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リミット  作者: 過酸化水素水
8章 黒幕
56/61

(3)

 

 それから暫く、少女は俯いたまま黙りこんでいた。

 修司に暗躍した張本人である事を告げられ、動揺しているのだと愛は思った。

 ――――だが。


「……さいのよ」

「ん? 何だまだ何か言いたい事が……」

 修司が往生際が悪いとでも言うように尋ねたが、最後まで言葉を発する事は出来なかった。

「うるっさいのよ!! この変質者どもが!! 人の事を隠れてかぎまわったりして!!」

 突然湧き上がった少女の金切り声に、続きを奪われたからだ。

 そのまま絶叫は続いた。

「そうよ!! アイツムカつくのよ!! あの女!!」

 あの女とは莉理の事だろう。血走った目で、憎憎しげに虚空を睨みつけている。まるで何も無い空中に、莉理の姿があるとでも言うように。

「いつもいつもいつもいつも親切ぶって!! 挙句に尾登君をたぶかして!! 何様のつもり!?」

「お、おい、落ち着……」

「ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ煩いのよ!! 何でアンタは邪魔するのよ!? ちょっと罰を与えるだけじゃない!! 何が気に食わないの!?」

「い、いや、罰とは……」

 少女の怒りは、落ち着かせようとした修司に飛び火している。そのあまりの逆切れように、修司は少し腰が引けてしまっているようだ。先程までとは違い、声に力が無い。

「あの女は害虫なのよ!! ノート返しなさいよ!! 好きでもない男を誑かせて!! アイツを追い出してやるんだから!! あんな奴どっかいけばいいのに!!」

 もう無茶苦茶だった。支離滅裂で、何を言っているのかもよく分からない。

 体を振り回す様にして騒ぐばかりで、必死になだめようとする修司達の話なんてまるで聞いていなかった。

 愛は恐怖さえ覚え始めていた。こんなにも人は狂えるのかと。今までこんなに錯乱する人間なんて、見た事が無かった。普段は大人しい女の子だと言う事も、恐怖を煽る原因なのかもしれなかった。

 ただ、そんな愛の恐怖は、次の一言で吹き飛ぶ事になった。

「何であんな奴守ってるのよ!? アイツを守ってる奴なんて糞よ!! 全部糞!! あんなブスのどこが好いんだか! 守る価値なんて無いでしょ尾登君を誑かせた奴なんて!! 何で邪魔するのよ!! あんな奴死んじゃえばいいのに!」


 カチンと、愛は脳内の撃鉄が打ち下ろされる音を聞いた。

(莉理を守っている奴が……糞?)

 愛は、老婆の言う事を信じて右往左往していた琢真の事を思い出し、あんな事になって莉理が護れなくなった際の落ち込んだ琢真の様子を思い出し、老婆に当り散らしたと懺悔してきた時の哀しげな琢真と、そしてその話の中の老婆の様子を思い浮かべる。

(それが、糞って?)

 愛は冷めた頭で、もう一度その少女を見る。ただ不満を喚き散らすのが煩い、醜悪なだけの女だった。 何故こんな女を怖いと一瞬でも思ったのか。愛は自分が恥ずかしくなった。

 だから愛は、落ち着かせようと少女に語りかけている修司達を脇をすり抜け、喚く女の前に立った。非難の目を向けて、なにやら暴言吐いてくる少女を完全に無視する。代わりにその胸倉を掴みあげて、思い切り頬を張った。

 バシンッ、という音が、静まり返った夜の公園に響く。

 その音は一度だけではなく、続けて二度、三度、繰り返された。

 少女は何が起こっているのか分からない顔でポカンとしていた。数秒後、自分が何をされたのかを悟ったのか、再び口を開いた。

 しかし、声を発せさせる前に再び愛は頬を張る。黙ろうとするまで、何度も。

「お、おい。あ……愛?」

 修司がおっかない様なものを見る目で愛を止めようとする。だが愛に一瞥されると何も言わずに黙り込んだ。

 やがて、頬を押さえ涙を流しながらようやく黙った少女に、愛は静かに声をかけた。

「……アンタに出来る?」


 少女はまた殴られると思ったのか、愛の声に一瞬ビクリと身を硬くした。

 口を開こうとするが、何て答えればいいのか分からなかったのか、パクパクとまるで鯉の様に口を開閉するだけで何も言葉にならなかった。

 愛はそれに構わず話を続ける。

「アタシにはできない。自分を殺して誰かに尽くすなんて事は。その対象(莉理)に護っている事を告げないで、見返りを期待しないでただ護ろうとするなんて事は。アタシには絶対に無理」

