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リミット  作者: 過酸化水素水
5章 記憶
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(3)

 

   5


「……後はお前に任せる」

『……何だと? 今なんて言った? おいっ琢真!? 琢真!!』

 修司が電話口で自分を呼び止めていたが、琢真は気にせず電話を切った。

 リダイアルされても今は応答する気になれなかったので、携帯の電源を切ってからそれをポケットに仕舞い込む。

 あれから真っ直ぐ家に帰る気にはなれず、琢真はブラブラと繁華街をうろついていた。幸いにも警官と遭遇したり不良に絡まれたりする事もなく、一人静かに時間を潰す事が出来た。

 特に何かを考えていた訳ではなかった。と言うより、寧ろ何も考えないように努めていたと言う方が正しいだろう。それで心の平穏を取り戻そうとしていたのかどうかは、琢真は自分でも分からなかった。


 だが、それももう終わりにしないといけない。

 修司の電話から授業が既に終った事が分かったからだ。なので恐らく今頃は職員会議が行われている事だろう。それで琢真の処遇が決まる。

 その後に池山から家に電話が入る筈なので、琢真はそれまでには家に帰っておかないといけない。自分の処遇などどうでも良かったが、あれだけ弁護してくれた池山の恩を仇で返すような真似は、琢真はこれ以上は控えたかった。

 今は駅北の繁華街に居た。ちらほらと下校中の生徒の姿が見受けられる。

 大っぴらに移動して自分の事を知っている人間に会うのも馬鹿らしいので、琢真は人目の付かない路地裏を移動して自宅に向かう。


 ゆっくりと帰路を辿っていた最中、ふと琢真の視界にある張り紙が目に入ってきたので足を止める。電信柱に貼り付けられていたそれは、今週末にこの駅近辺で祭りが行われるということを知らせるものだった。

(そう言えばもうそんな季節か……)

 この街に住んでいるものなら誰もが行った事があるだろうそれには、当然琢真も毎年足を運んでいた。

 祭りのメイン行事は街の外れにある神社周辺で行われる。

 小学生以下の子供や大人達はそれらを『祭り』として捉えているだろうが、琢真達の年代での『祭り』と言えば、その祭りに合わせて駅の南北にある繁華街を中心にズラッと並ぶ、屋台を冷やかす事を指していた。

 去年、琢真は修司や金子達と繰り出し大騒ぎしていた。その当日は非常に大変だったが、今思うととても楽しかった事に琢真は気付く。

 愛はクラス女の子同士で行っていた為別行動をとっていた。しかし、琢真は現場で捕まって無理やり奢らされた。

 莉理も高橋達と行っていた。琢真は直接話す事は出来なかったものの、遠目に見かけた浴衣姿がとても似合っていて、今でもその光景が脳裏に刻み付けられている。

 今年は殆どの親しい人間が同じクラスに集まっているので、去年以上に盛り上がった事だろう。だが、残念ながら琢真は不参加になる。

 仮に週末に謹慎が解けたとしても、琢真が参加したところで皆気まずいだけだ。ましてや今となっては誘われるか自体怪しい。

 修司や愛は気にしてくれるかもしれないが、二人にも二人の付き合いがある。自分に煩わせるのは良くないので、早々に不参加を表明しておくことにしようと琢真は決めた。

 そう決めると、琢真はその場を離れて再び帰路に付く。

 そして、もう二度とその張り紙に意識を向ける事はなかった。


 その後、琢真は家路につきながら今後の事を考えていた。

 莉理の事は修司達に任せておけば大丈夫だ。

 予知については今の琢真以上に信じていない二人だったが、こうなった以上自分の代わりに莉理を護ってくれるに違いなかったからだ。

 きっと二人なら、何か起きたとしても何でもない事のように乗り切ってしまうだろうと琢真は思っている。なのでその問題はもう決着しているのと同じ事だ。

(そうだ、これ以上は考えなくていい)

 なので琢真は安心して謹慎に入る事が出来る。

 謹慎が果たしてどれくらいの期間になるかは分からなかった。だが、その間は大人しくしていようと思っている。

 ただその期間次第では、バイト先に連絡をしないといけない。今週までなら既に休みを貰っているので問題ないが、それ以上となると事情を説明せざるを得なくなる。最悪、謹慎処分を受けた人間などはバイトを辞めさせられる事になるかも知れない……残念だが仕方ない。

