢にまで見た魔法だ~!? という感覚のほうが勝ってるけど、悪魔さんは楽しそうだ。

 30代前半のイケメン男性のガワで、やや愉しむような表情で私を見ている。



「こんな事もできるぞ」

「ヒャンッ!?」

 急に、体に虫が這うような感覚があった!! うぎゃああ! きもちわるい……!

……って、ン……?


「悪魔さんっ」

「グレッグだ」

「グレッグさん! そこ! ムカデが……!」

「ムカデか?」

「グレッグさんのブーツの横ですよ!! なんか毒持ってそうなムカデが!!」


「またまた。そんな事を言って俺を騙そうとしても無駄だ。俺は長年生きている悪魔だぞ、そんなあからさまな……。…………。……おぉ、本当だったか」


「ふうっふうっ……私虫嫌いなんですよ!? 全身這われてるみたいで死ぬかと思った……!」

 やっと全身を這う虫のゾワゾワしたきもちわるすぎる感覚が収まる。

 


「ムカデか。魔法で燃やしても良いが、床が焦げるのはイヤだな。せっかくの家だ」

「…………? ムカデって甲冑かっちゅう着てるみたいで格好いいですよね。虫の割には比較的好きな造形してます」


「言ってる場合か? 害虫だぞ。とりあえず、邪魔だ」

 グレッグさんが手を動かした。手を動かすたびに、連動するようにムカデがエビぞりになった。

 ひ、ひいいい! ムカデが宙に浮いて、混乱したように暴れている。それをグレッグさんは握りつぶすような動作でムカデの骨をばきばきと操作して、こ――ころしてしまった。

 

 

 残骸になったムカデを、グレッグさんが宙に浮かせて、窓を開けると窓の外に捨てた。と思ったら今度は庭で宙に浮いたムカデの死骸が、音を立ててメラメラ、パチパチと燃えてあっという間に灰になり風に吹かれてどこかへ飛んでいったようだ。

…………。


……や、やべえ……! やばい!

 この悪魔、本当に悪魔だ……!! 命を命だとも思ってないタイプのガチ悪魔さんだ……!!


(わ、わ、わ、私もいずれそんな目に……!?)



「おい、女」

「ミノリです」

「人間」

「……なんですか」

「他の部屋にもムカデだのゴキブリだのが居るのではないか? この家。毒蜘蛛も居るのでは?」

「ウッ……わかりません……」

「業者を呼ぶ間俺が透明になって隠れていても良いが、貴様のために俺が透明になって業者から隠れるというのは悪魔の沽券こけんに関わる」

「ン……?」


「全部屋あらためるぞ。貴様も手伝え」


「あっ、ラジャーです……」

 小声で言う。



「どうした? 急に怯えた様子だが。人間の娘よ」

「……あ……あ、いえ……そんなことは……」

 目をそらす。やべえ悪魔だもん、しょうがないだろ!!



「俺が怖いか? 小娘」

 悪魔って恐怖を感じると強くなって、相手が怖がらないとデバフかかって弱体化するんだっけ?


「怖い1割、美形9割ですかね……」

「意味不明だな」

「いやあそれほどでも」

「褒めていないぞ」

「いやあ……そうですか……へへっ」

「俺は天使だったからな。悪魔の本来の姿も割と人に近いんだ」

「ほう……本当ですかぁ?」

「俺について調べたら本当に貴様に魔法をかけて拷問するからな」

「…………」

 ひっ……! ばけものー!!



「フン、貴様を殺したらこの家がまた訳の分からんヤカラに転売されては困るからな。殺さないでおいてやる」


「ほんとですか……!?」


「ああ。悪魔は約束を守るものだ。契約なら、だが」


「じゃあ今すぐ契約をしましょう!」


「…………? 良いのか?」


「はい!」


「ほう。良い心がけだな。供物くもつ代わりに受け取ってやろう。では契約書を作るか。パソコンで」


「パソコンで――!? いやいやいや、そこはこう、魔法で紙を出して魔法の羽ペンで書かせないと! イメージに関わりますよ!?」


「その魔法の紙に書かせるとお前の魂が死後俺に譲渡されることになるが、良いのか?」


「エ」


「ワードプロセッサーでまとめた物を印刷するだけなら、貴様の魂までは貰おうとは思わないが。死後魂を俺に譲渡するのなら、俺はお前のことを口約束の軽い契約者ではなく正式なる契約者として扱うことになる。――魔法の契約書はお前にも俺にもどうしようもなくなり、契約書類を変更するなら地獄の裁判所に行かなくてはならなくなるが……。どうする?」


「じゃあワードプロセッサーに私がまとめてあげますよ、口約束みたいな軽いノリの契約書類作りましょう!」


「やけにノリノリだな?」

「いえいえ!」

 さっきビビらせた仕返しでめちゃくちゃ不条理な契約書類作ってやんよ!!!! くそー! 見てろよ!!!! 腰を抜かすような契約書類を作ってやる……!!!!


 

 待ってろグレッグ!

 待ってろワープロ!

 怖がらせやがって……!!

 


「俺は部屋に危険生物が居ないか、あらためてやる。いや、……別に貴様個人のためではないぞ。俺のためだ。貴様が死んだら俺がこの家をまた別の所有者とやらから奪い取らねばならなくなるのがかったるいだけだ。勘違いして調子に乗るなよ」


 言いながら、グレッグさんが物理的に透明になって消えた。たぶん虫を油断させて殺虫するつもりなんだろうな……。

 

 復讐してやる~! ドン引きさせてやるんだからね!

 

 

 あと悪魔ってどのくらいお願いを叶えてくれるのかも知りたいです(小声)



「……なんだこのふざけたクソみたいな契約書は」

「私の願望をまとめました。ここから話し合いでお互いに折り合いをつけてなんとかしましょう」



(1)石油王にしてくれ

(2)悪魔(お前)の花嫁になって不老不死になる

(3)30代美形男性のガワを着たばけもの(お前)と恋愛ごっこがしたいなぁ~

(4)大ヒット映画監督にしてくれ

(5)私が1万年後以降に死ぬまで家事を永久に全部やって下さい

(6)オカルト本を書いて印税生活がしたい

(7)お小遣いを下さい

(8)国内でいちばんでかい水族館に行きたい

(9)からあげをパフェにつっこみたい

(10)私も魔法を使いたいなあ

(11)尽くしてくれる裕福なイケメン(お前が演じる)と結婚したいなあ



「(1)の石油王になりたいはまだ分かるが、(2)の悪魔(お前)の花嫁になって不老不死になりたいと(3)の30代美形男性のガワを着たばけもの(お前)と恋愛ごっこがしたいなあーと(4)の大ヒット映画監督にしてくださいはおかしいだろう。映画監督? 自分の努力で夢は掴み取れ! お前は俺に夢を叶えて貰って大ヒット映画監督になって本当に嬉しいのか?」

「ヒャンッ」

 ド正論が染みるッ!


「また、(5)は私が1万年後以降に死ぬまで家事を永久に全部やって下さい? 自分でしろ! というか石油王なら時短家電のお掃除ロボットとか食洗機を買えるだろうが!! 家事は分担だと言っただろう!?」


 すごい。怒ってる。顔から蒸気吹いてもおかしくないくらい、アチアチのやかんぐらい怒ってやがるなあ。

 

「(6)のオカルト本を書いて印税生活がしたいもおかしい。お前は映画監督になりたいのか作家になりたいのかどっちなんだ? それと……まだあるのか! ふざけやがって!」


「え、エヘ……すみません」

 その怒った顔が見たかったのでニコニコしてしまう。



「(7)のお小遣いを下さいは親に言うかバイトをしろ。クソが。(8)の国内でいちばんでかい水族館に行きたいというのは、まあ、叶えてやらんこともないが、なんなんだ。なぜデートの詳細まで書いてある? (9)はからあげが乗ったパフェを食べたい? 勝手に食え!!」


 声が悪魔の声になってますよ!!

 イケメンボイスがデーモンボイスになってますよ!!




「どれならいけそうっすか」


「(10)と(11)はもう感想も言わんぞ。問題なく実行可能なのは(3)と(8)と(9)だけだ」

「どれですか?」

「恋愛ごっこと水族館とからあげパフェだ」

「エエ~ッ! やだやだ! そんなちまちました夢叶えてどうするんですか! 悪魔なら石油王と不老不死をお願いしますよ~ッ!」

「駄目だ」

「なんでですか~!?」

「……俺が……いや……俺はバカンス中だ。バカンス中になぜそんなにこってりヘビーな夢を叶えてやらねばならないんだ。休みにならないだろうが」


「知りませんよう、そんなの!」

「それにお前に他の石油王だの大ヒット映画監督だの不老不死だの、そんな事をしてやったら、魂の譲渡プラス代償がとんでもない事になるぞ」

「たとえば……?」


「不老不死になる代わりに一生俺の部下としてこき使われるぞ」

「不老不死になれるなら全然アリっすよ」

「労働契約法違反な内容も盛り込まれるかもしれんぞ?」

「地獄に労働契約法とかあるんですか」

「無いが」

「無いんかい!」

 ずこーッとこけそうになる。



「とにかく、駄目なものは駄目だ。だいたい、なんで俺が貴様のような娘と恋愛ごっこをせねばならないんだ? 俺のことをインキュバスか何かと思ってるのか」

「……インキュバス……」

「ああ。インキュバスというのはサキュバスの男版……ようするに淫魔の男のことだ」

「知ってますよう。オカルトオタクだし」



「貴様は人間の好きな男か女は居ないのか?」

「私? 居ましたけど、付き合うこともなく友達のままです」

「ほう。では、そいつとの縁を小細工で深めてやろうか?」

「結構です」

「なぜだ?」

「その人の人生歪めたくないし、それにパトリック君は……その。何があっても私のこと好きにならないし、好きになるならそんなのパトリック君じゃないですよ」

 ゲイだしな。

 私みたいな小娘ひとりのために他人の人生を踏みにじったりジェンダーをねじ曲げたりしていい訳がないのだ。



「フン……お前はますますよく分からないな」

「……ウウ。……ソーセージ焼いたら食べます?」

「腹は空いていないが、焼いてくれるのか?」

「お父さんとお母さんが送ってくれた荷物があるんですけど、ちょっとお高いソーセージくれたんですよね。ホットドッグにして食べろって」

「ホットドッグ? なんだそのスラングは」

 スマホで調べて下さい。食べ物ですよ。


「悪魔なんだからもうちょっと博識であってくださいよう……! あ。しまった。心の声が……!」


「…………」

 グレッグさんが怒っていらっしゃる。大変おこだ。


「スッすみません! ちょっとした冗談ですってば!」


「人間の娘」

「ミノリですって」

「パンはあるのか?」

「ありますよッ」

「そうか。悪いな。今度から食材をスーパーで買って冷蔵庫に多少入れておこう。同居する上での感謝の気持ちだ」

「感謝……? 感謝って、感謝って意味ですか? え、感謝って感謝以外に意味がありましたっけ」

「馬鹿な事を言ってないで、さっさとしろ。……俺はスクランブルエッグでも作ろうか」

「あ、お願いします」



 そして私は冷蔵庫からソーセージを取り出して、フライパンの上でころころ転がした。じゅうう、といい音がする……!

 

 

 その時。

 ピンポーン! とインターホンが鳴った。



(あ……忘れてたけど……)

(……リンドウおじさんって今お父さんの家で泊まってるんだっけ)

(よく考えたらリンドウおじさんは……大学が神父の大学出てたような……神学専攻の……)



(……まさかな。……来るわけないよな?)



「もしもし? どなたですかー!?」

 大きな声で話しかける。インターホンを悪魔のグレッグさんが見つめる。

 

……そこに映っていたのは。



・見たことない高身長のおかっぱの金髪青目の青年。


・こっちもまた見たことのない茶髪で茶色い目をした濃いキャラメルカラーの肌の背の低い男の子。


・あとコスプレ姿を強いられている憐れなもっふもふのウサギさんだ。



(ウサギさん、悪魔みたいな羽と、帽子飾りをつけさせられている。動物愛護団体からクレームが来そうな見た目だな……!?)


「げ……」

 グレッグさんが言う。



「お知り合いですか? ってことは悪魔……!?」

「まあ、そうなるな」

 低くて渋い声。かっこいい。じゃなくてグレッグさん、そこは否定して欲しかったですよ!!


