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リミット  作者: 過酸化水素水
5章 記憶
36/61

(2)

 

 次は、それらの貼り紙を『いつ貼り付けたのか』という事を考える。

 考えられるのは二択しかない。

 昨日の夜か、今日の早朝だ。

 琢真の教室、2-Fの教室に関しては、どちらの時間でも貼り付ける事は容易だった筈だ。なので、あまり考えても仕方がない。

 問題は職員室だ。


 学校の夜間の警備は、警備員は駐屯しない機械警備で行われている。

 部活をしていない修司には関係のないことなので人伝に聞いた話になるが、機械警備への移行時間は、午後九時半から午前六時半だと言われていた。どちらの時間も当番の教師が職員室に控えている筈だ。

 夜は当番の教師が帰る際に職員室には鍵を掛けるらしいので、凡そ忍び込むのは不可能だろう。

 では朝なのかとも思うが、朝も当番の教師が来るまでは鍵が開いていないので、合鍵でも持っていない限り貼るのは不可能だった。

 だがそれでも貼られていたと言うのだから、どちらかに抜け道がある筈である。しかし、こればかりはもう少し調査が必要である。


 次は、その貼り紙を張った人物は『何故その三箇所を選んだか』という事を掘り下げてみる。

 職員室へは、琢真の事を問題にするために貼ったと考える以外ないだろう。職員室の殆どの窓に貼っていたというのだ、絶対に問題にしてやるという意志が感じられる。

 琢真の教室を選んだ理由は、三通りの考えがある。

 一つは、琢真自身に警告するため。お前の罪を暴いてやったぞと教えるためだ。

 一つは、莉理に琢真の事をを警告するため。またはつけられている事を教えてやるため。

 一つは、莉理に琢真の事を教えて怖がらせるため。前の考えと違うところは、琢真だけではなく莉理にも悪感情があると言う点だ。

 2-Fを選んだ理由は、二通り考えられる。

 一つは、特に2-Fを選んだのではなくどこでも良かったというもの。

 一つは、何かそうせざるを得ない事情があり2-Fを選んだというものだが、これはまだ理由は分からない。


 ここまで考えて――――

 修司は結局何も確定的なことに気付けていないのに気づく。

 分かったのは、『恐らく琢真に恨みを持つ、恐らく二年生』という事だけだ。

 材料が少なすぎるのだ。何か取っ掛かりになるものがあれば、もっと落とせていけると思うのだが……。

 せめてあの貼り紙が欲しいところだった。

 修司は生活指導室で机の上に置かれていたのを見ただけだったので、現物をもっと詳細に調べる事が出来れば、何か分かるかも知れないと思っていた。

 そして、修司がこうも貼り紙の事を気にしているのには訳がある。

 それはこの貼り紙の貼った人物の本当の狙いが何なのかが気になったからだ。危険視していると言い変えてもいい。

 狙いが琢真を貶めることであった場合は、ある意味問題は無い。その人物の思惑通り、琢真は謹慎処分を受ける筈で信用も地に落ちた。例え謹慎処分が終ったとしても、以前と同じ様に学校生活を送る事は二度と叶わないだろう。

 なので、これ以上その人物が何かをするとは思えない。これでこの事件は終わりだ。


 だがもし、その人物の狙いが琢真ではなく莉理だった場合。それは一気に深刻さを増す。ただ不安にさせるのが目的だったというのであれば良いのだが、残念ながらそれは無い。

 それだけが目的ならもっと他に良い方法があった筈だし、何より莉理をストーカーの魔の手から助けるような行動をとるとは考えにくいからだ。

 という事は、その人物は莉理に悪感情を抱いているのにもかかわらず、彼女をストーカーから助けたという訳の分らない行動をとっている事になる。

 しかし、こう考えればその行動にも説明が付く。

 莉理に何かするのに琢真の存在が邪魔だった――――場合だ。


 つまり、その人物は彼女に何かをするつもりだったものの、その周辺を常にうろついている琢真の存在に気付き、まずはその邪魔者を排除してから事を成そうとしているという訳だ。

