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リミット  作者: 過酸化水素水
4章 末路
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(3)

 

   4


 学校の正門から外に出る。

 東門は開いていたが校庭で体育の授業を行っているクラスがあった為、そちらを通るのは心理的に避けたかったのだ。

 東門側と比べて正門付近は静かなものだった。今は授業中なので当然であるものの、少しそれが新鮮に感じられた。

 それからは琢真は特に何も考えず、ゆっくりと家に向かった。

 処遇はどうなるのかとか。クラスの皆にはもう嫌われてしまったのかとか。このまま帰って母親には何て言おうとか。考える材料は沢山あった筈だった。

 しかし、不思議と何にも頭に浮かばなかったのだ。放心している、という言葉が最も近いだろう。

 ――――だから。

 琢真が莉理の事を護ると誓った公園を、再び訪れていたのも特に何か思っての事ではない。筈だった。


 まだ朝だからだろうか? 公園に人影は無かった。

 琢真は公園を横断し、薄汚れたベンチに腰掛ける。そのまま公園をじっと眺めていた。

 どれくらいの時間そうしていただろうか。琢真には数分の様にも思えたし、数時間の様な気もしていた。

 ザッ、と何者かが琢真の前で足を止めた音がした。その音に、放っていた意識を取り戻し、琢真はゆっくりと顔を上げる。

 そこには、小さな体躯に薄汚れた格好をした白髪の老婆が険しい顔で立っていた。

 ドクン――――と、琢真の心臓が一度だけ大きく跳ねた。


 それを皮切りに、一気に鼓動が荒々しさを増してくる。心臓が一度収縮して血液が循環させられる毎に、様々な感情が一緒くたに吐き出され始めた。

 ここまで意識的に考えてこなかったことが、次々と琢真の脳裏に浮かび出す。

 それは次第に脳を埋め尽くし、必死に振り払おうとするが無駄だった。夜の闇の到来を防ぐ術が無いように、どんなに足掻いたところで実体の無いソレは、琢真のちっぽけな心ではどうすることも出来なかったのだ。

 そして、脳を支配下に収めたその思考は、琢真の体内から無理やりに外に出ようとする。一色に染められた琢真には、もうそれを防ごうとする意識は無かった。

 それは、琢真の口から吐き出されるようにして湧いて出る。

「なあ婆さん……何でこんな事になったのか……分かるか?」


「……何がじゃ?」

 老婆は怪訝そうな目で琢真を見つめる。

 分からないのも当然だろう。老婆には琢真の身に起こっていることなど、知りようがない。ただ、その事が余計に琢真の感情を逆撫でする。

「分からないか……ははっ、そうか……。だけど俺もそうなんだよ」

「…………」

「なあ、婆さん。教えてくれよ……アンタの言ってた予知って本当は……嘘なんだろ?」

 老婆は何も答えない。黙したまま、琢真を見つめるだけだった。

「なぁ……なぁ!? 答えてくれよ。デタラメなんだろ? 婆さんの話の後で藍田さんに色々あったのも偶然で、俺に話をしたのだってただ金を儲けるためのいつもの手口だったんだろ? 不安に思った俺が占いに手を出そうとするように」

「………」

「藍田さんが死ぬってのも嘘なんだろ!? そうだよな! 予知って何だ? 意味分かんねえ!! そんなものが有るわけねえじゃねえか!!」

 一度話し始めたら、もうそれは堰を切ったように奔流となり、もう抑える事など出来なかった。いや、琢真に抑えるつもりもなかった。

 ただひたすらに、胸に積もった不満、不安、後悔、怒り、そういった感情を老婆にぶつけ続けていた。

「俺が護衛し始めてから、藍田さんは一度もそんな危ない目に合った事なんてねえんだ! 最初のは偶然が続いただけだったんだよ!! そうだ意味ねえんだよ、護衛なんて!!」

「………」

「なのに、何だこれは!? 何だよこの状況!! デタラメに踊らされて藍田さんに嫌われるわ、クラスの奴らに嫌われるわ、挙句謹慎だって!? 分からねえ! 意味分かんねえよ!!」

 琢真にも分かっていた。老婆に責はない事は。これが単なる八つ当たりであることも。分かってはいた。分かってはいたが、どうしても感情を抑えることはできなかった。

 それは、分からなかったからだ。


 善意からなる行動の結果に対して、どうして自分がこんな事になっているのか。どうして胸が張り裂けそうに痛んでいるのか。分からなかった。何故莉理が悲しそうな顔をする羽目になったのか。どうしてそうなったのか分からなかった。