「私でお鍋パーティーでもする気じゃなかろうな……!?」

「どうだかな」

 鼻で笑わないで下さい! 鶏肉にしか興味ないんじゃなかったんですか!?



「せ、聖典……!! リンドウおじさんがくれた聖典……! どこに置いたっけ!? あと聖なる三角形のネックレスはどこに~!?」

「騒ぐな」

「でも!」

「そんなおぞましい物を持ってきたら、俺は貴様を逆さ吊りにするぞ。凍えるような深夜のベランダでな」

「そんな殺生せっしょうなぁ!」


 慈悲はないんか! いや、悪魔かコイツ。



『もしもし、レーガン様! いえ、グレッグ様! ……いや、カーネリオ様? 誰だったっけ、今』

 あ、ほんとに名前が100個くらいあるんだな……グレッグさんってほんとに偽名だったんだ……。



「久しぶりだな、ティオフ=フィリテ。姿が変わっているが、そっちのウサギはザグラ・ガラン、そして金髪のお前はイーザッカルアだな?」


「あ、はい。さーせん、10年ぶりにお会いするのに、コイツら違う見た目で」

 褐色肌君が言う。



「ボス、どうですかぁ! この金髪の男、カッコいいですよねぇ! 僕もともとの姿が人間じゃないから、探したんですよぉ、体貸してくれる人! したら、こいつが貸してくれるとか言うんで、もうめっちゃラッキーでした!」

 金髪君が言う。

 

 ウサギは「グレッグ様、私は反対です。人間の小娘と同居など、神父を大量に呼ばれて寝首をかかれるかもしれませんよ。せめて、私をおそばに……!」と言った。



「お前達の言いたいことはだいたい分かった。しかし、今私はバカンス中だ。貴様らはそんなくだらない事を言うためにわざわざここに来たのか? 一体何の用事だ?」

「……ええと」

「有給を消化するので一人にしてくれとメッセージを送ったのを忘れたか?」

 優しい声のトーンで喋ってるけど、威圧感がはんぱない。こ、こええ……! 怖すぎる。これが悪魔上司ってコト……!?

 


「いや、俺は反対したんすよ。でも、このウサ公が言うこと聞かなくて」

 褐色肌の男の子が言う。

 白いリュックサックを背負っているようだ。なんか普通の人間の男の子にしか見えない。


「ウサ公だと!? ポリ公とかセン公みたいな呼び方しやがって! 貴様にそんな口を聞かれる筋合いはない! 悪魔としての序列は私のほうが上だぞ!?」



「だってウサギじゃないすか(笑)」

「この……ッ悪魔が序列をわきまえないなど……! なんという常識知らず……! 序列をお定めになった地獄の王に逆らうも同然だぞ!」


 ウサギがぷんすか言っている。


 なんか可愛い。鼻息が荒い。三角のお鼻が、ひくひくと動いているのも可愛い。そのうち、脚で「バーン! バシ! バンッ!」って抱きかかえている彼の手をスタンピング――蹴って怒っているアピールを始めてもおかしくなさそうな感じが可愛い。



「はあ。でも、なんでわざわざウサギ姿になって来たんすか? 先輩」

 褐色肌のリュックサック君が言う。


「絶対に、私はグレッグ様のおそばに居るべきだ! 私は忠誠なるしもべ! グレッグ様のおそばに居るべき定めなのだ! ですよねグレッグ様!」


「帰れ」


「グレッグ様!? このモフモフのウサギ姿を見てもなびかないだと!? 何があったのだ、グレッグ様は犬とウサギにはやたらと優しいはずでは」

 ウサギが『この私の計算にミスがあるだと……!?』と言っている。

 

 なんかコイツもぽんこつの香りがする……(いや、人のことを言えないけど)。



「帰ってくれ。たまには一人になりたい」

 グレッグさんが私の横で言った。

 

「そんな……! 私のことがご不要に……!?」

 ウサギがうるうるお目々になっている。


「お前は仕事仲間だ。いや、お前たち全員が、仕事上の付き合いの、部下だ。プライベートの時間まで貴様らに侵害される筋合いはない」


「わ、わあ。ド正論」

 私の声が聞こえていたようだ。


 ウサギが懇願を始めた。


「お嬢さん! どうか、グレッグ様を説得してくれ! 私を部屋のなかに置いておくようにと! 最近は神父が隷属させた小悪魔を利用して、騙した上で中規模の悪魔を狩る悪魔狩りの被害も相当だと聞いている」

「私がそのような卑劣な悪漢に負けるとでも?」

 グレッグさんが言う。

 心底呆れたような、軽蔑の目だ。


「しかしグレッグ様はあの時の戦いで、魔力がもう……!」

「黙れ」

 地獄の底から聞こえるような声。ビリビリと空気が震える。

 

「私はバカンスを楽しむつもりだ。そして、そのうちいくつかの極上の魂を契約の後に喰らい、私は本来の力を取り戻すつもりだ。だが、そのくらいのことは私一人で十分にできる。貴様らなど必要ない」

「しかし……」

 うるうる目のウサちゃん……。なんか可哀想だ。

 いや、ウサギのガワに騙されているだけで、ふわふわの白い赤い目のウサちゃんだから可哀想に見えるだけで、中身は地獄からおいでませした化け物なんだけども……。

 


「ま、まあ。そちらのでかいお二人はともかく、そこのウサギさん一匹くらいなら……」

 と言うと、ウサギさんがクワアッ! と口を開けて目を見開いた。げっ歯類特有の前歯の長さが可愛い。


「一匹だと貴様ァ小娘がァ!!!! 一人と呼べ!! 私は地獄の……地上で例えるのなら男爵だぞ!! 貴族だぞ!?」

 泡を吹きそうなほど激怒していらっしゃる。

 短気すぎるだろ!

 この可愛いだけのもふもふめ……!



 でも、あれっ。

 

「男爵……男爵って貴族で一番下じゃなかったですっけ。あれ、違ったっけ」

 思わず言ってしまった。


「グ、グヌヌッ!?!!」

「あー。言われちゃいましたね(笑) まあ、僕らよりは偉いっスよ。この方は」

 焦げ茶色の髪の、褐色肌の男の子が言う。



「へえ。じゃあグレッグさん……いえ、グレッグ様はどのへんの序列なんですか?」


「……お答えできませんす」

 褐色肌の悪魔くんが言う。彼は以外と繊細そうで思慮深そうな目をしている。

 

「それはもう、かつては王様に匹敵するくらいの地位が……」

 ウサギが喋りだした。得意げだ。まるで、親戚の子供を自慢するおじさん・おばさんみたいなノリだ。

「止めろ」

 グレッグさんが止めた。


「王様~? 地獄の王って黒と赤の竜、サダナフですよね? 光と正義心と炎のルジフェウっていう天使の見た目の補佐が居るらしいですけど」

「ああ、グレッグ様はそのサダナフさんの遠い親戚なんすよ」

「へ」


……ちょっと待て。


(こ、こ、こんなぽんこつが……?)



「――よし貴様ら、早死にしたいのだな。分かった。いくら魔力が長き戦いのせいで衰えているといっても、貴様ら全員を地獄に叩き返すくらいの事は今の私でもできるのだぞ……?」

「ちょ、ちょっと待って下さいよ! 僕はなんにも言ってないじゃないですかぁ~!」

 金髪悪魔くんが言う。


「破壊の炎よ、この眷属どもを地獄に叩き返――」

「失礼しましたもう来ません!!!! 用事がある時はメッセージして先にアポ取ってから来ます『移動魔法!!!! 地獄に俺たちを戻せ!!!!』」



 ほう。帰ったようだ。

 手の中でめらめらと業火を燃やしているグレッグさんに私は言った。



「グレッグの兄貴。ソーセージの続きとスクランブルエッグの続き、キメやしょうぜ」


「時代劇口調なのは何があったんだ」

「特に意味はないです」


「……そうか」



●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●



 神妙な顔でご飯を食べるグレッグさん。

 私はご飯っておいしいなあ、やっぱり日常の小さな幸せを感じることができてハッピーだな、と思った。



「それにしてもグレッグ様」

「グレッグさんで良い」

「グレッグさんは、あの三人の悪魔、よくご存知なんですか?」

「仕事仲間だ」

「どういう悪魔なんですか? ていうかグレッグさんもだけど、具体的にいうと何をどうつかさどる悪魔さんなんですか?」

「俺は闇と炎と光と雷の魔法が得意な悪魔だ。それ以上のことを説明するつもりはない」


「ほう。なんかすごそうですね」

「別に? 普通だ」

「じゃあ、さっきの金髪さんは?」

「金髪のでかい男はイーザッカルア。あれは娯楽と怠惰と裏切りと審理をつかさどる家系の悪魔だ。父親は地獄の裁判官だな」

「ほうほう。……裁判官が裏切りをつかさどる家系って嫌すぎませんか?」

「そのとおりだな。ところで肌が茶色く、髪と目も焦げ茶色い、青年が居ただろう」

「あ、はい」

 ~っすって言ってた子だよね?


「ティオフ=フィリテは、愛の悪魔だ。愛を食べ、愛を循環させ、愛にまつわる物事を解決する。恋愛だけではないぞ」

「悪魔なのに妖精みたいですな」

「……白ウサギは、ザグラ・ガラン。忠義と毒と真偽の鏡の悪魔だ」


「覚えられないよう。数と能力が多すぎます」

「褐色肌で『~っす』という口癖の青年が、愛の悪魔ティオフだ。時代錯誤な忠義を貫こうとするウサギはザグラ。金髪はイーザッカルア、娯楽と怠惰と裏切りの悪魔だ」


「……ナイーブな青年感のあるティオくんと、ウサギのグラちゃんと、金髪のなんか腹黒そうなイーザさんで良いですかね」


「ははははは。それをアイツらに俺が居ない時に言ってみろ。死に目に合うぞ」

「やっぱり人間の小娘に舐めた口効かれるとイラッとするんですか? 悪魔って」

「ああ。だろうな。特にウサギと金髪は私ほど寛大ではないぞ」

「そうなんだ。ティオくんは優しそうですよね。口が悪いしウサギのグラちゃんをからかってましたけど、なんかあの3人のなかでは一番まともそうです」


「まともな悪魔は、あざけりや嘲笑の対象だ。言ってやるなよ。喧嘩になってこの家が半壊したら困るからな」

「私の心配は!?」

「また、優しそうな愛をつかさどる例のヤツの胃液は原液の硫酸よりも強い酸性の液体だ。お前が溶けて白骨死体になったら、俺は遊び相手が居なくなってつまらなくなるからな」



 外道……!?



 と思ったら、食事を終わったグレッグさんに肩を抱き寄せられた。


「お前は愉快な俺の同居人だ。あのくだらぬ連中には金輪際自分から関わるなよ」


「……嫉妬ってコトですか!? 恋愛ゴッコする気に……ぐはあっ!!」

 宙に浮かされて、ぐるんぐるん回される。


「誰が嫉妬だ。だが、しかし、まあ、そうかもな」

「否定するなら宙で回さないで下さい!! ひええええぇええ!!」


「俺はオモチャを盗られるのは嫌いだ。盗んだ奴は徹底的に痛めつけるのが、俺のやり方だ。……だが、意志のあるオモチャが盗られた場合、盗られたオモチャにも責任がある。そうだろう?」


「ソ、ソ、ソウナンデスネッ! ナルホドー! 感激シマシタ! おろして下さい!!!!」

 ご飯食べたばっかりで宙でぐるんぐるん回転はキツすぎる!!


「では、俺は皿を洗っておいてやる。貴様は大学の冬休みの宿題とかいうのをやるんだな」

「あの」

「なんだ?」

「大学生は宿題じゃなくて課題っす」

「そうか」

 ニコォ……と微笑まれた。

 ん?

 まさか……!?

 

「やはり貴様と同居するよりもこの家に一人で住んだほうが……」

 舌なめずりをするような感じで、私を見ながら、冷蔵庫のピーマンとタマネギとじゃがいもを交互に見るの止めてもらって良いですか~!?

