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リミット  作者: 過酸化水素水
4章 末路
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   3


「黙ってないで、質問に答えんか!!」

 あの後、琢真は生活指導室まで連行された。

 中に入るとそこには池山と同じく生活指導員の広沢。学年主任の野村が既に居た。どちらも現れた琢真に犯罪者を見るような目を向けていた。

 どうやら教室で見せられたあのA4用紙は、職員室にも同様のものが貼り付けられていたらしい。同じものが琢真の目の前に広げられている。

 写っている生徒が誰であるかは池山の言で発覚し、たちまち教職員の間で問題となったが、とりあえずは公にはしないでまず琢真を尋問しようと言うことになったそうだ。

 男子生徒が女子生徒をストーカーしていたと言うのでも問題なのに加え、しかも同じクラスである。事によっては学校の責任問題となりかねない。

 と言う様な事を、琢真はやたら声が大きく煩い広沢と、嫌みったらしくネチネチと詰問してくる野村の口から聞かされた。


 そして今、彼等が焦点にしているのは、何故琢真がそんなことをしていたかという事だった。

 しかし、クラスメイト達に答えなかったものをこんな奴らに答える筈も無く、琢真はずっと押し黙っていた。

 元々、彼等はいつも問題を起こしている琢真のことは毛嫌いしていて、事ある毎に難癖を付けてきていた。彼等に言わせると、学校で起こる問題の七割は琢真の所為らしい。今まで何度琢真は濡れ衣を着せられたか分らない。だが真相が分かり琢真が犯人でない事が明らかになっても、彼等が琢真に謝罪したことは、ただの一度もなかった。

 当然、琢真もそんな彼等に良い感情を持っている筈も無く、そうした反感感情も伝わっているようで、お互いに嫌い合っているのを知っていた。

 だからこそ、今回の事は琢真を処分できる格好の材料だとでも思っているのか、二人は時折いやらしい笑みを浮かべながら、琢真を詰問しているのだった。


 ただこの中で一人だけ、琢真を庇ってくれている存在が池山である。

 度を越した罵倒をしてくる二人を諌めながら、琢真を何とか庇おうとしてくれている。いつもは口煩く、指導という名の暴力を辞さない池山だったが、それでも生徒に嫌われていないという事実が明かすように、今はただ真摯に琢真の擁護を続けていた。

 何か理由がある筈だ――――と。

 琢真はそんな池山だけには申し訳ない気持ちを抱いていた。しかし、こればかりはどうしても教える事は出来なかった。

「いい加減何か話せ!! ……ちっ、このままじゃ埒が明きませんな」

「やましい事が有ると言う事なのでしょう。まあ何れにせよ停学は免れないでしょうね。いや、事によっては退学かもしれませんな」

 処分を口に出しさえすれば、動揺して口を開くとでも思っているのだろうか。

 正直、琢真はそんなことはもうどうでも良かった。


 先程からずっと、脳裏を莉理の悲しげな顔が埋め尽くしていたからだ。彼女を悲しませてしまった。その事だけが、琢真の胸を激しく執拗に締め上げていた。

 そんな感情に埋め尽くされていた琢真を、必死に弁護する池山の声が聞こえる。

「いや、待って下さい! それはあまりにも処置が重過ぎる! こいつはこういう事をする奴じゃないんです! 何かきっと理由がある筈ですよ!」

「担任だからコイツを庇いたいと言うのは分かりますが、じゃあこいつは何故その理由を言わんのですか? ストーカーしていたと言うのが真実だからでしょう!?」

「だから……。それには何か理由が……」

「池山先生。もう理由は関係ないのです。もし仮に何か理由があったとしても、ここまで騒ぎが大きくなった以上、何らかの処分を下さないのでは他の生徒に示しが付きません」

「そんな……。見せしめのためにコイツを処分すると言うのですか!?」

「池山先生……。そもそも、被害にあった女生徒は先生のところの生徒でしょう? こんな生徒を庇い立てするよりも、そちらへのフォローの方が優先されるべき事なのではないですかな?」

「くっ……いや、それは……」

 琢真を庇い立てする池山だったが、被害者……つまり莉理の事を考えろという発言には二の句が継げないようだった。

 ただ、その意見には琢真も賛成していた。池山には自分の事なんかよりも、莉理のことを重要視して欲しかった。今は傷ついたであろう彼女の心を癒す事が、何より優先すべき事なのだから。


