先生
二棟ある校舎の校庭側。
専門教科専用の教室が並んでいる三階の角教室に先生はいた。いつもきちんとした黒いスーツに身を包み、絡まりそうなほど長い脚を組んで、パイプ椅子に座っている。その教室は、今はもう使われていない講堂で、その先生は自分の担当授業がないときには職員室ではなく講堂で時間をつぶしていた。
「……そこに突っ立ってないで、入ってくればいい」
読んでいた本から顔を上げて先生は言う。
今日の講堂はいつもより暗くて昼なのに夜みたいだ。
先ほどから降り出した雨はすぐ大きな雨粒となって校庭の人工芝生を濡らしていた。外からは、体育館に変更と大きな声で叫ぶ体育教師の声と、女子の甲高い楽しそうな声が聞こえる。
「なんでわかんの? 今日はバレないとおもったのに」
「歩く時の音。きみは上履きを引きずって歩く癖がある」
「そこまで細かく観察すんなよ、きもい。生徒ひとりひとりの癖とかおぼえてそうだよね、先生は」
「……生徒ひとりひとりは無理があるな。寝たら記憶は消えるらしいから」
そういうと先生はまた本に視線を戻して、自分の世界に潜っていった。こうなると先生はチャイムの音が鳴るまで動かない。
会話を諦めて、先生の隣に椅子を持っていき、雨の音を聞きながら先生の肩に自分の頭をちょこんと乗せた。先生の纏う雰囲気はとても落ち着く。ちゃんと息ができる感じがする。
ふと、斜め上の先生を覗き見た。一重で切れ長、右の目尻にほくろがひとつ、色白に見えるけどただ単に顔色が悪いだけ。色素が薄い瞳にちっぽけな自分なんて吸い込まれてしまいそうになる。砂が波に流されていくように、どんなに踏ん張っても所詮無理な話で、初めて先生と目があった瞬間この人しかいないと、そうおもった。
きちんと着込んだスーツについた微かな煙草の匂い。ちょうど髪の毛で見えない位置に開けられたピアスの穴。
煙草の匂いは昔と変わらない。
ピアスの穴は昔と違う。
間違い探しみたいに先生のことを観察していたけど、退屈になってきた。そろそろ相手をしてくれてもいいとおもうんだけど。
「……カッコつけて読書なんかすんなよ」
俺の相手をしろよ、と付け足したかったけど、口を噤んだ。
そんなわがままは言えない、言いたくない、頼りたくない、頼れない。
自然と拗ねた口調になる自分に、先生は小さく笑って、空いている手で口元を覆った。息ができるくらいの優しさで塞がれる。
「ちょっと待ってて」
嬉しい。だけど頷くのが癪だ。
わかったという言葉の代わりに、先生の大きくて薄い手の肉を噛んでやった。
そこからも煙草の匂いがして、胸の奥が苦しくなって、なんだか涙が出そうになった。




