(3)
7
「なるほど……分かった。お前はそのまま尾行しろ。俺からも愛に連絡を取ってみる」
琢真の了解を聞いた後で、修司はすぐさま渡辺達『藍田護衛チーム』に連絡を取る。数コール後渡辺が出たので、莉理の姿を確認出来ているかを修司は先ず確認した。
渡辺は心持ち声を潜めるように、
『ああ、人が多くてちょっと危なかったけど、今は藍田さんが移動しているのはバッチリ見えてるよ』
そう答えてきた。それならば良い。
「分かった。引き続き尾行を続けてくれ。後、琢真がその近くにいる筈だ。もしお前らの方でそれが確認できたら、琢真とは違う場所から護衛するように動いてくれ」
そう告げて、渡辺の了解の声を聞いた後通話を切った。
(愛め……どういうつもりだ!?)
憤りは治まらない。が、怒りは思考を鈍らせる事になるので、数度深く深呼吸して無理やり気持ちを落ちつける。
修司は心が静まってきたのを自覚してから、愛に電話をかけようと通話ボタンに指を掛けたのと同時に、金子からの連絡が入ってくる。
『ごめん修司君。商店街までは姿は見えてたんだけど、人ごみで見失っちゃった!』
「何!?」
琢真から駅まで祭りが行われている事は聞いていた。
正直、今日がその日だったとは全く知らなかった。
修司の手落ちとも思えるが、そもそも駅には行かない予定だったので、やはり根本的な原因は愛にあると言える。
本格的に多くなるのは、行事が行われる明日からというのは不幸中の幸いだった。とは言っても、人が多いのには変わりはない。
「すまんが……何とか探し出してくれ」
金子の苦労は偲ばれたものの、修司としてはそう告げるしかなかった。
『うぅ……了解だよ』
少し呻きながらだったが、金子は理解を示した。
本当は金子は何かあった時の為の『藍田護衛チーム』に入れたい程の運動能力を持っている。
しかし、如何せんその巨体が尾行には適さない。修司は仕方なく、尾行の警戒が一番緩いと思われる人物の尾行を頼んでいたのだった。
金子との連絡を終えて、今度こそ愛に電話をかける。だが、何度掛けても愛が電話に出る事はなかった。
8
(……遅い!)
祭りの影響で店内は大勢の客で溢れている。
見るとバイトの交代が上手くいってないのか、その大勢の客を一人で捌いているようだ。その所為で遅々として人の列は減らず、店内を客の列でぐるっと一周することになっていた。携帯の充電池一つ買うのに、かれこれ十分も待たされている。
愛はイライラしていたが、深く息を吐き続ける事で何とか精神を保つ。
そうして遂に「お次の方どうぞー」と言う、半ば疲れたような店員の声と共に愛の番が周ってきた。待った時間の五十分の一にも満たない時間で購入を終える。
何だか非常に馬鹿らしくなった。でもこれでもう大丈夫だと、愛は頭を切り替える事にした。
愛は店内を出るとすぐさま充電池のパッケージを破り捨て、携帯に差し込む。
そうして、ようやく莉理達の下に向かった。
いざ二人の居る場所に到着すると、そこには――――莉理の姿が無かった。
那奈美が愛の姿を見つけ、「遅いぞ」と半眼で苦情を言ってくる。だが、そんな場合ではない。
「り、莉理は!?」
愛は慌てて那奈美に尋ねる。
だが、那奈美はあっけらかんと、
「莉理? 何か門限がそろそろ拙いって言うから、先に帰したよ」
と、のたまわった。一気に愛の血の気が引く。
琢真とはまだ連絡が取れていない。今自分が離れたら誰も莉理を護衛していない事になるんじゃないか? と考えた後で、愛は渡辺達の存在を思い出す。今や、彼等が護衛してくれている事に期待するしかない。
そんな愛の様子を莉理が居ない事の不満と捉えたのか、
「何だよ、自分がいるからいいだろ?」
と、待っててやったんだ感謝しろよ、と言うような顔で那奈美が言う。
いつもならいくらでも感謝してやろう。待っててくれたお礼にイチゴのタルトを奢ってやっても良い。
ただ今、愛はそんな那奈美に対して言いたい言葉は一つだけだった。
「馬鹿っ!!」
もう那奈美には構っていられない。急いで琢真か修司に連絡を取る必要がある。
そう思い携帯の電源を入れようとするも、まだ充電が十分じゃないのか中々入らない。このままじゃ拙い。
背に腹は変えられないので、愛は自分の言葉に呆然としている那奈美に携帯を貸してくれとお願いする。
「だから、今日携帯忘れたんだって」
使えない事を言ってきた。再度愛は、最大級の「馬鹿」をお見舞いする。
あまりの大声に、周囲に居た通行人も何事かとこちらを見ていた。
何で愛が怒っているのか恐らく分かっていない那奈美に、莉理がどっちに行ったかを聞く。その後愛はその方向に向かって全力で走り出した。
背後で那奈美が何か喚いていたが、今の愛に気にする余裕は無かった。
9
(おかしい……)
この辺りはこの時間帯、あまり治安の良い場所ではない。そんな人気のない裏通りに、莉理は歩を進めていた。
莉理がこの様な場所に足を踏み入れるとは思えなかったので、琢真は焦りと驚きでどうしても冷静さを保てないでいた。通行人も殆ど居ないので、身を隠す事が出来ない。その為、かなり間を空けての護衛になっている事もその要因の一つかもしれなかった。
その小さい莉理の後姿を追いながら琢真は慎重に歩く。莉理の周囲とそして自分の周囲を警戒しながら。もう以前と同じ轍を踏む訳にはいかない。
