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リミット  作者: 過酸化水素水
9章 リミット
58/61

間話 追慕

 

   2


 突然に自分の前に誰かが立っている気配がして、地面を見ていた顔をゆっくり上げる。

 そこには、確か今は隣のクラスの女子が立っていた。

 去年は同じクラスだったけど、オレからは一度も話しかけた事は無かった。向こうから掛けられたことも無い筈だけど、正直覚えていない。

 いつも暗くて目立たない。下の名前も知らないし、どんな声をしているのかも覚えていない。

 オレにとって、その程度の女子だ。

 だからいきなり、その女子に話しかけられのには少し驚いた。


「……だ、だいじょうぶ?」


 それが、その女子が初めてオレに言った言葉だった。

 今の自分は、こんな女子に心配される程酷い様子なのかと思ったけど、今の自分にはそれすら余計なことだった。

 だから、「うるせー!! どっか行け!!」と追い払った。

 しかし、その女子は「でも……」とか言って、中々そばを離れようとしなかった。

 オレがそれを教えたのは、そう言えば事情が分かって、オレをほっといてくれると思ったからだ。

 そうすれば、また忘れる作業に戻ることができる。なので一言だけ教えてやった。

『お祖母ちゃんが死ぬんだよ!!』

 とだけ。


 女子はやっぱり驚いたようだった。その顔で少し後ろに下がって、こっちをジッと見つめていた。

 この様子ならこれでどっかに行く。オレはそう思って安心した。

 だけど女子は驚いた顔を元の顔に戻すと、さっきまでと比べて凄く真剣な表情になって、「事情を話して」とオレに近寄ってきた。

 その剣幕には驚いたけれど次第にうざくなり、女子を突き飛ばして目の前から退かすと、公園を走り去った。


 そのままどこをどう歩いたのか覚えていないけど、夕方頃に家に戻った。

 母さんは既に家に帰っておりオレを出迎えた。でもさっきの事は何も言ってこないで、もうすぐ夕飯だから手を洗ってくるように言われた。

 その事が病室での自分の態度を、責められているように感じた。

 母さんは食事が終わると一言だけ、「明日も会いに行ってあげてね」とポツリと言った。それには何も返さないで、オレは部屋に逃げるように戻った。


 次の日、学校から帰ると早速家を出た。

 病院に行ったんじゃなかった。

 最初は行こうとしたのだけど、途中でどうしても昨日の光景が思い浮かび、足が進まなかった。だから、途中で引き戻し、昨日と同じに公園に向かった。公園に着くと、またブランコに座った。