 そして、周辺をうろついている琢真に気付いたという事は、その人物もその周辺にいつも居たということになる。

 決してそれは修司の根拠の無い妄想という訳ではない。実際、琢真が莉理を護り始めてまだ数日しか経っていない。金曜から月曜まで……その内土曜日は琢真は護衛していないので、琢真が彼女の周囲に居たのは実質三日だけだ。

 偶々琢真の尾行に気付いたとして、されだけでストーカーだと断定できるものだろうか。

 別に夜道をつけていたと言う訳ではないのだ。如何にもストーカーといった風体だったとしたらそれでもおかしくは無いが、琢真の外見は普通だ。ストーカーと直結するのは難しいと思う。

 だが、その人物もいつも周辺に居たというのであれば話は別だ。それならば断定も可能だろう。

 ただ常に周辺に居たということは、つまりそれはその人物も莉理の事を尾行していたという事に他ならない。尾行していたというのには何か理由があるに違いなく、何なのかは分からないが善行ではない事だけは間違いないだろう。

 そして、その人物にとっての邪魔者(琢真)は既に排している。後は『何か』を実行に移すだけだ。

 もしもこの推測が正しければ、あの老婆が言っていたような命の危険とまでは言わないが、莉理の身が少なからず危うい状態だと言わざるを得ない。

 その為に、修司は貼り紙を貼った人物の特定を最重要視しているのだった。


 修司は一刻も早く人物を特定する為に、まずは少しでも情報を集める事が必要だと考えていた。特に貼り紙の入手はかなり重要だった。

 ただ貼られていた現物は全て教師に回収されているとの事である。

 ちなみに当初教師達は、それが職員室にしか貼られていないと考えた所為で若干回収が遅れたらしい。

 その為、琢真のクラスと2-Fの物を回収した時には、琢真の事は既に生徒の周知の事となってしまっていたそうだ。琢真のクラスメイト達が吹聴するとは思えないので、恐らく2-Fから噂が漏れたのだろう。


(さて、どうするか……)

 修司がふと横を見ると、愛はようやく鬱憤発散が終ったのか、叫ぶのを止めて一心不乱に購買で買ってきたらしいパンにかぶりついていた。

 とりあえずそれらを全て食し終わるのを待つ。その後、特に愛から期待する答えが返ってくるとは修司も期待していなかったが、念のために貼り紙の事を尋ねてみることにした。

「ああ、あれ? 当然あんなものその場で全部破ってやったわよ!!」

 期待はしていなかったが、相変わらず修司の予想の斜め上を行く女だった。

「それでそれはどうしたんだ? 教室のゴミ箱か?」

 だとしたら都合がいい、そうならば可能性は低いが回収されていない可能性がある。ゴミ箱を漁るのは嫌なので何とかこの女に回収させようと、修司はその為の案を練り始めていた。

