29. After:01
「ん?」
ズドン、という大きな音が鳴り響いたとともに、『何か』がそこから飛び出してきたのを見て、思わずに声を漏らした世界神アシアは、次の瞬間に一瞬だけ目を見開いていた。
『箱』から――『世界』から飛び出してきた、大きな一つ目の魔物。その上にしがみついている何人かの人間、魔物。
その一つ目の魔物が虚空の如き地面に転がり、砂のように消滅していく。それに伴って地面に投げ出された数人が、バッと起き上がって声を上げた。
「っ、は、ど、どうだ!?」
「あっぶなー……マジで潰されるかと思ったわ……」
「ラグランジュ、目を覚ませ、死んでる場合じゃないぞ」
『勇者』アクセルが顔を上げて周囲を見回し、『魔剣士』エマが頭を抑えながら首を振った。『魔王』シェドザールはというと、未だ気を失っている『監視者』ラグランジュを起こそうとする『衛兵』エイレルトを守るように身を起こしている。
そして残る一人――『聖女』ジャンヌが、ゆっくり立ち上がりながら顔をあげた。
「どうやら……無事に『世界』を脱することが、出来たようですわね。その証拠に――ほら」
ジャンヌがゆるり、と手を伸ばしたその先。
『世界』である箱庭をその手で押しつぶし、こちらを見下ろしている巨大な一人の女性、あるいは男性。
「あ……」
「あれ、あのでっかいのが……まさか……!?」
その姿を認めるや、ジャンヌとシェドザール以外の四人――目を覚ましたラグランジュまでもが恐れおののき身を震わせた。
あまりにも巨大、あまりにも異様。ひと目見ただけで分かる、その威厳、威光。
明らかに、その存在は一目見ればそれが何者であるかを理解できるものだった。
それは。
「……世界神、アシア」
ただ静かに呟いたのは、ジャンヌ同様にただまっすぐにその相手を見据えていたシェドザールだった。
『神』の言葉の代行者であるジャンヌはそれに対して恐れない。『魔王』たるシェドザールは世界教の信徒でない上、王であるため屈さない。
それ以外の四人が恐れ、震えているのは『神』を前にした事実、『神』の持つ威容に本能からの恐れを抱いているからだ。それは生命として当然のことであった。
だがそれは当然のことであるが故に、アシアの驚きはそれとは異なるところにあった。
「これは驚いた。『世界』の箱庭の中でしか生きられないはずなのに、未だ命が尽きておらぬとは」
そう、そもそもがかの六人は『世界』の中で生きていた。
『世界』の中でしか生きられない、そう定義されていた生命だった。
それが『世界』の外にいて、生きている。喋っている。
あまりにも傲慢なその言い方に、思わず拳を振り上げたのはアクセルだった。
「ふざけんな! お前の勝手で『世界』まるごと、潰されてたまるか!」
「『勇者』様! 抑えて――」
その彼をジャンヌが抑えようと声を上げたが、数瞬遅かった。指一本も動かすことなく、ただじろりとアシアがアクセルを見つめる。
「神の御前ぞ。口を慎め、『勇者』」
「……!?」
アシアの瞳がアクセルを捉えた瞬間、声を上げていたアクセルの身体が硬直した。びくりと痙攣しながら喉を押さえて地面に転がり、苦悶の表情で苦しみ始める。
「ぁっ……かっっ……!!」
「アクセル様!!」
「『勇者』、どうした!?」
唐突に苦しみ、悶え始めるアクセルにラグランジュとエイレルトが縋り付いた。
痙攣するアクセルの息が詰まったかのような苦しみ方。明らかに普通ではない。
シェドザールが憎々しげにアシアを睨みつける。その視線を意に解することもなく、ため息までつきながら吐き捨てる。
「殺されたくなければ静かにしていることだ。私は貴様らよりも上に存在するもの。貴様らにこうして声を届けているのも、わざわざ人に認識できるよう話しているだけだと理解するがいい」
アシアがくい、と顎をしゃくった瞬間、今まで苦しみ悶えていたアクセルの口から溜まっていた息が吐き出された。顔面蒼白、全身から脂汗を流したまま、それでも胸を抑えながら息を吐き、吸っている。
