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リミット  作者: 過酸化水素水
7章 守護者
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(6)

 

 全速力を維持したまま最初の交差点を左に曲がる。

 すれ違った車のライトが一瞬だけ琢真を照らし出す。その時どこからか声が聞こえたしたが、気にせず駆け抜けた。

 その通路には街灯の明かりはなく、目を凝らさないと無理だったが、かなり先に二つの人影が歩いているのが微かに見えた。

 琢真から見て手前の影は、どこか挙動不審に蠢きながら前方の影に近づこうとしている。前方の影はそんな背後の影の存在に気づいていないのか、警戒なく進んでいるようだった。あれが莉理だろうか?

 背後の人影が老婆の言っていた、怪しい人物なのか。

 もう少し近づかないと正体は分からなかったが、大声を上げようかと一瞬迷う。人違いだったとしても笑い話で済む。だが、即座にその案は却下し、走るのを止めて早足に代えて気配を消して近づく事にする。

 もし、あの影が莉理と『X』だった場合。自分の行動がどんな劇的な変化を招くか分からない。最悪、取り乱した『X』が莉理に危害を加えないとは限らないからだ。

 後ろの影を凝視しながら、琢真はゆっくりとただ可能な限り速く近づいていく。

 その影は徐々に前の影と間を詰めているようだった。影の姿が徐々に同じ大きさに重なっていく。

(もう少し……)

 もう少しで前の影の服装が確認できる。うちの制服を着ていたら莉理と断定して行動してもいいだろう。こんな時間にこんな裏道を歩く生徒が、そうそう居るはずもない。

 前の影は近づいてくる影に気づく素振りもなく、そのまま前方の交差点に達しようとしていた。それを見て、背後の影が一気に間を詰めていた。

 交差点といってもあの辺りは道は狭く、車は一台がギリギリ通れるほどの幅である。空き家と思われる建物と、今の通路に隣接して建てられているビルの高い塀の所為で、周囲からは死角となっている。人通りもないので通路に人の姿は頼めない。この暗さもあって、何か事を起こすのであれば絶好の場所だった。

 前方の影はそのまま左に左折する。その時、ようやく影の横顔を捉える事が出来た。

(藍田さん!!)

 微かに除いた横顔は、見間違える筈もない彼女だった。

 その彼女に嬉々とした様子で、忍び寄る足を駆け足に代えて、何かを掴むように手を伸ばしながら後を追おうとした背後の影を――――

 莉理を追って交差点を曲がる前に、何とか掴む事に成功した。


 彼女を追う事に集中していたのだろう。その人物は突然背後から掴まれた事に驚き、短い悲鳴を上げていた。

 そのまま引っ張り、ビルの塀にその顔を押し付ける。もがいていたが、腕の関節を決めるとすぐ苦痛の声を上げて大人しくなった。この蒸し暑さにも関わらず、長袖の服を着ている。その点だけ見ても怪しい人物だった。

「なぜ彼女を追っていた!?」

 精一杯のドスを効かせながら、琢真はその人物に問う。

「…………」

 だが何も答えようとしない。

 なので、掴んでいる肩を塀から引っ張り、再びビルに叩きつける様にして押し付けた。

 ドン。

 と、体が塀にぶつかった重い音と共に「ぐぎゃ」と醜い悲鳴が上げる。

「もう一度聞く、何で彼女を追っていた!?」

「……し……知らない。な、何の事だ?」

 理由は分からないがこいつは間違いなく莉理を追っていた。なのに白を切ろうとする。どう考えても怪しい。

 だが、こいつは『X』ではない筈だ。少なくとも修司が考えていた『X』像とはかけ離れている。


 その人物を振り向かせ、今度は胸倉を掴みあげて壁に押し付けた際に苦しそうに歪んだその顔は、髪の薄い中年太りしたオッサンのものだったからだ。

 修司の話だと『X』はうちの生徒だという事だった。

(だとしたら、彼女を追っていたこの男は一体誰なんだ!?)