琢真は冷静に落ち着いて行動するつもりだったが、突然莉理に訪れたその光景を見て思わず駆け出さずにはいられなかった。
見知らぬ男二人組がふらっと現れて莉理に近づいたかと思えば、その内の一人がいきなり彼女の腕を引っ張るようにして抱きかかえたのだ。
恐らく突然の事態で訳も分かっていないのだろう。彼女は抵抗しようともしていない。
「何してんだコラぁああああ!!」
琢真はそう叫びながら、全速力で追いついて莉理を捕まえている男にタックルをかます。
「ぐはっ!」
そのまま吹っ飛んだ男と、こちらの事を驚いた目で見ているもう一人の男を眼前に、莉理を背後に庇いながら割って入った。
男達は間近で見ると如何にも不良然とした、冗談の通じなさそうな人相をしていた。少し怯みはしたものの、莉理を背中に感じ気力を振り絞り、琢真は男たちと対峙する。
突然起こった事に思考がついていかなかったのか、もう一人の男は最初は唖然としていた。やがて理解が追いついたのだろう。その人相の悪い顔を更に人相悪く歪めた。タックルで吹っ飛んだ男も、胸をさすりながら剣呑な目で立ち上がっていた。
それらにきつく睨み返しながら、琢真は背後の莉理に声を掛ける。
「大丈夫? 藍田さん。ここは俺が何とかするから、急いで逃げて!!」
「…………」
流石に二対一では分が悪すぎる。琢真としては急いで莉理に逃げて欲しかったが、彼女はまだ事態から我に返ってないのか、背後の気配は消えなかった。
その様子に焦れてしまい前方の男達を牽制しながらも、背後の莉理に逃げ出すように強く言おうと、琢真は肩越しに一瞬だけ振り返る。
「何してるんだ、早く逃げ出せ……って……」
だが、そこに居たのは莉理ではなく、『ブルドックのような女』だった。
その女は、呆然とする琢真に「頭やばくね?」などと言いながら、男達の背後に隠れるように回り込んだ。
男達もその女にいい所を見せようとでも思ってるのか、一段と視線の強さが増すと共に、琢真を怒鳴る声も一段と大きくなった。男達が何を言っているのかはイマイチ聞き取れなかったが、その尋常じゃない怒りだけは琢真に伝わってきた。
今回の事は全面的に琢真が悪い。人違いで暴力を振るったのだ。彼等の怒りも当然だ。
ただし、今はこんな事をしている場合じゃない。この女が違ったと言う事は、本物はどこか別の場所にいるのだ。
さっきのCDショップだろうか?
琢真はかなり頭がテンパッていたが、急いで戻らないといけないと言う事だけはハッキリしている。
その為、何としてもこの場を離れたかったが――――
「こっち来いや!!」
怒り狂った男達がそれを許してくれる筈も無く。そのまま琢真は路地裏の死角に引っ張りこまれる。
「申し訳ない。人違いだった。本当に悪かった。今度幾らでも付き合うから、今だけは勘弁してくれないか!?」
何とかそう嘆願してみるが、答えは無言の拳だった。腹に深々と突き刺さったそれが、琢真の酸素を一瞬にして奪う。
そのまま顔に、腹に、肩に、腕に、何度拳を受けただろうか、それでも男達の暴力は収まる気配を全く感じさせないまま、更に苛烈さを増していく。
(……このままじゃ……やばい)
身に走る痛みに苦痛の声を上げながら、琢真はこれ以上続いたら意識が保てなくなることを自覚する。
そして、自分の意識を刈り取るに違いない男の大きく振りかぶった一撃を、何とか堪えようと目を瞑って必死に身を硬くする…………幾ら待ってもその衝撃が琢真に伝わってくる事は無かった。
数秒待って、琢真はゆっくり目を開ける。
琢真が目を瞑る前に見たのは、怒りで訳分からなくなっている男、笑いながら自分を殴っている男、その様子を楽しげに見ている女と言う光景だった。
しかし今は、自分を庇うようにして立っている男二人、それに警戒するように対峙する男二人、イラついた表情の女。という光景に変わっていた。
「大丈夫か琢真!!」
琢真を庇ってくれているのは、佐藤と渡辺だった。
男達は突然現れたガタイの良い佐藤を警戒しているようだった。一定の距離を開けて近づいてこようとはしない。
琢真は二人に助かった、と礼を言って渡辺に支えられながら身を起こしたが、ふと気付く。
「お前ら……どうして!? 藍田さんは!?」
琢真が居なくても二人もここに居ると言う事は、今彼女の傍にいるのは愛だけという事になる。何かあった時に愛だけでは厳しい。何だかんだ言っても愛も女の子なのだ。
渡辺達は琢真の問いに、
「ここにいる理由は、恐らくお前と同じだよ……」
申し訳無さそうな、疲れたような顔を浮かべながら答えた。隣を見ると佐藤も困ったような微妙な顔をしている。
そう言われると、琢真も何も言えない。見間違えたのは自分も同じだからだ。
だが、このままではいられない。
「すまんお前ら……」
ここを頼んでいいか、と続けようとした琢真の言葉は、
「俺達に任せて、お前は藍田のところにいけ」
佐藤の言葉によって遮られる。渡辺も隣で頷いていた。
「悪い、助かる」
そう二人に礼を言い、琢真は再び駅前に向かおうと駆け出そうとする。ただ、その前に一つだけ言わなければいけない事を思い出し、こちらを睨みつけている女に向き直る。
渡辺も佐藤も、琢真が何を言いたいのか分かったのだろう。同じように女の方向を向いた。
そして――――、
「「「紛らわしいんだよっ!!」」」
と言う、三人の理不尽な怒声が、裏路地中にこだましたのだった。




