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昼休みの屋上は閑散としている。
と言うのも当たり前の話で、このクソ暑い中直射日光を浴びてまで外で昼食を摂ろうとする気概のある者などいないからだ。
残念ながら自分はそんな気概のある人間ではない。自分は誰よりも快適さを好む性質である。ビバクーラー。ビバ日陰である。
ではどうして、自分が毎日屋上で食事をしているかと言うと、単にそこが人の居ない場所だったからだ。別に人間嫌いなニヒリストでもなければ、孤独を愛するスナフキンを気取っている訳でもない。
単に静かに読書がしたいだけだ。
図書室で読めばいいのにと、屋上に居る理由を話した人には必ず言われる台詞だが、それは出来ない。
図書室に見るのも嫌なほど嫌いな人間がいるから――――なんて理由ではなく、自分は周囲に人が居るとどうしても読書が出来ない性質というだけの話だ。
ただ中には例外もいて、家族や、そして琢真の前では別段平気だった。
だが、それは昨日までの話だ。
今自分が屋上に居るのは、雑念に煩わされず一人になりたかったからだった。そして、今日だけは人間嫌いの看板を首に下げて歩いていた。
今、二年の生徒達の間で、今朝の琢真の話が噂として猛威を振るっている。
どこを歩いていてもその話題で持ちきりで、内容自体も誰の手によるものかかなり脚色されており、チラリと聞いただけだったが、正直聞くに耐えなかった。
当然琢真を弁護する声など皆無だ。
しかし、事情を知る自分からすると、そんな噂も噂に踊らされる連中も鬱陶しくて仕方がなかった。
しかも琢真の友人であると言う事を同学年ではかなりの人間が知っているのか、皆自分が傍を通ると気まずそうにコソコソと離れているのも余計に癪に障った。
と、言う様な事を内心考えながら、修司は一人屋上に佇んでいる。
パンを頬張る手もどこか荒々しい。
無責任な噂を流す輩も、それを伝達する者も、等しく修司の癇に障っていた。
ただそんな空気の中でも、気軽に修司に近づいてくる人間もいた。
その中の一人が――――
今屋上のドアを蹴り開けて、こちらに向かってズンズン歩いてきた女である。表情を見るまでもなく怒っているのが分かる。足を踏みしめるたびに埃が舞い上がっている。
その女は修司の目の前まで来ると、屋上内に唯一存在するベンチ(修司が手配した)に座っていた修司を力づくで押しのけて、代わりにドカッと腰を下ろした。
「何をする!」とはとても言えない雰囲気だったので、仕方なく修司は何も言わずに譲った。こんなのでも琢真の事に関して、今この学校で唯一気兼ねなしに相談できる相手だからだ。
本当に遺憾だったが仕方ない。無い者ねだりは出来ないのだ。
「ホンっっっっっっっっっっっっっっっっっっと!! 腹立つっっっ!!」
その女――――愛が屋上に来て最初に発した言葉がその怒声だった。
愛も修司と同じ様な状況に囲まれているのだろう。ましてや、愛は琢真と同じクラスである。心労もかなりのものの筈だ。恐らく、琢真とクラスメイト達との板挟みの様な事になっているのではないだろうか、と修司は推察する。
あの時生活指導室で、修司達が琢真とは無関係だという話はあの教師達には通じた。だが、同じ効果を生徒達に期待するのは無理というものだった。
こういう時は、学内の中で有名人の修司や愛は非常に都合が悪い。
生徒達は修司達三人が、どれほどの仲なのかを傍目からだが知っているからだ。露骨に態度に表したり非難してくるものはいなかったが、内心どう思っているかは知れない。
愛はただひたすら『腹立つ』という単語を繰り返すだけで、何に対して腹が立っているのかは言っていない。何となく想像はついたが、それをわざわざ確かめるほど修司は空気の読めない男ではなかった。
なので、ベンチの隣の屋上のフェンスにもたれ掛って、愛の鬱憤の発散が治まるのを待ちながら、修司は午前の授業中ずっと考えていた事柄について、再び思考の海に潜る事にした。
2
今朝の事で最初に修司が気になったのは、琢真の姿が写されていた貼り紙の事だった。
聞くところによると、あの貼り紙は職員室の殆どの窓、琢真達の教室の黒板、そして2-Fの教室の黒板、の三箇所に貼られていたそうだ。
真っ先に思い浮かぶ疑問は、『誰がそれを貼ったか』である。
まず、学校関係者と外部の人間の場合を考えてみる。単純に考えると学校関係者と言うのが妥当だが、外部の場合と考えても別におかしいという事はない。
だがここは可能性の問題で、より無理のない学校関係者の犯行という事で考える事にする。
学校関係者と一概に言っても、細かく分ければいくつに分類分出来る。
教師、一年生、二年生、三年生、事務員、購買食堂関係者。
消去法で考えていくが――――
事務員、購買食堂関係者は除外していいだろう。
琢真と多少でも関係が有るのはその中では購買の女性だけだが、関係と言っても毎日昼食を買っているというだけだ。そんな生徒は修司を含めて大勢いる。そんな薄い関係性まで気にしていたのでは推測は建てられない。
次は教師が消える。
琢真のことが嫌いな教師が琢真を追い出すためにやったとも考えられるが、そうするといくつか問題のある行動があるのに気付く。