「おい、質問に答えろ! 何故彼女を追っていた!?」

「く……苦しい」

 怒りの所為で琢真は手加減が出来なかったし、するつもりもなかった。男は苦痛に顔を歪める。それは男が事情を吐くまで続けるつもりだった。が、琢真がそれを中断する事を余儀なくされた。

 不意に琢真の背中に突き飛ばされたような衝撃が襲い、路上に倒れこんでしまった。完全に意識外からの攻撃だったので、全く受身を取ることは出来なかった。

 だが男を逃がすわけにはいかない。急いで立ち上がろうとした琢真だったが、何者かが上から押さえ込んできた為、それも叶わなかった。

「誰だっ!?」

 邪魔をするな、と琢真は稼動域限界まで首を回し、自分を押さえ込んでいる人間を睨み上げる。


「何をやってるんだ、芳垣!?」

 池山だった。

「せ、先生!? 先生! 放してくれ!! そいつは……!!」

 必死にもがきながら嘆願するが、池山の力は一向に緩まなかった。万力で抑えられているかのように、全く動けない。

「……先生? 学校の先生ですか? 助けてください。その少年に襲われて……何もしていない私にいきなり暴力を振るったりして!!」

「何だって!?」

 男は卑屈な声で池山に助力を願っている。

「ふざけんな!! 何を言ってやがる!! てめえが……!!」

 どこまでも白を切ろうとする男に血が上り、琢真は立ち上がろうと力を込める。しかし、それも池山に潰された。

「芳垣どういう事だ!? お前今謹慎中なんだぞ!?」

 その声は、こんな問題を起こして退学にでもなりたいのか! と暗に告げていた。

「違う!! 先生! そいつは今藍田さんの後をコッソリつけてたんだ!! そいつは怪しい!!」

 池山に抑えられている為、体の自由は効かない。なので唯一自由の利く口で琢真は必死に池山に訴えた。

「私が人をつけていた? どこにそんな人がいるんです? それに証拠は? どうせ親父狩りでもするつもりだったんでしょっ!?」

 男は池山の存在があるからか、先程までとは一転して強気な態度をとる。

(こいつは……)

 琢真は怒りでどうにかなりそうだった。

 池山は二人様子を見比べていたが、やがて琢真の腕に自分の腕を絡ませながらゆっくりと琢真を起き上がらせた。

 その様子に一瞬ビクッと身を引く男だったが、腕を掴まれている事に安心したのか、再び嘲笑を顔に貼り付けていた。

「こいつが、とんでもない事をしてしまった様で……。本当に申し訳ありませんでした。こいつを指導する立場にある担任として、深くお詫びさせていただきます」

 男に向かって、池山は深々と頭を下げる。

 琢真も頭を強引に抑えられ、下げたくもない頭を下げらされていた。

「そうですよ! 気をつけてください! そんな不良、然るべき処罰を与えてやって下さい!!」

 歯軋りするほどの怒りが沸く。

 このままこいつは逃せない、何としても捕まえて白状させないといけない。

 だが、顔を上げた池山はそんな琢真を置いといて、真剣な顔でとんでもない事を言い出した。

「はい、こいつには人を襲おうとした罪を贖わせさせなければなりません。ご足労をおかけしますが、一緒に交番までこいつを連れて行きましょう」


 その言葉に焦ったのは琢真だけではなかった。

 何故か男も同様に、目に見えて分かる程狼狽し出していた。

「い、いえ。そ、そこまでは、するつもりはないので……以後気を付けて頂ければ……。あ、私は急ぎますので後はお願いします……」

 男はドモりながらそう言って、この場を去ろうとする。

 今警察に行けば、明らかに琢真に非があると判断されるだろう。

 男が彼女を付けていたのは間違いないが、証拠はないのだ。

(なのに、なぜそこまで嫌がる?)