 

「いやいやいやいやいや、私は鶏肉ほど美味しくないですって」

「それもそうだな。処理も面倒くさいし冷蔵庫に入る気もしない」

「そうです。そのとおり。ブラボー、素晴らしい結論です」



「という訳で、やっぱりあの連中を呼び戻して、貴様を鍋か刺身に……」

「猟奇的すぎる……!!!! ミノリさんドン引きですグレッグさん! 考え直して下さいグレッグさん! ちなみに私はふだん本来はカップ麺しか食べないので激マズで添加物だらけですよ! 病気もあるかもしれないですよ!」


「…………。……おふざけはここまでだ。皿を洗う。さっさと食ってしまえ」

「あ、はい」


 いやいやいやいやいやいやお前のせいでこっちは生きるか死ぬかの瀬戸際だったんだよーっ!!!!



……でも。

 なんか、コイツ(イケメンぽんこつ大悪魔さん)の焼いたスクランブルエッグ、美味しすぎるな。

 ふわふわ。すごい。家庭用のマヨネーズとか牛乳とか、卵とか味つけ用のふつうの塩コショウを使っただけなのに、なんかすごく美味しいのだ。


「魔法かな……」

「何がだ」

「なんでもないです。でもホテルの朝食みたい」

「そうか」

「おいしいです。おかわりは……」

「そんなものは無い」

「そうですか……」

 しょんぼりだ。



「しょぼくれるな。スクランブルエッグごときなら、俺がまたいつでも作ってやる」


「やったあ! グレッグさん大好き!」


「いくらなんでもお前、安すぎるだろう……」


「大好きです」


「小遣いはやらんぞ」


「大好き」


「石油王にもしないからな」


「好きです。顔が好き。声も」


「そうか。良かったな。いいから皿を渡せ」


「大好きなので週7日で家事を全部してくれたりは……」


「…………」



「ごめんなさい冗談ですその殺意に満ちた悪魔の目で見ないで下さい!!!! 白目が黒目に一瞬変わるの怖すぎますって!」



 しかも瞳孔が真っ赤になるのも怖すぎる!!

 


「ところで」

「…………?」

 なんだろう。グレッグさんが言いづらそうにしている。



「大変言いづらいんだが、下着を風呂場で乾かすの、止めてくれないか」

「え。なんでですか」

「二つ理由がある。第一に女物の下着を視界に入れると気まずい。第二に風呂で湯浴ゆあみをしたい時に、邪魔だ。どこか別の部屋で干せ」

 お前は本当に悪魔か!? というツッコミが頭に浮かぶ。


「う、分かりました。……じゃあ応接室に干します」

 この事故物件、もといマイハウスには凄いことに応接間があるのだ。凄い。


「ヤメロ。また悪魔が来たらどうするんだ? 自分の部屋に干してくれ」

「ええ。湿気ちゃいますようお部屋が」

「室内乾燥機をつけたらいいだろう」

「そんな贅沢なものがあるとでも思うんですか!?」

「こんな贅沢な家を持っておきながら」

「この家が贅沢な作りなのは認めますけど、事故物件だから手が届いただけで、かなり本来は不動産屋さんが残念がるくらい良い作りのお家なんですからねっ。『いやあ~、3回も殺人事件が起きてなかったらなあ』って言ってましたよ」


「……その殺人犯に心当たりがあると言ったら、どうする?」

「……え」

「ただの推測だが。……いや、やめておこう」

「お、教えてくださいよ! エッ!? 犯人捕まってるんじゃないんですか?! 不動産屋さんは捕まってるって言ってましたよ」

「その犯人をそそのかしたヤツを俺は知っている、かもしれない」

「…………! まさか悪魔なんじゃ――」



「ゲルンケロン。美と嫉妬と欲望を司る悪魔だ」

「ゲロンゲロン、蛙みたいですね?」

「ゲルンケロン。アイツは……。……ろくなやつじゃない。俺にちまちま嫌がらせをしては、そんなつもりではなかったと言う男だ」


 ゲロゲロン……。

 なんかあんまり強くなさそうな名前だけど……。

 グレッグさんは嫌そうな顔をしている。

 すごく渋い表情だ。

 よっぽど嫌なヤツなんだろうか。


「グレッグさんに嫌がらせして何の得になるんですか?」

「アイツは、今の俺が居るポジションが欲しかったんだ」

「地上でバカンスをするというポジションですか?」

「地獄の王にお仕えする、王の補佐役の末席ポジションが、欲しかったのだろうな。欲しいならくれてやりたいが、アイツに仕事ができるとは思えん。アイツに手柄を部下が奪われる未来が想像できる。逆にアイツが失敗したら部下に責任をなすりつける姿も安易に想像できる」

「話を聞いた限りだと地上だとドン引きレベルのセコさなんですが……」

「部下が可哀想だ。そう思う」

「そ、それはそうですね。お話を聞く限りだと、ザ・悪魔~って感じの嫌なヤツですね」



「お前は俺のことをどう思う?」

「えっ」

 ウッ! 心臓が……!

 こんな至近距離で日に焼けた肌の30代美形男性のガワを着た美しすぎるイケメンもとい化け物にそんな直球ストレートに好意の有無を聞かれたら、し、心臓がッ……!


「アホな顔をするな。お前は俺を、典型的な悪魔とは違うと思うか?」

「情報量が少なすぎて、なんとも判断しづらいです。いや、悪魔にしては理性的だし優しいなーとは思うし」

「とんだ見当違いだ」

「そもそも地獄の王の補佐なのに人間の小娘の家事を週4日契約抜きで手伝ってくれる段階でお人好し感はあふれてますが……」

「まあ、末席だからな。王の補佐といっても、大した役職ではない。せいぜいが、国連の書記みたいなものだ。仕事内容は書記ではないが。で、地獄の王はいわば大統領みたいなものだ。ただし未来永劫、終身大統領だが。ちなみに地獄も建前では三権分立制だぞ。素晴らしいだろう」

「…………。…………」


 国連の書記ってエリートの中のエリートでは……?

 世界有数のすごい大学を出て、すごい金持ちの家族がいて、なんかすごい正義感あふれる、なんかすごいアレなのでは?



「嫌味なマウントで空気が冷えた所でグレッグさん」

「俺はただ事実を述べただけだ」

「殺人犯。ゲロンゲロンって悪魔さんがそそのかしたって話が本当なら、また狙われるのでは……?」


 次は私ってコト……!?


「心配するな。策は練ってある」

「具体的におっしゃいますと……?」

「先日、神父の友達を近所で作った。彼が何かあったら駆けつけてくれるだろう」

「いやいやいやいやいやいやいやいや、神父の友達を悪魔さんが作らないで下さいよ!」


「どうやって友達になったか知りたいか?」

「友達って道具とか、緊急時の食料って意味じゃないですよね?」

「たまに無駄話をしたり、お茶をともに飲みながら昨日テレビ観戦した野球やサッカーについてぐだぐだ取り留めもない話をしたり、政治家や有名人をけなしたりと……金銭の授与をせずに、見返りもなく、ただたまに喋って和気あいあいと過ごす仲のことを友と言うのではないのか?」


「友達という概念を私よりも正しく把握している悪魔という存在がもう世紀末なB級ホラーなんですが……!」

「ははは。悪魔と違って人間は話せば分かるからな。頑固者も多いが、地獄の鬼や悪魔よりはマシだ。切れても胃酸を吐き散らしたり、超音波を出したり、目から炎を出したりしないぶん、穏やかな話し合いだった」

「ツッコミどころ満載すぎて呼吸が止まります」



「ああ、話をすればそろそろ彼と会う時間だ。俺は教会に行くぞ」

「行って大丈夫なんですか!?」

「スーパーの駐車場だから大丈夫だ」

「ちょっと待って、どういうコト!?」

「説教の時間は終わっただろうし、彼はスーパーの駐車場で教会を開いている男なんだ。優しく知性的な目をした男だ」

「…………。……あ、ああ、聞いたことがあります。なんか、買い物帰りにお説教を聞けるようにしたら信者さんが爆増したんですよね」

「そのようだ。テレビ伝道師や駐車場で説教をする神父など、この国では布教のために苦心しているようだが、見ろ。諸外国の神父とは違い、この国の神父はスピーチの方法を学び、人々の心を掌握しょうあくするすべを学び、対人スキルとカリスマ性を身に着けている。面白いな、人間とは。かくも多様で、すぐに環境に適応しては妙な進化をげる」


「怒られますよ御本人に聞かれたら……」

「なぜだ?」

「進化論とか否定してませんか、教会って」

「彼は誰の意見も面と向かって否定したりはしない。優しいが物怖じしない男だ。私はそういうところが気に入った。お前の次にな」


 ゲホッゴホッ……!! とむせかえる。

 唐突なデレ、やめてください!!!!

 


「あの。教会、行っても?」

「ちょっとスマホで連絡してみよう」

「本当に友達なんですか!? 虚言ではなく?!」

「やかましいぞ、小娘が」

 あ、でも使ってるの、中高年の方向けの、らくらく文字でっかスマホだ。旧型のケータイ電話みたいな感じで、操作するやつだ。


「凄い。一周回って私には非直感的すぎる操作性で使いづらすぎるそのらくらく文字でっかスマホを、よくもまあそんなにスイスイと使いこなせますね?! それが使いこなせるだけの能力があるのなら、もういっそ普通のスマホにしたほうが良かったのでは……!?」

「電話とメールさえできれば後はネットに用事はないからな」

「中高年の方ですか」


「何を言う。お前達からすれば弩級のシニア世代だよ。俺は聖人トーラの生まれる前に生まれている。要するに紀元前生まれだからな」



……わーお。

…………。…………。……わーお。


「ソ、ソウナンデスネッ」

 このぽんこつ大悪魔こと、年甲斐ないシニア(見た目は30代イケメン)だけど優しいしなんか妙に情が深そうな彼の顔面と筋肉質な体にガチ恋と思ってしまっていることをお許し下さいと神父さんに会ったら言っておこうかな……。

 

 いや、さすがに怒られるか。

 教会はおふざけNGだよな。

 

 いや、むしろ神父さんはどんな人か知らないけど年甲斐ないシニアって呼んだらたぶんグレッグさんが私のことを、あの日哀れなことに燃やされたムカデ君にした事と同じ方法で――要するに火あぶりにしてこの世から消滅させるおそれが――。

 


「さて」

「あっはい」

 なんだろう?

「この俺、グレッグ・F・K・ジョーダンについて来たいと思っているのだろう」

「あ、ああ、はい、まあ」

 家に居たら課題のレポート作成に追われるのが嫌すぎる。たまには現実逃避したい(昨日も夜中は現実逃避でインターネットで買ったパソコンのゲームをしたり、なんか南の国が舞台の、恋愛アクションバトルドラマを見ていた)。


「では、着いてこい。ミノリよ。彼らはなかなかに、心の広い者達だ」



「なんだ。スーパーで落ち合うのかと思ったが、彼はもうすでに教会へ向かったようだ。なんでも、教会の水道の蛇口を閉めたか不安になったようだな」

「ありますよねそういうの。分かる」

 おっちょこちょい神父さん。私のお父さんみたいで、親近感……。



●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●



 教会の敷地には冬の寒さに負けたのかボロボロになりかけている芝生があって、縦に長いニレの大きな木が生えていた。

 

 オレンジや黄色の葉っぱが生えているけど、ほとんどの葉っぱは地面に落ちているみたいだ。こどもとダンゴムシなら全力で飛び込みたくなるような、落ち葉の布団ができている。

 

 すごく落ち葉だらけだ。

 袋に落ち葉がまとめてあるようだ。つまり掃除した痕跡があるけど、掃除しても掃除しても落ちてくるらしい。冬だなあ……。

 

 灰色の石畳で歩道ができていて、その上をランニングシューズで歩くと、コツコツと音がする。

 

 レンガ造りの教会は、モダンだけど古風で温かみがある色合いで可愛い教会だけどどこか厳か、という絶妙なバランスをたもっていた。



「中に入るぞ」

「入って大丈夫なんですか!? ぁ……悪魔なのに」

 小声で聞く。

「俺は低級悪魔じゃない。これでも一応上級悪魔なのでな」

「ひゃん……」

 背中をぐいぐい押されて、開きっぱなしになっている教会の中に押し込められた。

 教会の中は御香の香りがした。でも、なんというか木材の香りと御香のフレッシュな香りが、なんとも良い感じだ。



「おい、バッファロー。俺だ。悪いが、約束通りまた来たぞ」

 バッファロー!? とぎょっとしていると、そこに「バッファロー・ダッフルバック神父」という名札を首からぶら下げた初老の神父さんがゆっくりした所作でこちらへ歩いてきた。

 

「お。やっと来たね。今の時間帯は君が来ないと暇で暇でしょうがないよ。ははは」

「今日の講演会では人は集まったか?」

「講演会ではなく野外説教だね。そうだねぇ、皆さん熱心にお話を聞いて下さったよ。やっぱり夏よりは冬のほうが説教がしやすくて助かる」

「いっそのことオンラインで会員サイトで動画配信をしたらどうだ? そうすれば夏、熱中症で信者が病院に緊急搬送されることもなかろう」

「いいや、デジタルの時代だからこそ、人々に直接お会いして、お話を聞くことに意味があるんだと、私は思うんだ」


 すごい。

 基本的にすごく常識知らずなアイデアをぶちかまされているのに、慣れた調子でニコニコしながら神父さんはほんとうに楽しそうにお喋りしている……。


「ふん。人のぬくもりとやらか。まあ、誰であれ採算度外視の心のこもった対応をされると嬉しいだろうな。分からなくはないが……」


「グレッグ、ロックが君に会いたがっていたよ」

「そうか。あの犬、元気か?」

「ああ。若い犬だからね、遊び盛りだ。君に会ったらきっと大喜びだと思うよ。どうか相手をしてやってくれないか」

「任せろ。犬の調伏は得意だ」


(いや、怖い怖い怖い! 言い方~ッ!)