 それからどれ位ボーっとしていたか分からないけど、気づくといつの間にか昨日の女子が隣のブランコに揺られていた。

 オレが女子に気づいたのが分かったのか、「こんにちは」と静かに挨拶してくると、オレの方に体を向けて「事情を話して」と言ってきた。

 今日学校で偶然顔を合わせた時には何も言わなかったので、もう忘れたのだとばかり思っていた。

 顔を見ると何かをずっと考えているような、そんな真剣な表情だった。だから教えてやった。上手く伝えられたかは分からないけど、全て何もかも。

 正直、もうどうでも良かった。話せばスッキリするかも、とその程度だった。

 やっぱり、全て話すとスッキリした。なので、気分よく家に帰ることが出来た。女子も追ってこなかった。


 その夜、明日からお祖母ちゃんが家に帰ってくることを聞いた。

 病気が治ったの!? と目を大きく開いて聞いたけど、どうもそういう事ではないらしい。

 母さんは悲しそうに首を横に振り、最後に家に戻りたいとお祖母ちゃんが願ったからだと教えてくれた。

 オレはどうしたらいいのか分からなくなった。


 その日は、学校から直接公園に向かった。

 今家に帰ればお祖母ちゃんが居る筈だ。

 どんな顔をして会えばいいか分からなかった。なんて言えばいいのかも分からなかった。

 このまま時間が過ぎればいい。いつの間にかそう願うようになっていた。

 今日もまた女子は現れた。

 だから教えてやった、お祖母ちゃんが家に帰ってきたことを。

 女子は驚いていた。なので、それが治ったからではないことも教えたやった。女子は驚いていた。

 そして驚いた顔のままオレに言った。「じゃあ、どうしてここに居るの?」と。

 返答にしばらく迷ったけど、教えてやる事にした。「今のお祖母ちゃんに、何て言ってしまうか分からないからだ」と。そう答えると、女子はむっつりと黙り込んだ。

 そうして夕方になり、そろそろ家に帰らないといけない時間になった。

 帰りたくなかったが仕方ない。ずっとここに居るわけにもいかないからだ。ブランコから立ち上がったオレを、女子が隣で見上げてくる。

「帰るの?」

「そうだ」

「……お祖母ちゃんに、何て言うか決まったの?」

「決まった」

 そんな話をする。

 その内容が知りたいのか、公園を出て行こうとしていたオレの後を追ってきていたので、めんど臭くなって教えてやった。

「もう何も言わないことに決めた」


 家が見えてきた。

 ドクンドクンと、心臓の音が早くなってきている。

 その音を聞きながらゆっくり歩いて、やがて家の柵の前にたどり着いた。

 一度小さく深呼吸して――――そして、後ろを振り返る。

 そこには女子の姿があった。公園からずっと黙って付いて来ていたのだった。

 不気味には思わなかったけど、もう家だ。これ以上は、付いてこさせるわけにはいかない。

「ここオレんちだから、お前もう帰れよ」 

 そう乱暴に言って、家の柵に手を乗せる。

 その時、女子が突然オレの反対側の手を掴んで、ぼそりと言った。


「……それじゃあ、きっと後で後悔しちゃうよ?」


 消えそうな小さな声だったけれど、不思議と聞き取れなかったところは全く無かった。



   3

  

 お医者さんの言う通り、丁度一ヶ月でお祖母ちゃんは亡くなった。

 直ぐに葬式が行われて、親戚みんなに見守られて二日後には骨と灰になった。


 オレはその間は、全く泣かなかった。

 気を抜くと出てきそうになる涙を必死に我慢して、誰よりもオレを愛してくれて、誰よりもオレの事を解っていてくれたお祖母ちゃんの事を、ずっと思っていた。

 誰よりも大切だったお祖母ちゃんとのお別れに涙を流していては、お祖母ちゃんが安心して旅立てないと、そう思ったからだ。必死に笑おうとして、だけど泣きそうになって、多分かなり変な顔になっていると思う。

 母さん達ははまだ色々やる事があったらしいから、一人火葬場からタクシーで家に帰ってきた。


 母さんから預かっている鍵を使って、ドアを開けて家に入る。

 そう言えば最近は慣れていたけど、お祖母ちゃんが居た頃はドアの鍵なんて開けた事が無かった事を思い出す。いつも家に帰ればお祖母ちゃんが居たからだ。

 「ただいま」と誰も居ない家に向かって呼びかける。

 「おかえり、疲れたろう?」そう言って、夏は麦茶を、冬は暖かいお茶を出してくれたお祖母ちゃんはもう居ない。

 まず手洗い場で手を洗い、そしてうがいをする。毎日お祖母ちゃんから言われていた事なので、もう習慣になってしまっている。それを言われる度に「分かってる!」と返していた頃が懐かしい。

