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リミット  作者: 過酸化水素水
1章 占い師
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   4


 駅を基点にして南北に伸びるこの時間帯の繁華街は、帰りがけに寄り道している学生の姿で溢れている。

 駅北の商店街群から抜けた先には主に住宅街が広がっており、琢真達の家もそちらにあった。どちらかといえば駅南側の方が商業的には栄えてるので、もっぱら学生達の寄り道の場はそちらだ。

 そして、今三人はその駅南側の道を歩いているところだった。


「どこまで行くんだ?」

 琢真は意気揚々と前を歩く、愛の背中に向かって尋ねる。既に駅南の商店街を東に通り抜けていた。

 この辺りは場末の飲み屋やスナックなどが点在し、今はそうでもないが夜になるとあまり治安の良い場所というわけではない。

「もうちょっとよ。しっかり付いて来なさい」

「はぁ……」

 仕方なく追いかけるが、あまりにもずんずん進んでいた為か、隣を歩くお世辞にも肉体派とはいえない修司は既に息を乱していた。いつもなら既に何かしら毒を吐いている筈だが、キツさの為か恨めしそうに愛を睨むだけで、さっきから口を開いていなかった。


「その『占い師』って、そんなに有名なのか?」

 確かに愛は何にでも興味を持つ性質だが、かなり楽しみにしている様子が見受けられ、琢真は若干興味を覚えてきた。

「情報に疎いわねえ。そんなことじゃ女の子に、つまらない男って認識されちゃうわよ?」

「仕方ないだろ。占いなんて女ほど男は興味ないんだから」

 こちらを振り返りながら、呆れたような表情を見せる愛に言い返す。

「はぁ。しょうがないから教えてあげる」


 愛が言うには、その『占い師』はほんの二月程前に街に現れたらしい。商店街の隅の路上でひっそりと占いを営み始めていたところ、偶々遊び心で占いしてもらった女子高生達がその的中率に驚き、思わずその事を他の友達達にも広めたことが切欠となって、女子高生を中心に主に女性の間で爆発的に広がっていったという訳だそうだ。今ではネットにも情報が出回っていて、近隣の町からも訪れる者がいるらしい。下は小学生、上はOLや主婦までに話は広がり、連日人の列が途切れない程だという。


「なに!? もしかして並ぶのか!? そんな列に並ぶなんて嫌だぞ俺は!」

 女子中高生の列に並ぶ自分の姿を想像して、琢真は思わず身震いする。

「大丈夫だって。だから授業終わって直ぐに飛び出してきたんでしょ」

「そうだけど、絶対浮く!」

「それも大丈夫。彼氏連れで来ている子も多いらしいから、男も珍しくないって」

「彼氏って……。今、男は二人居るんですが……?」

 明らかに琢真にとって愉快ではない目で見られること必死だった。

 修司を見ると、当然の事ながらしかめっ面をしていた。きっと自分も似たような表情をしているに違いない、と琢真は思った。

「大丈夫大丈夫」

 愛はこう言うばかりで、以後何を言っても聞き入れてくれないまま、目的地に到着した。


「やっと着いたわね……。駅から離れているのが玉に瑕ね。何で商店街から、場所を移したのかな……?」

 こんなに中心部から離れていても、人の列が出来るというのだろうか。だとしたら本当に凄いとは思う。

「で、どこなんだ? それらしい人の列は見えないが……」

 ようやく息を整えたらしい修司が、久しぶりに発言する。

 確かに、周囲にちらほらと人の姿はあるが列は見当たらない。

「おかしいわね……どうしよ。てっきり人が集まってると思って、正確な場所までは聞いてないや。……ちょっと待って、聞いてくる」

 そう言うや否や、愛は近くを歩いていた人に事情を知らないか尋ねに行く。

 修司といい愛といい、自分の欲求に対する行動力だけは本当に凄い。性格は正反対の二人だったが、喧嘩はしても長年行動を共に出来ているのは、そういった共通点もあるからなのかと琢真は思わず考えてしまった。