「……っ、ぅ、は、はっ……!!」
「アクセル様、なに、何が……」
アクセルの身体に縋り付いていたラグランジュが、呼吸を取り戻したアクセルに問いかける。するとようやく呼吸を取り戻したアクセルは、目を大きく見開きながら口を開いた。
「い、息が……息が、出来なくなった、急に」
「え――」
その発せられた言葉に、ラグランジュだけではない、エイレルトも、それを背中で聞いていたエマも言葉を失った。
ひと睨みされただけで呼吸が出来なくなるなど、魔法やスキルどころの話ではない。ジャンヌがアシアを見つめながら淡々と話す。
「機能の禁止、ですわね。先程のアクセル様は、アシア様の御力によって呼吸する機能を禁止された……しばらくはゆっくり呼吸してくださいまし」
ジャンヌの発言は、改めて五人の目を見開かせるに充分だった。
『神』であるが故に、生命の持つ基本的な機能を禁じることが出来る。その事実に至った瞬間、エマは絶句すると共に納得した。納得してしまった。
「は……!?」
「そんなことが……いや、出来るのだな、『神』ゆえに」
シェドザールも改めてアシアを睨みながら、納得した様子で呟いた。
目の前にいる世界神アシアは世界の管理者にして支配者。自分たちよりも『上』にいる立場。だからこそ自分たち『世界の住人』をいかようにも支配できる。
これこそが『神』。これが出来るこその『神』。
その『神』が為したことの真実を正確に言い当てたジャンヌに、アシアがそっと目を細めながら言葉を返す。
「さすがは、『カプレの聖女』にして世界教中央教会上級シスター、ジャンヌ・ワトー。私の声を受け取るに足る者」
自分の『配下』に言葉を届けながら、しかしその瞳には強い怒りが見て取れた。
アシアの瞳がジャンヌを見る。しかし声を、呼吸を禁じている様子はない。否、わざと禁じていない。
「その貴様が、率先して『世界の真実』を暴かんとした事実を、私が見過ごすと思うか?」
「いいえ」
アシアの問いかけにジャンヌは端的に答えた。
率直に否を突きつける。その上でジャンヌは一歩、前に進み出た。胸のロザリオに手を当て、味方を守るように前に立ちながら、その上で『神』に述べる。
「世界神アシア様はこの世……足元に転がり、既に崩れ落ちたあの箱庭のみならず、この場所に散らばる箱庭のすべてを、遍くご覧になり、お聞きになっていらっしゃる。我々『勇者』が『魔王』と結託したことも、アシア様の行った『巻き戻し』から脱却しようとしたことも、きっとご存知でございましょう」
ジャンヌの物言いに、アシアの眉間が僅かにだが寄せられた。不満なのかどうなのか未だ見えないが、明確にその言葉には不満が見て取れた。
「当然だ、世界を司る神である故の世界神。ならばその私に――」
アシアがジャンヌに、その不遜を、不義理を咎めようと言葉を重ねようとする、っが、しかし。
「ですが」
「ん?」
ジャンヌがアシアの言葉に被せるように言葉を重ねた。それは明確に、さらなる否定と反論の言葉だった。そこからジャンヌの反論が始まる。
「誰かが問題提起をしなければ、あなたはきっと今回も『それ』に気付くことなく、世界を創り直して同じように運営していたことでしょう。あなたに見えるように話さなければ、あなたに気付かせることは出来ませんものね」
「……」
ジャンヌの立て板に水を流すように放たれた言葉に、明確にアシアは言葉を失った。
自分が気づいていなかった、明確な不備がある。神に対して信徒が突きつけるにしては、あまりにも不遜にすぎる言葉だ。
だが『神の信徒』にして『神の代弁者』たるジャンヌの言葉だからこそ、アシアはジャンヌの言葉を遮れない。
「答え合わせとまいりましょう、アシア様。『聖女』たるもの、神の御前で易々と膝を折ることはありませんことよ」
いっそ勝ち誇ったようにジャンヌが笑みを見せ、アシアに指を突きつける。
今ここから、『ヒト』から『神』への大反逆が始まろうとしていた。




