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リミット  作者: 過酸化水素水
6章 X
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 『水曜日』


 琢真は朝から掛かってようやく二十枚に渡る反省文を書き上げた。今日の分は昨日書いたので、今書いていたこれは明日の分になる。

 何時、何に時間を取られるのか分からないので、早めにやっておく事にしたのだ。

 勉強もこの熱心さでやってれば今頃はもっと良い順位だったかも……と思わないでもないが、まあそれはそれこれはこれだ。

 ふと部屋の隅に置いてある時計を見ると、丁度帰りのHRが終わる時間帯だった。

(そろそろか……)

 琢真は一度大きく毛伸びをして、椅子から離れる。そして、この後に備えて軽く準備運動をすることにした。

 体を解しながら昨日の事を思い返す。


『これ以上事態を複雑にしない為、お前は放課後までは大人しく自宅に居ろ』


 それが昨晩あの後、修司に指示された事だった。

 琢真は概ね了解したが、一点だけ承服できない事はあった。それは朝の通学中の護衛についてだ。当然如何するつもりなのか確認はした。

 それによると、先ず護衛に関しては愛が送り迎えするという事だった。

 愛は初耳だったようで、それを聞いて憤慨していた。だが、修司の冷たい目と琢真の縋る様な目に屈し、渋々了解した。

 琢真としては愛だけでは不安だったものの、「『犯人』が目に付きすぎる朝っぱらから活動するとは考えられない」という事だったので、渋々納得する事にした。

 なので琢真は今日一日、修司の言葉に従い模範的謹慎生を演じていたのだった。


 念入りな柔軟運動が終わって体が火照ってきた頃に、家電のベルが響き渡る音が聞こえてきた。恐らく池山の定時連絡の電話だろう。

 そう思って部屋を出て電話の所まで行くと、先に電話に出ていた母親が電話口を押さえながら「先生よ」と小声で受話器を渡してきた。

 先ず、池山は今日の一日の琢真の行動について聞いてきた。琢真がきちんと謹慎している事を聞くと安堵の声を上げた。

 どうやら琢真は余程大人しく出来ない人間だと思われている様だ。

 後は雑談のような話をしただけだった。最後電話を切る直前に「そうだ忘れていた」と、池山は明日の学校の予定を話した。

 明日学校に行かない自分には関係ないのでは? と琢真は思った。何でも先月行われた修学旅行で撮られた写真を選ぶのが明後日までで、クラスでまだ選んでいないのは琢真だけだと言う事だった。

 修学旅行は先月行われたばかりだったが、何故かとても懐かしく感じた。

 単に後で行こうと思って忘れていただけなので、写真は正直欲しいと思った。

 しかし、今の事態ならば仕方ないと諦めようとしていた琢真に、「写真が欲しいのなら明日は無理だが明後日の放課後、謹慎中だが例外として担任が同伴する事で何とか学校に来て選べるように手配する」と、池山は言った。

 「お願いします」と言う言葉が喉から出かかるも、護衛の事を思い出し、非常に残念だったが琢真はその話を断った。写真を選んでいる時に彼女に何かあっては、自分は恐らく一生後悔する事になるだろうからだ。

 池山は琢真が迷惑を掛けるのを心配していると思ったのか「俺の事は気にしなくていいぞ?」としきりに言った。だが、あくまで辞退の態度を変えない琢真に、「とりあえず明日もう一度聞く」と池山が告げて、本日の連絡が終わった。

 電話を切る直前に池山が「頑張れよ」と琢真に言ってきたのだが、意味を確かめる前に電話が切れた。何を頑張れば良いのか分からなく、恐らく池山本人も特に何かを指して言っている訳ではなかったのだろう。ただ、苦笑と共に何故かとても意欲が湧いてくる気がした。

 その『頑張れ』は莉理を護る事だと勝手に解釈することにし、琢真が一人燃えていたところに、愛からの連絡が入ってきた。

『あ、もしもし~~。今から莉理の家に向かうわ』

 愛はそれだけを告げると電話を切った。

 行動開始の合図だった。


 琢真は急いで居間に向かい、夕飯の支度をしていた母親に「今から勉強するから暫く部屋に来ないでくれ」と、母親が持っていたオタマを取り落とす程驚愕させてから部屋に向かう。

 部屋に入り鍵を掛けると、予め隠しておいた靴を履き窓から外に出て、音を立てない様に静かに家の塀を乗り越えた。

 外に出たのは今日始めてだった。日頃外に出ても暑いと思うだけで他に思うことはない。ただ、家に謹慎しておくことを要求されている身の上で外に出ると、何故か妙な開放感を感じてしまった。

