(2)
2
「さあ、こいつにノートを渡してくれ」
修司が少女に向かって促す。
少女は震える手で、愛に手に持っていノートを渡してきた。
正直、愛はこれが何なのか意味は分からなかったが、とりあえず空気を読んで受け取っておいた。
「すまんな」
「私、これでもう用事ないから……」
少女は礼を言う修司に冷たい一瞥をくれて、そのまま愛が入ってきた公園の出口に向かおうとする。
だけど、それを通せんぼする様に吉田と山口が前に回りこんだ。
そして彼女の背中に、
「もう一度言おう、藍田に近づくのは止めてくれないか?」
修司が声をかける。
そうだった。意外な顔につい毒気を抜かれてしまっていたけど、こいつは莉理をつけて、琢真をあんな目に合わせた張本人なんだという事を思い出す。
愛は抜け気味だった気合をもう一度込めながら少女の返答を待った。
「だから、何の事か分からない」
「さっきから、嘘ばっか吐くな! 俺達はずっと君が藍田をつけているところを見てたんだよ!」
本当に知らないのでは、と愛が思ってしまう程淡々と嘘を吐く態度を見て、吉田が怒りの声を上げていた。
(そうか、吉田達は彼女を監視していたのね)
という事は、修司はもしかしてとっくに『X』の正体に気づいていたという事だろうか?
だとすれば、何故自分達に黙っていたのか、と愛は怒鳴り散らしたくなった。今は何とかその衝動を押さえ込む。
「だから、ノートを渡すタイミングを図っていたって言ってるでしょ!!」
少女にそんな大きな声が出るとは思っていなかった愛は、思わず首を竦めてしまう。
(虫も殺さぬ……いや、虫は殺してそうね……。まあ、いつもはそんな大人しそうな感じなのに)
莉理の傍にいるのを見かけるの時とのあまりの違いに、愛は少し恐怖心を抱く。こんな一面を持っていたのかと。
(ん? 莉理の傍に……そうよ! この子莉理の友達じゃない! それなのに莉理を狙ってたって言うの?)
「ふむ……。幾つか聞きたい事があるんだが、いいか?」
「もう帰るって言ってる!」
修司の問いに、拒絶の意を表す少女だったが、そんな事はお構い無しに修司は続けた。
「君は修学旅行の写真を、いつ選んだ?」
「はぁ? 忘れた。……もういい?」
「君はそう言うだろうと思って、予め君の友人に話しを聞いてきた。先々週の月曜日に選びに行ったらしいな? 張り出された当日に行くとは、よほど自分の写真が欲しかったのか? それとも、それ以外の写真か? 例えるなら……好きな男の写真など」
「アンタには関係ない! それに当日行くのなんて珍しくない! 皆行ってる!」
その通り。愛も当日に見に行っていた。
こういうのは雰囲気だ。写真が張り出されたから、ちょっと行ってみようっていう。
女の子は大抵当日に行ってたと思う。期間直前まで行っていない人なんて、男でも一握りしかいないんじゃないか。
欲しい写真が有るくせに。琢真には呆れるばかりだ。
「ふむ……ならば仕方ない、違う話をしよう。先週の木曜日の話だ」
「………」
今までは帰ると煩かった『X』が、突然黙り込んだ。
先週の木曜日に何かあったのだろうか、と愛は首を傾げる。
「君のクラス、2-Fの木曜日の最終授業は、選択科目だな?」
「時間割見ないと分からない」
「調べたから間違いない。そして、君は美術を選択している」
「……気持ち悪い」
少女は心底気持ち悪そうに、修司に侮蔑の目を向けていた。
確かに自分の事を、自分が知らないところで調べられるのは気持ち悪い事だろう。
愛も経験があるのでその気持ちはよく分かった。
「そして君は、その日は日直だった。なので、美術の先生に授業で使った花への水遣りを頼まれていたね? ただ帰りのHRがあるので、君は放課後にそれを行う事にした」
「……だったら何?」
何を言うつもりなのかと、少女は警戒するように修司を見ている。
修司は僅かに間をおいた後、言った。
「その日の放課後。美術室のベランダの下に居た藍田に、植木鉢が落下してきたらしい……これは君の仕業だな?」
愛もその話は聞いていた。琢真が言っていた話だ。
(だけど、この子が落としたですって!?)