「……これ以上尋問しても意味が無さそうですし、あの写真を見たままが事実だったと言うことで職員会議に回しますか」

「そうですな、仕方ないでしょう」

 仕方ないと言いながらも、広沢の顔には笑みが浮かんでいた。野村も同様の表情である。琢真を処分できる事になりそうなのが嬉しいのだろう。

「待ってください! まだそうと決まったわけじゃないでしょう? ちゃんとコイツから話を聞きだして……」

「はぁ……。池山先生。何度も同じことを言わせないで下さい。それにこれは学年主任の私と生活指導員の広沢先生の両方の一致した見解です。いくら先生お一人が何と言おうと、それが変わることなどありませんよ」

「それにソイツは何にも喋らんじゃないですか! 心苦しいですが処置も止むを得ないですな」

 縋る様に他の二人に再考を促す池山だったが、コイツらそれを認める筈が無いだろう。

 池山もそれが分かったのか、矛先を琢真に代え必死に訴えかける。

「なあ、芳垣。頼む。頼むから何か言ってくれ! このままじゃ大変な事になってしまうかもしれないんだぞ?」

 池山は琢真の両肩をガッシリ掴み、目線を同じ高さに合わせて語りかけるように話す。

 互いの目が交差する。

「…………」

 琢真は何も言わずに、ただ決して目を逸らそうとはせずに池山見つめていた。そんな琢真をどう感じたのか、池山は僅かに口調を緩めながら言った。

「俺にはどうしても、お前が何も理由無くこんな事をするとは思えないんだ。絶対そこには何か理由がある筈だ」

「池山先生……何を馬鹿なことを言っているんですか」

 呆れたような野村の声が聞こえてくる。それを無視して池山は話を続けた。

「言いたくないのなら良い。ただ……一つだけで良い。これだけは教えてくれ」

 僅かに言葉を切り、

「これは……その写真の行動は、お前の……そう、お前の信念に基づいた行動なのか?」

 と、そのまま琢真の目を瞬きすらせず、池山はジッと見つめる。

 そんな池山に琢真は――――やはり、何も答える事は出来なかった。


「…………芳垣」

 池山の表情に浮かんでいるのは落胆か、はたまた悲しみか。俯いた琢真にはそれを知る術は無かった。

「これで分かったでしょう? さあ、もう行きましょう。事情は私から教頭に伝えてきます。放課後には例の件もありますから、緊急職員会議が開かれる筈です。何かあるのであれば、後はその場で聞きましょう」

