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「失礼しました…………」
琢真は一礼して、生活指導室のドアを閉めた。
池山含む教師達の怒号から解放されたのは、琢真が捕まってから一時間後のことだった。本来ならば説教好きな池山の拘束は、とてもそんな短い時間では終わらない。ただ、目を覚ました教頭が許してくれたのと、今日は教師達の重要な会議があるらしいことから、何とか解放してもらえたのだった。
といっても手放しの解放ではなく、明日までに反省文を提出する事になってしまったのだが……。
時間こそ短かったがその分密度が濃かったため、琢真はげっそりと疲れ果てていた。
「修司め……」
次に修司に相対した時の為にあらゆる罵倒を考えながら、生活指導室から自分の教室に戻る。
放課後で、且つ捕まってから一時間以上過ぎているので、もう誰もいないだろうと思っていた教室には、まだ数名の姿があった。
「トロいわねえ。捕まったのアンタだけでしょ」
教室に入るなり、窓際の机の上に座っていた女生徒が笑いながら琢真を罵ってくる。どうやら、先ほどの騒動を教室から見物していたようだ。
「……修司に騙されたんだ」
「だからトロくさいって言ってんのよ。っていうか学習能力ゼロ? いっつも騙されてるじゃない」
「うるせえな! そんなこと言うために残ってたのかよ」
「心外ね。折角慰めてやろうと思って、残ってあげてたのに」
そう言って、女生徒は自慢のこげ茶色のショートボブを大げさに振りながら、嘆くそぶりを見せる。言葉とは裏腹に顔は笑っているので、間違いなく嘘だ。
この少女。『愛』は黙っていたら文句なしの美少女……ではある。
小さな顔に大きな明るい瞳が印象的で、細身に見えるが主張すべき所は主張し、引っ込むべきところは引っ込んでいる――――つまり、スタイルも良い。
写真を撮って道行く人に尋ねれば、恐らく十人中九人が美少女と認めるに違いない。なお、残りの一名は特殊な嗜好を持つ人間枠だ。
しかし、口の悪さが足を引っ張り、付き合いが長く愛の事を良く知る琢真などは、どうにもその印象を感じにくかった。
「琢真君、どんくさいね」
「必死に逃げ惑う姿が良かったよ」
同じく見物していたと思われるクラスメイトの女子達は、笑いながら琢真を貶してくる。それに憮然とした視線を返しながら、琢真は自分の机に向かい帰り支度を始めた。
「大体、ペットボトルを何個も束ねて作ったペットボトルロケットを背負って、幅跳び世界記録なんて無理があるのよ」
「……修司に言え」
琢真とて望んでやった訳ではなかった。
ただし、いざ作戦が始まると若干ノリノリだった部分があったのは事実である為、あまり強くは言えない。
「無理だって。まあこっちは笑わせてもらったからいいんだけどね」
「本当に琢真君って、期待を裏切らないよね」
「ここからだと、後ろ向きに倒れた時の姿が潰れた蛙みたいに見えたよ」
その様子を思い出したのか、再び女達は笑い出す。
「くっ……」
言い返したかったが反論が思いつかず、琢真が俯いていて言葉を捜していると、頭上から優しい声が聞こえてきた。
「大丈夫? 芳垣君」
その声にハッと顔を上げると、優しそうな女生徒の姿がそこにはあった。
小ぢんまりとした顔に掛けた淵なしの眼鏡の奥で、若干細目の澄んだ瞳が、心配そうに琢真を見つめていた。一寸の曇りもない白い肌の、思わず抱きしめたくなるような細身の体を、僅かに身を乗り出すように前に傾けている為、セミロングの綺麗な黒髪が、さらさらと肩から零れ落ちている。
「い、いや。その、藍田さん……」
琢真は緊張で、徐々に顔の血流量が上がっていくのを感じた。
「頬が少し赤いけど、殴られたの?」