 が、流石に予想を超える女は違っていた。


「何でそんな事気にすんのよ? ……あれは……えーーと、あ、そうだ!」

 そう言って、愛は自分のスカートのポケットからビリビリに破かれ強引に丸められた張り紙を取り出した。

「……グッジョブ」

 恐らく愛によって、クラスの皆の目の前で散々に破かれたので、先入観から既に捨てられたものと教師に伝えられマークから外れていたのだろう。

 この時ばかりは、修司は愛の短慮に最大級の賛辞を送った。



   3


「それって、マズイんじゃないの!!?」

 それから修司が最初に行った事は、急ぎ自分の教室の机に戻り鞄からテープを持って来る事だった。

 その後ベンチの隅に破れた紙片群を乗せ、パズルの要領で紙片を組み合わせる作業の傍ら、修司は愛に先程まで自分が考えていた事を話しておいた。

 愛は最初は考えすぎ、と信じていないようだった。しかし、ふと思い立ち老婆の話を合わせて伝えたところ、愛は割とすんなりと事態の深刻さを信じた。

 琢真は何を考えてか、愛に『予知』の一部を歪曲して伝えていたが、今の危機感を認識して貰うべく老婆の話の真実を伝えたからだ。

 すると脳内で『藍田が死ぬ』=『ストーカーの存在』という具合に結びつけが行われたのか、既に愛は貼り紙を貼った人物が犯罪者だと信じ込んでいるようだ。

 その事も有ってか、愛自身あの老婆の事は怪しんでいた筈だったが、その『予知』については信じる事にしたらしい。

 その思考は全く修司には理解できない。

 修司は『予知』などは有りえないと思っている。だが、こういう場合に用いる事の有効性についてだけは再考の余地がありそうだった。

 ともかく、その事が愛の叫びに繋がっていた。


「その通り、事態は中々に深刻だ。もちろんまだ推測の段階だが、真実と考えて行動するようにした方が良い。何かあってからでは取り返しがつかないからな」

 今はまだハッキリとした像は見えていない。ただ、愛も貼り紙を貼った人物の特定を大事と考えたようで、修司の言葉に頷くと今後どう自分達が動くべきかを尋ねてくる。

「まず藍田に関しては、俺達で家まで送り迎えして護衛する事にしよう。老婆の話ではないが、狙われるとしたら人気のない通学路の路上だろう」

 修司は自分の考える最善案を伝えたつもりだったが、愛は激しく非難してくる。

「そんな悠長な事してる場合!? 命の危険があるかもしれないのよ!? 池山とか小母さんに伝えて送り迎えした方が良いんじゃないの!?」

 確かに短い期間での事を考えるのであればそれでも良い。しかし、残念ながら根本的解決にはならない。

 もし、教師や保護者に護衛されて送り迎えされた場合、当然その間は貼り紙を貼った人物……『犯人』と呼称するが、その『犯人』には手が出せないだろう。

 そのまま諦めてくれればいいのだが、もしそれでも諦めずに警戒が緩むのを虎視眈々と待ち続けられていたら、それはとてもじゃないが『犯人』がやろうとしている事を防ぐのは難しい。教師や保護者だろうとも、これから卒業までずっと登下校付き従うなんて事は出来ないだろうからだ。

 根本的解決をするには、『犯人』を特定して捕まえなくてはいけない。

 ならばどうするか。

 それは誰にも伝えず自分達で莉理を護衛し、『犯人』の事をある程度絞れた段階で、ワザと護衛に隙を見せ、あえて彼女を襲わせた所を押さえるのだ。もちろん莉理に何かされる前に自分達で防ぐと言うのは当たり前の話である。

 保護者達に付き添われては、そのタイミングを計れないので駄目なのだ。


 それを行うのは少しでも早いほうが良い。

 ようやく琢真という障害を除外した『犯人』が、新たな妨害者の登場に焦りを覚えない筈がない。その焦りが続いている間に隙を見せてやることでより襲わせやすくなるのだ。あまり時間をかけると『犯人』がかえって落ち着いてしまう可能性がある。そうなればもう『犯人』押さえるのも、護衛するのも困難になってしまう。

 ずっと彼女に張り付いていられないのは、修司達も同じだからだ。

 当然、『犯人』の事を調べて特定できる可能性もある。ただ、この問題についてはそれが出来なかった時の事を考えて動くべきだと修司は考えていた。

 これらの事を愛の発言への反論として述べたが、猛反発された。莉理を囮にするような真似は認められないというのが理由だった。

 そういう反応を愛がしてくるのは分かっていたので、修司は説得できる話も当然考えていた。その話をすれば、愛は渋々だろうがこの案に乗ってくるだろう。


 果たして愛は――――やはり乗ってきた。

 見れば苦渋に満ちた表情だった。しかし、その後も自分の決断を取り消したりはしなかった。

「はぁ……その話は分かったけど、ただ私達が護衛するにしても莉理には何て説明しよう?」

「琢真には悪いが、ここは琢真の事を理由にするのが良いだろう」

「……どういうこと?」

 別に大した話ではない。

 琢真が今回のこの処遇を恨みに思って莉理を襲ってくるかもしれないが、自分達が一緒なら琢真も無理な事はしないだろうと言うものだ。琢真については護衛を続けている間に何とか気持ちを落ち着かせるから、という話も合わせて行う。