愛は信じられない思いだった。見ると吉田達も同じような顔をしている。どうやら吉田達もただ少女をつけさせられていただけで、事情は聞いていないらしい。
「はぁ? 何で私がそんな事を? 知らないわよ」
全くの事実無根な話だ、と言う風な口調で少女は否定する。
愛も流石にそれは無いんじゃないか、という視線を修司に送る。
「恐らく、これは君が周到に計画して行った訳じゃない。突発的な衝動だった筈だ。計画していたとすると、あまりに杜撰過ぎるからな」
「…………」
「君は水遣りの最中。ある出来事を目撃してしまった。それに激しく感情が乱され、落とした。もしかしたら故意にではなかったのかもしれない。その出来事の衝撃が大きすぎて、思わず落としてしまったという可能性もあるだろう。当てるつもりもなかったんじゃないか?」
「……知らない。放課後なら美術部員かもしれないでしょ」
修司はその少女の言葉に、一度ため息を吐く。
僅かに黒ぶち眼鏡を指で調整すると、再び話し出した。
「話は少し変わるが。その落とした植木鉢どうなったと思う?」
「知らないわよそんな事。私は関係ないって言ってるでしょ!?」
「高橋や田中ならそのままにしておくだろうが、藍田は? 落ちて壊れてしまったそれを、どうしたと思う?」
「…………」
「藍田は律儀に、美術の教師に花が潰れてしまった事を報告しに行き、割れた植木鉢はその教師と一緒に処理したそうだ。その割れた植木鉢はそのままゴミ捨て場に捨てた訳だが、君は学校のゴミ回収日が何時か知ってるか?」
「…………」
そう言われると、いつ回収されているのかは愛も知らない。
以前は焼却炉で燃えるゴミは燃やされていたそうだけど。燃えないゴミは?
「可燃ゴミは、水曜と土曜日の週二回。不燃ゴミは木曜だ。大体昼過ぎに業者に回収されているらしい。そしてこの植木鉢は、放課後に割れた。当然、その日の回収は無理だったろう」
「……何が言いたいの?」
「鈍いな。つまりもしその植木鉢が、まだ回収されていなかったとしたら? しかも保管されているとしたら? 探すのは意外と簡単だったらしいぞ? 割れた植木鉢はそれしかなかったらしいからな」
修司がゴミを漁ったとでも言うのだろうか? 愛は驚く。
「人に見られて恥ずかしかったんだぞ! もう二度とゴメンだ!」
どうやら修司に押し付けられたらしい、吉田が叫んだ。
基本的に吉田は琢真以上に汚れ役を押し付けられている。全愛が泣いた。
「偶然落ちたのなら仕方ないだろうが、ワザと落としたのなら話は別だ。立派な傷害罪だ。警察にこの植木鉢渡していいのか? 警察で指紋を調べたら、どの指紋が新しいかなんてすぐに判るぞ? 吉田には余計な指紋が付かない様、皮手袋の上にゴム手袋を付けさせていたから、一番上の指紋は美術教師のものだろう。藍田や高橋、田中のもあるかもしれない。じゃあその下は? しかも、君はその時間帯に水遣りを頼まれていた」
そうなると彼女が植木鉢を落としたと、警察が考えてもおかしくない。
この事実を告げられて動揺しているのかと思って少女の顔を見ると、彼女はどこ吹く風の様子で淡々と言った。
「植木鉢を落とした事は認めるわ。でも手が滑っただけよ? 藍田さんを狙ったなんてとんでもない」
(さっきは知らないって言っておいていけしゃあしゃあと、この女……)
そろそろ、愛も彼女の本性が分かってきた。この女は性質が悪い。
「貴方はさっきから私を犯人扱いしているけど、動機は何よ? 私が友達の藍田さんにそんな事をする理由があるっていうの?」
確かにその理由は愛も聞きたかった。
愛がこの少女に感じていた印象は、莉理とは仲良しという感じではなかったけど普通に友達、というものだったからだ。どうすればその友達を、襲うなんて事を考えられるようになるのか。
「例えばだが。君は好意を抱いている異性がいるのではないか? 例えば……同じクラスの尾登とか」
「……!!」
修司の仮説に、少女は体を硬直させたように見える。
(なるほど、そういうことか……)
それならまあ、分からないでもない。
あくまで友達を敬遠する、というところまでだけど。
(ここで尾登が出てくるとはね)
愛の中でストーカー犯から一転、ストーカーの想い人に転進した尾登の事を思い浮かべる。
