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「アンタその顔どうしたのっ!?」
「何があったっ!?」
その日の夜、莉理を送り届けた後、琢真の家を訪ねて来た愛と修司が、家の前で出迎えた琢真の顔を見るなり発した言葉だ。
あの後、血だらけで家に帰ってきた琢真を見た母親は血相変えて心配した。だが、ひとまずの応急処置が終わり、丁度その時会議が終ったらしい池山からの電話で今日の事をある程度聞くと、池山からの電話をそのまま放り投げ、琢真に猛烈な説教を始めた。
そのあまりの怒声により事態を察したのか、必死に向こう側で叫んで止めてくれた池山の取り成しにより、何とか母親は落ち着いてくれた。
母親はその被害者の女の子の家に謝罪に行きたいと池山に頼んでいたが、この話はあちらの親御さんには連絡しない事でその女の子と話が済んでいるのでそれは教えられないと、池山は突っぱねたらしい。 その後数十分に渡る問答の末、ようやく母親は納得し、くれぐれもその少女にお礼を伝えてくれるようお願いをして琢真に電話を代わった。
池山は苦笑いしながらも、今日会議で決まった事を教えてくれた。
琢真の処分は起こした問題の深刻さから言うと、極めて軽いと思われる謹慎三日間だけだった。
余りの処分の軽さに理由を尋ねると、最初はもっと重い処分が下される筈だったが、意外に多くの先生がそれに反対してくれたお陰でそういう結果になったと池山は言った。
国語の先生方に戻ったらお礼を言っとけよと冗談めかして言っていた。ただ、誰より奮闘してくれたのは池山本人であろう事は琢真も分かっていた。
池山はその事について何も言おうとしなかったので、琢真もそれに関しては特に指摘はしなかった。ただ、心の中で何度も感謝の言葉を投げかけていた。
他の直接的処分は、毎日二十枚の反省文を書くことだけだったが、間接的処分としてやはり琢真のクラスの移動が検討されると言う事だ。だが今の所他のクラス担任が琢真を敬遠しているようで、その決定にはもう少し時間が掛かるらしい。
その事で池山は琢真に謝ってきたが、元々覚悟していた事の上、池山には感謝こそすれ恨みに思う事などある筈もない。なのでそれを伝えたところ、池山は「お前は俺が担任として指導してやりたかったんだがなぁ」とどこか寂しげに笑った。
不覚にも琢真は瞳が潤んでしまった。何とかそれには耐えて、最後に池山にお礼を言い今日の連絡を終えた。
終った後しんみりしていた琢真に待ち受けていたのは、母親と丁度帰ってきた父親による執拗な追及だった。
だがどんなに叱られ殴られ罵倒され諭されても、全く理由を言わない琢真に何か思うところがあったのか、ようやく解放される。今日は晩飯抜きだと言っていたが、琢真が昼から何も食べていない事を聞くと、母親が何も入っていないお握りを一つだけ作ってくれた。
空腹と言う調味料はあったものの、別にいつもと比べて特別味が良かった訳ではない。しかし、琢真は今日のこの握り飯の味は、恐らくずっと忘れる事はないだろうと思った。
そのまま部屋に戻り反省文を書いていたところに、愛達が尋ねて来たのだった。
その頃には父親に殴られた顔がかなり熱をもって腫れてきていたので、額の包帯と合わせて、琢真の顔はかなりユニークな事になっていたのだった。
愛達はその怪我の理由を、始めは何故かもっと物騒なものと考えていたようだったが、琢真の話を聞いて片や爆笑、片や鼻で笑われるという事になった。
その事がともすれば深刻な感じになりそうだった空気を和らげてくれたのか、いつも通りの三人に戻る事が出来た。
先ず琢真は、昼間に老婆から聞いた話を二人に話した。
愛は修司から『死』について聞いてしまった様で、隠していた事を咎められた。琢真が頭を下げて詫びると、戸惑ったような声で許してくれた。
まあお陰で話す内容をオブラートに包む事に頭を悩ますことなく、そのまま伝える事が出来るのは助かった。今回の話はどう包もうか、琢真は頭を悩ませていたからだ。
辺りはひっそりと静まっており、家の前には街灯はないので家の中から漏れる微かな明かりと、月明かりだけがそれぞれの顔を照らしている。
そして、元々人通りの少ない場所なので、こういった話をするのには都合が良かった。
『今週中に路上で体を何かの金属に貫かれて死ぬ』
琢真は老婆から聞いた新たな予知を、二人に伝える。
新しい情報は『金属に体を貫かれる』と言う部分だけだったものの、急に生々しくなった内容に流石に愛は顔を顰めた。