 その事を伝えようと池山の顔を見る。池山は感情の読めない顔で言葉を続けた。

「いえ、実はこいつは今謹慎中の身なのにもかかわらずこんな問題を起こしたのです。反省の色なしという事なので、警察に連れて行くのも当然の事です」

「ぐ……い、いえ……。そ、そこまでしなくても……未来ある若者ですし……」

 しどろもどろに答える。

 男の額から汗が噴出し、顎先に流れ落ちていた。

「お優しい方です。こいつの事を案じてくれてるのですね。そんな善良な方を襲った罪は償わせなければいけません」

「あ……いえ……そこまでは……」

「交番で事情を少し説明していただくだけで結構です。それ以後はお手を煩わせたりしませんよ…………。それとも何か、交番に行くのが拙い理由でもおありですか?」

 それまでは正義感の強い人の良い教師を演じていた池山だったが、最後の台詞を吐く時には何ともいえない凄みを全身から醸し出していた。

 隣で見ている琢真ですら、それにギョッとしたのだ。真正面で中てられている男は、そんなどころじゃあるまい。

 激しく動揺した素振りを見せて――――何気なく上着のポケットに手を突っ込んだのを、琢真は見落とさなかった。


「何持ってやがる!?」

 実は先ほどから池山に掴まれていた腕は、単に添えられている程度の力になっていた。琢真は咄嗟に男に飛びつき、その腕を掴み上げる。

 その手には……女性ものの下着が握られていた。

「……下着?」

 予想外のものに、池山と二人で思わず呆けてしまう。

 男はその一瞬の隙をついて、脱兎の如くこの場を逃げ去っていく。

 数瞬遅れて、


『え? 痴漢撲滅……? 何すかこれ』

『んーーー、俺も良くわかんないんだけど、店長に頼まれてたの忘れててさ』


 以前バイト先で木村とやり取りが、琢真の脳裏に浮かび上がった。

「せ、先生!! アイツ痴漢魔だ!! 最近この辺に出るって言う!」

 池山に向かってその事を叫び教える。

 池山もその存在を知っていたのか、理解の色を顔に浮かべると、そのまま物凄い表情と勢いで男を追っていった。

 琢真も慌てて追ったが、とてもその速度には追いつかない。

 体育教師の池山と、中年太りしたオッサンでは運動性が違いすぎる。たちまち池山に追いつかれて、袖口を掴まれたかと思うと、その直後物凄い勢いで男の体が跳ね上がり、次の瞬間にはそのまま背中から地面に叩きつけられていた。

(なんつーすげえ、背負い投げ!!)

 男はそのあまりの衝撃に意識を失ったのか、ぐったりと目を回していた。

 その様子を見届けて、池山が立ち上がる。

「先生………信じてくれたんだな」

 琢真の胸には、自分の言葉を信じてくれた事に対する、感謝の気持ちが溢れていた。

「当たり前だ。教師が自分の生徒を信じんでどうする」

 池山は、何を馬鹿な事を言っているんだという表情で首を振った。

 そんな池山に、

「……俺は、あんな事件を起こしたんですよ? 嘘を吐いてるかもしれないじゃないスか」

 琢真はそんな言葉を投げかける。しかし、池山は不適な表情を浮かべると、

「その時は……一緒に責任を取ればいい。教師……っていうか、大人ってのはそう言うもんだ」

 笑いながらそう言った。

 不覚にも琢真は痺れてしまった。同時に何か熱いものが胸を打つ。


「……悪いがお前、ちょっと一っ走り交番に行って、警官を連れてきてくれんか?」

「あ、ああ良いけど、って言うか、携帯で通報すれば……」

 そこまで言いかけて、琢真は今がそんな状況でない事を思い出した。

(そうだ!! 藍田さん!?)

 そして、「俺は今、携帯持ってなくてなーー」などと言っている池山を置き去りに、「先生、後は任せた!」と言い残すと、琢真は再び彼女が消えていった方に向かって駆け出した。

 背後から焦った声で自分を呼び止める池山の声が聞こえてきたが、心の中で詫びながらも、琢真は決して速度を緩める事はなかった。


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