確かに犯人でないのであれば、素材としては悪くないので彼女が惚れていてもおかしくはない。
「……別に、好きじゃない」
そう答えた時には、少女はさっきまでの無表情な顔に戻っていた。
「ふむ……そうか。ちょっと待ってくれ。少し電話を掛ける」
いきなりこの男は何を言い出すのか? 愛が分からなかったので、当然少女も分からなかったのだろう。怪訝そうな顔をしている。
修司はそのままどこかに電話を掛け始めた。
「俺だ。……ああ、接近して声を掛けてくれ。そして電話に出てくれるよう頼んでくれないか? ああ、頼む」
そこまで言うと、修司は耳に当てていた携帯を戻した。
「君に言っておく事がある。今回俺達が尾行していたのは君だけじゃない。今回のターゲットは三人だった。君と、藍田、そしてもう一人。誰だか分かるか? 今その人物に電話に出て貰うから、もう一度同じ台詞が聞きたい」
「えっ!?」
この場にも作戦会議の場にもいなかった金子は、どうやら尾登の尾行を担当していたらしい。少女もそれに思い至ったのか、先程までの様子とはうって変わって無表情でも怒りでもない、初めて動揺している声を上げた。
「ふむ……そろそろ交渉を終えた頃か。直に掛かってくるな」
「………………やめてよ」
少女はか細い声で、止める様に願う。
「ならばもう一度聞こう、君は尾登に好意を抱いているな?」
「…………」
少女は肯定こそしなかったが、この状況で否定をしないと言う事は、肯定したのと同じである。
女の子だけならいざ知らず、関係の無い男達の前でそれを明かされたこの時ばかりは、愛はこの少女に対して同情の念が沸く。
そして思う。
(やはり、この男は……ドSだ)
「これが君の動機だ。ああ、安心していい。先程の電話は嘘だ。明日の天気を聞いていた。明日は晴れだそうだぞ? 良かったな祭りが中止にならなくて」
「…………」
少女は、修司を睨み殺さんとする程の視線を向けている。
これは仕方ない。愛でもそうするに違いない。
「恐らく、君は修学旅行の藍田の写真を見たんだろう。最初は藍田の写真が何となく目に止まっただけなんだろうが、その内に君は気づいた。尾登が彼女の写真の殆どに写っている事に。そして君はこう考えた。尾登は藍田が好きなんじゃないか、と」
「…………」
愛には推測が当たっているのか当たってないかは、少女の虚ろな目からは判断できない。
「だからどうしても、藍田の事が許せなかった。なので君は藍田の事を尾行し始めた。弱みでも握ろうとしたのだろう。そしてこの頃に、デジカメを友人から借りたな? ああ、否定しても無駄だ。言質は取っている。もしかしたら藍田と一緒に帰った時に、隠れて撮影した……なんて事があったのではないか? それを何かに使おうと考えて」
「…………」
「まあ、最初はその程度だったのだろうが。その内に君は、尾登が藍田に告白している現場を見てしまう」
「…………!」
僅かに、少女の瞳が怒りの色で彩られた気がした。
その時の事を思い出していたのだろうか。
「ただ君は、美術室……四階に居て、二人の声が聞こえなかった。そして尾登があまりに毅然としていたので、遠目に見ても告白の結果が分からなかった。下で見ていた琢真も、人伝に聞くまでは勘違いしていたらしいからな。君も同じだったのだろう。だから君は更に尾行を続けた。ただし、今度は弱みを握ると言うより、結果を知る為だ。恐らくこの前藍田と一緒に帰った時に、それとなく話を聞いたんじゃないのか? だが、藍田は口が硬く教えてはくれなかった」
「…………」
「ただ、それから何日も続けている内に、尾登の告白が失敗した事が分かってきた。それはそうだ。告白が上手くいっていたとしたら、その後一緒に帰ったり、噂が聞こえてきたりしない訳は無い」
尾登は一部の間の女子内で人気がある。もし付き合いだしたとしたら、噂にはなった事だろう。
少なくとも、愛の耳には入ってきていたのは間違いない。
「ただそうすると、それはつまり尾登が振られたという事だ。君は次第に腹が立ってきた。藍田が尾登を傷つけた事を許せなかったからだ。自分が好きな人を、あっさり振った事も」
まるで少女の内面を覗いていた様な事を言った後、俺には理解できない感情だが、と真面目くさった顔で修司は続けた。