 だが直ぐに自分の役割を思い出し、走って目的地に向かう。それから五分とかからずその場所に辿り着いた。

 周囲にまだ愛達の姿が見えないことを確認すると、琢真は急いでその場所の敷地内に入り、その隅にひっそりと隠れるように置かれているベンチに腰を下ろす。

 このベンチは昔からずっと変わらない。その事が琢真を少し安心させた。

 そして家から被っていた帽子を深く被り直し、顔がなるべく見えないようにしながら周囲の様子を探り始める。

 その場所……愛のマンションの前で莉理の帰路上にある公園には、小学生と思われる少年たちが携帯ゲームで遊んでいる他は、人の姿は見受けられなかった。敷地外の道路も探り、人通りは僅かにあるようだった。が、うちの学校の生徒の姿はなかった。


 そのまま暫く周囲への警戒を続けていると、二人組みの少女の姿が視界の端に入ってくる。顔が判別できる位の距離まで近づいてきた所で、それが愛と莉理だという事が分かった。

 緊張に胸がざわめく。怪しまれるような身動きはせず、琢真は公園の周囲の様子を探った。人は相変わらず小学生以外には居ない。

 二人はそのまま公園内に入ってくると、琢真には気付かずにそのまま公園を横断して、莉理の家の方向に歩き去っていった。

 だが琢真はそれを直ぐに追う事はせず、その場での周囲への警戒を続けた。


『お前の役割は、藍田を監視している存在を探す事だ』


 それが昨晩、修司から言い渡された琢真の役割だった。

 修司はどうやら受動的に危険を待つのではなく、能動的に動いて危険を回避する方法を選択したようだ。その様子は今二人がプレイしている携帯ゲームでの修司のスタイルと同じものだった。莉理に対して愛がディフェンスだとするのなら、琢真はオフェンスと言う訳だ。

 琢真としては彼女を護るのは自分でありたかった。しかし、今『犯人』からのマークが外れている筈の身の軽い琢真が、オフェンスに徹するのがベストなんだと言い切られ、仕方なく納得した。

 それで彼女の危険が減る事に繋がるならいいか、とも考え直したからだ。


 琢真の動きを具体的に言うと、まず『愛が莉理を誘導して、必ず決まったルートで家に送り届ける』のを、『そのルート上に待機しておき、これまでの護衛位置から更に間を空けて、莉理を見守るのではなく、莉理の周囲を警戒して、彼女を監視している人間がいないかを監視する』のが琢真の取るべき動きという事であった。

 それを告げられた時、先に反応したのは愛だった。「他人の行動を誘導するなんて、そんなの無理よ」と。

 だが修司に「お前いつも藍田と帰る時、毎回違うルートを通ってるのか?」と指摘され、暫しそれを思い出している様なそぶりで静かになった。ただ愛としては結局いつも通りであることに気付いたのだろう。先程までの難色を示していた顔を一瞬で振り払い「おっけー」と軽く了承した。現金な奴だった。

 その問題は揉める事無く解決したから良かったが、琢真は容易に納得は出来なかった。

 何故なら、その『ルート上』の待機しておく場所として、公園を挙げられたからだ。学校から公園までは歩いて二十五分は掛かる。幾らなんでも遠すぎてその間が心配過ぎた。

 ところが、その琢真の反論も、

『学校に近すぎると生徒の目が多く、どこでお前が見つかるか分からん。それでもしその情報が『犯人』に伝わりでもしたら、お前の身軽さという利点が無くなるだろうが』

 と冷静な口調で修司に却下され、立ち回りから服装までを指示されたのだった。


 二人が去って二分程度過ぎた頃に、ようやく琢真は動き出す。

 二人の姿と思しき影を遥か先で捉える事ができた。目から三・四十センチ離した位置の小指の爪に、二人纏めて全身が隠れる程の小ささになっていたので、いざ何かあった時に直ぐには駆けつける事が出来ない距離だと、内心動揺してしまった。

 だが直ぐに自分の役割を思い出すと、その事を頭から振り払い、琢真は改めて周囲を観察した。

 二人が去った後、公園付近に現れた数名の、うちの学校の生徒の姿を一人ずつ忘れない様に記憶する。中には知っている顔もあった。しかし、その事は今は忘れ私情の入らないよう監視に努めた。

 特にその中で二人と同じ道へ入っていった六人の姿を念入りに記憶する。構成は三人組の男、二人組みの女、一人きりの三組だった。

 二人との距離的に、これ以上離れているのは問題の人物ではないと考え、その三組の後をゆっくりと追う事にした。

 後を追いながら、こんな事で本当に見つけることが出来るのか? そもそも全く違う場所から二人を監視しているんじゃないか? 等と、不安な気持ちは常に胸にあった。とはいえ、今出来る事は他にはないと思い直し、琢真は慎重に監視を続けていった。


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