「そうか。では、ロックと遊んであげてくれ」

 神父さんは慣れた調子で言った。



●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●


 神父さんとふたりになってしまった。

 いや、膝の上に聖典の本を大事そうに置いて、お祈りをしている手首に数珠と金属でできた三角の宗教シンボルを巻いたおばあさんとか、陽気な声で庭でお喋りしているおじさんたちは居るけども……。

 


「ところで、君はグレッグの話していた、ミノリ・ツマブキさんかね?」

 神父さんが言った。


「あ、はい。ミノリです。ミノリって呼んで下さい」

「ミノリさん、君は……彼の恋人かな?」

「…………?! ゲホッゲホッゲホゴホッ、ゲホッ……そう見えますか? いや、アイツがそう言ってたんですか!?」

「いや、言っていないが、では、家族かルームシェアをしている友達?」

「まあ、そんな所です。なんかすみません、無礼なことを彼が神父様たちに言ってたんじゃなかろうかと不安で不安で……つい着いてきちゃったんですが……」

「大丈夫だよ、グレッグ君は優しい良い子だからね。……それで、単刀直入に聞くが、心療内科に彼はちゃんと通っているかい? いや、入院したほうが良いとかそういう話ではないんだ。そして彼は聡明で優しく、真面目で善良な市民だ。でも、私は彼が心配でね……ほら、彼は自分を……」

「自分を……?」

 まさか。

「悪魔だと思っているようだから……」


 あ、ああー。やっぱりか。


「ソ、ソウデスネッ、あ、あの、まあ、でも、大丈夫で……」

「本当に優しい子だからね。彼は15年ほど前に不登校のひきこもりになっていた男の子と女の子の友達になってあげたり、……つまり彼もティーンエイジャーだったのに、反抗期を迎えていただろうに、いやあ、優しいことをね、言ったんだよ」

「優しいこと?」

 想像もできない。あのグレッグさんが?


「むしろ学校に行かないなら燃やすぞとか言いそうですけど……」

 真顔で言うと神父様が吹き出した。

 おっと、失礼、と謝られる。


「彼が言ったのは、こういうことだよ。『行きたくないなら学校なんてな、行かなくて良いだろう。通信制の学校という手もあるし、数年勉強が遅れたくらいで、必ず死ぬ世の中ではないのだ。今は戦国の世でもないし、そもそもどうにかして生きる方法はあるだろう。あんずるな』と。やけに仰々しい喋り方だけど、その子達には多少なりとも響いたんじゃないかな?」

「そうかなあ……」

「親や先生ならね、子供たちを思ってのことではあるかもしれないけど、どうしても厳しく接したり、叱ったりしてしまうものだよ。本人を眼の前にしたら、つい、叱ってしまうのはね、まあ、分かる。私も親だったことがあるからね。でも……。……子供の目線に立って、大人の知恵で、友達ではないけれど頼れるおにいさんとして、接してくれる人がいたら、少なくはない子供達が、安心するのではないかな、と。私の意見だけれどね。子供には、上から押さえつけて厳しくするだけでは駄目だと……いや、不十分だと思っている。もちろん再現無く甘やかすのも子どものためにはならない。だけれどね、私は神のいう対等かつ親身な愛が子育てには不可欠だと――」


 そこまで神父様が言った後に、グレッグさんが帰ってきた。ほっとする。お説教が長くならなくて良かった。

 

 にしても、グレッグさん。いつ見てもイケメンだな……。少し日焼けした肌、焦げ茶色の美しい目、サラサラの短く切られている黒い髪の毛。左ほっぺたから鼻の上を通って右ほっぺたまで顔にある大きな傷跡も、余計に美しさを高めているような気がする。

 

……じゃなくて!

 ここは教会だった。天罰とか食らったらどうしよう。いや、非科学的な宗教全般を私は信じてないけど。天使とかが教会を見守ってて、私の考えに気づいて……カレー食べた時に食中毒で運送される呪いをかけられたらどうしよう。


「他にも、不登校の子の相談に乗ってあげていただけではなく、グレッグ君はお年寄りに託された最後のメッセージをお年寄りに届けたことも……」

「やめてくれ、バッファロー。俺の告解の内容を、小娘に話さないでくれ」

「おや、告解だったのかい? てっきり自慢話か、思い出話のたぐいの世間話かと思っていたよ。これはすまないことをした、許してくれ」

「いや、別に構わない。良く考えたら聞かれて困る話でもなかった」

「ところでグレッグさんっ。神父様と昨日出会ったって嘘だったんですね」

「ああ、嘘だ」

「ぐぬぬっ……」

「ところで、ミノリ、どうした? そんなうるうるした目をして。目に汗でも入ったか? 今は真冬だぞ」

「……堕天したのって、ひょっとして……悪い事したんじゃなくて」

「……その話は今度にしてくれ」

「でも」

「…………。……話したくない」



 いつもならなんでも喋ってくれるのに。

……話したくない。


 そのわずかな言葉が、ずっしりと重く響いた。



「少なくとも今はその時ではないのだ。ミノリ」


「でも」


「さて。さっき外に居た連中とババ抜きで勝ってしまったが、バッファロー、お前もしないか? ババ抜きを」

「トランプ遊びかい? 一応私、まだ仕事中なんだけどねえ。ここは教会だし、賭け事は良くないよ。そういうのは勤務時間外にじゃないと」

 そういう問題か……!?


「さてミノリ。帰るぞ」

「あ、はい。もう良いんですか?」

「ああ。顔が見たかっただけだ」

「顔。顔ですか」

「ああ。人間は目を離すと半世紀も立てば死ぬからな。毎日確認せねば、心配になる。お前も、私から離れるなよ」

「家事を代行してくれるなら、もう、大学が始まるまでは毎日べったりで大丈夫っすよ」


 その会話を聞いていた神父さんは、「またいつでもおいで、ミノリちゃん。グレッグ君」と微笑んだ。温和な表情。人がほんとうに好きなんだろうな、という、嘘偽りのないあたたかな目を神父様はしていた。



……なんとなく、ドのつく人間嫌いで人間不信な自分の心が醜くて汚いものに感じてしまった。

 そんなゴワゴワした手触りの嫌な感情をびんのなかに閉じ込めて蓋をするように、私は大悪魔のグレッグさんと一緒に家に帰った。

 

 晩ごはんはガパオライスだった。

 美味すぎた。

 そして翌日。

 

 

 私はまた教会に顔を出していた。グレッグさんもついてきている。



「あ~! グレッグのにいちゃん、てめえ、やっぱりイカサマしてるんじゃないのか?」

「すげぇや、もう、7連勝だぞ」

「ババ抜きだけじゃなくてポーカーとかも得意か? 今度賭場でやろう」

「駄目だ。俺は……魔法を使って透視で勝っているだけだから、賭場には行けない。俺にも悪魔としての矜持きょうじがある」

「おいおいおい。悪魔~? 悪魔に矜持なんてあるわけねえよ。あいつら、地獄で人間のこといたぶって、悪いことそそのかして、人を食べちまう恐ろしいやつらなんだぜ?」

「ああ。良く知っている。あながち嘘でもないのが悲しいところだが」

「変わりもんのにいちゃん、あんたプロのいかさま師になれるよ。俺と組むかい?」

「やめておく。地元のマフィアが経営するカジノでいかさまをすれば、あんたが海に沈められるぞ」

「そんときゃあ、カニさんがお友達よ。ガハハハハハッ」

 カニが歩く真似を陽気なおじさんがした。おじさんの誇張された滑稽こっけいなカニ歩きダンスに、周囲の人々が笑った。ジョークの意味がよく分からなかったようで、グレッグさんは真顔で考えているようだ。

 

 あのおじさんたち、教会でハイテンションだけど酔っ払ってるのかな? あ、あるいは……葉っぱ入りの運転さえしなければギリ合法のクッキーに手を出していらっしゃるとか……!?



「おいおい、君たち、グレッグ君も。教会で賭け事は、やめないか」

「あ、ああ、こりゃあ神父様。すみません。つい、調子に乗ってしまって」

 急におじさんたちの態度が丁寧でうやうやしい、どこか罪悪感のある怒られた子供のような態度に変わる。

 

 そして、散り散りになって、気まずそうに「じゃあ、俺達はそろそろ上官の誕生日なのと、ワイフと子供が家で待ってますんで。失礼します」

「どういうことだ?」

 グレッグさんが言う。


「ああ、なぁに、このシーザーさんは、昔海軍で働いてたんだ。で、海軍の上官とまだ仲が良くてな。上官かシーザーさんか俺等のうちの誰かの誕生日になると、シーザーさんの家でパーッとお祝いすんのよ。誕生日の」


「へえ。いいなぁ」

 私が言う。


「楽しいぜ。町の人なら部外者大歓迎だからな。ミノリちゃん、だっけ? グレッグも、暇ならいつでも来い。最近はスマホだのやれAIだので若者がコミュニケーションを取れなくなってるとか言ってるが、俺達は地元愛でつながってるんだ。この町だけは、愛があるから乗り越えられる。そう思ってるんでね」

「お、こりゃもう酔ってるな。アルコール度数がばか高い酒をもうキメてるらしい」

「何いってんだ。俺は飲んでねえよ」

「車運転するもんなぁ」

 4人の男がくちぐちに話している。

 誰が誰か、もう分からない。どれがシーザーさんだっけ?



●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●


 おじさんたちと談笑してから、長椅子に座っている神父さんとグレッグさんに近寄る。ふたりとも、カードを手に真剣な顔だ。

 

 

「あ、グレッグさん。と神父様。いいんですか? 職務時間中にトランプ遊びなんてして」

 私が言う。

「ああ。また負けた。グレッグ、君はどんな種があって、私の持っているカードをそんなに素早くこれがジョーカーだと判別しているんだい? それとも、そんなに顔に出ているかい?」

「心拍音を聞いている。魔法は使っていない」

「随分と耳が良いんだね。いやあ、こまったな。君用に耳栓を用意しないと、フェアじゃないよ」

「勝ち続けてつまらんな。もうひと勝負しよう。バッファロー」

「ああ、構わないよ。今度こそ、勝ちたいものだね」


「お前が勝ったら俺は今度教会の手伝いをしに来てやっても良い。たとえば、そこの窓やステンドグラスを割らずに掃除してやろう。床も、椅子も」

「悪魔なのに?」

「悪魔だが、教会の教えはともかく、ステンドグラスや教会時代、オルガンピアノは美しい。宗教絵画も心惹かれるものがある。聖典もある種の文学だと思っている」

「そうかい。みんなが君みたいな人……いや、悪魔だったら、世界は平和になるだろうね」

「フン……」

 目をそらしている。

 知人に褒められて、まさか、照れてるのか……?