 それがアンタに出来る? と、愛は少女にもう一度視線を向ける。

 だけど少女はそれには何も答えずに、赤くなった頬を手で押さえながら、怯えた目を愛に向けていた。

 愛が何を言っているのか分からないのだろう。

「でも、あの二人は違う。あの二人はそれが出来る人間なの。どんな扱いを受けても、落ち込む事があっても、決してそれを止めようとはしなかった」

 二人と言っても、この少女には誰と誰の事か分からないだろう。この場で分かるのは修司だけだ。

 でもそんなのは関係ない。愛は少女に何かを分からせようとして言ってるんじゃなかった。愛はこんな女を諭して、改心させてやろうなんて優しい性格じゃない。

 ただ、愛は言いたいだけだった。

「アンタはどう? 出来る? 出来ないよね? 尾登が莉理に告白した事を、莉理の所為にしているようなアンタが」

 尾登の名前に呆けていた意識を取り戻したのか、少女は涙の浮かんだキツイ目で愛を睨みつける。

「アンタ、尾登に告白した?」

「…………」

「って、アンタが出来る訳ないか。でも尾登は違ったわよね? ちゃんと勇気を出して告白した。結果は振られちゃったけれど、去り際は颯爽としていたって聞いてる」

「…………」

「立派だよね? カッコいいと思わない? だからアンタはそんな尾登が好きになったんだよね? 気持ちは分かるよ。でも……そんな尾登がアンタに相応しいと思うの? 自分で。昨日までの友達を貶めて、挙句危害を加えようとするアンタに、彼が」

 どう考えても不釣合いだった。今の少女と、尾登では。

 それは自分でも分かっているのか、少女はか細い声で何か言ってくる。

「……で、でも、アイツは尾登君を」

「じゃあ付き合ったほうが良かった? そんな訳はないよね、好きな人が自分以外と付き合うなんて考えたくないわよね?」

「そ、そうだけど……」

「じゃあ、何でアンタはこんな事をしたの? 尾登の為? 違うわよね。ただアンタは莉理が羨ましかっただけ。そんな妬ましい思いで、莉理や、その周囲の人間を傷つけようとした」

「…………」

「そんな下らないことしか出来ないアンタが! 尾登に相応しいと自分で思うの!? そんな矮小なアンタが、あの二人の覚悟を、その尊さを、凄さを、どうして『糞』だと言えるの!? ふざけてんじゃないわよ!! アンタ何様よ!?」

 愛は少女の両頬を両手で挟みこむように持って、顔を背けられないように固定し、息がかかるほどの距離で怒鳴りつける。

 自分の行動が尾登に相応しくないと言う事は、自分でも分かってはいたのか、少女はポロポロと涙を流し、しゃくり上げ始めた。やがてそれは嗚咽に変わっていった。以後はもうただ泣くばかりで、喚こうとする様子さえなかった。


 愛はふと熱くなっていた自分に恥ずかしさを覚え、少女の顔から手を離す。と、何故か怯える様な目を男三人が向けてくる。

「お、俺は絶対。愛ちゃんは怒らせないようにする事に決めたよ……」

 吉田がそんな事を言う。他の二人も恐る恐る頷いていた。そんな彼らに、愛は誤魔化すような笑いを浮かべる。

「あーーと……。柄にもないこと言っちゃったわね」

 説教のような事をするなんて自分らしくない。愛は反省する。

 ただ、言いたい事を言ったら少しスッキリした。そうすると頭が冴えてくるのを感じる。この問題は結局どうするのがいいのか、愛は何となく分かった気がした。

 そもそもの問題は少女がウジウジと悩んで、尾登に告白できずにいるのが原因だと愛は思った。それをどうにかしないと、例え今この場で反省しても、またいつか今度は別の人間に怒りを抱かないとも限らない。

