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その人物が莉理に向かって、何かを突き刺そうとした腕が伸びきる前に、修司はその肩を掴み引く事に成功する。
「きゃっ」
莉理がそれから僅かに遅れて反応して、地面に尻餅をついた。
予想していた通り、その人物は修司が潜伏していた公園で事を起こした。
直前に掛かってきた愛からの、莉理の居場所を知らせる連絡もあり、こうして間一髪だったが修司は彼女に危害を加えられるのを防ぐ事が出来たのだった。
「危ないところだったな」
修司はそう声をかけて、莉理の手を取り助け起こす。
その人物は、持っていた鞄の中にに慌てて何かを隠した。
修司はその様子を見ていたが、特に何も言わなかった。
その人物……『X』の周囲には、修司とそして吉田と山口の姿があった。
三人で『X』を囲むようにしながら立っていた。その輪の中からこのまま出すつもりなど欠片もなかった。
少なくとも莉理がこの場に居る間は。
「やはり、君だったか」
『X』はそう呟いた修司を、憎憎しげに睨み付けている。
「え? な、何? や、矢向君?」
莉理は一人、何が起こったのか分からないのか、疑問符を頭の上に浮かべている。
だが修司は何も教えてやるつもりはなかった。琢真はそれを望むに違いないからだ。
「何でもない。藍田。お前はそろそろ門限なのだろう? 急がなくて良いのか?」
「え……でも……?」
莉理は『X』の事を心配そうに見る。『X』はその視線から避けるようにそっぽを向いた。
「ああ、大丈夫お前は気にしなくて良い。俺は少し用があるんだ。安心しろ、もうすぐここには愛も来る」
その言葉に安心したのか、まだ良く分かってない顔だったが、修司達に別れの言葉を告げると、足を少し引きずる様にして莉理はゆっくりと公園から出て行った。
(転んだ時に膝でも擦りむいたのか?)
修司は少し気になったものの、その程度なら許容範囲だろうと思い直す。そのままでは『X』に何をされていたのか分からなかったのだ。
『X』は、莉理を横目で見送っていた修司に、「どうしてここに居るのか」という目を向けている。
それはそうだろう。『X』は修司の事を全く考慮していなかった筈だ。
修司が莉理を送って行ったのは琢真が謹慎処分を受けた一日だけで、それ以後に行った情報収集活動でも表立って行動した事はないからだ。
「藍田は帰らせて貰ったが問題ないな? 彼女を傷つけるのは本意ではないのでな」
もちろん琢真の、だ。
正直修司は莉理の心まではカバーできないし、するつもりもなかった。琢真がそれを望むからの配慮に過ぎない。
まあ修司の内心がどうであれ、『X』自身には全く関係のない事だ。計画が失敗したという事実は、『X』にとって変わらない事実だからだ。
『X』は前方の修司を警戒しながら、三人の輪を逃げ出そうと世話しなく視線が動き、隙を探っている。
しかし、それを許すほど三人も鈍臭くはない。
吉田も山口も厳しい目で『X』を警戒している。万が一にも逃げられない。
「……女の子一人相手に、良い趣味ね」
『X』はその状況に開き直ったのか、修司を睨み付けながらそう呟いた。
いかにも女の子然とした容姿だが、胆力はあるらしい。堂々と構えており、もう逃げようとはしていない。
「……今、悲鳴を上げたらどうなるのかしら?」
その言葉に、吉田達がギクリとビクついていた。
それを目で制しながら、
「ふむ……それをして困るのは、君の方ではないのか?」
修司は冷静に返す。
正直、ハッタリだった。どう見てもこの状況で人を呼ばれて困るのは修司達だ。
だが、そういう不安は彼女には見せない。
『X』に対して何か秘密を握っていると思わせることで、その行動を防ぐ為だった。
修司のハッタリは通じた。『X』は警戒の目を強くしながら、違う事を尋ねてくる。
「私を……つけてたの?」
「ああ……そうだ。人をつけると言うのは、君だけの専売特許と言う訳ではない」
「そうね……アナタの友人の変質者もいるしね」
互いに冷笑を浮かべながら言葉の応戦をする。
「な、何ていう沸点の低い争いだ……」
「お、俺たち向きじゃないな……」
修司達の様子を隣で見ている『X監視チーム』の二人は、怯えながら囁きあっていた。
その様子を横目で一瞥して、修司は再び『X』を見る。
身長の差から見下ろす形になっていたが、彼女はそれに気圧されている様には見えなかった。
「藍田に付きまとうのは、もう止めてくれないか?」
彼女と舌戦を行うのは楽しそうではあった。しかし、今はそんなに時間をかけてもいられない。なので、修司は単刀直入に切り出した。
「何の事かしら?」
『X』は白を切る。
「私は、あの子の落し物を返そうと思っただけよ」
そう言って、地面に置いていた鞄から一冊のノートを取り出した。
(あれが、琢真が言っていた藍田のノートか……)
「そうか、じゃあ俺が藍田に返しといてやろう」
「いえ、これは日記のようだから、男の子には渡せないわ。あの子に悪いもの」
「ふむ、そうか……? それもそうだな」
「分かってくれた? じゃあ……」
修司の賛同の声に活路を見出したのだろう。
だが、それは甘いというものだ。ここで逃がす訳はない。
「だから、それはアイツから返して貰おう」
修司は莉理が出て行った出口とは反対の出口を顎で示す。
そこには、ほうほうの態で近づいてくる愛の姿があった。
「アイツは藍田の友人だ。しかもこの後彼女の家に行く用事がある。アイツに渡して貰うのが良いと思うが?」
勝手に愛の用事をでっち上げる。が、効果はあった様で舌打ちこそしなかったが、『X』は苦々しい顔を浮かべ、ノートを持つ手は震えていた。
「はぁはぁ……。莉理は!?」
愛の第一声はそれだった。声が緊張している。よほど心配だったのだろう。
「無事に帰った」と教えると、目に見えて安心しているのが分かった。
そして、どっと疲れが襲ってきた様な表情になるが、『X』の姿を見て再び気を張っていた。
「何でこの子がここに……?」
愛は予想していなかった人物の登場に眉を顰めていたが、やがて驚きの声を上げる。
「……あ、え、何? まさか……この子が『X』だったの!!?」
修司は、その正体を愛には教えていなかった。
改めて一同の視線が集まったその焦点位置には。
――――以前莉理と下校していた、文芸部の少女の姿があった。