 木村に恩を返せないという事だけは、琢真の心残りだったが。


 その事はともかく、謹慎処分が終ればまた再び学校に通う事になる。

 だが果たして、加害者と被害者……琢真と莉理が同じクラスのままで居られるかは怪しかった。琢真が別のクラスに移されることも十分にありえる。

 恐らく今日の学校の話題は琢真の事で占められていた筈だ。それは決して琢真に好印象を抱いている発言では、決してなかった事は考えるまでもない。

 なのでその新しいクラスに入っても、恐らく琢真はかなり浮く事になるだろう。一応どのクラスに行っても友人は居る。とは言え、今後も変わらぬ付き合いをしてくれるかは謎だ。

(いや、楽天的な考えは止そう。たぶん皆嫌がるに違いない)

 だとすれば、当然学校に行きにくくなる。いくら琢真でもそんな目に終始晒され続けていては、気がおかしくなるだろう。

 そうなれば、もう学校に行く事もできないかもしれない。その時は………。


 ――――学校を辞めるか。

 そう決めた琢真に迷いはなかった。ない筈だった。

 重大な決心だったが、心には小波一つたってはいない。

 だが、その場合に問題となるのは両親だった。母親はともかくあの頑固な父親がそれを許すとは思えなかったからだ。

 ただそればっかりは、何と言われようがどうしようもない。恐らくぶん殴られるだろう。それも仕方ない、我慢して受け入れようと琢真は思った。

 頭を下げて何とか転校は無理でも、通信制の学校に入れてくれるようにお願いするつもりだった。

 それが無理なら働くか……と言っても、その場合何の技術もない中卒になる琢真が働けるような場所が、そうそう見つかるとは思えなかったが。


『でもきっと芳垣君はいつか大物になる気がするよ』


 以前、そう言って微笑んでくれた莉理の顔が琢真の脳裏に浮かぶ。残念ながらそうなった場合、その言葉を真実にする事は出来なそうだった。

 そんな自分に対して、琢真は思わず笑った。

 もし学校編入が認めてもらえたなら、卒業まではもうこんな事が起こらない様に大人しくしておき、卒業後はこの街を離れて人の多い都会にでも行こう。そこでなら琢真の存在など人の波に埋もれてしまうだろう。気にする人など誰もいない。琢真を知っている人など誰もいない。そんな中でならまた一からやり直せる気がする。

 もしやり直せて、その生活が上手く軌道に乗ったら修司や愛にだけは自分の事を連絡してもいいと、琢真は思った。

 修司は恐らくその頃には良い大学を出て、良い会社に入ってることだろう。いや、大学に残って研究していると言うのも修司にはあってる気がする。

 愛はどうなるのか分からないがモデル業なんてのはピッタリだ。容姿は良く明るいので、さぞかし人気が出る事だろう。写真には性格は写らないから。

 莉理は……夢に向かって頑張っているに違いない。いやその頃には実現しているかもしれない。彼女にどんな未来が待っているかは分からないが、きっとどの道も明るい光で満ち満ちていることだろう。


 と、琢真はそこまで考えて、

(何だ……仮に学校を辞める事になっても決して悪くないな)

 という事に気付く。

 琢真はちょっとばかり苦労する事になるかもしれないが、だがそれは今自分の身に起こっている問題が、仮に起きてなかったとしても同じ事である。

 何だかどん底にいる気がしていたが、全然そんな事はない。どんな道でも明るい未来へ続く道は決して無くなったりはしないのだ。ただ、その道が細いか、または見え難いというだけだ。

 ならばわざわざ辛い思いをする事が分かっている学校になど、もう行く必要は無い。

(俺だけじゃなく、他の皆まで嫌な気分にさせてしまうからな)

 帰って池山から処遇を聞いたら、親にその事をお願いしよう。

 失うものなど少ししか無かった。そう思うと一気に琢真の心が浮き立ってくる。

 ようやく周囲を見渡す余裕も湧いてきたが、さっきまでと比べて格段に明るくなっている様に感じた。

 帰路はいつの間にか大方の工程を終えており、今琢真の目の前にある角を曲がればもう家は直ぐそこだった。心持ち軽い足取りで、角を曲がって家の前の道に出る。

 琢真は何故か修司達が待っているような気がしたが、そんな事も無く家の前には誰も居なかった。特にそれについて何も思う事はなく、そのまま家に向かって進み家の玄関の前の柵の扉に手をかけた所で、


『……それじゃあ、きっと後で後悔しちゃうよ?』


 と、琢真は誰かに声を掛けられた気がした。

 消えそうな微かな声だったが、不思議と聞き取れなかった部分は無かった。

 ただ内容は聞き取れたのだが、話しかけられたとはっきり断定することも出来なかった。

 その声の主を探そうと、琢真は家の前の道を再び振り返り――――時が凍りついた。


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