「ただ、それはありがたいが、大丈夫だよ、そこまでしてくれなくても」

「……ひとりで教会を運営するのは大変だろう? なんでも自分でやるのではなく、たまには人を使ったらどうだ」

「ひとりじゃあない、甥っ子も、姉も、知り合いも手伝いに来てくれている。大丈夫だよ、グレッグ君」


「分かった。だが、魔法はもう無しだ。聴力を人間レベルに落とし、透視能力を使うのも今だけやめる」

 カードをグレッグさんが配り始めた。

「ところで魔法ってなんだい? ひょっとして、なにかおもしろい手品のトリックのようなものでも、あるのかな」

「魔法は魔法だ。それだけだ」

「ここは教会だけど、まあ、神様は全ての人を愛しておられる。君の不謹慎な発言も、きっと見逃してくださるでしょう」

「神は全ての『人』を愛しているというのは間違いないだろうな」

「?」

「人間は、神に愛された生き物だ」

「そうだね。こうして今生きているのも……」




 その時。


 バチン! と大きな音がした。

 教会の電気が落ちた。

 まだ昼だから、外の寒々しい冬の太陽光が窓から入ってくる。

 

 

「ブレーカーの落ちる音だろうか?」

 神父のバッファローさんが言う。


「でも自然にブレーカーが落ちるというのは相当だぞ。洗濯機を使いながらエアコンで暖房をガンガンにかけつつタンドリーチキンを焼き、掃除機をかけながらPCでゲームをしたりAIとやらに質問をした上でお風呂をわかした訳でもないはずだろう」


「当然だ。昨今の地球温暖化問題へ貢献するために、教会では節電をしているよ」

「ではなぜ?」

 

 風が吹いた。生暖かい嫌な風だ。扉は閉まっているのに。グレッグは急に恐ろしい顔になった。


「これは悪魔のしわざだ――!」



 神父が宙に浮き、苦しみ始めた。神父様は苦しみながらも、お祈りの言葉をつぶやきはじめた。お祈りの隙間で、神父様は「何をしている! ふたりとも逃げなさい!」と言う。

 

 そして神父様は死を覚悟したような、けれど怯えた表情で、祈りの文句をつぶやき続けた。神に自分を守ることをお願いするような、けれどそれが叶わないのであればなるべく苦痛を長引かせず、死後は天国でおそばに置いて下さいというような言葉、それから可愛い甥っ子のことをよろしくお願いしますというような言葉を祈りの文句の合間につぶやいている。

 

 宙に浮いたまま。

 

 私たちの目とあからさまに設置されている防犯対策のカメラだけが、神父様をとらえている。



「ど、どうにかできないんですか!?」

「俺は破壊専門だ。悪魔の魔法から守るような魔法はあいにく持ち合わせていない!!!!」

 顔が、歪められている。苦痛。他者のために、心を痛めている者の顔だ。ただし激しい怒りを感じているようだ。憤慨している。悪魔が、人の、それも神父のために。


「操っている術者は……悪魔がすぐそばにいるはずだ! どこにいる、どこに……」

 目が赤くなっている。四方八方を、窓ぎわで確認しているようだ。

 

 その時。

 急に彼が勢い良く振り返る!

 そして! ……なぜ? ……絶望したような顔をした。

 

 

「ふせろ!!!! 危ない!!!! ミノリッ……!!!!」

 グレッグさんが破裂した風船のような大声で叫んだ。

「え?」



 動けずに居た私を、移動魔法のたぐいで無理やり床に強引に、押し付けたグレッグさん。パリイイイン! という窓ガラスが割れたことが確実だろう音がした。ここが一階で良かったと、何度も思った。神父のバッファローさん大丈夫だろうか?

 そして、身動きが取れない。あごが床にぴったりで、自重であまりにもあごが痛い。

 

 コツ、コツ、と歩いてくる音がした。

 手を差し伸べられる。なので手を握った。起き上がる。体がちょっと硬直していて、脚が震える。そうしたら、ガッ、と勢い良く抱きしめられた。

 

「安心しろ、ミノリ、敵は去ったようだ。しかし……クソが……!!」


 グレッグさんと一緒に、扉を出ると庭の芝生に神父様は倒れていた。体は怪我しているようだ。


「ガラスの破片が刺さらないように、俺が先にガラスを魔法で破壊した。しかし、全ては除去しきれなかった。まずい。これは、非常にまずい。人間は傷が悪魔と違って再生しない。……どうしたら、ミノリ! どうしたら良い!? ここから一番近い病院はどこだ?!」

「動かしたら駄目です! 破片が余計に刺さるかも!」

「っクソっどうしたら良い!? ミノリ、どうしたら……!!」

「救急車呼ぶから落ち着いて下さい!!!!」

 私が911番に電話をかけた。

 オペレーターが「警察ですか? 救急車ですか? それとも何か他の緊急事態ですか?」と言い終わった瞬間に、私は「イースト・グリーンサンド教会!? で……神父さんが大怪我をしてて、それで……!」と言った。

 

 救急車の代金が手持ちのお金で間に合うかよく分からなかったが、騒ぎを聞きつけた人々が集まってきた。

 そして、神父さんの甥っ子(もう30代くらいだった。甥っ子というから子供を想像してたけど)が「後は任せてくれ。――おじさん、しっかりしろ! しっかりしてくれよ……! おじさん! バッファローおじさん!!」と励ましの声をかけ続けていた。

 

 バッファローさんはというと、何か手に持っていた。そして、それは白い羽だった。

 そしてバッファローさんが言う。


「私は大丈夫だ、転んで、窓を割ってしまい、転落・・しただけだから」


「もう、おじさんはうっかりしすぎだ!! しっかりしてくれよ!! おじさん!!!!」

 泣きながら怒鳴っている甥っ子に、バッファローさんは「すまない。でも、今度から気をつけるよ」と笑った。そしてバッファローさんは「私を救ってくださった天にまします我らが神に感謝いたします。甥っ子と会わせてくれてありがとうございます」とつぶやいた。甥っ子は「おじさん……!」と涙を流している。

 

 バッファローさんの手から羽をグレッグさんが、風に見せかけて自分の手のなかに移動させた。

 

 その羽をグレッグさんは見た。

 そしてそこの羽に書いてある文字を見て、グレッグさんは震えた。しかめっ面の最上級。

 ものすごい形相ぎょうそうになっている。

 

 煙がグレッグさんの足元から出ているので、周囲の人々は「どこからか煙が……!!」と騒ぎになり始めた。その場から離れようとするグレッグさん。私は慌ててグレッグさんを追いかける。

 

「それ、何語で書いてあるんですか」

「こう問うべきだ。なんて書いてあるんですか、と」

「なんて書いてるんですか! もったいぶらずに教えてください! まさか、犯人から……!?」

「そうだ。決闘を申し込まれた」

「…………!」

「奴め、俺に平和で楽しいバカンスをさせる気はないらしい」


「えっ」


「ゲルンケロンを倒さねば、お前や神父を殺害すると脅迫された。決闘までご丁寧に申し込まれたぞ。いつものように卑怯に戦えば良いものを、どうしても俺に実力で勝ったと周囲に吹聴したいらしいな」

 冷静な声だが、目には冷静さが無い。


「あ、あの。どうするんですか?」

「倒しに行く」

「部下さんを呼んで?」

「一人で来いとの事だ。一人で行く。あちらは多勢たぜい無勢ぶぜいなのだろうが」

「私は……!」

「家でお祈りでもしていろ。聖典を読みながら、あるいはテレビでもつけながら家に居てくれ。インターホンが鳴っても出るな。悪魔は自分の所有する敷地の外では招かれなければ家の中に入ることはできない。何が起きても無視をしろ」

「はいっ!」

 慌てて頷いた。

 

 そして、翼を広げてグレッグさんは、飛び立った。


(地獄の王もドラゴンらしいけど、本当に地獄の王サダナフの親戚なんだな……)


 そう。

……まるで、ドラゴンの羽のような、翼だった。


 そうして、嵐のようにやってきた悪魔は、嵐のように立ち去った。



(また、会えるんだよね……?)

 不安で胸の中がずきずきした。



「よくぞいらっしゃいましたね! 破壊と救済の悪魔」

 ヴァーナーサトラトフ、とは呼ばれなかった。

 やはり、ゲルンケロンは彼の本当の名前を知らないようだ。

 

 グレッグの名前はヴァーナーサトラトフ。

 だが、王以外誰も彼の名前を知らない。

 なぜなら彼に名を付けた親は王に歯向かった。そのため実の父母ときょうだいの大半を殺害したヴァーナーサトラトフは、王以外にもう彼の名前を知る者などどこにも居ないということを知っていた。

 

 

 下剋上が許される悪魔の世界で唯一許されないことがある。

 

 悪魔にとっての神、地獄のもっとも最深部の玉座に座られる、大悪魔のなかの大悪魔――もっとも尊き者、不穏を運び、腐敗を起こし、この世の邪悪をばらまき、天使たちや人間たちを脅かすことで、神がいかに素晴らしいかを人々に信じ込ませるために存在する――神に地獄を任された悪魔、黒く赤き竜、サタナフに、逆らうことである。

 

 

 グレッグ、あるいはヴァーナーサトラトフは王の補佐の末席のポジションにあった。

 

 そして、親族の暴動については何もしなくても傍観ぼうかんを決め込めば自分に害はなかった。しかし、問題があった。幼き悪魔、サソの存在である。

 

 幼いサソという男の子の親戚までも、このままでは報復で殺害される未来が確実だった。地獄とはそういうところだ。反逆者は徹底して芽を摘まれる。サソは幼く、弱い。

 

 見ていられなかった。弱者が強者の勝手に巻き込まれ、虐殺されるなど、見ていられない。

 

 親族とは仲が悪かった訳ではないが、反逆者の一族は滅ぼさねば一族の恥にもなる。

 そう言い訳した。

 涙は流れなかった。

 だが、心は粉々になった。

 だが、必要なことだ。割り切るしか無かった。

 父母は少々勘違いが強いところがある。また、自分たちの一族が集まれば王に勝てると信じ込んでいる。それは間違いだ。――間違いは、正さねばならぬ。

 

 

 だからグレッグは家族を殺した。

 

 

 今の地獄の若い世代の悪魔が聞けば、家族を殺すのかと、この話を聞いて驚き、嫌悪に顔をしかめるだろう。時代は変わったのだ。

 

 変わらないのは、地獄の王には逆らってはならないということただ一つ。

 

 グレッグは地獄の王に逆らう事はない。

 それは決められた序列だからだ。

 さだめられた生物的な格差。地獄の王サタナフに勝てる者など、地獄にはおおよそ存在しないだろう。

 

 そして、サタナフ王こそ、すべてをべる支配者にふさわしい、王の器である。



 長過ぎる沈黙をどう受け取ったのか、ゲルンケロンは焦ったような表情をした。

 

 そこで、ようやく、グレッグが口を開いた。

 

「フン……貴様はやはり複数人で待っていたようだな。決闘の意味を分かっているのか?」


「何をおっしゃいますか! 彼らはただの観客! あちこちに居るのは私の栄養補給のための愛玩用人間たちです」

「……吐き気がする」

 グレッグは言った。


「ごたくは良い。ゲルンケロン、貴様は私を殺したいのだろう。私は貴様のちまちました嫌がらせにほとほと嫌気がさしている。……決闘を受けよう。負けた場合、未来永劫貴様は私とその仲間に近づくな。守らねば次は殺す」

「ふふ、ほほ、ほほほほほ! 分かりました。ただし、私が勝てば王の補佐の席を譲っていただきましょう」

「末席だがな。こんなものが本当にお前は欲しくてわざわざ無関係の人間どもを巻き込んだのか?」

「ええ。末席でもなんでも良い。王のおそばに居られるのなら、それこそ我がほまれです」

「……愛人関係は解消されたのだろう?」

「――ッ!!!? ……ッ、あなたのせいで、の間違いでしょう」

「お前が試合を申し込んできたから私は忙しかったのでお前をすみやかに負かせただけだ」

 グレッグが言う。

 

