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リミット  作者: 過酸化水素水
3章 ストーカー
30/61

(14)

 

   20


「あれ? 芳垣君の家ってこっちじゃないよね?」

 莉理がそう切り出してきたのは、彼女の家路の道中にある公園に至った時だった。琢真は何時そう指摘されるかを内心警戒していたものの、やはりイザとなると動悸は抑えられなかった。何て答えるのがベストか言葉に迷う。

 少しの間が空いてしまったが、何かないか周囲を見回して愛の家のマンションが視界に入ってきた事で、言い訳が閃いた。

「あ、愛に呼びつけられてて……」

 と答えた瞬間、自分の失策に気付く。

(しまった、それじゃあここでお別れになっちまう!!)

 予想通り、その言葉に納得した莉理は「それじゃあ、ここまでだね」と別れを告げた。

(まずい! くっ、こうなったら……俺の中の勇気よ、猛れっ!!)


「あ、その……も、もう、遅いから、家までおく、送ってく、よ……」

 (言えた!!)と琢真は内心歓喜する。自分で自分を褒めてあげたかった。

 琢真は顔がかなりの熱を持っていたので、恐らく真っ赤っかになっているだろうことを悟る。なので、夕日の色で隠せている事を期待していた。

 莉理は琢真の言葉に一瞬驚いた顔をした。直ぐに笑って――――首を横に振った。

「ふふっ心配してくれてありがとう。でもまだ周囲はこんなにも明るいから平気だよ」

 その言葉に上を見上げると、まだ当分夜の到来は訪れなさそうな空が広がっていた。

 琢真としては『遅いから家まで送っていく』と言う言葉は、男が女を家に送ろうとする場面の常套句だとばかり思っていたので、その中身を分解されて返答されるとは全く予想していなかった。確かにその通りだと思い何も言えなくなる。

 だが、それで納得するわけにもいかず、必死に理由を考えた。

 そんな琢真の焦りを知らずに、莉理は「じゃあ、また明日学校で」と別れの挨拶を言い、この場を去ろうとしていた。


 天の助け、とはこういう事にも言うのだろうか。

 直後、突然のっそりと現れたどう見ても天の使いには見えない人物によって。どちらかと言えば……いやきっぱりと地獄の使いに見える人物によって、彼女は呼び止められていた。

「え? はい?」

 と振り返った彼女が、想像もしていなかっただろう人物に驚いていた。

 それはそうだろう。

 恐らく面識の無い、こんな形相の鋭い小汚い婆さんにいきなり声を掛けられたのでは。話しかけてきたのは、あの占い師の老婆だった。

 訂正。そう言えば以前一瞬だけ、彼女も顔を合わせた事があった。ただ、あんな僅かな時間では記憶には残っていないだろう。

 推測の通り、彼女の目が若干不安そうに琢真に向いて『誰? 知ってる人?』と尋ねていた。


「あーー。藍田さん。警戒しなくてもいいよ。この婆さんは俺のちょっとした知り合いで、街で占い師をやってる婆さんなんだ」

「……ふんっ、偉そうな口を聞く」

 取り成そうとしていた琢真に、老婆は憎まれ口を叩く。少しイラッときたが、琢真も老婆が突然現れた理由は気になっていたので、気にしない事にした。

「街で、占い師?」

 その言葉が何かの記憶に触れたのか、何かを思い出すように考え込んだ数瞬後。莉理はパンと両手の平を合わせ、不安そうな表情から一転して喜色を浮かべた。

「もしかして、今街で噂になっている占い師の方ですか!?」

 莉理は一オクターブ上がった声で、憧れの人物に出会ったという風で老婆に尋ねていた。やはりそこは女の子なのか、占いに関心があるのだろう。

 琢真は内心、莉理のその反応に驚いていた。彼女が占いを頼みにするタイプの女の子だとは思っていなかったからだ。

「街で噂に……? ふむ。それは良く分らんが、確かにお前さん位の娘が最近よく訪ねて来るのぅ」

 老婆の言葉に、莉理は「やっぱり!」と一段と増した笑顔を浮かべる。 

「私、一度お会いしてみたかったんです!」

 建前ではなく本当に会いたかったのだろう。琢真からするともう、莉理の笑顔は眩しすぎる程だった。

 老婆はそんな莉理の様子に気分を良くしたのか、ゲェハハハッと不気味に笑うと、

「そんなに言うてくれると、ワシも気分がええ、これも何かの縁じゃ占ってやろうか?」

 と、以前の愛の時とはまるっきり逆の対応をした。

「是非お願いします! ……あ、お幾らになりますか?」

 財布をポケットから取り出した莉理に、「本格的な事は出来ないから金はいらん」と、琢真も驚愕するようなことを言って、恐縮する莉理を尻目に彼女の左手を手に取った。

「え? あの……?」

「本来はタロット占いなんじゃが、今は道具をもっておらんでの。じゃから手相占いをしてやろう」

 そのまま、彼女の小さな左手の平を上に向かせたところで――――琢真はそれを止めさせた。

「何じゃ?」

 邪魔されて苛立ったのか、言葉に剣呑さが含まれている。莉理も不思議そうに琢真を見つめる。

 が、それでも琢真は黙ってはいられない。莉理に「ちょっとごめんね」と告げると、老婆を少し離れた場所まで引っ張っていく。


「何じゃ、お主も占って欲しいのか?」

 老婆は怪訝そうな顔でそんな事を言ってくるが、当然違う。

「婆さん一体何しに来たんだ!? 彼女に何を言うつもりだ!? まさか全部話す気じゃないだろうな!?」

 これが最も重要な問題である。彼女を無駄に不安がらせるのは絶対に許容できなかった。

 だが、矢次に畳み掛ける琢真を、老婆は煩そうに「ふんっ」と一蹴する。

「ええから、お主はだぁっとれ!!」

 そう怒鳴りつけると、琢真を無視して再び莉理の下に戻っていった。仕方ないので、琢真も後を追う。

 莉理は事態がよく分かっていないようだった。しかし、老婆が目の前に立つと再びおずおずと左手を差し出した。老婆はそれを皺くちゃの手で受け止め、何も言わずに暫くじっと見つめ続けた。

 胡散臭い老婆だったが、そうしている様子は本当に凄腕の占い師の空気を醸し出していた。琢真は思わず生唾を飲み込んでしまう。見ると莉理もかなり緊張しているようだった。


 やがて、老婆はゆっくりと口を開く。

「中々立派な手相をしておる」

 リップサービスなのだとすれば意外なこと極まりない。

 老婆はそのように前置きしてから、占いの結果を静かに語り始めた。


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