町長、やめるってよ
桜ヶ丘ニュータウンは、地図で見るとまるでカリフラワーだった。
山を削って作られた住宅地は、どこもかしこも似たような家が並び、似たような名前の公園が点在し、似たようなコンビニが角を守っていた。
町の歴史は浅い。できてからまだ二十年。
古い神社もなければ、代々続く名家もない。
あるのは、引っ越してきたばかりの人々と、どこか他人行儀な挨拶と、やたら広い空と、そして——喫茶店「珈琲 神田」。
その日、町の掲示板に貼り出された一枚の紙が、静かな町に波紋を広げた。
「町長・佐久間清一、今任期をもって引退いたします」
町の誰もが、佐久間町長が“まだ現役だった”ことに驚いた。
なにせ、町の行事にはほとんど顔を出さず、年に一度の成人式でしか見かけない。
「え、あの人、まだ町長だったの?」という声が、スーパーのレジでも、保育園の送り迎えでも、そして——喫茶店「珈琲 神田」でも、ささやかれた。
「町長って、どうやって決まるんだっけ?」
「選挙じゃない?」
「選挙って、誰が出るの?」
「……神田さんとか、どう?」
その場にいた神田直樹は、ちょうどネルドリップの湯を注いでいた。
「え、俺?」とだけ言って、湯を止めた。
神田直樹、四十七歳。
元・出版社勤務。今は喫茶店店主。
趣味は読書と、町の人の話を聞くこと。特技は、話を遮らずに相槌を打つこと。
政治には興味がない。選挙にも出たことがない。
だがこの日、彼は人生で初めて「候補者」という言葉を、他人事ではなく聞いた。
そして、町の誰もがまだ知らなかった。
この“暇そうな喫茶店店主”が、ネットとトリビアを武器に、町長選をかき回す存在になることを——。