「あなたが私を負かした時よりも私は強い、私はお前を殺したくてしかたがないのです」

 ゲルンケロンが言う。



「では御託ごたくは良い。貴様が勝てば、私の席を譲ってやろう」

「支配従属効果のある魔法を、勝ったものが負けたものにかける魔法をかけましょう」

「そうだな。そうでもしなければ貴様はすぐに約束を破るだろう」

「私が負けることを前提にしている、そういうお前の爪の甘さがお前の敗因になるのです」

「いいから早くしてくれ。帰って私は人間の世話をしなくてはならない。今日はタンドリーチキンを作る予定だった」

「魂を食べるのではなく、人間の食事にうつつを抜かしているとは聞いていたが、ここまで悪魔が堕ちているとは……大悪魔が泣かせますね」

「本当に早くしてくれ。私はお前と違ってすべき事がたくさんあるんだ。そもそも今は休暇中だ」

「魂を食べていないということは、弱体化しているということでしょう」

「どうだかな」

 まあ、体はなまっているだろう。

 しかし、……天使の姿をした神々しい悪魔の男、ゲルンケロンはやたらとにこやかに笑った。白すぎる歯はまぶしい。

 


「私に前のように炎魔法が通用すると思わないことです」


――宣誓する! とゲルンケロンは天に手をかかげ叫んだ。


「私が勝てば、この者の王の補佐の職務をすべて私が引き継ぐ!」


――宣誓する、とグレッグが手を天にかかげてつぶやいた。


「私が勝てば、ゲルンケロン、貴様は二度と私の配下や仲間や友、親類のたぐいと私に近づかず、邪魔もせず、未来永劫私とは赤の他人だ」



 そして、宣誓が終わった瞬間、ニヤリと笑ったゲルンケロンが、雷を呼ぶ魔法器具を手に持ち、叫んだ。

 

「グレッグ! お前は、必ず私に負ける!!!!」



●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●



 雷はグレッグを追いかけて落ちる。グレッグはそれらを器用にかわすと、呪文を唱えた。

『我が敵を焼き尽くせ、炎よ』


 そこに慈悲は無かった。

 以前ゲルンケロンが試合がしたいというので戦った時は手加減をしてやったが、決闘とはルール無用の戦いだ。グレッグはゲルンケロンを焼き殺すつもりだった。

 

 激しい煙が起きる。

 

 灰になっただろうかとグレッグが術をといた。最も得意な炎魔法とはいえ、罪人の魂も、善人の魂も、なんであれ人間の魂はずっと食べていない。それどころか、グレッグがここ半世紀で口にしたものは大半が人間の餌と地獄で呼ばれる食物ばかりだった。

 

 ベーグルサンドに、チェダーチーズとパストラミハムを挟んだものや、鴨のハムにブロッコリースプラウトとチーズを挟んだサンドイッチ、カレーに、フライドチキン、タコス、バインミー、ヤンニョムチキン、……コーヒーにチョコレート。

 

 とにかく人間の食べ物しか食べていない。

 

 つまり技をあまり使うと消耗する。

 だからこそ、一撃で仕留めた……。

 

 

……つもりだった。



 爆笑しながらゲルンケロンは出てきた。彼は炎を防ぐ特殊な魔法をかけてきているらしかった。

 しかし、それだけでグレッグの炎を止められる者が居るだろうか?

 

 あるいは、彼は自分の魔法耐性……耐えることのできる魔法の属性を変えるために、違法行為に手を染めたというのだろうか。


(愚かな。魔法耐性を変えるためには特殊な魔界の生き物のツノや血液から採取した粉が必要になる)


(しかし魔界の生き物は乱獲されすぎて数が減り、保護対象だ)


(また、魔法耐性を変えることは法に触れるだけではなく、体を内側からむしばむ行為だ)


(……長くは生きれんぞ……)



「これを喰らえ!!!!」

 ゲルンケロンは確認のために近寄ってきたグレッグに、長いそのいかづちを呼ぶ棒を向けると、電撃を発射した。バチバチバチ、と耳をつんざくような電気の音がする。

 

「ぐっ……!!!!」

 電気によって、体が一時停止するのは悪魔も同じだ。魔法で気化した状態ならともかく、生身の体そのもので行動しているときに、電気を食らうのはまずかった。動けなくなるグレッグは、続けざまに雷を落とされた。

 

 

 しかしグレッグは曲がりなりにもサダナフ王の親族だ。遠戚とはいえ、王の器を持つ者の、直近の配下の一人であることに間違いはない。


 グレッグは再生した。雷で壊された焼け焦げた体の部分がみるみるうちに美しい日焼けした男の肌に戻っていく。


「この程度か? ふん。くだらないな……」


 そう言いながらも、内心グレッグは焦り……いや、困っていた。

 グレッグが使える強い攻撃魔法は炎魔法、闇魔法、光魔法、雷魔法だけだ。

 相手も仮にも上級悪魔だ。ふつうの魔法で殺すことはできない。自分が得意な魔法でなければ威力が高くない。

 だがしかし。

 

 魔法の相性の問題がある。

 炎を克服したゲルンケロンに炎魔法は効かない。

 闇魔法はそもそも悪魔同士のバトルにおいてお互いにあまり効くことがない。

 光魔法は、天使の姿の悪魔にはあまり強くは効かない。

 残るは雷魔法だけだが……。

 

 

 雷魔法は、消費エネルギーが凄まじい。

 なぜかというと本来グレッグは炎魔法と闇魔法だけを覚える体質だったのだが、無理をして勉学と修行を重ねて光魔法と雷魔法を会得えとくした。

 つまり、雷魔法を使ったところで、相手が雷魔法を呼べる道具で反撃してきた場合、相殺される。

 

 

 攻撃手段が、ないのである。

 

 ある一つの手段を除いては……。

 


(あれには頼りたくないのだが……)

(あれに戻った後は、腹が減ってたまらなくなる。あれになった間は理性もほとんど無くなる。それに筋肉痛が凄まじい。……筋肉痛は時間が経過するごとに激しくなり、最終的に数日動けなくなる……)


(しかし、そうも言ってられないか?)


(私が死んだら、地獄に戻るだけだが……。もし地獄の王の補佐でなくなれば、私は他の勤務先を探すのと、その新しい仕事で忙しくなるだろう。ミノリが生きているうちには地上には帰れなくなるかもしれない)

(私が死んだら、会えなくなったら、ミノリは悲しむだろうか)


 なぜこんなにもあのやかましい小娘のことが頭に浮かぶのか、グレッグは理解できなかった。

 

 あれは人間流に言うならペットのハムスターかなにかのはずだ。なのに、なぜこんなにも、あのミノリとかいう小娘のことが、……。

 

 

「く、くそっ……雷魔法ならと思ったが、……なぜ雷魔法が効かないのだ……!? グレッグ、どういうことだ……!!!?」

 ゲルンケロンは、もうグレッグ様と呼ぶような余裕はなくなっていた。

 


「雷よ、彼の杖を貫け」

 グレッグの一声で、雲がうごめく。

 強大な雷が落ちた。

 

 あの雷に自分の魔法器具で雷をぶつけても、勝てるとは思わなかったらしく、早々に武器を捨てたゲルンケロンは「お前たち、やってしまえ!」と操られたゾンビのように意思を失った瞳をしている人間たちに言った。人間たちは雷魔法で呼吸を荒くしているグレッグに駆け寄ると聖水をグレッグにぶちまけた。

 


「ぐ、あ、あ、ああああああ!」

 グレッグは飢えた獣のような悲鳴をあげた。

 断末魔ではない。怒りを感じるような、凄まじい迫力の悲鳴だ。

 

 そして、人間たちがグレッグにぶらさがった。

 

 

「ふははははは! 人間が大好きだと聞いたが、どうだ、グレッグ、人間を殺せるか?! そいつらはただの民間人だぞ!!」

「…………」

 しゅうううう、とグレッグの皮膚が再生していく。

 聖水は悪魔にとって硫酸みたいなものだ。

 しかし悪魔には再生能力がある。

 だが、再生するたびに魔力を消費することになる。

 

 グレッグの体をどっと疲労が襲った。

 

「金欲しさに闇バイトの募集に応募してきた馬鹿どもだ! 治験だと偽って、我が洗脳魔法で操り人形にしてくれた!」


「この人間どもを食らって回復するとは思わないのか?」

「まさか! 人間大好きなグレッグ様に、そんなことができるわけ……」

 馬鹿にしたように笑ったあと、ゲルンケロンはしまった、というような顔をした。


「俺はお前の言うように人間と群れるのが大好きで偽善者かもしれないが、俺もまあ、悪魔だ。腹がすけば人を食うことくらい、ある」


 そしてグレッグがゆっくりと、どの人間を食おうとしているか考えているかのような表情をした。

 

 グレッグがもしこれらの人間複数体の血肉を食べれば、あるいは魂を食べれば、魔力は15分もすれば体中に満ち満ちるだろう。

 


「さて。お前の負けだな?」


「まさかおのれ、グレッグ……! や、やめろ! そんな、何の罪もない人間を食えば、ミノリとかいう小娘の好感度は地に落ちるぞ!! 知らないが、人間とかいうのは潔癖だろう! や、やめろ!!!!」


 ゲルンケロンは己の策が失敗したことを悟ったのか、慌てて瞬間移動魔法で人間たちを自分たちのところにかき集めた。そして、人間たちの魂を吸収しようと心臓近くや頭に手を伸ばし、生命力を吸い取ってしまおうとした瞬間、激しい突風のようなものが吹いた。

 そして、吹き飛ばされたゲルンケロンは、何かに潰された。

 

 大きななにか黒い影に。

 

 いや、違う。

 

 これは竜の脚だ。

 

 

 状況を理解できないゲルンケロンは、動くことができなくなり、天使の姿をたもてず、本来の四角くでこぼこした醜い虫のうごめく白い箱の姿に戻った。しかし、竜は、容赦なく、ゲルンケロンを潰した。

 

 白い箱が少しずつ形を変える。

 本来ならば、とても強度のある守りに入った姿、鉄壁の防御であるはずのそれが、グレッグだった竜により、踏み潰される。

 

 

 人間たちはゲルンケロンの支配から逃れ、慌てて逃げ去った。それを追いかけて殺して食べたい衝動と戦いながら、それでも竜は自分をこけにしたゲルンケロンという……いや、もうそれは覚えていないのかもしれない。

 

 ただ、この箱を潰して、壊したい、己の勝ちを確定させ、二度と歯向かえない体にしてやりたいという欲求だけに突き動かされていた。

 

 

『やめてくれ!!!! 悪かった私の負けだ!!!! 私が悪かった!!!! もう二度と関わらない!!!! 頼む!!!! 地獄に戻りたくない!!!! 頼む、皆にもうこれ以上、嘲笑わらわれたくはない、誰とも会いたくない!!!! 頼むから殺さないでくれ!!!! もう地獄には戻りたくな――』


 ぷちっと、箱の潰れる音がした。

 そして、箱は白い石灰岩のようなものになり、風に飛び立った。

 

 中身のゲルンケロンが、地獄に戻されたのだ。

 支配魔法の効果で、もう二度とグレッグには関わることはできないだろう。

 

 グレッグは、元の姿に戻った。そして、瞬間移動魔法でミノリの家の、暖炉のそばのリビングのソファへと、ボロボロの姿で移動した。

 


 ソファのあたたかな感触に、意識を失いかけたグレッグは、人間の魂の匂いで目を覚ました。

 

 その匂い。

 嫌でも覚えている。

 ミノリだ。

 

 

「ミノリか」


「ぐ、ぐ、グレッグさん!? 大丈夫ですか!? なんかボロボロに! なんで?! 最強だったのでは、あ、まさか、負けたんですか――!?」

「勝った」

「ほんとうですか!? じゃ、じゃあ、もう何も心配しなくて良いんですよね……? でも痛そう何があったんですか……大丈夫なんですか!? 救急車……は呼んでも意味ないですよね悪魔だし私、どうすれば……どうすれば?」

「とりあえず黙ってくれ。そうしてくれるのが一番助かる」


 その言葉に、ミノリは泣きそうな顔のまま、何度もうなずいた。

 

 そしてグレッグは深い眠りについた。



 夢に見たのは、懐かしい、母やきょうだい達の姿だった。誕生日に焼いてくれた三首鶏コカトリスとヤモリ。そして人面魚に米を詰めたものと、採れたての野菜の魔物をオーブンで焼き殺したバター焼き。

 

 母は歌をよく歌ってくれていた。

 懐かしいメロディーだ。

 

 なぜ今まで忘れていたのだろう。

…………。

 

