20. End:01
揺れが始まったその時に、『世界』全体が軋むかのような音を、果たして誰が聞いただろうか。
音を認識するより早く揺れ、震えだした墳墓。その揺れは地震と称するにはあまりにも激しく、あげく無秩序だった。
「な、なんだこの揺れ!?」
「立って、られない……!」
アクセルが、エマが、ジャンヌがよろめき地面に膝をつく。シェドザールさえも立っていられず、地面に尻餅をついていた。
そんな中。入口から転がり込むようにして墳墓に飛び込むものが二人。エイレルトと、ラグランジュの駆る一匹の飛眼だ。
「『魔王』様! 『勇者』様!」
「ご無事ですか!?」
「ラグランジュ様!? エイレルト様!?」
二人ともがあらんばかりの大声を張り上げ、焦りを隠しもしない様子で声を上げる。その姿を最初に認めたのはジャンヌだった。
呼びかけを受けて二人が安堵したのもつかの間、すぐに表情を元に戻し、姿勢を正して声を上げる。
「大変申し訳ありません、一存で通信を再開させていただきました!」
「こちらも申し訳ない、合図はなかったが緊急事態だ」
「構わぬ! 何が起こった!?」
二人の言葉にすぐさま、表情を引き締めて先を促すシェドザール。尻餅をついたままとは言え、この揺れの中。立つこともままならないだろう。
すると、エイレルトがとんでもないことを言い始めた。
「空が――空が割れた!!」
「はい、あの、こちら、ご覧ください!!」
エイレルトの言葉に頷きつつ、ラグランジュが飛眼の眼に映る映像を切り替える。城の外、魔王城の上空に飛ばしているものだろう。
その映像を覗き込むや、四人ともが絶句した。
「こ……」
「これは……!?」
エイレルトの言葉に、一つの誤りも嘘もなかった。
夜空が、星のきらめく空が、割れている。どころか空そのものが上から押されるようにたわみ、砕けて破片が散っていた。
あまりに信じがたい状況に、絶望の声がエマの口から漏れる。
「な……なに、これ……!?」
「空が……割れて、落ちている!?」
そう、落ちているのだ。まるで板張りの天井が重さに耐えきれずに割れ、砕けたように。
こんなことは有り得ない、と誰もが言うだろう。そしてラグランジュが次々に映像を切り替える。ラクール王国上空、聖都カプレ上空、世界最高峰と知られるボナール山の火口付近。
いずれの場所でも、空が割れ、砕け、地面に降り注いだ破片が穴を作り、家を破壊していた。
「先程の大きな揺れの時に、割れたようです! でも、なんで……!? 空があんなに割れるなんて……!」
「っ――」
ラグランジュが声を張るのを聞いて、ジャンヌがぎり、と歯噛みした。
先程までの過呼吸を起こし、絶望に沈んでいた『聖女』の姿はもはやそこにはない。修道女として、『神』の声を聞き、世界の歴史を見守るものとして、覚悟を決めたのだろう。
顔を上げ、エイレルトとラグランジュに矢継ぎ早に呼びかけた。
「エイレルト様、ラグランジュ様! 魔王城の地下階には、どのくらいの人数が入れますか!?」
「え、ええと……!?」
突然に問われ、ラグランジュが視線を彷徨わせた。
なるほど、確かに魔王城ほどの建造物の地下とあれば、これだけ空が崩れていようとも万が一に助かることがあるかもしれない。そうでなくてもこんな洞窟めいた墳墓の中にいるよりは安全だ。
シェドザールが沈黙を続ける中、ラグランジュが言葉を発した。
「魔物は、身体の大きな人もいるので……その人たちは難しいと思いますけれど、人間で考えれば、通路に三十人くらいは……」
「いや待て、地下には牢屋もある。扉を開け放って全体を使えば二百は入るはずだ!」
「っ……かしこまりました!」
ラグランジュの言葉にエイレルトが被せる形で助け舟を出した。地下牢も使ってスペースを取ればかなりの人数を助けられそうだ。
いよいよもってジャンヌは率先して、城内の魔物を一人でも救おうとしている。その姿を見てシェドザールが、呆れた様子で声を発した。
「あがくつもりか……『聖女』。これはおそらく、地震などの災害とは、訳が違うのだぞ」
「分かっていますわ、そんなこと」
『魔王』のいっそ嘲るような言葉に、キッと睨み返しながらジャンヌは返した。
彼自身の言葉でこの事態が引き起こされていることは、もはや疑うまでもないが、そこを追求したとしてこの滅びは止まらないだろう。『カプレの聖女』――世界教の根幹にいる立場故に、ジャンヌの言葉には揺らぎがなかった。
「これは世界を司る神、アシア様がもたらす最期の破壊です。シェドザール様の先のお言葉は世界の秘密の深淵――世界運営のあり方に触れた。故にアシア様は世界を中身ごと押し潰そうとされている」
両手で地面をしっかと掴みながら、ジャンヌは言葉を続けた。
シェドザールの発言は、世界のあり方に直に触れるものだった。そのことをアシアが察知したら、当然真実を知った者を消しにかかるだろう。この墳墓の中で会話がされていたとして、それを察知できなくて何が神か。