 分からなかったので、更に感情の吐露は続く。

 だがそんな狂ったような激しい罵倒の中、老婆は一言も口を開かなかった。弁解も、謝罪も、慰めも、反論も、何一つしようとはしなかった。

 ただ感情の見えない瞳で、琢真を見つめ続けていた。

「なあ、どうなんだよ? これで満足か? 婆さん……なあ、おい」

「…………」

「なあ。何とか答えろよ。黙ってないで答えてみろよ!!」

 二人以外は誰もいない公園で、琢真の怒鳴り声と荒い呼吸音だけが存在感を主張している。

 老婆は息をしていないのではないかと思うほどに、微動だにしていなかった。

 そのまま僅かばかりの時間が過ぎ――――

 ずっと琢真を見つめていたその瞳が、僅かに揺らめいたかと思うと、老婆は静かに告げた。


「あれからまた視えた……。あの娘は、今週中に路上で……その体を何かの金属に貫かれて……死ぬ」


 その言葉に……琢真は完全に頭に血が上ってしまった。 

「ふざけんな!! まだ言ってるのか!? それはもういいって言ってん……」

 溢れる怒りをそのまま垂れ流すように吐き出そうとするが、琢真は最後まで言い切ることはできなかった。

 老婆が苦悶の表情を浮かべて苦しみ始めたからだ。

 だが、その場に倒れるように座り込み、顔中真っ青になり脂汗を浮かべて荒い息をしながら苦しそうに呻く老婆を見ても、琢真はそれでも、都合が悪くなったから演技しているんじゃないのか? と疑いの目を向けていた。

 冷静になれば、本当か演技かは直ぐに見抜ける筈なのに。

 だから琢真は、それを暴く意味で「直ぐに救急車を呼ぼう」と冷めた目で提案する。琢真の予想通りなら老婆は必ずこの提案を断る筈だった。演技なのに病院に連れて行かれるのだ、どんな人間も焦るだろう。

 なので老婆が提案を断ってきた時には、琢真はやはりか、という疑いを強くする以外なかった。

「よ……よ、呼ばんで……ええ……」

 この短い言葉を発するだけでも、老婆はかなり辛そうである。

 まあ、そう見えるように演技しているので当たり前だろう。

「こ……この発作は………直ぐに……治まる……」

 言葉とは裏腹に、一向に苦しさが緩和していっている様には見えない。ますます汗が滲み出ている。

 流石に手馴れている。

「そうか」

 老婆が苦しみの中搾り出した言葉に対して、琢真が返したのはそれだけだった。既に、琢真の中では演技であるということは確定に近い。


 ――――だがそれでも、この後に続いた言葉には、僅かに心が乱された。


「……そんなことより」

 そんな流れるほどの脂汗を滲ませながらも、自分の苦しみには一向に構おうとせず、老婆はただただ、ある事を必死に琢真に頼み込んでくる。

「あ、あの娘の事を頼む……今週を乗り切れば……大丈夫な、筈じゃから」

 この期に及んでもまだ、そのような言葉を吐いていた。

 その言葉は昨日までの……いや、ついさっきまでの琢真が言っていた台詞だった。以前は自分が老婆に助力を願っていた。しかし、今は逆に老婆が自分に頼み込んでいる。何とも滑稽な話だった。

 傍からはどう見えているだろう。苦痛で地面に座り込み呻く老婆の脇に、それを助けようともせず突っ立っている男。

 老婆が男に、土下座しているようにも見える筈だ。

 そんな体勢で、まるで『頼む』という単語しか知らない人のように、繰り返し繰り返し力ない声で呟いている。

(何なんだ、これは?)

 琢真は全く訳が分からなくなった。


 この状況も分からなかったし、この前は傍観者を振舞っていた老婆が何故そんなにも莉理の事を自分に頼み込んで来るのかも分からなかった。

 自分が何でこんな所にただ突っ立っているだけのかも分からなかったし、何故自分が老婆にそんな事を必死に頼まれる側になっているのかも分らなかった。

 老婆の『予知』が嘘なのかどうかも分らなかったし、老婆の行動が全て芝居だったという、ほんの少し前まで確信していた筈の事が、もうどうなのか分らなかった。

 少なくとも昨日までは分っていた筈の事が分らない。

 何が本当で、何が嘘か。何をしなくてはいけなくて、何を止めるべきか。

 分らない。分らない。分らない。

 そして何より――――何故老婆の姿にこんなにも心が痛むのかが分らなかった。


 そのまま暫くして、発作が治まった老婆が静かに立ち上がった。

「……年甲斐もなく、取り乱してしまったの…………すまんかった」

 そう言って琢真に詫びた。俯いているため琢真からは表情が見えなかったが、自分の行動を恥じている様にも、悲しんでいる様にも聞こえる声だった。

 再びゆっくりと顔を上げた時には、老婆は元の強い光を瞳に宿していた。

「じゃが――――あの娘の事だけは……本当に頼む。残念ながらワシだけでは、どうすることも出来んのじゃ……どうしても、お前さんの助けが必要じゃ……」

 その瞳で琢真に助力を願い、頭を下げた。

 琢真には分からなかった。自分の力がどう役に立つのか、どう力になればいいのか。

 もう自分は莉理の傍にいることは出来ないのだ。近寄る事も、隠れて護衛する事も無理だ。今度見つかれば謹慎どころでは済まないだろうからだ。

 何より彼女に深い傷を付けてしまう。それだけは決してしてはいけなかった。

 そんな自分に一体何が出来るというのか。分からなかった。

 だから琢真は――――


 老婆には何も答えず、そのまま公園から逃げるように走り去ったのだった。

 もし途中で振り返っていたら、逃げ去る琢真の姿を、本当に悲しそうな目で見つめている老婆の姿を捉える事ができた筈だったが、一心不乱に逃げ去っていた琢真がそれを見る事はなかった。


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