 なぜかグレッグは、涙があふれて止まらなかった。

 

 

●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●



 夕方から、翌日の夕方まで眠りこけていたグレッグは、目覚めると、体に激痛が走るので、悲鳴を上げかけた。

 

 現実の自分は……さすがに泣いては居なかったようだ、とグレッグは安心した。

 

(己が殺した母を思い出して泣くなど、大悪魔の沽券こけんに関わる。…………)


「…………。……ミノリ?」


 自分の真横で、戦闘のせいで穴が開いた焦げ焦げの上半身がよく見える服としてのていをなしていない服に腕をおき、寄り添うようにミノリが眠っていた。

 

 目元が腫れている。

…………。


 グレッグは、言葉を失った。

 しかし。なぜだかぎゅうっと胸の奥が苦しくなった。

 今度こそ、なぜか涙が目からあふれて止まらなくなった。なぜ泣いているのか、グレッグは理解できなかった。


「俺は壊れてしまったのか? あるいは、目の病気か? 地上にしかない悪魔にだけかかる病に感染したのか?」


 その声に目を覚ましたミノリが、むく、と起き上がった。



「グレッグさん……? どうしたの……? うわっな、泣いてるじゃないですか」


「ああ。特別悲しいという訳ではないのだが、なぜか涙が止まらないのだ。生きているお前を見た途端に、涙が止まらなくなった。俺はどうしてしまったのか」

「お腹がすいたんじゃないですか?」

 ジョークのつもりで言う。

 愛の告白に聞こえなくもないような、聞こえるような、聞こえないような。いや、考えすぎだと自分の理性が本能をぶん殴ってくる。

 

「腹が減っただと? そんな訳があってたまるか」

「睨まないでくださいよっ、ボロボロの状態でも、割と怖いんですからねっ」

「ふん」

「あ、涙が止まった」


「お前の馬鹿話を聞いていると涙が止まる。今後涙が止まらなくなった時は、出かけ先でも貴様を呼び出すこととしよう」

「勘弁して下さいよ」

「ではスマホで電話をかける」

「そのくらいなら……」


「すまない。動けない」

「…………! 死んだりしないですよね……?」

「ああ。俺は悪魔だ。頑丈だからな」

「ほんとの、ほんとに……?」

「ああ。気にするな。……すまない。約束したタンドリーチキンだが、作れそうにもない。今日は宅配の食事でも食べてくれ。それかコンビニに行ってくれ」


「冷蔵庫のもので簡単に作ります。こんな状況のグレッグさんを一人にできないです」

「心配するな。もう二度と私には関わらないように約束をさせた。破れば彼の魔力は破っている間中ずっと消え去る。そういう魔法だ」

「そ、そうなんだ」

「ああ」


「あの、グレッグさん」

「なんだ。石油王も恋人も無理だぞ」

「別にそんなこと今は望んでませんもん」

 恋人も無理の言葉に心臓がえぐられるような痛みを感じる。でも、まあ、弱ってる病人につけこんで恋人になろうというのも良くないかなと思っていたので、黙る。

 

 

「でね、グレッグさん」

「……なんだ。喋るたびに体に響いて太ももと腕が痛い。なるべく会話は手短に頼む」

「……動けないのって、どうしたら治りますか?」

「魂を食べるか、人間を食べるか、あるいは……人間の血を飲むか、人間から生命エネルギーを少し分けてもらえば、簡単に動けるようにはなるだろうが……そう簡単に分けてくれる人が居るとは思えない。なぜなら生命エネルギーを分け与えられる方法が……その。少し、独特でな」

「グロいんですか」

「いや。違う。……生々しいんだ」

「?」

「知りたいのか?」

「はい」

「聞かなきゃ良かったと言われて殴られたら、俺はお前をうっかり魔法で燃やして灰にしてしまうかもしれん。今、そのくらい疲れている」

「知りたいです」

「ハア……。……口吻こうふんだ。…………。……いや、今を生きる若者には分からないか。接吻せっぷんをする必要があるんだ」

「すみませんこの国の言葉を喋ってもらっていいですか」

「この国の言葉だが」

「せっぷん?」

「キスだ」

「…………。…………。……なんでそこだけロマンス映画みたいな方法なんですかぁ!!」

 ふざけてんのかと思って、肩をつかんで揺すってしまう。あたたかい肌だ。冬なのに上半身ほぼ裸みたいな、服で大丈夫なのかな……。服、でもグレッグさんに合うような大きさの服は家にないよな……。

 

 うん。私の服しかない。絶対サイズ合わない。

 

 

「叫ぶな。ゆするな。傷に響く」

「ぁっご、ごめんなさい」

 あったかい肌にドキドキする。ちょっと日焼けした肌。ボロボロの冬物のニットは、服としての最低限の機能を失っている。胸筋も、おへそも見えている。彼は腹筋が大変引き締まっている。あと、昨日より傷が減っているように見える。

 

 心臓に手をくっつけると、どき、どき、と動いている。生きている、悪魔なのに。そしてちょっと安心すると同時に、恥ずかしくなってきた。


「医者ごっこなら今度にしてくれ。お前は映像系の大学生だろうが」

「いや、その。……生きてるかなあと」

「ああ。生きている。お陰様かげさまでな」

「あの。……キス、します?」

「……生命エネルギーを交換すると言ってくれ。決して俺はお前のような20代前半の小娘と愛を睦み合いたい訳ではない」

「あのう。その割にはなんか、チラチラこっちを見ているような気が……」

「ひどい顔だぞ」

「ああ!? 張り倒しますよ!? そ、そりゃあモデルさんとか俳優さんの女性と比べたら見苦しい顔かもですけどねえ、私だってなりたくてこんな没個性的なノーマルモブ顔に生まれた訳では……あれっ?」

 なぜかグレッグさんが笑っている。

 あははは、と笑っている。


「お前は本当に天然なやつだな」

「あなたにだけは言われたくない選手権一位優勝おめでとうございます。優勝の商品は平凡モブ顔女である私のキスです、ざまあみろ」

「お前は可愛いだろう。なんというか、チーズをたらふく食べさせてほしそうな欲深いネズミのような顔をしている」

「罵倒! 驚くほど滑らかな罵倒!! 人でなしにもほどがある! 怪我してるみたいだけどお腹にグーパンを決めてやりましょうか!? ああっ」


「ひどい顔と言ったから怒っているのか?」

「それを言われて怒らない女性は、たぶん聖人君子として認定して国が保護すべき国宝です」

「ほう」

「そんな女居てたまるか」

「俺が言っているのは、まぶたのことだ」

「え? まぶた?」

 そんな、具体的にパーツをふつう指摘します?

 良心はないんか……!?


「腫れている。泣き過ぎだ。なぜそんなに泣いた? 俺には……よく分からないが」

 予想外の質問と、予想外の答えに固まる。

 気まずい沈黙。

 

 

「私を見てすぐに泣いてたグレッグさんが~? そんなことを言うんですか~?」

 気まずい沈黙を打ち消すために、言う。

 言ってから後悔した。命がけで私(と神父のバッファローさん)を守るために戦ってくれたのに。最低だ。

 

 

「心配だったからな。一人にしていた間に、お前の身に何かあったのではなかろうかと心配していた」

「ゲロンゲロン……さんが……刺客を送り込んだり……ってことにならなくて良かったです。でも私がゲロンゲロンさんなら、刺客送り込むのに、なんで送らなかったんだろう」


「必ず私に勝てると思い込んでいたのだろうな。そのための準備をたくさんしていたようだった」

「そっか。じゃあキスしましょうか」

「嫌だ」

「わがまま言わないの! 美女じゃなくて悪かったですね?! 体型もドラム缶が骨になったようで気に食わない上に顔と年齢と種族も気に食わないかもですけど、まあ、ここはひとつ、私を人懐っこいゴールデンレトリバーだと思って」

 ここまで言ってちょっと自分が嫌になった。

 冗談めかして言っておいて自分の言葉に自分で傷ついた。

 深く、言葉がトゲのように胸の奥で刺さる。

 


「キス、ではなく生命エネルギーの吸収ならしてやっても良いが」

「どういう目線なんですか!? なんでしてもらう側がしてあげた側に秒ですり替わって……!?」

「婚前交渉には当たらないのか? 大丈夫か? お前、リンドウとかいう神父の男が親族に居るのだろう? 俺とキスをしたことがバレたら絶縁されたり鼻をそがれたりはしないか?」

「ここはそこまで文明レベルの低い国に見えますかね?」

 今まで言われた全ての言動のなかで一番、イラッ! ですよ! 愛国者だからな!? こう見えても私はこの国が好きだからな~!?



「どうなっても知らんぞ」

「それはこっちのセリフですよ」

 私が体と顔を近づける。

「……ちょ、ちょっと待て。俺からするのではないのか?」

 なにをうろたえているんだこの30代男性のガワを着た情に厚すぎなぽんこつ悪魔め……。

 ていうか美形だな……。

 ほんとに羨ましいくらい男性の俳優さんフェイスだ……。私も女性の俳優さんみたいな顔に生まれたかった……は、はは……笑えない……。


 じーっと見つめていると、グレッグさんが覚悟を決めたような顔をした。

 

「ミノリ、どうした。しないのか、生命エネルギーの交換を」

「いや、良く考えたらこれ、ファーストキスなんですよ」

「そうか。やはりお前の大切なものなのであれば取っておくと良い。俺は3日もこのソファを占領すればきっとすぐに空気中の魔力の粒子を吸い込むことで、魔力も自由に動けるくらいは回復を……ンむ……ッ!?」


 ごめん。なんか、キスの仕方が分からなくて、ブチュ、って感じの事故みたいなキスになった。


「…………」

「グレッグさん、どうですか? 回復しましたか?」

「…………」

「グレッグさん?」

「……ああ」

「グレッグさん、回復したんですね? 良かったです」

 目が合わせられない。

 30代美形男性のガワを着た紀元前生まれの超絶シニア美形男性とキスをしてしまった。

 ああ、私、たぶん地獄に堕ちるな……。しらんけど……。神様信じてなかったけど……。

 

「すまない、言い忘れていたが、キスは短時間では効果がない。あと、その、大変言いづらいのだが……」

「…………?」

「実は……」

「…………!!!?」



――キスは舌を使うほうのキスじゃないと効果が非常に薄い、というか意味がないんだ。すまないが……というグレッグさんの言葉に、私は硬直した。



 後ろに後ずさりしようとした私を、魔法でゆるやかに引き止めたグレッグさんは、魔法で自分の手の上に私の手が触れるように動かした。そして、筋肉痛が凄いだろうに、無理をして私と手をつないだ。



「……駄目か?」


(ぐあああああああああああ!!!! この悪魔め!!!! 上目遣いは反則だろ、ぐ、ぐあああああああああ!!!!)



●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●



 そして。

 技巧がだんだんとエスカレートしていくキスに、私が現実逃避で意識を手放しかけたところで、グレッグさんはこう言った。

 

「すまない。生命エネルギーを貰うのに夢中になりすぎていた。貴様は……今日と明日はまともに動けないかもしれないな。食事はお前が元気になるまでは俺が作るから、許してくれ」と。



 そして。料理を作ってくれたグレッグさんに、料理をスプーンで食べさせられるという謎介抱を受けた私は、甘い時間を過ごした。

 

 好きだとは一言も言われなかったけど、グレッグさんと目が合うと、グレッグさんは照れくさそうにニコッとしてくれる。そして「どうした?」と聞く声が優しい。甘い。

 

 だから甘い空気にほだされて、私は大きな勘違いをしていたらしい。

 

 

 置かれた手紙。

 

『今までの行為の全てにお礼を言いたい。ありがとう、ミノリ。私はお前のことを忘れないだろう』と、テーブルの上に。


 文字は丁寧に書いてあった。愛のあるような温かみのある、でも綺麗な整った文字だった。

 

 

…………。



 私は視界が暗くなるのを感じて、床に崩れ落ちた。手紙を持って。

 

 前だったら悪魔はお家から出ていけ連呼してたし、居なくなったら清々したと思ったのかもしれない。でも。今は違う。寂しい。嫌だ。なんで? おかしい。私のこと好きじゃなかったんですか? グレッグさん、グレッグさん、ねえ、グレッグさん。

 

 そんな気持ちで頭がいっぱいになる。

 

 しかし彼は帰ってこなかった。

 

 そして大学生活がふたたび冬休みが終わり始まり、私は……。……大学を心身がボロボロになったせいで、休学することにしようとしたが、親に怒られた。そりゃそうだ。親の金で大学行ってるからな。

 で、がんばれ、最低限の単位取るだけでいいから。フル単じゃなくて良いし、成績も中くらいで良いからと、なだめすかされた私は、死んだ顔で大学に通学した。パトリック君にはすごく心配されたし、他の女の子の友達にも心配された。優しいな皆。泣けるわ、と吐き捨てるように思う。自分の心の矮小さに嫌気がさした。あと、私にとってグレッグさんは、意外と大きかったんだなって。おもったんだ。今更だけど。

 

 

 そして、夏休みになるまで時間が経った。ほぼ7ヶ月半が経っている。夏休みはあと1ヶ月と7日くらいだ。

 インターホンが鳴る。

 

 ああ、ピザの宅配を頼んだんだった。

……あれ、でもまだピザを作っています、になってるな、とスマホを見て思う。



 誰だ? と思って、インターホン越しに「もしもし?」と言う。返事はない。

 

……無視しよう。


 そう思っていたら、ピンポーン、とまた鳴った。

 

 

 私はいらただしい気持ちで扉を開けた。

「セールスも宗教も勧誘はお断りで――!? えっあっえっ……!!?」



 そこに立っていたのは――!!