 愛は何人目かで望みの回答を得たのか、その人物に頭を下げると苦い面で戻ってきた。

「どうした?」

「……なんか、今日は店仕舞いしたっぽい」

 愛は明らかに不服です、と言わんばかりの表情で聞いた情報を開示する。

「占いって今の時間帯位からが稼ぎ時じゃないのか……?」

 メインの顧客は女子中高生達だろうと勝手に思っていた琢真は、店仕舞いを少し意外に思った。

「いや、いつもならまだやってる時間らしいのよ」

「ふむ……。運がなかったな。では帰ろうか」

 我が意を得たり、とでも言うような表情を浮かべ、修司は来た道を戻ろうとする。

「やってないんじゃ、仕方ないよな」

 琢真も後を追おうとするが――――


「……納得いかないわ」

 例によって、愛がまた訳の分からないことを言い出した。

「納得いかないって……どうするつもりだよ?」

 嫌な予感で一杯になったが、とりあえず聞いてみる。

「せっかくここまで来たのに、帰るのは癪に障るから直談判してみるわ。占い師のいる場所はさっき聞いたから」

「お、おいっ!」

 と、慌てて呼び止めるが、愛はそれを無視してズンズン奥に進んで行く。あるスナックの前まで移動するとそのまま中に入っていった。

「はぁ……」

「ちっ、猪突猛進娘が」

 呆れる琢真と、苛立った声を上げる修司だった。しかし、そのままにしておく訳にはいかず、仕方なしに後を追いかけた。


「愛が入っていったのはここか……」

 そのスナックは、まさに場末のスナックと言うイメージがピッタリな薄汚れた外装の店だった。ドアの上には『シャボン』という看板が取り付けられている。ドアには『準備中』の札が掛けられており、流石に足を踏み入れるのには緊張したが、覚悟を決めて二人は中に入る。

「お、お邪魔します……」

 薄暗い店内には、四十代後半位に見える化粧の濃い女性と、愛、そして薄汚れた出で立ちの七十代位に見えるの老婆の三人の姿しかなかった。恐らく女性がスナックの経営者で、老婆が『占い師』だろう。

 女性はカウンターの中で所在無げに立っており、老婆はその前にあるカウンター席にどっかりと座っている。愛はその老婆の隣に何故か苛立った様子で立っていた。

 女性は自分達の制服姿を見て愛の関係者だと分かったのか、「いらっしゃい」と困ったような表情で言った。琢真は女性に挨拶を返した後、戻ろうと愛に声を掛けるが、その声は愛の怒声によってかき消された。


「だからちょっと、占ってくれってお願いしてるだけじゃない!!」

 どうやら占いのお願いは断られてしまったらしい。店仕舞いしているということなのだから当たり前なんだが、どうも愛は納得していないようだった。

 またこの声の感じからすると、愛が激怒の一歩手前っていう状態だとも分かってしまった。

 修司もそれを感じ取ったのか軽く目配せをしてくる。時間にして数秒だったが、二人の間で「お前が行け」「いやお前が行け」と激しい視線の応酬が繰り広げられた。

 結局、琢真が担当する事になってしまう。獅子の口の中に手を突っ込むような真似だと分かってはいたが、恐る恐る声を掛ける。


「あ、愛? 断られたんなら諦めろよ……」

「お金は払うって言ってるでしょ! 一回だけやってくれたっていいじゃない、そしたら帰るから!」

 完全に無視された。

「何でそんなにもったいぶってんのよ!」

 頼みに来てそんな言い草は無いだろうと思ったが、とりあえず琢真は再考を促す。

「愛。もうやめとけって……」

「黙ってないで、何とか言いなさいよ!!」

「愛、愛。もうやめ……」

「うるさい、黙ってろっ!!」

 止めさせようと肩を掴んだのが不味かったのか、目の前を飛ぶ蝿に向けるような目で怒鳴られる。

「はい」

 さながら肉食動物を前にした小動物のような有様で、琢真は震えながら直立して返答する。隣で修司が頭を振っていた。


「……やかましい小娘じゃな」

 ボソリ――と、ずっと何か褐色の酒をロックで飲んでいた老婆が呟く。

 しゃがれた小さな声だったが、何故かスッと耳に通った。

「キーキー喚くな。折角の酒が不味くなるわ」

「それが嫌なら、とっとと占いなさいよ!」

 何度聞いてもお願いする側の態度ではない。

 ただ確かに愛は傍若無人な面もあるが、通常はあまり面識の無い人間に対してここまで酷い態度をとる事はない。ともすれば、目の前の老婆との相性が最悪なことを本能的に感じているのだろうか。

