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13
事態はどうなっているのか、琢真に愛の居場所を伝えてから一向に連絡がないのに苛立ちを覚えつつも、修司は一体どうするべきか迷う。
だが、ここを動いてどうなるのか、どこに移動するのが最善か分からない以上、自分が動こうと事態に良い影響を与えられる筈もない。
つまり修司が動いても何の意味もない。ならばここにいる以外ないのだ。
そんな分かりきっている事を、修司は何度も考えながらその度に自嘲している。
事態は明らかに修司の手を離れてしまっている。当初の予定などもはや見る影もない。唯一の救いの材料があるとすれば、吉田達が対象を見失ってない事だけだ。
その人物さえ見失ってなければ、最悪自分が莉理を護ることはできるかもしれない。
そんな思考に修司が没頭していると、手の中にある携帯が振動した。
(誰だ!?)
修司は期待を込めて液晶の画面を見る。
そこには待ちに待っていた人物の名前が表示されていた。急いで通話ボタンを押し耳に当てる。
「遅いぞ! あれからどうなった!? 愛とは合流出来たのか!?」
『……修司、悪いけど琢真じゃないわ。アタシよ』
「愛!?」
もう一度液晶の画面を確認すると、やはり琢真の名前が表示されている。と言う事は琢真からの携帯からかけられたのは間違いない。でも、電話の相手は愛だった。
どうして琢真の携帯をお前が持っている? 等聞きたいことは色々あったが、
「藍田はどうした?」
今はそれだけを確認した。
愛はどうやら移動中らしい。荒い息遣いが聞こえてくる。
いまいち要領を得ない愛の説明だった。ただ、大方の事態は理解できた。
(琢真と連絡が取れないのは良くないが……まあこの場合仕方ないか……)
「分かった。お前はそのまま大通りを……」
直進してくれ、と続けた言葉は、直後愛の驚愕の悲鳴によってかき消された。
「愛!? どうした愛!!」
だが愛からの返事はなく、通話はそのまま切れる。
愛が悲鳴を上げるなど、尋常な出来事では考えられない。何か深刻な出来事が、愛の目の前で起こったのだ。
修司は慌ててかけ直そうとする。しかし、その行動を起こす前に金子から電話が差し込まれた。
(こんな時に!!)
と思ったが、出ないわけにはいかない。語気が荒くなってしまうのはどうしようもなかった。
「どうした!?」
そんな修司の荒い声に、一瞬躊躇った風な金子はおずおずと報告をしてきた。
『修司君。ターゲットは見つけたよ。今は駅南の本屋にいるよ』
「駅南の本屋……そうか……」
その情報に、修司は頭が冷静になっていくのを感じた。今その場所にいるのであれば、その人物は『X』ではない。
分かってはいたことだが、確証が得られた事は状況を一歩前進させた。
次に考えることは、金子をどうするかだ。その人物が関係ない以上、金子に張り付いて貰ってもあまり意味がない。
(こっちに戻ってもらうか)
とも考える。しかし、何かに使えるかもしれないと考え直し、金子にはそのまま張り付いて貰う事にする。
『うん、分かったよ』
金子は了解し、通話が切れた。
金子の監視している人物が『X』でないと言う事は、修司の推理の確かさを証明する事になった。
恐らく『X』はアイツで間違いないだろう。
そう自分の考えの確かさを確信してから、修司は再び愛に連絡を取った。
愛の悲鳴が何を意味するのか。『X』の正体が分かったとしても、莉理が無事でなければ、何も意味がないのだ。
最悪の想像を振り払いながら、修司はそのまま愛と繋がるのを待ち続けた。
14
目の前の光景に呆然としてしまう。脳裏に琢真から聞いた、あの占い師の話が浮かんでいた。
『莉理が今週中に死ぬ』
正にそれを連想させる出来事が目の前で起こっている。その為愛は柄にもなく思わず悲鳴を上げてしまった。
大通りの歩道に車が一台乗り上げて、道路傍のお店に突っ込んでいた。もう事故から時間が幾分経っているのか、救急車も到着していた。周囲に人だかりの輪ができている。
莉理と逸れてまだそれほどの時間は経っていない。もし莉理が巻き込まれているんだったら、普通に考えれば救急車の到着は早すぎる。ただ、この場所から一番近くにある病院は目と鼻の先だ。到着していてもおかしくはない。
そんな最悪な想像が思い浮かび、愛は一歩も動けないでいた。
祭りの影響で人がいつもより多いのが原因だろう。人の輪はびっしりと歩道を埋め、愛の場所からでは、事故にあった人が誰なのか、救急車で運ばれようとしているのは誰なのかがよく見えなかった。
足がすくむ。鼓動の音も煩いくらいだった。
だけどそれでも勇気を振り絞り、愛はゆっくりと人の輪に近づいて周囲に居た人に事情を知らないか尋ねた。
話しかけたのは中年の男性だったが、運良く一部始終を見ていた人だったらしい。訳知り顔で事情を話してくれた。
どうやら飲酒運転による事故だそうだ。急に対向車線を越えたかと思ったらそのまま歩道に乗り上げて店先に突っ込んだのだと言う。
そんな話をどこか得意げに話してくれる。だが、愛が聞きたいのはそんなことではない。
「ひ、被害者は? 巻き込まれた人とか、怪我をした人は居るの!?」
男性は愛の剣幕に気圧されたように引きつった顔を浮かべて、
「え? け、怪我人だったら……あ。今運ばれている人だよ」
そう言って、指を刺すのも悪いと思ったのだろう。顎先を軽く振った。