職員室に貼り紙を貼るまでなら分かるが、生徒の教室に貼ったのはデメリットの方が大きい。生徒達の口から親達に広がりPTAやマスコミに伝わる可能性があるからだ。それを考えると、教師達にとってこの行動は都合が悪く、教師の仕業だとは考えにくい。それにそもそも、教師の場合は身元を隠す必要性はあまり無い。
次は一年生、三年生が消える。
もちろんあくまで消去法で考えた場合の話で、事情によっては再浮上する可能性もある。
だが琢真は中学高校と部活には入っていない為、下級生上級生の付き合いも殆ど無い。なので関係は薄く、どうしても案としては弱いように修司は感じる。
残ったのは、二年生……つまり同級生になるが、まあそれが妥当だろう。
では二年生だとして、男か女か、単独での行動かそれとも複数での行動か、という疑問が浮かぶ。が、これらは判断材料が少なく正直修司にはまだ分からない。
次に考える事は、琢真の行いを知ったその貼り紙を張った人物は『何故それを貼ったのか』、という事だ。
一、莉理の事を助けたかったから。
二、琢真の事が嫌いで貶めたかったから。
三、単に愉快犯的理由から。
四、それら以外
これらが理由に挙げられる。
『一』は、一番有りそうではある。
注意をしたいが表立っては嫌、または怖いと考え、ただ何とか止めさせようと貼り紙という手段を取ったと推測でき、女生徒や気の弱い男子等が候補に挙げられる。何れにせよ、琢真とはあまり親しくない人間だろう。
友人という贔屓目があるかもしれないが、琢真は決して乱暴でも狭量な人間でもないと修司は思っている。顔立ちが整っているとは言い難い。ただ、それでも決して初対面の人に恐怖感を与えるような人相をしている訳でもない。明るく強い目が特徴といえば特徴でどこか人懐っこさを感じる顔立ちである。
体格も普通の男子高校生をしており、威圧感を与えるほどのガタイの持ち主という事も無い。
そんな感じで、琢真は知り合いが注意するのを躊躇うような要素は持っていないため、知り合いならばまず琢真に口頭で止めさせようとする筈だ。
ただこの案の場合、ある疑問も浮かんでしまう。
何故『2-F』に張り紙を貼ったか、という事だ。
琢真の事を問題にしたいだけなのであれば、職員室と、一歩譲って琢真の教室だけでいい筈だ。『2-F』に貼る、という行為だけが浮いているように修司は感じる。
特に『2-F』を狙ったと言う訳ではないのかもしれないが。まあどちらにせよ職員室と琢真のクラス以外に貼る意味は少ない。
『二、』はどうだろうか。
琢真はあまり敵を作るタイプではないと修司は思っていた。しかし、このような事態になっている以上誰かしらの恨み、妬み、といった悪感情を抱かれていたという事だ。
ただ、琢真は馬鹿ばっかりやってるが(この場合誰が企画担当かは関係ない)人に迷惑を掛ける様な事はしてこなかった。
一応仲間以外の人の手を借りた事はあるものの、その場合はその人物を悪巧みに取り込んで皆で楽しくやっていたから、少なくともその事で勝手に恨まれていると言う事はないだろう。
男同士の付き合いに関しては琢真は非常に優秀だ。好かれこそすれ、嫌われていると言う事は殆どないと考えていい。
もし、それでも嫌われている可能性が考えられるとすれば女関係だが……琢真は確かにクラスの女生徒達とは仲が良い。だが、それはあのクラス全体が仲が良いのであって、琢真一人が特別と言う訳ではない。
そんな周囲の目に留まるほど親しく接している女生徒などは……………………一人居た。
修司がちらりと隣を見ると、その人物はまだ鬱憤発散作業に勤しんでいる様だった。
確かに愛との関係を妬まれている可能性は高い。愛は学校でも一・二を争う程の男人気を誇っているからだ。
ただ、その容姿の良さだけは流石に修司も認めているが、性格は破綻しているので人気の程は理解出来なかった。
後考えられるのは、莉理の事を想っている男が居たとして、その男が偶然琢真が付けているのを知って、その行動が許せないと憎まれた場である。
有りえない話ではない。有りえない話ではないが、可能性としては『愛案』より低いと言わざるを得ない。
琢真は『恩が有る』らしいから例外とする。ごく客観的に見た場合、莉理は男にそんな行動を執らせる程の容姿の持ち主と言う訳ではない。性格が良いのは修司も認めているが、それ以外は成績の良い優等生というイメージしかない。
修司の知っている限りでは、琢真以外で莉理の事を『可愛い』と表現している男は一人もいなかった。
『恩』云々の話を聞くまでは、琢真がどうして彼女の事をそこまで想っているのかは、修司ですらずっと謎だった程だ。
なので余程のことが莉理との間にあったと考えられる。
とまあこれらの点から、この可能性は低いと言えるだろう。
それはさておき。
琢真に対する恨みから三箇所に貼って回ったという事だとすると、何故三箇所なんだ? という疑問は残る。
恨みを持っているのであれば、それこそ二年とは言わず全教室に貼るか、または全校生徒の目が入る校内掲示板にでも貼っておけばもっと人の目に触れ、噂の流布に繋がった筈だ。
『三』は無いとは思うが、今のご時世学生でもどんな暗い本性を持っているか分からないので、完全に棄却は出来ない。
この案は特に恨みなどは無く、偶々莉理を付けている琢真を知り、面白がって晒そうとしただけというものなのだが、これもやはり何故三箇所だけなのかという疑問は浮かぶ。
『四』という可能性もある。
だが、それを考えるのはまだ情報が足りない。