 恐らく修司は少女のやった事を公にして、琢真の疑いを晴らすつもりなんだろう。だが、流石に愛はそこまでする気にはなれなかった。

 確かに犯罪紛いの事もやったようだし、これからしようとしていた事は最悪だけど、その根源にあった理由は同性として全く気持ちが分からないでもないからだ。

 それに愛達は別に『良い子』という訳じゃない。教師や警察に突き出して罪を償わせようなんて事は、愛達のカラーでもない。

 琢真の汚名を晴らせないのはアレだが、きっと琢真は莉理の誤解さえ解ければ満足に違いない。

 それには愛が尽力してやればいいだけだ。莉理ならきっと分かってくれる。

 ならば自分がするべき事は――――


「いいわ、分かった! アタシがアンタの手伝いをしてあげる」

 愛の言葉に、少女は「えっ?」と泣いて俯いていた顔を上げる。

「だから、アタシが、尾登に告白する後押しをしてあげるって言ってるの」

「そ、そんな……そんなの無理よ!」

 少女は憑き物が落ちたように普段の顔に戻っていた。泣きそうな顔でイヤイヤしながら後ずさって行く。でも愛はその手を掴んで逃がさない。

 愛から逃げ出そうと必死にもがいているが、その弱い力では愛から抜け出すのは無理と言うものだった。

「いいから、いいから」

 愛がそう言いながら微笑み、尾登にここ(公園)に来てくれるように金子に伝えて貰う事を、修司にお願いする。

 修司は愛と必死に何事か騒いでいる少女を見比べて、困惑した表情を浮かべていたが、やがて金子に電話をかけた。

 数分後、尾登から了承の承諾を得た、という連絡が入ってきた。

 それを聞き、この場から逃げ出そうとしていた少女が居たが、愛が腕を掴んで捕まえているのでそれは叶わなかった。


 そんなやり取りを終えると、丁度公園に駆け込んでくる人影があった。

 愛の腕の中にいる少女は、尾登がもう来たのかと緊張して固まってしまった。ただ公園中央の電灯に照らされたのは琢真の姿だった。琢真はその勢いのまま自分達の所まで走ってきて、ようやく立ち止まる。

 息も絶え絶え、体も限界という感じで、それでも尋ねてきた。

「あ……藍田さんは、どうなった!?」

「藍田なら無事だ。もう既に、自宅に向かっている」

 少女に視線を向けながら、修司がその問いに答えた。

「藍田さんが……帰った……」

 修司は安心させようとしていた様だったが、琢真の顔はすぐれない。

 全ての元凶は、抑えたと言うのに、まだ何か気にかかることがあるのだろうか。

 やがて、琢真は自分を貶めた張本人が目の前に居るにもかかわらず、何も言わずに再び走り出し公園を出て行った。恐らく莉理の様子が気になったんだろう。

 修司も眉をひそめて琢真を見送っていたが、とりあえず気にしない事にしたらしい、少女に再び向かい合った。


「もう少しで尾登が来る……。その前に、先程持っていたものを渡してくれないか? あんな物騒な物は、女子が持つ物ではない」

 そう言って修司が手を差し出す。愛には何の事か分からなかったが、少女は違ったらしい。

 鞄の中に手を入れて、何かを取り出した。

「こ、これのこと? で、でもそんなに危なくないのよ? ほ、本当よ? 電圧だって下げてるんだから」

 少女はそう言いながら、黒いスタンガン(・・・・・・・・・・)を二度起動する。

 バチバチと、眩しい煌めき(・・・・・)が愛の目に入ってきた。

「危ないからやめなさい!」

 愛はそのスタンガンを取り上げ、修司に放り投げる。

 修司はそれを受け止めると、呻く様な声を漏らした。

 その様子が気になったので、愛は「どうしたの?」と修司に尋ねる。

「いや……少し気になるだけなんだが、俺はこれを刃物だとばかり思っていた」

「はぁ? それがなに……」

 と言いかけて、愛も琢真の話を思い出した。


 『今週中に路上で体を何かの金属に貫かれて死ぬ』

 と言う、占い師の予言を。


 『何かの金属』と言う話を聞いていたので、予知を信じていない修司でも、それが刃物の様なもの(・・・・・・・・・・)だと言う先入観が植えつけれていたのかもしれない。

 誰かが莉理を狙っている。老婆の話。刃物で莉理を傷つけようとしている。と言う風に考えてしまったとしても、無理のないことかもしれない。

 だけど少女が持っていたのは刃物じゃなかった。

(と言う事はつまり、占い師の予知はこの事を指していたんじゃないって事?)

 修司は「誤差の範囲だ」と頭を振っているが、愛は嫌な予感が抑えられなかった。


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