 莉理は修司達が友人関係にあるのは良く知っている。仮に話は信じなくても護衛については認めてくれる筈だった。友人を心配する気持ちを無下にしたりする様な人間ではないからだ。莉理の優しさにつけ込んでいると言うのは否めないが。

「……まあ、仕方ないわね。琢真はちょっと可哀相だけど、莉理を護る為なんだからアイツも納得するわよ」

 愛は苦笑いしながらその案を肯定する。

 それに頷き返しながら、修司は次の対策を話す。


「藍田の事に関しては以上だが、それ以上に大切なのは、先も言ったがその人物……『犯人』を特定する事だ」

「そうね」

「だから先ずは情報収集だ。お前は今日これからどんな些細な事でも良いから『犯人』に繋がるような情報を探れ。特に藍田本人に確認するのは忘れるなよ?」

「ちょっ、ちょっと待ちなさいよ! 何でアタシがそんなめんどい事を……それにアンタは何するのよ!?」

「俺は俺で色々調べる事がある……この紙片も修復しなくてはいけないしな。ん? まさかお前が修復してくれるのか?」

 そう言って、修司はまだ一枚しか形になっていない紙片に顎を向ける。

 愛は手加減というものを知らないのか、それぞれがかなり小さくなるまで破られていた為、全てを修復するのはまだ当分時間が掛かりそうだった。

 それほど怒りが深かったという事なのかもしれない。

「…………はぁ、分かったわよ。やれば良いんでしょ! やれば!」

 投げやりに情報収集する事を認める愛だったが、修復作業も面倒だと思ったからに違いない。

 自分でやっておいて勝手な奴だと修司は思った。

「とりあえずは今日はそれで行動してくれ。後、放課後になる前に藍田に護衛の事を話しておけよ」

「っるさいわね!! 分かってるわよ!!」

 やるべき事が定まったからか、愛は徐々に元の調子を取り戻しているようだ。

 その愛は勢いよくベンチから立ち上がると、そのまま肩を怒らせながら屋上から出て行った。それを背中で見送ると、修司はチャイムが鳴るまでずっと修復作業を続けたのだった。



   4


 放課後、修復の終った貼り紙を鞄に仕舞い込んで、修司は東校舎玄関にて愛と莉理が出てくるのを待っていた。

 午後の休み時間中に確認したところ、愛は既に了解は得ていると言うことだったので、修司はこれから莉理の家まで付き添う事となる。

 『犯人』に対しての準備はまだ出来ていないので隙を見せてはならず、しっかりと護衛する必要があった。

 だが、余程の馬鹿でなければ莉理の警戒が最も強い筈の今日。何かしてくるとは修司には思えなかったので、必要以上には構えてはいないのも事実だった。


 待っている間、これから彼女を送り届けた後に一度三人で集まる必要がある、という事を修司は思い出す。不安に思っているだろう護衛の事と合わせて伝えようと、修司は琢真の携帯に電話した。

 八コールを数えたところで、ようやく繋がる。

「俺だ。今日この後の事なんだが………」

 少し様子がおかしい気がしたものの、まあいくら琢真だとてあんな事があった後ではそれも仕方ない事だろうと修司は思い直す。それには触れず、いつもと同じ調子で莉理を自分達で送っていく事を伝える。

 この事が目下琢真の中で最も気になる問題だろう。恐らくこれで少しは不安材料が消える筈だと修司は考えていた。

 だが――――


「……何だと? 今なんて言った? おいっ琢真!? 琢真!!」

 電話口から返ってきたのは、安堵の声でも歓喜の声でもなく。

 『後はお前に任せる』と言う、投げやりな返答とそれに続く電子音だけだった。


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