ただ愛の背では良く見えなかったので、申し訳ないが男性の肩を借り、背中に強引に負ぶさるようにして両肩を手で掴んで腕を伸ばす。
男性は抱きついた時に、動揺したような声を上げていたがそれは無視して、愛は人垣の上から今運ばれているという人を見つめる。
「…………」
「う、運転手だそうだよ。さっき救急隊員の声が聞こえてきたけど、鞭打ちらしいね」
下から男性の声が聞こえてくる。
その話の通り、今救急隊員に担架に乗せられ運ばれているのは、運転手と思われる中年のおっさんだった。
「他の被害者は?」
「いや、お店ももう閉まってたらしいから、それは居なかったそうだよ」
「そう……良かった」
「?」
どうやら莉理とは関係なかったらしい。愛にどっと安心が襲ってくる。
そのまま男性の肩を降り、「ありがと」と礼を言ってその場を離れた。
その時、修司からの電話が琢真の携帯に掛かってくる。
『愛! さっきの悲鳴はどうした!? 何があった!?』
修司の声には心配の色で彩られていた。そんな修司に事情を説明する。
「だから、多分莉理は裏通りを進んだんだと思う。多分莉理が通った時はもう事故は起こっていた筈だから」
『そうだな。その可能性は高いだろう』
愛の予想に修司も肯定する。
もう琢真は合流しているのだろうか? 自分もそちらに移動すべきか、修司に尋ねる。
『いや、そちらは琢真に任せて、お前は念の為にそのまま進んでくれ。反対側の歩道は封鎖されていないのだろう?』
修司の言葉を聞いて視線を送ると、片側が封鎖されているので人の数は多かったが、反対側は通行可能なようだった。
移動は大変そうだ。しかし、修司には了承の返事を返した。
電話を切ると、その人の波に向かって愛は再び走り出した。
15
日の暮れかけた裏通りは、その元来の薄暗さと合わせて、街灯の明かりでもなければかなり近づかないと人の顔など選別できない程の暗さだった。
駅近くの所はまだちらほらと人の姿も見かけていたが、ある程度離れると人とすれ違うことは殆どなかった。
走るのにはそちらの方が好都合だった。しかし、そちらの方が拙い事もある。
琢真は先程の愛から聞いた話を思い出していた。莉理は電話が切れる直前、悲鳴を上げていたというのだ。
何が起こったのかは分からない。もしかしたら大した事ではなかったのかもしれない。だが、この胸を騒がす焦燥が嫌な想像を掻き立てて止まなかった。
『X』に襲われたんじゃないか!? という想像だ。
その場合、周囲に人が居ないというこの状況は非常に拙かった。
そんな不安に思考を支配されていた為、傷ついた体は悲鳴を上げていたが足を止める事はできなかった。
やがて道が三つ又に分岐している場所に辿り着く。中央は工事中の立て看板が立てられているので、莉理が通った可能性があるとすれば右と左のどちらかになる。愛ならいざ知らず、まさか莉理が看板を無視して突き抜けるとは思えないからだ。
左を進むと大通りに出る。右に進むと住宅街へと続く道だ。どちらからでも彼女の家に進むことは可能で、後は可能性の問題だった。
左右の道を確認して――――琢真は左に進む事に決めた。
左を少し進むと大通りだという事を考えると、右側は薄暗く女の子が選ぶとは思えなかったからだ。
そして左の道に入り数メートル進んだ所で、
「待て……」
と言う声が琢真の耳に届いた。
聞き覚えのある声に思わず振り向く。
声のした場所には、街灯の明かりに照らされた老婆の姿があった。また発作が起きたのか、両手を地面につけて立ち上がろうとしない。
それを見て、琢真は慌てて駆け寄り老婆を助け起こす。近くで見るとやはり老婆の顔は苦痛に歪んでいた。心なしか息も荒い。
「婆さん大丈夫か!?」
琢真の言葉に、老婆は正に必死に顔を上げる。
「……ワシの事は……ええ。……それより」
そこで虚ろな瞳に力を込めて、琢真に縋るように掴まって来る。
「い、今。あの娘がそこを走っていった……。じゃが、その後ろを何者かが付けるように後を追っておった」
「何!?」
『X』だろうか。
だが、そうであろうとなかろうと、どちらにせよ尋常な話ではない。
「藍田さんはそいつから逃げていたのか!?」
「いや、あの娘はその人物には気づいておらん様子じゃった……」
老婆は首を軽く振りながら、右への通路を指し示した。
「この先じゃ……。それほど時間が経っておらん。お主ならすぐに追いつくじゃろ……。申し訳のぅが、ワシは追いかけようとしたんじゃが、体がついてこんかった……すまぬ」
老婆は自分の体を恨めしそうに抱いた。
「そんな事はない、婆さんが教えてくれて助かった! 後は俺が何とかする!」
前会った時の琢真とは違う。
必ず助ける。その思いを込めて老婆を見つめた。老婆はそんな琢真を、どこか羨ましそうに見ていた。
「頼む……。二人は最初の角を左に曲がって行った。……嫌な気配が消えぬ、何としてもあの娘を助けてやってくれ……。頼む……もう二度とワシは……」
老婆は不安そうな顔で、そう囁くように言った。
どうして老婆がそこまで莉理のことを心配する様になったのか、その言葉の続きを聞きたかったが今はそんな場合ではない。
だから琢真は、その事に対する感謝と、以前罵倒した事に関する謝罪の気持ちを込めて、
「ああ、任せろ」
一言だけ、力を込めて返した。今はこれ以上言葉は要らない。
彼女に危険が迫っているという事を聞いて、体中の痛み、疲れそんなものは完全にどこかへ吹き飛んでしまった。
老婆をそっと離すと、琢真は振り返らずに彼女が消えていったという通路に向かって駆け出した。