「久しぶりだな、ミノリ」

 低めの声。高い身長。左頬から鼻の上を通って右頬まで刻まれた古い傷跡。……ツノ。……グレッグさんだ。

 

「……帰ってこないのかと、思ってました」

「なぜだ?」

「あんな置き手紙置いていったら、もう、帰ってこないのかと思いましたよ……! なんかキスの時も訳分かんないくらい細かいこと気にして、俺様に見えて責任感強すぎですし、……私に気を使って、というか……人間と関わるのやめようって思ったのかと」

「そうか。お前はそうしたほうが良かったのか?」

「…………」


 冗談を言ってごまかしたら、本当にもう会ってくれなくなるような気がした。

 

「違います、私、グレッグさんの……ええと。その。……同居人で居たいです」

「それが望みか?」

「はい。なんなら契約しても良いですよ。死後の魂の譲渡じょうとはできませんけど、でも、……す」

「す?」

「……す」

「……『す』がどうした」

「すきですし……その。そりゃあ、一緒に住めるほうが、永遠に会えないよりは、良いです」

「そうか」



●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●


 部屋の中に入る。


「ミノリ、ココアを淹れて欲しい」と言われたので、冷やした氷をたくさんあったかいミルクとお砂糖たっぷりのココアに入れて、キンキンに冷えたココアを作った。


「ああ。熱くないココアも旨いな」

「夏なので、さすがに熱いココアはどうかしてますよ」

「そうか? 俺は夏でも鍋やグラタンが好きだが……」


 さすが悪魔だ。でももうからかう気にはなれない。ちょっとでもからかったら笑うつもりが、泣いちゃいそうだからだ。いつからこんなに涙もろくなったんだろうな……と思う。ぜんぶ、グレッグさんのせいだ。

 

 

「でも」

「ああ。なんだ?」

「どうして、どこに行ってたんですか? 普通、置き手紙なら帰ってくる時間と、行った場所を書いて欲しかったです」

「ああ、そうだったな。うっかりしていた。バカンス中の住所を上司に報告していなかったと思って地獄に帰ったら、地獄の知人が結婚式をしていてな。で、それが終わったと思ったら知人が葬式をしていた。その後には地上に帰ってきていたんだが、いや、なに、俺も人間の戸籍を手に入れたくて」

「人間の戸籍って、人間の戸籍ですか?」

「それ以外に何か意味があるのか?」

「無いと思う」

「そうか。では話を続けるぞ」

「うん」

 彼の目を見ていると、魔法にかかったみたいに、胸の奥が熱くなる。優しい気持ち、恋しい気持ち、そしてちょっぴり照れる気持ちと、大好きな気持ち、それから独占欲みたいなものが、あふれてくる。

 

 私なんかが恋愛感情を持つなんて、なんだか、気まずいけど。パトリック君に振られた時以来の恋愛感情で、なんていうか、こう。人生二度目の恋にしては、あまりにも、初恋みたいな甘い感情が、どろどろと心のなかをうず巻いている。



「話を聞く気はあるのか?」

「あります」

「ひょっとして、疲れているのか。休んだほうが良いなら、休め。試験勉強が大変だったんだろう?」

「え。誰から聞いたんですか」

「誰からも聞いてはいないが、大学生というのは夏休み前に試験があると聞いた」

「ありましたよ。…………。カフェイン取りながら詰め込み暗記しまくって、やり過ごしましたけど私は元気なので、心配しないで欲しいというか。うう。……うううう……」

 泣いちゃいそうだ。ぐっとこらえる。

 重いと思われたくない……。



「泣くな、泣くな。そんなに俺が恋しかったのか。たかだか7ヶ月ではないか」

「7ヶ月は、ほとんど一年です。人間の寿命って、どんなに長くても百歳くらいだし。もう会えないかと思って……ウウ……」

「悪かった。人間の戸籍を手に入れるのに、色々と苦戦したんだ。法律が改正されてな、人間の戸籍を手に入れるのに色々と理由が必要になって、その」

「…………?」

「審査をする担当局の公務員を頷かせるのに苦労したんだ。というか、正攻法では手に入れられなかった。だから裏口から戸籍を手に入れた」

「……理由は? その、そんなにしてこの国の国民になりたかった理由って……ていうか前もこの国で仕事してたんなら、戸籍持ってたんじゃ……」


「質問は一つずつだ」

「戸籍もってなかったんですか」

「ああ。外国人の戸籍を作ったり、あるいは警察に職務質問をされたら催眠魔法でごまかしたり、姿を魔法でくらましたりした」

「わ、わーお……」


「で、なぜ戸籍が欲しかったのか、だったな。自称悪魔の、現住所不特定で戸籍も無い男が相手だとお前の家族に堂々と紹介できないだろう?」

「私の家族にも洗脳催眠魔法かけたら良かったんじゃ……」

「そこは誠実でありたかった」

「ていうか、か、か、家族に紹介……!? リアクションちょっと遅れちゃいましたけど、えっ、えっ、意味分かっていってますか?!」


――結婚を前提にお付き合い――!? いや、まさかな……。


「特に意味はないが、まあ、恋愛相手として付き合うのだ。真面目な付き合いなら、挨拶ぐらいしても、まあ、別にそちらに不利益はないだろう?」

「不利益がありそうなのはむしろグレッグさん側では……!?」

「ツノは魔法で見えなくするから安心しろ」

「ほ、ほう。見えてますけど、思いっきり」

「お前には俺のありのままの姿を見て欲しい。お前には……お前だけだ」

「…………!?」

 今日のグレッグさん、心臓に悪いです……良い意味で……!

 


「ていうか、その、私と付き合って大丈夫なんですか……?」

「何がだ。前例ならたくさんあるぞ。地獄の王ですら、人間の妻をめとったことがある。離婚したが」

「最後の単語は余計すぎませんか……?」

「俺は、……ミノリ、お前のことが、……好きなのかもしれない。こんな感情になったのは、久しぶりすぎて……ほとんど、初めてのような……浮ついた感覚だが……」

「好きになる要素どこにあったんですか……?」

 自分で言って、悲しくなってきた。不安だ。

 ぎゅっと手を握る。

 にぎりこぶし。

 不安になるといつもそうだ。

 

 

「お前と居ると退屈しそうにない」

「笑えるからってことですか?」

「それに、なんだか、お前のそばにいると心が安らぐ。お前の魂が清らかだからだろうな」

「清らか……それって、とんだ見当違いでは……」

「悪魔のよくある口説き文句だ。もしそんな口説き方をした男が居たら、俺に言え。俺が骨まで燃やしてやる」

「ひええ……っ」

 口では言いつつも、ニヤニヤしてしまう。

 えっ、独占欲……!? 独占欲か?! という気持ちでニコニコが止まらない。

 

「まあ、よくある口説き文句しか思いつかない訳だが。お前が嫌でないのなら、……まあ、恋愛相手というのはいったん脇に置いて、……その。……これからも同居人で。……いさせてくれ」

「こ、こちらこそ、よろしくお願いします!」



 彼が本当に嬉しそうに笑った。その微笑みの温かさに、私は、胸がじゅわっと、フライパンで溶けたバターたっぷりのキャラメルソースよりも甘く、幸せを感じた。

 


●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●



「あ、あの。グレッグさん」

「なんだ?」

「なんか距離が、近いような」

「そうだな。ココア味かもしれないが、構わないか?」

「え、なにがですか?」

 会話が成立していない気がするんですが……!


「キスしたい。……駄目か」

「~!!!!」

「そんなに驚くな。目玉が取れるぞ」

「…………。……とれませんけど、そ、その! えっキス?! キスですか!? こんな人間の小娘(※20代成人女性)とキスなんて気が進まないっておっしゃってませんでしたっけ……!?」

「楽しかったぞ。あれは、とても楽しかった。いい思い出だ」

「…………!!!!」

「まあ、嫌なら無理にいるつもりは無いが」

 言いながら、すごくセクシーな男性ことグレッグさんが、私の頬を指でなぞった。悪魔族なのに爪が今日はしっかり切られているようだ。

 

「ん……」

「ほっぺた、もちもちしているな。痩せているが、なんだか、ほっぺたにだけ肉が……」

「やめてくらはい」

 ぐにぐにされてほほの肉をもてあそばれているので、思わずゆるい非難の声をあげる。


「キス、する気になったか?」

「……なりません」

 嘘だ。心臓がバクバクと跳ねるようにリズミカルに鼓動していて、そのドッドッドッドッとうるさくなる心臓の音を聞いていると、キスをしたら心臓がやぶけてしまうような気がして、YESと言えない。

 ていうか恥ずかしい!!!!

 

 前は緊急事態でグレッグさんを助けたかったからキスしたのであって……! 私未経験者だし……! 恋とか……! 手をつないだこともパトリック君と父親と親戚のリンドウおじさんを除いたら無いんだぞ……!?

 


「だが、抱きしめるくらいなら良いだろう?」

「え、あ、はい。もちろん」


 ギュウウ、と力強く抱きしめられた。

 ぬくぬくだ。悪魔って、基礎体温高いのかな。それとも炎魔法の悪魔だからぬくぬくアチアチなだけかな……?

 

 あったかい。

 ほかほかする。気持ちいい。好き。

 すきだ。

 好き。

 

 そんな気持ちで満たされた。

 

 その体温にちいさな幸せを感じて、幸福感にひたりぼーっとしていると、手が頭の上にぽんっと乗せられた。

 

 頭を撫でられた。

 

 

……もう、怒る気にはならなかった。


 それに、なんだか、心地良いから。

 このまま、ずっと、ぼーっとしてたい。

 

 

(あ。夏休みの課題終わってない……! レポート……!)


「あの。グレッグさん?」

「改まって、なんだ。ミノリよ」

「夏休みのレポート課題があるんで、離してもらって良いっすか」

「駄目だ。まだここに居ろ。夕飯の時間まで、こうしていたい。夕食後も、お前がお気に入りのテレビ番組をいつものように観ている間、抱きしめさせてくれ」

「……いやいや、レポートは毎日コツコツやらないと……」

「愛している、と言うのはまだ早すぎるだろうか。だが、俺の心は、……なんだ。そういうことを、思っているの……かもしれない。上手く言えない。悪いな、この手のことには慣れていないんだ」

「…………」

「もう少し経験豊富な男であれば、自分の感情をもっとも相手の女が喜ぶ形に加工して、いい感じの事を言えるのだろうが……そういうのは、俺は苦手でな。まあ、言われなくとも、お前はすでに嫌というほど知っているだろうが」


「グレッグさんのそういうぽんこつな所が、好きですよ」

「そうか」

「燃やしてやるって言わないんですか?」

「ああ」

「人間の小娘に舐められてますよ?」

「それも悪くない。お前ならな」



 笑い声。

 最初の頃に聞いた声は乾いていた。

 でも、あの時の声とは違って。

 

 なんだか。

 なんだか。

 

 とっても。

 あたたかい、笑い声だった。

(完)

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