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アキ一族のシュウ

秋田犬。


日本を代表する犬種の一つであり、日本犬の中で唯一「大型犬」に分類される。

その出自は、より強靭な闘犬を求めた交配の歴史に刻まれている。


ゆえに、秋田犬は主人の資格を持たぬ者には決して懐かない。

だが、彼らが求めているのは、腕力による屈服ではないのだ。


迷いのない毅然とした態度。

そして、飼い主たる冷静な判断力。

それこそが、気高い秋田犬を、至高の「忠犬」へと変える。


アキ一族の長男・シュウもまた、その苛烈なまでの気質を色濃く受け継いでいた。


一度認めた(あるじ)には、徹底した忠義を尽くす。

文句を並べることも、不満を漏らすこともない。

ただ淡々と、影のように奉仕する。


シュウがその全存在をかけて忠を尽くす相手……それは他でもない、一人の幼馴染の青年だった。


普段の彼は、およそ「毅然としている」とは言い難いかもしれない。

だが、一度窮地に立たされたとき、誰よりも冷静に最適解を選び取り、任せることはあれど、決して責任を他者に転嫁しない。


その「魂の在り方」こそが、シュウにとっての絶対的な主の資格であった。


今日もシュウはその主と別行動をしている。

なんだったら最近はもう長いこと、行動を共にすることも無くなった。


秋田犬の気質を色濃く受け継ぐシュウであるが、常に主と行動を共にしようなどとはもう考えていない。

シュウにはシュウの役割があり、シアンにはシアンの役割がある。


狩猟組の後継者。

それが、シュウが担う役割である。


父であるトラも流石に老けてきた。

シアンの父であるマットはまだ現役でやれる体力があるが、トラは流石に引退の兆しが見えてきている。

そうなれば、父の代わりを自分がやるしかなくなる。


それを「嫌だ」とか「無理だ」などと弱音を吐くほど甘ったれではないが、まだ未熟な自分に務まるのかという不安はあった。


そして、もう一つの不安。

シュウにはハルという弟ができた。 歳はまだ二歳。

シアンの妹シノンと同い年であるが、いずれシュウと同様に狩りに同行する日が来る。

狩猟組のリーダーになるということは、下の者に的確に指示を出し、指導せねばならない立場になるということだ。


口下手なシュウにとって、誰かに教えるというのはとてつもないプレッシャーだった。


しばらくはトラが父として導いてくれるだろうが……いざ自分が教える側に立つ日を想像するだけで、胃が強く締め付けられるような気分になる。


「シアンに相談すべきだろうか」


脳裏に主の顔が浮かぶが、シュウは即座にその考えを打ち消した。

彼は今、村の発展のために多忙な日々を送っている。

その程度の悩みで、いちいち彼を(わずら)わせるわけにはいかない。


「弟相手にすら、まともに言葉が継げないなんて……」


情けなさが募り、自分を責める言葉ばかりが頭を巡る。

努力はしている。だが、どうしても治らない。


他者と心の歩幅を合わせるのに、あまりに時間がかかりすぎてしまうのだ。

焦って歩み寄ろうとすれば会話の足並みは乱れ、かといって自分のペースを貫けば周囲に置き去りにされてしまう。


結局、自分のやり方を周囲に強要するしかない不器用な在り方。

シュウは、そんな自分が、たまらなく嫌いだった。


「はぁ……」


せっかくの休日だというのに、気分が落ち込んでしまった。

何か気分転換になるようなことはないだろうか。

シュウは気晴らしに、普段は近寄らないドワーフの坑道の方を散策することにした。


ドワーフたちは好きだ。

口数は少なく、少し気難しいが人情味がある。

シュウは彼らに、父であるトラと同じ気質を感じ取っていた。


だが、テリアと呼ばれる同じカニスの面々は少し苦手である。

彼らはよく喋るし、シュウのようにゆったりと距離を測りながら関係を築くタイプとは真逆で、すぐに距離を詰めようとする。だから歩調が合わない。


決して嫌いではない。

流れ者である自分たち一族を迎え入れてくれた懐の広さ、協力して生計を立てている仲間だ。

ただ、少しだけ、苦手なのだ。


「……何かやってるのか?」


坑道の奥、何やら賑やかな雰囲気を感じて少し近づいてみる。

眺めるだけだ。決して輪に入るつもりはない。

だが、その喧騒は好奇心を刺激するには十分だった。