琢真はその情報を告げる前に、昼間婆さんに対してとってしまった態度についても二人に話して聞かせていた。二人に懺悔する事で、自分の罪悪感を少しでも減らしたいと言う情けない理由がその根底にあるに違いなかった。しかし、それでも話すのを止める事が出来なかった。
二人は神妙な様子で琢真が話す間、何も口を挟まずに、ただ黙って話を聞いていた。
全てを吐露し終えた後、二人は口を揃えて「馬鹿だな」と言ってきた。その裏には同情、叱咤、慈しみ……そう言った感情だけが見え隠れし、非難の調子は全くなかった。
琢真は何だか尻の穴まで見られたような気分になり、とても恥ずかしかった。とは言え、そんな二人への感謝の念が損なわれる事にはならなかった。
だが、その話のお陰もあってか、二人は老婆の『予知』についての真偽はともかく、老婆が本気で自分達にそれを告げていて、かつ本気で彼女を助けようとしてくれているいう事は信じてくれたようだった。
なので二人とも、新たな情報を伝えても内容の凄惨さに反応するだけで、それをデタラメだと頭から決め付けるような態度は二度ととらなかった。
琢真が出来る話を全て終えると、それを引き継ぐように今度は修司が険しい顔で話を始めた。
「俺以外のストーカーだって!?」
彼女にストーカーとも言える存在が、自分以外にもいると言う事を聞いて、琢真は思わず叫んでしまう。
言われてみれば確かに、あの貼り紙の主は自分を……つまりは莉理を付けていたことになると気づく。衝撃冷めやらぬ胸中の最中、老婆の予知と話を結び付けてしまうのは、当然の事だった。
ここに来てようやく、琢真は雲を掴むようだった老婆の予知の方向性が見えた気がした。
「じゃあ、まさかそいつが藍田さんを」
『死なせることになる原因か』と続くはずだった台詞は、外に出される事なく喉の奥で消してしまった。それを口にしてしまうだけで、莉理にそれが起こってしまうのを認めるような気がしたからだ。
だが修司は琢真の問いに「それはまだ分からない」と前置きしてから、
「もし仮に老婆の話が正しいとして、そいつの存在がそれに丸っきり無関係だと考えるのは、時期的に考えても浅慮と言うものだろう」
と自説を述べた。隣を見ると愛もその言葉に頷いていた。
「待て!! 早まるな!!」
修司が声を荒げる。
話を聞いて、慌てて莉理の家に向かおうとしていた琢真を制止する声だった。
「これが落ち着いていられるか!!」
莉理に迫る影の存在を知って、ジッとしているというのは今の琢真には不可能だった。
自分は彼女を護ると、今度こそ誓ったのだから。
「いいから、落ち着きなって!!」
愛が琢真の腕を掴んで引っ張り、抱きつくようにして家の塀に押し付ける。琢真は少しもがいたが、愛が本気で留めようとしているのを悟り、大人しくする。
落ち着いたのが分かったのか、修司が軽く頷く。
「藍田の護衛は俺達でやる。だからお前は大人しくしていろ……。それに今お前に出てこられると色々と話が面倒になる」
そう言って、授業中ずっと考えていたという話をする。
どうやら愛は既に知っている話らしく、修司の話には反応せず、琢真が再び飛び出して行ってしまうことを警戒しているようだった。
修司が言うには、今琢真が彼女の周りを今までのようにうろつき始めて、もしその事がそのストーカーにばれた場合、今度はどんな手段を取るか分からないと言う事だった。
琢真からすると『上等』以外の何でもなかった。が、今度は直接彼女に矛先が向くかもしれないと言われては、大人しくせざるを得なかった。
ただそれでも彼女を見護れないのは辛く、何とか護衛できないかと焦れている琢真に気付いたのか、
「大人しくしときなって! それに今誰かに見つかったら今度は謹慎どころじゃ済まないよ!?」
愛に叱られる。
そして、気を逸らすためにか琢真が帰った後の事について、愛が知りえた事を話し始めた。
先ずクラスメイト達は、琢真が学校を去ってからも最初は非難轟々で騒いでいたそうだ。
しかし、時間が経つにつれ、徐々に皆冷静さを取り戻していったらしい。話の焦点も『アイツ最低』から『何か理由があったのかな』に移っていったそうだ。
と言っても、まだ琢真を許せるような心境ではないらしく、弁護しようとすると微妙な目で見られたとの事だった。
中でも高橋と田中だけはまだ怒り冷めやらぬという様子で琢真の事を怒り続けているらしく、当事者の莉理がそれを宥めるというおかしな事になっていたらしい。