「だから何とか、藍田にその事を思い知らせようと決めたが、君はその内に琢真の存在を知る」
修司や少女はもちろんの事。吉田や山口が必死に内容を理解しようと努めている様子の中、既に愛は半ば観戦モードに移行していた。口を挟める材料がないからだ。
「さぞかし邪魔だったろう。その所為で藍田に何も出来ないのだから。なので、琢真の姿を持っていた携帯で撮影し、それを印刷して張り出した。職員室に貼ったのは琢真を除外する為。藍田の教室に貼ったのは藍田を怯えさせる為。2-Fに貼った理由だけはよく分からないが、恐らく生徒間でこの事があまり噂にならずに問題が大きくならない事を恐れ、噂を操作しやすい自分のクラスに貼った……というところか」
「私は……貼り紙なんて貼ってない」
ここで久しぶりに発言した少女だったけど、その言葉を発する力は弱かった。
「今週の火曜日の早朝、君の姿を見た奴が居る。そいつは部活の朝連で校庭にいたらしい。どうして東門から入ったんだ? 正門からだと教師に見つかるとでも思ったのか? 校庭にサッカー部が居た事に気づかなかったか? まあその時は校庭の隅で筋トレをしていたそうだからな、その所為だろうか」
「…………」
「だが、サッカー部の方は違った。そんな時間にサッカー部や野球部以外の生徒が来るのは珍しいそうだ。しかも女子だ。皆どうしたのかと凝視していたらしいぞ……そうだったな? 山口」
「ああ、間違いなく、その子だ」
ここで初めてスポットが当たった山口が、ハッキリと頷く。山口はサッカー部だった。
「そんな時間から、君は何してた?」
修司の言葉に反論の光が見えたのか、少女は声を荒げて言った。
「職員室に貼ったって言ってるけど、教師はどうしたの? まさか教師がいる中で堂々と貼ったとでもいの!?」
「教師は居なかったはずだ」
「職員室に教師が居なかったとしたら、鍵はどうやって開けたの? ちなみに私は、その日はただ早く目が覚めたから、図書室で勉強していただけよ」
確かに教師が居れば見つかってしまうし、居なければ職員室は開いていない。
どちらにせよ、あの忌々しい貼り紙を貼る事は出来なかった筈だ。
(うーーーん。…………あ。分かった! きっと教師を抱きこんだのね!?)
そうすれば貼る事は可能だ。問題はその教師が誰かという事だけが残る。自分の推理が正しいのか、愛は修司の言葉を待つ。
「いや、君は貼る事ができた。何故なら、職員室のドアの鍵は、その時壊れていたからだ」
愛の予想の斜め上を行く答えだった。
流石にそれは無いだろうと、愛は非難の目を向けるが修司はそれを無視した。
「その日の鍵担当の教師が登校したのは、七時頃だそうだ。その前に貼るのであれば君には十分可能だ。この時のドアは君が壊したのか? だとすると流石に手馴れたものだな。なにせ二回目だからな」
「え? どういうこと!?」
観戦モードで居ようと決めていた愛だったが、思わず疑問を発してしまった。
(二回目? 職員室のドアを、この子が二回も壊したって言うの?)
修司は相変わらず糞真面目な顔で、事実を淡々と告げるように話している。
『君が壊したのか?』などと疑問系で聞いているが、修司はもう確信を持っているのだろう。それに、教師の出勤時間なんてどうやって調べたのだろうか。
こいつのこういう所が、愛は本気で恐ろしい。
「そのままの意味だ。先々週の木曜日、緊急職員会議が開かれた。それが行われた理由は、職員室で管理していた二年の期末考査のテスト原案が盗まれた、という事が分かったからだ」
「テスト原案!?」
「マジでか!?」
「羨ましい!! ……あっ!」
傍聴席の三人は、同時に驚きの声を上げた。
ただ、愛だけはつい本音が出てしまう。
それに修司は軽く頷く。
「話し合いの結果、作り直す事になったが、決められた範囲内で出題できる問題などはそう多くもない。教師が出すべき問題というのは決まっているからな。それについては、今回のテストで急激に成績の上がった生徒が居ないかに目を光らせておこう、という事で話は収まった」
(つまり、例えばアタシが今回のテストでヤマが当たって、良い点取ったら疑われるかもしれないって事!?)