「今日は商売はせん。とっとと失せぬか、猿娘が」

「さ、猿!?」

 なるほど猿娘とは言いえて妙だな、と、修司は感心したように頷いている。確かに斬新だったので、琢真もその案は今後の罵倒用に密かに採用する事に決めた。


「っと、猿に失礼じゃったか……。ゲェハハハッ」

 不気味な笑い声だったが、怒りを煽るにはこの上ない笑いだったともいえる。それを証明するかのように、みるみる愛の顔が赤くなっていく。

 もちろん、羞恥や照れが原因ではない。

「あ……あ、アタシが猿なんて……目が腐っているのかしら……。ま、まあ仕方ないわよねババアなんだし……」

 震えながらも矜持を保とうと、愛は必死で言い返す。頑張っている。

「占い師と言う商売はな、目が何より大事なんじゃ。必須と言ってもええ。カモになりそうな相手を、見定める必要があるからの」

「へーー、そう。だったら、婆さんはヘボ占い師ってことじゃないの?」

 愛はなんとか相手より優位に立とうと、老婆を嘲笑する――――が、

「ゲェハハハハハッ。そうじゃな、そうかもしれん!」

 婆さんはその言葉に怒るどころか、笑い声を上げて肯定する。

 つぼに入ったのかそのまま大笑いに移行し、戸惑う他の三人を尻目に暫く笑い続けた。


「…………」

 一方愛は、自分の意見を肯定された事に、警戒の目を向けている。

「あー、笑ろうた笑ろうた。そんな事を言われたのは久しぶりじゃったわい」

 老婆はようやく笑い終わると、持っていたグラスを机に置いて愛に向き直る。

「よう笑わせてもらったお礼に、そこまで言うなら一つ、占ってやろう」

「え、あ、そ、そう。じゃあお願い」

 突然了承されたことに驚いたような愛の様子だったが、勝ったとでも思っているのか、顔には笑みが浮かんでいた。


「そうじゃな。まずお主の干支を聞こうか」

「干支? アタシは……」

 干支占いとは意外だったのか、愛は一瞬驚いた表情を浮かべ言葉を詰まらせる。直ぐに気を取り直し、自分の干支を答えようとするが――――

「ああ。聞くまでも無かったの……。お主は申年じゃった。なんせ猿娘じゃからの」

 そう言って、老婆は再びゲェハハハハッと、怪鳥のような声で笑い出す。

 暫し呆然とした後、ようやく言葉を認識したらしい愛は、先程とは比べ物にならないほどの形相になる。

「こんの……クソババア!! もういいっ!!」

 この界隈中に響くのではないかと言う大声を上げて、愛は肩を怒らせたまま店を出て行った。

 あまりの声量に、琢真はママと二人頭をふらつかせる。歳のせいで耳が遠いのか、老婆はなんともなさそうな様子で笑い続けている。

「一度上げてから落とす……。王道だが、呼吸が抜群だったな」

 予め耳を塞いでいたのか、修司はやはり何ともなさそうな様子で妙なところに感心していた。

 やりますな、などと老婆に声を掛けている。

「おいっ、そんなことしている場合じゃない! 早く後を追わないと」

 大変な事になる。主に自分達が。と、琢真は慌てて修司を促し、頭をまだふら付かせているママさんと笑う老婆に頭を下げて、急いで店を飛び出そうとする。


「……小僧。お主女難の相が出とるぞ」

 琢真がドアノブに手を掛けた時に、そんな言葉を後ろから投げかけられる。

 えっ、と振り返るが、老婆は再び酒を飲み始めこちらの疑問に答える様子はなさそうだった。思わず修司と目を合わせるが、今は気にしない事にしてそのまま店を出た。

 周囲を見渡し愛の姿を探すと、遥か前方にその後姿を見つけることが出来た。だが、その直後に道を曲がってしまい姿が消えてしまったため、走って後を追いかける。

 修司はぶつくさ言っていたが、それでも足は止めなかった。もちろん、そうしなかった時の後が怖いからだ。

 愛が曲がった交差点を、長打を打ったバッターが二塁を目指す時の一塁上でのターンの様にククッと曲がりながら駆け抜ける。そうしてようやく、少し前に愛の後ろ姿を捉える事が出来た。

 ただおかしいことにいつ合流したのか、愛の隣に別の少女が歩いていた。制服を見る限りはうちの高校の生徒のようだ。

 徐々に近づいていき、近距離まで間を詰めたところでハッとする。

(藍田さん!?)