「今日、催しなんてあったっけ?」


恐る恐る近づいてみると、ドワーフとテリアたちが輪になって何かを囲んでいる。

中心では、黒髪のテリアとドワーフが取っ組み合っていた。


(えっ……? 喧嘩?) シュウは少し怖くなり、遠巻きに観察することにする。


だが、喧嘩にしては怒声が聞こえない。

むしろ聞こえてくるのは、観衆の煽り立てるような応援だった。


「おりゃ! やれやれ!」 「腰が引けてんぞ!」


騒がしい輪の中心では、両者が衣服を掴み合い、足をかけたり、躱したりしている。

彼らがやっているのは護身術。日本でいうところの「柔道」に近いものだった。


「よっしゃあ! 俺の勝ち!」 「くそっ! 力じゃ負けてないはずなのに!」


勝負は黒髪のテリアの勝ち。

若いドワーフは悔しそうに地団駄を踏んでいる。


「強さの秘訣は力じゃなくて瞬発力だって言ってんだろぉ〜? 俺が兄貴分になってコツを教えてやろうかぁ〜?」


勝った方のテリアは浮かれ気分だ。

そして、その「兄貴分」という単語を聞いて、シュウの耳がピクピクと反応した。


昔から自分に優しく、信頼を置いてくれる幼馴染(シアン)。 その幼馴染の兄貴分を自称しているテリアの男。


マンチェスター・テリアのグレーター。

以前、村で起きたネズミ事件の際、その瞬発力でマコトを助けながら進んだという話は聞いている。

それは立派なことだ。シュウもそこは認めていた。


だが、シュウの中ではまだ、このグレーターをシアンたちの兄貴分と認めたわけではない。


秋田犬としての悪癖。

認めた相手には全幅の信頼を向けるが、認めない相手には決して尾を振らない。


シュウが遠目で眺めていると、その視線に気付いたのかグレーターが声をかけた。


「おい! シアンの友人のデカブツ! お前もやってみるか?」


そして、グレーターの悪癖。

調子に乗ると歯止めが効かなくなる性格。


グレーターが挑発し、その挑発に、普段は大人しいシュウが乗る。

シアンが見かけたら大慌てで仲裁に入るだろうが、あいにく主の姿はない。


周りのギャラリーも、瞬発力のグレーターと体格のシュウのどちらが強いのか興味が湧き、止めるどころか煽り始める。


「怪我するような真似はお互いなしなぁ? 投げれるにしても加減はしろよぉ? まあ?投げれたらの話だけどなぁ!」 「……はい」


体格差は二十センチ以上。

どう見てもシュウの方が強そうに見える。


だが、グレーターには自信があった。

ドワーフたちは自分と身長は大差ないが、体重ははるかに重い。

それでも重心移動の感覚さえ掴めば、後は瞬発力で軸をずらすだけで倒すことができる。

体格ではなく技術で勝つ経験を積んできた。

その自負が、一回り大きなシュウを前にしても彼を引かせなかった。


互いに距離を詰め、相手の衣服を掴む。

グレーターは一瞬引くふりをして、シュウの重心を揺さぶろうとした。


その瞬間、指先から脳へと伝わったのは、根を張った巨大な竹を素手で抜こうとしているかのような絶望的な違和感だった。


(なんじゃ、こりゃ……?)


ドワーフとの組み合いで感じる手応えは「重い岩」だ。

重いが、支点さえ動かせば転がせる。 だが、シュウは違う。

上半身は柳のように柔らかく力を受け流し、それでいて下半身の重心は微塵も揺るがない。


駆け引きすら成立しない圧倒的な「安定」。

グレーターが冷や汗をにじませた時には、すでに遅かった。


「ひゃわっ!?」


しなった竹が猛烈な勢いで復元するように、シュウの体は独楽(こま)のように回っていた。

次の瞬間、グレーターの視界からは地面が消え、坑道の天井が迫っていた。


とてつもない速さ。

だが怪我しないように優しく、背中から置くようにシュウはグレーターを投げる。

投げられた本人に痛みはない。だが何が起きたのか分からず放心状態で天井を見上げるグレーター。


「ありがとうございました」


感情の読めない声で一言だけ残し、シュウは立ち去る。

争いごとは好きではない。だが、決して弱いわけではない。


これが、この二人の因縁の始まり。

一人の青年を挟んだ、自称・兄貴分(グレーター)と、絶対的忠犬(シュウ)による、終わりのない意地の張り合いの幕開けだった。

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