故に、この『破壊』は始まった。他ならぬアシア自身の手によって、この世界を終わらせるために。
「地下に逃げようと、空に逃げようと、どこにも逃げ場はない……私も承知の上ですわ。ですが!」
逃げ場はない、そこを強調して、一度言葉を区切ったジャンヌはそこで立ち上がった。杖を支えにして、揺れる地面を両足で踏みしめ。胸のロザリオを握りながら。
「『世界』が終わろうというその時に、何もせずに滅びを待つなど、人々の導き手にして『神』の御声を受ける『カプレの聖女』の称号が廃りましてよ!!」
「……」
その啖呵に、シェドザールはただ目を細めていた。
笑みは無い。今更何を言うのか、という諦観の色はまだその瞳にあった。ジャンヌの言葉が響いていないわけではないだろうが、しかしそれでも、世界が壊れるという事実が重くのしかかっている。
ゆらり、とアクセルが立ち上がった。膝に手をつき、徐々に揺れが収まりながらも未だぐらつく地面に立ち、未だ座り込んだままの魔王を睨みつける。
「『魔王』」
「……『勇者』」
アクセルの言葉には、侮蔑の色が見て取れた。しょぼくれたままのシェドザールに、戦友として、勇者として言葉を投げかける。
「お前は魔物たちの王なんだろう。そのお前が、慌てふためく部下や臣下を放っておいて、こんなところで呆然として、どうするんだ」
アクセルの言葉はさすがに堪えたらしい。視線を落とし、逸らし、傍らに転がっていたラエネックの棺を見つつ吐き捨てる。
「世界が、壊されるのだぞ? それも他ならぬ、世界を司る神によってだ……『聖女』は足掻こうと言うが、実際何が出来る」
あまりにも諦めに満ちた、王として情けないにもほどがある言葉に、いよいよ『勇者』アクセルの堪忍袋の緒が切れた。
「……っ!!」
苦々しく表情を歪めながら、アクセルは右の拳を一直線に振り抜いた。それがシェドザールの左頬を捉え、したたかに彼の頭を左方に振る。今の一撃で口の中が切れたのだろう、血が舞った。
「っっ」
「ま、『魔王』様!?」
さすがに主君が頬を張られて、エイレルトも動揺を隠せない。やっと立ち上がったエマも、息を荒くするアクセルの肩を抱いた。
「アクセル! あんたちょっと」
「エマ、構うな」
彼女の両手をそっと払い、アクセルはいよいよ侮蔑的な眼差しを隠そうともしないで口元の血を拭うシェドザールを見下ろした。明らかに、静かにだが怒っていた。
「立場を越えて自分から話を持ち掛けて、あれこれと手を尽くしておきながら、もうどうにもならないと分かった途端に無気力になって諦める、こいつに腹が立っただけだ」
そのままスタスタと歩み寄り、シェドザールの胸ぐらを掴み上げる。身長差がある故に吊り上げるまではしようがなかったが、それでも狼の喉からは苦悶の音が漏れた。
エイレルトが一瞬身体を動かしたが、しかし『勇者』の言葉に偽りはなく、その行動を止める理由も全く無かった。そんなエイレルトの心を代弁するように、アクセルが吠える。
「そんなんで『魔王』か、人類の敵か。人類の敵を標榜するなら、せめてちょっとは傲慢に振る舞えよ、気が抜ける」
「……」
気が抜ける。それは全く、嘘偽りのない本心だっただろう。
人類の敵である『魔王』が、これまで一週間に近い『一日』をどうにか抜け出し、手を取り合い、協力して事に当たってきた『戦友』が、こんな体たらくを晒すなど。
その言葉はシェドザールの頭を、心を、したたかに打ち据えた。瞳から諦めの色が消え、決意の炎が代わりに灯る。
喉元にやられたアクセルの手を、ゆっくり解きながらニヤリ、口角を持ち上げた。
「ふん。言うてくれる」
どうやらこの『魔王』も、抗う決心がついたらしい。
そうと決めてからのシェドザールの行動は迅速だった。墳墓の壁にこれみよがしに設置された燭台を押し込むと、その横の壁が動いて道ができた。その道を指し示して部下二名に声を張る。
「ラグランジュ! 急ぎアンデオルに連絡せよ。地下牢に魔王軍の全員が集まるように。エイレルトは地下牢の鍵を全て解放しろ! 吾輩と『勇者』各位もすぐに向かう」
「は、はいっ!」
「かしこまりました!」
指示を受けた魔物二名も、すぐさまに動き出した。ラグランジュの駆る飛眼は目を閉じ、通信を終えるやすぐさま墳墓の外に飛び出し、エイレルトは出来上がった道にまっすぐ飛び込み走り出す。
一転、毅然として『魔王』らしい姿を見せるシェドザールに、エマが腕組みをしながら苦笑する。
「なんだ、やれば出来るじゃない」
「ぬかせ。あそこまで貶されたまま、死ぬのは業腹だというだけよ」
その軽口にすんと鼻を鳴らすシェドザール。その口元にはまた、うっすらと笑みが浮かんでいた。
ここまで来たら後は単純、世界神アシアのもたらす理不尽な破壊と崩壊に抗うだけだ。ここまで来たら人間も魔物も区別している必要はない。
「来い、あちらの通路から、城の地下に行ける」
シェドザールが道の向こうを指し示す。その奥には魔王城で確かに見た、城の地下――石造りの床と松明が見えていた。




