35. Reset:----
「ん……」
閉じたまぶたに陽光が差し込む。
鳥の鳴き声がする。
パンを焼いているにおいがほんのり、鼻をくすぐる。
そのにおいがきっかけになったのか、アクセルは目をゆっくり見開く。
「ん……あれ?」
見開いた視界に入ってきたのは、木造建築の家の屋根。簡素なカーテン。
そして視界の下半分に僅かに見える、自分の黒い鼻。
ぼんやりしていた頭を、がしがし掻いてようやく思い出した。
今は、自分も仲間も平和な世界で魔物として生きているのだと。
服を身に着け、あくびを噛み殺しながらリビングに出ると、既に起きていたエマとジャンヌの二人が朝食の準備を終わらせていた。
「おはよう、アクセル」
「お目覚めになりましたか?」
なんでもないかのように挨拶してくる二人も、当然だが魔物だ。
ジャンヌは聖兎族、エマは大栗鼠族。アクセルはというと大山猫族だ。
数度瞬きするが、結局自分の視界が間違っていないことを理解する。なぜなら、これが今の日常なのだ。
「エマ、ジャンヌ……おはよう」
「はい、おはようございます」
「全く、こんな時間まで寝てるの、あんたくらいよ」
挨拶をかけながらダイニングテーブルに腰を下ろすと、すぐにジャンヌが温かいスープを目の前に置いてきた。スープをすする自分を、呆れた表情でエマが見つめる。
この風景も、この朝食も、気がつけばいつものことになっていた。もう、いつからこの日々を過ごしていたのかも思い出せないが、しかし。
アクセルは先程まで見ていた『夢』を思い出しながら、ぽつりと呟いた。
「ああ、いや……ちょっと、昔のことを夢に見て」
「あら、奇遇ですわね?」
アクセルの言葉に、焼いたパンをオーブンから取り出しながらジャンヌが目を見開いた。
その言葉に、アクセルもエマも耳をピンと高めながらこれまた目を見開く。様子を見るにエマも、ジャンヌも同じように、夢を見たらしい。
「ってことは、ジャンヌも?」
「はい。随分とはっきり……珍しいこともあるものですわね」
ジャンヌが視線を向けた先で、エマもこくりとうなずいていた。どうやら彼女も同じ夢を見ていたようで、アクセルが目を覚ます前にそれについて話していたらしい。
ともあれ朝食を取ろうと、パンに手を付けたところで、家の扉が開いた。開いた扉から小柄な仔犬族と狼人族が顔を覗かせる。
「おはようございます、皆さん!」
「こんな時間まで寝ていたのか、呑気なものだ」
顔を出して挨拶してきたのは、この家の隣に住んでいる顔なじみ、エイレルトとラグランジュだった。当然のように家に入ってきた両名だが、これもまたいつものことだ。
エイレルトはアクセルやエマと仕事仲間だし、ラグランジュはジャンヌと同僚だ。この村に住む他の魔物もそうだが、大抵がどこかで一緒に過ごす時間がある。家に上がり込んでくるのにも抵抗はない。
「おはよう、エイレルト、ラグランジュ」
「何度も起こしたのよ、あたしも」
アクセルが軽く挨拶を返しつつ、エマがアクセルの小脇をつついた。実際、エマはアクセルを起こすために毎朝わりと頑張っている。にしても今日は目覚めが悪すぎたが。
と、スープを新たな椀二つに注ぎながら、ジャンヌがおもむろに二人に声をかけた。
「ところで、お二人……昨夜はどのような夢を?」
夢。唐突にそんなワードを口にしたジャンヌだが、エイレルトとラグランジュは目を見開き、揃って顔を見合わせた。
「夢、か」
「そういえば、私たちが一緒に、何か大きなものと対峙する夢を見た記憶が……」
エイレルトとラグランジュが揃って天井を見上げ、言葉を漏らす。
詳しく話を聞くと、やはりそうだった。二人とも、三人と同じ夢を見ていたらしい。ジャンヌがスープに乾燥させたパンくずを振りかけながら口を開く。
「私たちも、ちょうど昨夜にその夢を見たのですわよ」
「ふむ?」
彼女の言葉にエイレルトが首を傾げた。
三人どころか、五人が同じ夢を見ていた。これはもしかしたら、村の他の人々も同じように、『あの一日』の夢を見ているかもしれない。
『あの一日』。『世界』の理不尽に閉じ込められ、それを打破した、あの日のことを。
「『勇者』と『魔王』、世界の繰り返し、そこからの脱却のための共闘、『世界』の真実、神との対決……こうではなくて?」
「そ、そうです!」
ジャンヌが夢の内容をかいつまんで話すと、ラグランジュが手を打った。
やはり、そういうことらしい。これはどう考えても偶然とは思えない。
そしてパンを口に放り込みながら、アクセルがこくりと頷いた。
「あー……思い出した」
何度か頷き、自分で納得するようにしながら、ふと天井に視線を向けながら、しみじみと彼は言った。
「俺たち、新しい世界で生まれ変わったんだ」
そう、あの最終決戦との後。
世界神アシアに実力を見せつけた彼らは自分たちの望みを組み込んだ新たな『世界』に転生し、こうして日常生活を送っていたのだ。
この世界では争いがない、戦争もない。アシアが明示的に『世界』に触れなくてもよい代わりに、変化らしい変化がない日々が緩慢と続く。
「ええ、そうですわね。『魔物のみが生きる、争いも諍いもない平和な世界』……この世界で私たち三人は兄弟として。エイレルト、ラグランジュは私たちの隣人として……シェドザールはこの村の村長、アンデオルは副村長として。他の皆さんも、この村で一緒に生きている。もう互いに争うことも、傷つけ合うこともない」
スープをエイレルトとラグランジュに渡しながら、ジャンヌが微笑む。
皆、ここで生きている。日々を繰り返しながら生きている。シェドザールも再び生命を得て、アンデオルと共に村の統治に精を出している。その分出歩くことが減ったらしいが、仕方ないだろう。
「確かに、一日は代わり映えしないかも知れない。終わりはなく、緩慢とした世界が続いていくかも知れない」
アクセルがスープの椀を両手で包みながら、しみじみと言った。
終わりはなくても、それでいいのだ。以前のように理不尽な、無茶苦茶な世界にならないのなら。
「でも、理不尽な終わりはここには存在しない……だろ? ジャンヌ」
「ええ、そうですわね」
アクセルがジャンヌに顔を向けて微笑むと、彼女も微笑みながら頷いた。
日々は平和だ。それがいいのだ。種族の隔たりもなく、誰もが安心して暮らせる日々……これこそ、『勇者』と『魔王』の戦いと旅路の果てに、皆が望んでいたものだろうから。
「だな……よーし」
ぐい、とアクセルがスープの椀を持ち上げて、中身をぐいと飲み干す。
今日もまた、なんでもない一日が始まる。
「今日も頑張ろうぜ。仕事が終わったらアルベルティーヌおばさんの店に集合だ」
「もう、アクセル。アルベルティーヌ『姐さん』って呼ばないと、また怒られるわよ」
「それより前に、まず顔を洗いましょうよアクセル様。頭の毛が爆発してますよ」
「その姿で仕事に出てくるなよ、ジャン殿に殴られるぞ」
気合を入れたアクセルに、エマもラグランジュも、エイレルトも口々にツッコミを入れた。ジャンヌも困ったように笑っている。
この『世界』では、今日もまた、一日が始まり、夜が来て――そしてまた、『明日』が来るのだ。
~THE END~
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