「芳垣! お前はこのまま家に帰って自宅謹慎してろ! 大人しく処遇が下されるのを待っているんだな」

 二人はそう告げると生活指導室から出て行こうとする。

 が、その前にまるで壊すような勢いで突然ドアが開かれた。


「琢真っ!!」

 校舎中に響き渡るかと言う程の怒声と共に現れたのは、愛と、口を開いてこそいないが静かな怒りを瞳に宿した修司だった。

 その登場に室内の誰もが驚く。

 そんな面々に向けて、愛が机の上に置かれた紙を指差しながら叫ぶように訴える。

「琢真は無実です!! そんな……写真から判断できるような内容で尾行してたんじゃありません!!」

 その叫びに最も強く反応したのは池山だった。

「お前……理由を何か知ってるのか!?」

 琢真から離れ、藁をもすがる様に愛の肩を掴む。

 愛はその池山にも睨むような目を向けながら、一言だけ答えた。

「知ってます!」

 その台詞に他の二人が嫌らしそうに顔を歪める。

「ほう、じゃあその内容を教えろ」

「彼は何も話そうとしないんですよ。先生達も困っていてね、君が知ってるなら教えて下さい。彼に何か正当な理由があるのならね」

 二人とも、明らかに愛の言葉を信じていない様子が端々から伝わってくる。

「それは……っ!」

 元々、愛もこの二人の事は琢真以上に嫌っている。

 その言葉に激昂しながら答えようとしたが、背後にいた修司に肩を掴まれ寸前の所で口を閉じた。

 修司の目は「その事は言わない方が良い」と語っていた。

「どうしたんです? ……やはり答えられないのですか?」

「そもそも、どうしてお前がそんな事を知っている!? お前もこれに加担してたんじゃないのか!?」

 矛先が愛にも向こうとしていた。だが、愛は悔しそうに二人を睨み返すだけで何も言おうとはしなかった。更に畳み掛けようとしていた二人を、修司の声がやんわりと抑える。


「彼女は芳垣を助けたいあまり、口から出まかせを言ったに過ぎません。先生方もあまりお気になさりませんよう……」

「矢向か」

「矢向君……なるほど、そうでしたか」

 修司は入学以来学年首位を走り続けている事もあり、学校ではその秀才ぶりのためかなりの有名人だった。教師達で修司の事を知らない人間は居ないだろう。しかも表向きは教師に従順する様を見せているので、教師達の受けも非常に良く、特に成績で生徒のことを差別するような輩達には絶大とも言える信頼を受けていた。

 修司は背中で愛を抑えながら、にこやかに応答している。しかし、その心境は如何なものだろうか。

 何故なら、三人の中で最もこのような教師を嫌っているのは修司なのだ。このような機会でもない限り、自分から会話をするようなことは決してない。今も表面上は穏やかに微笑んでいる様に見えるが、その眼鏡の奥の目は全く笑っていなかった。

「ふんっ、紛らわしい事を言って教師を困らせるんじゃない!」

 二人は修司の答えに納得した様で、愛に吐き捨てるような視線を送ると、A4用紙を持ってそのまま生活指導室を出て行った。

 後にはその後姿を見送る微笑を冷笑に変えた修司と、憤り冷めやらぬ愛。その様子を冷静に見ていた池山。そして琢真が残された。


「何アレ!! ホンッと腹立つわ!! ああ~~ムカつく!!」

 二人が居なくなった途端に愛がわめき出す。あまりの怒りに池山の事は視界に入っていないようだった。そのまま聞くに堪えない罵詈雑言を吐き続けている。

「……矢向。お前が今言った事は本当のことか?」

「もちろん、そうですが?」

 いつも大抵の教師の前では猫を被り続けていた愛が、いつもとはまるっきり違う本性を見せているのには全く構わずに、池山は修司に向かって真剣な表情で尋ねる。だが、修司の返答は取り付く島も無かった。

「……そうか」

 修司の不言の意志を感じたのか、それ以上池山は問おうとはしなかった。

「琢真はこのまま謹慎処分を受けるのですか?」

 黙りこんだ池山の代わりに、修司が口を開く。

 その言葉に、騒いでいた愛もハッと我に返り池山をジッと見つめ言葉を待った。

「……恐らくは、そうなるだろう」

 一瞬、池山は言葉を濁そうかどうか逡巡していた様だった。結局、溜息と共に言葉を吐き出すように言った。

「そんな!! 琢真は……っ!」

 愛の弁護の続きは、それまでずっと黙っていた琢真が制した。

「愛……いいんだ」

「でもっ!!」

「こんな事になったんだ、そうなるのは当然だ」

「琢真……」

 神妙に語る琢真を、愛と修司は静かに見つめる。

 二人とも分かってはいるのだろう。理由が言えない以上。いや、正しくは理由を言っても信じて貰えない事が分かっている以上、何を言っても無駄だと。

 だが、それでも納得がいかないのか愛は声を荒げる。

「本当のことを本気で言えば、きっと誰か信じてくれるよ!!」

 愛の希望的意見だったが……それは無理だ。琢真の心の声を修司が引き継ぐ。

「それは無理だ、愛。確かに正直に話せば、話半分でも信じてくれる人間は居るだろう……」

 修司はちらりと静かに話を聞いている池山の姿を見て、続けた。

「だがこんな騒ぎになってしまった時点で、誰か一人二人が信じてくれた所で全く意味が無い。お前もまさか、教師の過半数も信じてくれるとは思ってないだろう?」

「それは……」

「生徒を処罰する際の職員会議では、最終的には多数決がとられている。教師達の過半数の賛同が得られない以上、琢真に処分が決まる事は避けられない。それはもう決定している事だ」