琢真は個人的に気になっていた金子達の事を聞いてみた。いつも騒々しい奴らが今日に限ってはしんみりとしていたそうだった。
原因は明らかだが、今の琢真にはどうする事も出来ない。心の中で詫びておいた。
なお、他のクラスの琢真への印象は相変わらず良くない感じのままらしい。休み明けが少しだけ億劫だった。
次に愛は莉理のことを話す。
彼女はあれから池山達に呼び出されて、事情を聞かれたそうだ。それには高橋と田中が同行したらしい。愛も行くつもりだったそうだが、高橋達に自分との関係を警戒されていて付いていけなかったと、笑う様に言った。
愛はやんわりとした表現で言っていたが、恐らく実際はもっと辛辣な事を言われているに違いない。
休日に遊ぶほど仲が良かった相手に警戒されるような事になったのは、間違いなく琢真の所為だった。しかし、そんな事はまるで触れずに明るく笑っている。
日頃は少しでも恩を着せられるような事があると、それをネタに色々要求してくる愛は、こういう場合に限っては全くそんな素振りを見せようとはしない。そんな愛だからこそ琢真は頭が上がらないし、それが人気がある所以に違いなかった。
話は戻り、莉理は呼び出されてから思ったより早く帰ってきたそうだ。
まあそれはそうだろう。彼女自身は何も知らないのだから。
ただ愛は、高橋達が席を外している隙をぬって、事もあろうに莉理本人に確かめたらしい。呼ばれた理由、聞かれた内容、それにどう答えたか等、開き直って全部聞いたと愛は笑いながら言った。
彼女がそれに戸惑いながらもきちんと答えてくれた話によると、教師達に呼ばれた理由は、琢真がこんな事をした理由を聞く為だったようだ。
当然莉理は知らないので、「分かりません」と答えたところ、あの嫌らしい生活指導の教師達が執拗に確認してきたらしい。それは高橋達や池山が非難する事で、とりあえずは収まったそうだ。
(あのクソども……)
琢真はいつかあの教師達に、目にモノ見せてやろうと心に決め、続きを聞く。
更に莉理は他には何か最近気付いた事はないか、と言うようなことを質問されたらしい。それには莉理ではなく高橋達が代わりに答えたそうだ。最近誰かに見られているような気がしていると、少し前に莉理から相談されていた事を。
実はこの事は愛も土曜日一緒に遊んだ時に相談されていたらしい。その時は莉理は琢真の事を感じているのだろうとばかり愛は思っていたので、特に心配する事態でもないと考えていたそうだ。
それは仕方ないことだろう。琢真の事を知っていたのでなお更、琢真以外にも付けている人間がいようとは思い至らなかった筈だ。
ともかく、その話を聞いて琢真と結びつけた奴らは証拠を得たと喜びながら去って行き、事情聴取は終ったそうだ。
そして、それらを話してくれた時の莉理の事も愛は口にした。
莉理が言うには、琢真の事は最初は動揺してしまったが、今は怒っても悲しんでもいないという事だった。
ただ、どうしてそういう事をしていたのかという理由は知りたいらしく、逆に愛に尋ねてきたそうだ。 それに対して愛は「いつか教える」とだけ答え、その言葉に、彼女は納得してくれたと愛は言った。
そして、その後で琢真の事は騒ぎ立てるつもりがないという事を池山に話し、話を大きくしない様にと、なんと莉理の方からお願いしたと言うのだった。
その異例のお願いに、池山は最初非常に驚いたそうだ。やがて落ち着くと「その通りにさせて貰う」と彼女に頭を下げ礼を言ったとの事だ。
夕方の池山の話で『話が済んでいるので騒ぎにしない』と言っていたのが、まさかそういう経緯だったとは知らず、琢真は改めて莉理に驚かされる事になった。
そして、更に彼女を護ろうという意志が自分の中で燃え上がったのを感じた。
愛からの話は以上だった。
愛から話を聞いている間、修司はムッツリと黙り込んで何かを考え込んでいた。愛の話が終ったタイミングで突然口を開き「お前……藍田を護衛したいか?」と琢真に尋ねてきた。
「もちろん」
即答した琢真に、まだ言ってるのかと愛が再びムッとした顔を浮かべる。だが、修司はそれを無視して、自分の眼鏡のガットを片手で抑えながら「そうか」とだけ言った。
修司は意識して行っている事ではないようだが、長年付き合っている琢真にはその癖が、何かを企んでいる時に行われるものだと知っていた。
なので琢真は、次に発せられる話に期待する。それは二人の恒例行事だった。
修司はそのいつもに従い、ゆっくりと話を続けた。
「ふむ……ならば――――」
その後暫くの間、三人以外には誰もいない夜の闇に、静かな修司の声が響くのだった。