 部屋に戻ってみたけど、何もすることが思いつかないので、居間に行ってゲームをする事にした。

 いつもゲームをする時は、目が悪くなるからテレビから離れてやりなさいと注意されていたけど、もう注意してくる人は居ないので、今日は思いっきり近づいてやってみた。

 一時間後、何だか目が痛くなったのでゲームを止めた。

 お祖母ちゃんの言う通りだった。もうこれからは、ゲームをする時は離れてやる事に決めた。

 ゲームを止めると、することが無くなったのでテレビを付けて見たけど、アニメもお笑いもやっていない。つまり、今の時間は興味のある番組は何もやっていなかった。

 お祖母ちゃんと一緒にテレビを観て、お祖母ちゃんが理解できなかった所を教えてやるのがオレの日課だった。これからはそれもしなくていいから、じっくり見れるようになるな。


 仕方ないので、家中をブラブラと歩き回った。

 歩き慣れた家なので、目をつむって歩いたら仏壇に迷い込んだ。

 仏壇の横の壁には、自分が生まれるずっと前に亡くなったお爺ちゃんの顔写真が飾られている。これからはその隣にお祖母ちゃんの写真も飾られるのだろうか。だとしたら、お祖母ちゃんも寂しくない。少し安心した。


 安心したらお腹が減った。

 母親にお腹が空いたら何か買いなさい、と貰っていた千円札の存在を思い出し、再び家に鍵を掛けてから外に飛び出した。

 小学校の通学路の途中にある駄菓子屋に走る。

 そこでベビースターを二個、うまい棒を五個。店の前にある自販機でコーラを買ってから、公園に向かった。

 公園には小さい子供を連れている近所のオバサン達と爺さんがいるだけで、オレと同じ年の子供は居ないようだった。

 ブランコに座りたかったが、そこは子供に占領されていたので、公園の隅っこにあるベンチに向かった。

 そこに座ると、早速今さっき買ったお菓子を食べる。モグモグと。

 プシュッとコーラを開けて一気に飲み干そうとしたが、喉にきつくて無理だった。少し口からこぼれてしまう。

 袖でぬぐった後は、公園内にいたある親子を何となく見ていた。はしゃぐ子供を母親が笑いながらあやしている。

 それを見ながら、オレもあんな事をしていたのかなと昔を思いやった。

 オレをあの親子に当てはめた場合、オレの場合は母親役はお祖母ちゃんになるだろう。年寄りのお祖母ちゃんをちっちゃいオレが、あちこち振り回している。そんな光景が目に浮かんだので、オレはいつしか笑っていた。


 声を上げずに、静かに、たくさんのたくさんの水滴を、目の奥から垂らしながら。

 そんな風に笑っていた(・・・・・・・・)


 そのまま笑い続けていると、いつの間にかオレのベンチの隣に藍田(・・・・)が座っていた。

 オレには何も言わないで、ただオレと同じように親子を見つめていた。

 見てみぬ振りをしているつもりなのだろうか、その優しさに、さっき以上に俺は笑った。

 それから、

 お祖母ちゃんの声を思い出し、笑った。

 お祖母ちゃんとご飯を食べた事を思い出し、笑った。

 お祖母ちゃんと楽しく話をしていた事を思い出し、笑った。

 お祖母ちゃんと一緒にテレビを観たことを思い出し、笑った。

 お祖母ちゃんに褒められた事を思い出し、笑った。

 お祖母ちゃんに怒られた事を思い出し、笑った。

 お祖母ちゃんが一張羅で授業参観に来ていた事を思い出し、笑った。

 お祖母ちゃんが骨と皮だけになっていた姿を思い出し、笑った。

 お祖母ちゃんに、笑った。

 お祖母ちゃんと、笑った。

 お祖母ちゃんを、笑った。

 お祖母ちゃんも、笑った。

 お祖母ちゃんが、笑った。

 お祖母ちゃんが、

 お祖母ちゃんが、

 お祖母ちゃん。


 そして、あの後勇気を出してそれまでのことを謝って、泣きながら死なないでと無茶を言ったオレに、皺くちゃの顔をもっと涙でくしゃくしゃにしながら、


 「たっくん……有難う」


 と、笑ったお祖母ちゃんを思い出して――――もう一度、笑った。


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