「…………」

「出来ることがあるとすれば教師達の少しでもを説得し、その処分を少しでも軽減する事ぐらいだが……」

 今の状況では難しい。

 当の本人が何も言おうとしないのだ、心証は最悪だろう。それに、もし仮に琢真が理由を言ったとしても同じ事である。

 つまりこれはもう、抜け道の無い袋小路なのだった。


 その修司の言葉に、池山が何かを決心した表情を浮かべた。

「心配するな、それは俺が絶対に何とかする。お前達が真実を話してくれないのは残念だが……」

 そう言って、琢真に強い視線を向ける。

「俺は……俺の信念に基づいて行動する事にする」

 それまでの神妙な池山はなりを潜め、いつもの池山に戻ったように瞳から強い光を発する。

 そして、ドシドシと生活指導室のドアに向かった。

「芳垣。お前はもう今日はこのまま家に帰るんだ。後で、俺が決まった事を連絡する。……いいな、今日は絶対に大人しくしておくんだぞ!! あと、二人ももう教室に戻るんだ」

 出て行く間際にそう言い残し、池山は職員室の方に向かって歩いて行った。それを見送って、琢真は二人に声を掛ける。

「そうだな、お前達はもう教室に戻ってくれ」

 二人は僅かに逡巡する。

「……ああ、分かった」

「…………」

 修司は納得してくれたが、愛はやはり納得がいかない様だった。

 そのまま黙って――――何か閃いたように声を上げる。

「そうだ! 莉理にこの事を説明して分かってもらえばいいんじゃない!? 被害者が納得してるんならあんな紙ッ切れ、言ってみればプリクラと一緒じゃん!!」

「愛……愛! それだけは頼むから止めてくれ」

「どうしてよ!!」

 愛が琢真の拒絶に憤る。

「そんな事をしたら、藍田さんの心に更に負担を与えてしまう。以前だったらまだ良かったかもしれないが……。もう、今となっては遅いんだ」

 そう、もう全てが遅かった。

 悩んだりせず、もっと早くきちんと説明していればこんな事にはならなかったかもしれない。だが、それは琢真の行いの結果だった。自業自得である。

「でも、そうしないとアンタが!!」

「俺の事はいいんだ。それにその事を伝えるとすると、今の状況ではお前にもその場に同席して貰って力を借りる事になる。彼女が信じてくれたのなら良いけど、もし仮に信じてもらえなかった時は……最悪だ。俺がもう彼女を守れないんだ。どうしても、お前の力を借りなくちゃいけない。その肝心のお前が不審がられていては、もうどうしようもないだろ?」

「でも……あの子なら。……信じてくれるかもしれない」

「そう。信じてくれる『かも』だ。そんな定かじゃないことに賭けるのは駄目だ。そんな万が一に備えて、彼女には真実を告げないほうがいいんだ。……それに、そんな事以上に、俺は――――」


(彼女に『死』を連想させたくないんだ)

 琢真としては、その事だけで理由としては十分だった。


「…………」

 琢真の言葉に愛は何か反論したそうだった。しかし、声にはならなかった。

「愛、だからお願いだ。俺の事を考えてくれるのなら、頼むから彼女に伝えるのだけは止してくれ」

「…………」

「愛!」

「……分かった。分かったわよ!」

 ようやく愛は頷いた。納得はしてなく、渋々という感じではあったが。

 それでもこれで勝手に暴発して莉理に真相を告げる、というような事はしないだろう。

「悪いな……」

「…………」

「修司も悪いが、藍田さんの事を頼む」

 琢真は自分の事はもうどうでも良かった。その事だけが気がかりだった。

「ああ、そっちは俺達で何とかしよう」

 あっさりと修司は約束する。

 予知の事は恐らくまだ信じている訳じゃないだろう。だが、こういう本気のお願いを、修司は違えたりはしない。

 これでもう安心だった。修司なら自分よりももっと上手く立ち回ってくれるに違いないからだ。

「すまん」

 琢真は一言だけ礼を言う。一言だけだが、全ての謝意を込めたつもりだった。ならばもう琢真に伝えるべき事はない。

 鞄を手に取ると、二人を残してそのまま生活指導室の外に出る。修司の感情の見えない目と、愛の後姿が琢真を見送る中、琢真は静かにその場を立ち去った。


 そして、生活指導室を出て十歩程度離れた時。ドカン。と、何かを思いっきり蹴りつけたような音が部屋の中から聞えてきた。


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