「へっ? あ、いや、うん。一発ね……」
池山曰く。『教育的指導』だそうだ。
昨今の学校では教師が生徒に手を上げるのは、色々問題になる事の方が多い。PTAや保護者あるいはマスコミの槍玉に挙げられるからだ。それを恐れて大半の学校は教師が手を出す事を禁じているし、教師達も手を出そうとはしない。
だが、そんな風潮は糞喰らえとでもいうように、池山は躊躇う事無く手を出してくる。とはいえ、本人が『指導』と言っているのは免罪符ではなく、決して理不尽な暴力ではない。受ける生徒の方でもそれを感じているのか、今まで問題になった事はない。
琢真にしても悪い事をした自覚はあるので、殴られた事に対しての不満はなかった。
「大丈夫? 保健室で湿布貰って来ようか?」
少女は心配しているが、琢真が赤くなっている原因は恐らくそれだけではない。
「い……いやいやいや、これくらいいつもの事だし……大丈夫だよ! ホラ!」
問題ないことを証明するため、琢真はその場でスクワットや腕立てを行い始めた。
「ぶふっ!」
「くくくっ。一生懸命なんだから、笑っちゃ駄目だよ愛」
横手からそんな声が聞こえたような気がしたが、琢真は気にしないことに決めた。
「そう。良かった」
にっこり微笑んでくる少女の笑顔に琢真は思わず腰が砕けそうになるが、机の端を力一杯掴んで崩れ落ちることを阻止する。
「あ、藍田さんも、さっきの見て……た?」
琢真は当初の予定とは大きく異なり、恐らく無様だったろう自分の姿を、彼女に見られていないかが心配だった。
「あ、私は――――」
「大丈夫。莉理は席を外してたから」
愛の言葉に、琢真はホッと安心する。
「うん。事情はよく分からないけど、池山先生に叱られてるってことだけ聞いたの」
「そ、そう。それは良かった」
「?」
ちょこんと首を傾げ、莉理は不思議そうな表情を浮かべる。
可愛らしい。と、赤くなった顔を誤魔化すように琢真は話を変える。
「そ、そういえば、藍田さん。ぶ、部活は今日ないの?」
「え? あっ本当。ごめんなさい。そろそろ時間だから、私行くね」
時間を忘れていたのか、莉理は教室のクラスメイト達に別れを告げて、足早に歩き去っていった。
その後姿を未練がましく見つめていた琢真だったが、あることに思い至る。
それは莉理は自分の事を心配して残っていてくれたのではないかという事だ。それはつまり、脈があるということに繋がる。
そう思うと、一気に気分が昂揚してきたのか、うへへ、と喜びの声が琢真の口から漏れる。
「ちなみに。莉理が残ってたのはクラス委員の仕事のためよ。決して、アンタを心配して残ってたわけじゃないから、誤解しないように」
「へ? な、そ……そんなこと……誤解してないぞ……」
琢真は言い返すも、その声に力は無かった。
「ついでに言うと、アタシ達も莉理の手伝いで残ってたんだからね?」
勘違いすんじゃないわよ? と、その後には続いているのだろう。
いちいち癇に障る奴だと琢真は思った。
「まぁまぁ。苛めちゃ可哀相だよ」
「そうよ。心配してくれただけでも、一歩前進って考えないと」
琢真は言葉こそ優しいが、顔は完全に笑っている彼女らの言動は信用しない事に決めた。
「別に前進とか……そんなの関係ないし」
「いい加減、見え透いた嘘はやめなさい」
否定の言葉を、愛に一瞬でぶった切られる。
「そんな事ばっかり言って~~~耳がすごく赤いよ」
「もう気持ちは皆分かってるんだって! ホント可愛いね芳垣君って」
「でもまあ、アンタにしては頑張った方か……」
違う! と、琢真は言い返す。が、更に冷やかしの言葉を掛け続けてくる女達に押され続ける。必死に弁解するも、多勢に無勢。そもそも琢真が口で愛達に勝てる訳もなく。
結局琢真は教室から逃げるように飛び出すことになった。