愛と同じ事を考えているのか、吉田達の顔も曇っていた。
そう言えば、確かその日は琢真達が馬鹿をやらかして、琢真だけが捕まった日だった。そんな事があったから、池山の説教時間が短かったのだろう。
「職員室の鍵が壊されたのは、その前日の水曜日のことだったらしい。学校帰りに当番の教師が気づいたそうだ。なんでも、強力な接着剤が鍵穴に塗りこまれていたとの事だ。ただ、その時は当番の教師はさほど気にせずそのまま帰ったらしい。事態に気付いた翌日の夜に、慌てて鍵を業者に頼んで付け替えて貰ったそうだが……再び壊された。発覚したのは今週の月曜日だ。なので、壊されたのは日曜日だろう。そして今回も同じ手口だった。同一犯に違いない。その事で琢真の件と合わせて、緊急会議がまた開かれたらしい」
今週の月曜は、あの忌まわしい琢真の騒動が起きた日だ。あの事件の裏で、そんな事も起きていたと言う事は知らなかった。
だけど愛は気になった事がある。
「ちょっと待ってよ、その二回目の時の当番の教師はそのまま帰っちゃったの? また盗まれる事になったのかもしれないのに!?」
だとしたら、教師の危機管理にも問題があるんじゃないかと愛は暗に言っていた。
「うちの高校の機械警備……侵入者を探知するセンサーの事だ。それは午後九時半から午前六時半の間作動する事になっているらしいのだが、どうもその教師は、その正確な時間を知らなかったらしい。今年の春ここに赴任したばかりの教師だったのが災いしたな。その教師は帰りはその時間まで残っていたそうだが、警備が終わるのは午前七時だと思っていた。七時にはちゃんと来たそうだが……その間の三十分間に、貼り紙を貼られたという事だ。まあ、貼るには十分な時間だろう」
事実は下らない事だった。仕方ない様な気もするが、やはり危機感はあまり感じられない。
「教師達は男が犯人だと思っていて、特に問題児の琢真は怪しまれていた。だが、あんな貼り紙が貼られていた訳だからな。教師達も琢真はそれには関与していないと判断するしかなかったそうだ。それからすると君は全くのノーマークだったろうな。さぞかし工作がやりやすかった事だろう。いつ行った? 人通りの激しい休み時間か?」
「…………」
「とにかく、そういう訳で君には可能だった。月曜の朝に来て教師が居なかったのには驚いたのか? 天の助けとでも思ったか? さぞかし痛快だったろう。自分の思い通りに琢真が処分を受け、邪魔者が消えた」
修司の言葉に、冷たさが含まれていた。琢真の事を思い出していたのだろうか。
愛も少し抜けていた気が、戻ってきた気がした。琢真がその後どんな葛藤を覚える破目になったのかを思い出したからだ。自然に目に力が入る。
そんな二人の様子に動じることなく、少女は心無い瞳で修司を見つめていた。
「次は藍田を何とかするだけだ。もうその手順は固めてあった事だろう。盗んだ答案を、盗んだ藍田のノートにはさんで、教師の目の届く所に置いておけばいい。そうすれば藍田は処分を受けて、この場合最悪退学だ。だが、そうなったら藍田は転校してしまうか、もしくは家に閉じこもってしまうかもしれない。それだと君は藍田に何もする事が出来ない。だからまだ仕掛けなかった。最後に直接彼女に何かしたかった訳だ。君は隙を伺った」
ハッと、愛は自分が手に持っているノートを思い出す。
このノートにそんな重大な意味合いがあったとは思わなかった。
思わずノートを持った愛の手が震える。
果たして修司の推理が正しいのか、この中を開ければ分かる筈だ。しかし、愛は今はまだ止めておいた。
「だが琢真を排除したら、今度は愛が邪魔をし出した。君は焦り、苛立ちは頂点に達しただろう。今まで以上に監視して、隙を探らずにはいられなかった。白を切っても無駄だ。ここ数日、君が藍田の周辺をうろついているのを、何度も見た人間がいる。自分の姿を誰かが監視しているとは、夢にも思っていなかっただろうな?」
その目撃者は琢真の事だ。愛も琢真が少女を何度か見たと、修司に報告しているのを聞いている。その時は、全く関係ない人物だと思っていたのだが。
しかし、その事より気になる事がある。
(もしかして、アタシも危なかった?)
だとしたら、それが分かっていて自分を人身御供に差し出したのだろうか。今日だけで、愛の修司に対する悪感情は有頂天で留まる事をしらない。
そんな愛の心の内を知らずに修司は続けた。
「そうして尾行を続けてようやく、今日初めて藍田が一人になった。君は歓喜に包まれた事だろう。同時にここがチャンスだと思った筈だ。来週からは邪魔者も再び戻ってきてしまうからな。まあ結局それは、俺の手の中で踊っていたに過ぎないんだが」
修司は偉そうに言っているが、これに関しては半分ハッタリである。
今日の二転三転とする状況は、確実に修司の手から零れ落ちていたに違いないからだ。
だけど、ここまで調べた事に対する花を持たす意味で、愛は生暖かい目を向けておくに止めた。
「大分語ったが……もうこれ以上何か言う必要は無いな? 君が、この事件の黒幕だ」