 何故こんな所にいるのかは分からない。しかし、隣の少女は莉理の様だった。後ろ髪が風になびいている。まさかの事態に琢真の緊張が高まっていく。どう話しかけようか困っているうちに、修司が追いついて来た。


「はぁはぁ……。猿娘め、ようやく追いついたか……」

 早速『猿娘』を活用していた。

「ん? 隣の女は……藍田か? 何故いるんだ?」

「分かんないが、とりあえず藍田さんに被害がいくと拙い。愛はこっちで引き受けよう」

 そう返すと、意を決して「愛!」と声を掛ける。

 だがまだ怒っているのか、完全に無視して反応しようとしない。

「おい、愛! いい加減落ち着けよ!」

 仕方なく肩を掴んで呼び止め、こっちを振り向かせる。

「頼むから落ちついて……」

 宥めようとして――――時が止まる。

 振り向かせた愛の顔が、まさに猿のような顔になっていたからだ。

「むぅ……。怒りが限界を超え、猿顔になってしまったのか……」

 修司も額から汗を垂らしながら、呻くように呟く。

「はぁ? 何んなの? 何肩触ってんの?」

「えっ、何? ナンパ? 超ウケル」

 そう言ってこっちを向いた隣の莉理の顔は、犬顔になっていた。正確に言うとブルドック顔だ。

 予想を超える超事態に、琢真達はは完全に固まってしまう。


「何、知り合い?」

 犬莉理が尋ねる。

「いいや、知らねーー」

 猿愛が否定する。

 その時。天啓のようにある考えが琢真の脳裏に浮かび、口をついて出た。

「わ……わるい。人違いだった……」

 その言葉に女達は露骨に顔をしかめてチッと舌打ちすると、不快そうな顔のまま歩き去っていった。修司と二人で、呆然と突っ立ったまま見送った。

「何だあれ……」

「……どうでもいいが、好きな奴を間違えるなよ」

「お前だって、長年の友人を見間違えただろ……」

 後姿だけは、本当にソックリだった。


「……ん?」

 修司が声を上げたので飛んでいた意識を戻すと、ツカツカとこちらに近づいてくる存在を視界に捉えた。

 今度こそ間違いなく愛だった。今にも湯気が出そうなくらい、カンカンに怒っている様子がここからでも見て取れる。

 琢真が一言声を掛けようとしたその前に、一方的に怒号を浴びせられた。

「遅いっ!! いつまでチンタラ歩いてんのよっ!! 直ぐに追いかけてきなさいよっ!!」

「わ、悪い。でもそれが今……」

「うるさいっ!! 何だって言うの!? アタシをこれ以上苛立たせないことより重要な事が、今あるって言うのっ!?」

 言い訳をしているように聞こえたのか、更に怒りに火をくべてしまったようだ。ただ何とか今の出来事を伝えて、怒りを静めようと琢真は頑張ってみた。

「い、いや。今そこに、猿顔のお前と……」


 気づいた時には、琢真は路上に寝そべり空を見上げていた。

 夕暮れの空には、近くの電柱とそこから伸びる電線、そして呆れた様な修司の顔が映えている。当然、愛の姿はどこにも見当たらない。

 そして、どうしようもなく顎が痛かった。

「……イチゴのタルト、ダースは必要だな」

 呆れたような修司の顔は、呆れたようにそう告げる。

「……半ダースじゃ駄目か?」

「理不尽な話だが、一発殴られる覚悟があるなら、それで持って行け」

 当然嫌だった。自分の懐具合を思い、琢真は悲しそうな表情を作る。

「ふむ、女難の相か。当たっていたな」

「……あの婆さん意外と本物かもな」

 もしそうなら漠然とした内容ではなく、詳細を教えて欲しかったと思えてならなかった。


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